厳冬のワイルドハント
霰