『狼男』の陽彦

「おい聖二、これ相変わらずクソ不味いな」

「言うな陽彦、頑張って作ったんだ」


 A市市内の一軒家――埃臭いカーペット敷きの手狭なリビングルームで、陽彦たちは朝食を囲っていた。

 とうに本来の家主を失った空き家をこじ開け、こうして占領――もとい『社会的利益に鑑みた有効活用』することはしょっちゅうだった。


 湯気立ったスープわんから具を掬い、咀嚼そしゃく。口の中に広がるえぐみを極力味わわないようにして飲み込む。

「おかわりはいるか?」と聖二が手を差し伸べてきたが、断固として拒否した。


 貨物車バンには予備の燃料やら仕留めたフィンブルの検体サンプル保管庫やらが積み込まれているため、食糧は現地調達が基本だ。

 聖二は手を変え品を変えどうにかまともな食事を出そうとしていたが、大抵こうやって濃い味で煮込んで誤魔化すのが一番マシだった。


「わたしはおいしいと思いますよー! 聖二くんの作ってくれるご飯」

 と、マグカップを呷りながら、愛海。「うん、おかわり!」


「愛海、ありがとう。僕を励ましてくれているんだな」

 と、感じ入った様子で、聖二。「お前の飲んでるそれ、生き血を絞っただけだけどな」


「やっぱり食材が悪いと思う」

 と、スプーンの先で肉片を弄びながら、深雪。「トカゲ系が今、私の中で熱い」


「そうじゃねえだろ」

 と、呆れて溜め息を漏らしながら、陽彦。「いいかげん、フィンブルの肉はもういいっつの」


「……確かに肉ばかりだと偏る。でも、この寒さで作物が育つかどうか」

「ママが昔、ジャガイモは痩せた土地でも育つから最強だって言ってました」

 深雪も愛海もいたって真面目な顔で言うので、聖二が珍獣を見るような目を二人へと向けた。


「あのな、陽彦が言ってるのはそういうのじゃない。そろそろ本土に帰還したいってことだろ?」

「ああ」

 陽彦が頷くと、深雪は合点がいったというようにコクリと倣い、聖二もうんうん、と相槌を打った。

 遠征開始からおよそ一ヶ月半――うんざりしているのは陽彦だけではなかった。


「知っての通り、本土との行き来には手間も時間も掛かる。面倒な手続きとか、検疫とか、検診とか。だから僕らはノルマとして、を狩るまでは帰らない」

「分ーってるよ。だからさっさと、人型見つけてぶっ殺そうぜ」

「賛成。私も柔らかい布団で寝たい」


 生活基盤の失われた北海道での生活は、豊かさからは程遠い。捻るだけで綺麗なお湯が出るシャワーだとか、深雪たちの目を気にせずに吸える煙草とか、ドブの臭いのしない飯とかいったものがそろそろ恋しかった。


「なら、頑張ってネストを探さなくちゃな」

「へいへい。毎回結局それだよな。『頑張る』とか『足で探す』とかばっか。もっとこう、具体的になんかないのか?」

「頼りない班長で悪いとは思ってるよ。ほら、お詫びに肉の大きいところをやる」

「いらねえ」

「陽彦の鼻、頼りにしてる」

「いきなりなんだお前、もっと心を込めて言え」


 愚痴を零す陽彦を、聖二と深雪がそれぞれ励ました。一方で愛海だけは会話に加わらず、うーん、うーんと難しい顔で何やら唸り続けていた。


「どうした愛海、何か良い案でもあるのか?」

「うん、聖二くん。あのね……――」


 愛海は告白でもせんとばかりに溜めを作ると、

「――……ジャガイモ、ダメかなぁ……美味しいんだけどなぁ」

 そう言い放った。発言よりもそれを聞いた聖二の間抜け面が面白くて、陽彦は思わず噴き出した。


「無理だと思う。愛海はすぐに飽きて世話をしなくなる」

「えーっ、深雪ちゃん酷いです!」

「本土に戻ったら、皆の好きな物を作るよ。だからそれまでガマンしてくれ」

「えっ、やったー! わたし、ビーフシチュー!」

「ハヤシライス」

「代わり映えしないわお前ら。っていうか向こうでまで聖二の飯とか嫌だよ、かーちゃんかよ」

「なんだと、一人じゃお湯も沸かせないくせに」

「沸かせるわボケ」


 軽口を叩き合いながら、最後の一滴までわんを啜る。飯は不味いが、暖かな時間だった。

 あとは煙草さえ好きに吸わせてくれればいいのに――と、陽彦は心の中で呟いた。


 ※※※


 ワイルドハント部隊――それが陽彦たち、フィンブルと戦う狩人に付けられた名だ。


 遡ることおよそ三十年。世界全体を覆う異常気象『厳冬フィンブルヴェト』の訪れとともに、怪物――フィンブルたちは現れ、人類を脅かしはじめた。

 軍隊がまともに立ち向かえたのは最初の数年だけだ。いくら倒してもきりがないフィンブルとの戦いと、気温低下による生産力の減衰により、社会全体がすっかり疲弊しきってしまった。


 人類は生き延びるために、モラルを手放した。最初はフィンブルを手懐けて戦わせる研究から始まり、やがてそれが無理と分かると、動物にフィンブルの因子を組み込む研究へとシフトしていった。

 そうこうしている間に敵はその数を増し、文明の灯を失った無人市街――暗黒地帯がどんどん拡大していった。

 動物実験は、間もなく人体実験となった。


 二十年前に、欧州のワイルドハント社がそれを成し遂げた。

 人間の子どもにフィンブルの力を後天的に与える技術の誕生。それは瞬く間に世界中へと広がり、奪われた土地の一部を人の手に取り戻させ、一企業を国家すら凌ぐ存在へと押し上げた。


 日本を含む多くの国では法律上、それはということになっている。生命の危機に瀕したものにフィンブルの細胞を移植して救命し、結果的に力を怪物たちとの戦いに有効活用する――そういった建前がまかり通っていた。


 その数は現在、国内でおよそ二千人。日本最大の暗黒地帯である北海道に、その半数が配備されている。

 いざとなれば替えが利くし、なんならもっとすることだってできる資源。ワイルドハント社によって生かされている、死者の軍団――それが陽彦たちだった。


 ※※※


 フィンブル討伐の基本は、ネストを見つけることから始まる。

 無言の四人を乗せたまま、人気ひとけのないA市の荒れ果てた道を貨物車バンはひた走っていた。

 雨風が凌げつつ広い空間を有する、巣の候補地となる場所を一つ一つ巡る。

 小学校校舎、地区体育館、大型マンション――今日のところはいずれも収穫なしだった。


「……おいおい、雪が降ってきたぞ」

 運転席の聖二が声を上げ、皆が一斉に外を見た。塵のような白点が車窓を流れ、A市の街並みを淡くしている。

 まだ九月の末――例年と比べても早い冬の訪れだ。本土の大人たちはこれも厳冬フィンブルヴェトの進行だと頭を抱えることだろう。


「良かったな愛海。お前が好きな雪にシロップ掛けるやつ、もうすぐ食い放題だぞ」

「もー、わたし一人だけ子供みたいに! 陽彦くんだって食べてたくせにー」

「二人とも、笑いごとじゃない。国が疲弊すればするほど、僕らへのバックアップだって縮小されていくんだからな」


 優等生らしく聖二がたしなめる。だが、陽彦にはどうでも良い事としか思えなかった。

 元より支援など微々たるもの――なんなら、自分たちは見捨てられているという想いさえあるからだ。


 それに、考えた所で陽彦たちにはどうしようもない問題だった。廃墟になった街々に火をつけて、温暖化でも図ってみるか?

 そんな嫌味を吐き出しかけて、喉元でとどめた。下らないことで言い争えばきっと、聖二が大切にしている何かを侮辱することになるからだ。


「本格的に積もる前に、雪上車に乗り換えないとな」

 聖二が面倒臭そうに呟いた。行政による除雪が行き届くようになった本土の公道と違い、北海道は時に数メートルにも及ぶ積雪に覆われる。

 冬の悪路を乗り越えて進める雪上車は、本土と北海道とを繋ぐ定期船のあるN市――ちなみにそこは道内で唯一、最低限のインフラが確保された場所でもある――の基地に置かれている。


「N市まで戻って、車乗り換えて、またここらへんまで戻ってくるとか、面倒すぎて考えたくもねぇな」

「全くだ。けどその前に人型を狩れば、乗り換えは次の遠征に来た時のついでで良い」

 聖二の言葉に、他の三人も頷く。考えていることはみな同じのようだった。


「……なあ、最悪ノルマを諦めて帰っちまうってのは」

「基本的には考えていない。一度諦めて帰れば、たぶん二度、三度と同じことを繰り返すようになってしまう」

「……そーかい」


 分かりきった答えではあった。陽彦自身、聖二の成果主義に乗っかって行動を共にしているのだ。ただ少し、分かっていてもサボりたくなる時はあるというだけで。


 それからまた、四人は無言に戻った。陽彦はしばらくはぐれフィンブルでも見つからないかと窓の外をじっと探していたが、やがて飽きるとそっと瞼を閉じ、眠りの浅瀬に身を投げ出した。


 ※※※


 時刻は夕刻――雲間から覗く光が、雪のヴェールに覆われた街並みを夕焼けに染める頃。

 住宅地の只中ただなかに建つ四階建ての高校校舎――その校門を抜けた駐車場に、聖二は貨物車バンを乗り入れた。


「あー、先客がいるな」

 陽彦が気付く。『WILDHUNT』のロゴを刻んだ同型の車が、冠に雪を載せたまま停まっていた。

 窓や車体にステッカーを幾つも貼った、陽彦たちのものより遊び心のある車だ。

 ワイルドハントたちはまとまりに欠いており、三~六人程度の班を組んでそれぞれが好き勝手に活動している。こういったバッティングはたまにあることだった。


「え~? じゃあここも無駄足ですか?」

「せっかくだし、ちょっと声かけようぜ」

「僕は反対だな。時間を無駄にしたくない」

 陽彦の提案を、聖二はにべもなく突っぱねる。言い訳をしているが、本音では関わりたくないということが丸分かりだった。


 車体を過度に飾り立てるような連中にはいわゆる『不良隊員』が多く、聖二はそういった手合いと関わることを――更に言えば、陽彦たち班員が彼らと接触することをも――露骨なまでに嫌がっている。

 ちなみに陽彦もどちらかと言えば不良寄りの人間なのだが、聖二は身内には甘かった。


「まあそう言うなよ、もしかしたらカップ麺とか缶詰とか余分に持ってて、分けてくれるかもしれないじゃねえか」

「特定の班に借りを作りたくない。それにお前、本当に欲しいのはどうせ煙草だろう?」

「わたしはお話ししてみたいなー、他の班の人と♪」

「ほら、二対一だぞ。深雪、お前はどう思う?」


 陽彦が水を向ける。きっと「どうでもいい」とかそんなことを言って棄権票になり、二対一で勝てると思ったからだ。

 深雪の反応は違った。


「よく見て」

 深雪が冷ややかに告げる。元より起伏の乏しい声ではあるが、何かを訝しんでいることは陽彦にも辛うじて分かった。

「誰も乗っていない」

「あ? じゃあ学校の中にいるんだろ」


「雪が積もり始めたのは昼前。周りに足跡も、タイヤのわだちも付いていない。その間行き来が無いとしたら、狩りが相当長引いていることになる」

 車内の雰囲気が澱む。深雪が何を言おうとしているのかは明らかだった。


「中で作業してるんじゃないですか? ほら、ご飯が足りなくて解体中とかー……」

「……それならそれでいいさ。念のため、確かめた方がいいな」

 最初に動いたのは陽彦だった。勢いよくドアを開け、座席から飛ぶように降りる。

 地面に足がついた時、既に耳はピンと尖り立ち、生え揃った毛並みが顔中を覆っていた。


「……血の匂いだ。中から漂ってくる。フィンブルだけじゃなく、人のも混ざってる」


 鼻先をすんすんと震わせながら、陽彦が言った。

 遅れて三人が、神妙な面持ちで薄雪越しのアスファルトに降り立つ。

 聖二が記録端末を起動した。


「ワイルドハント部隊、宗像班。ネストと思しき建造物を探索する」

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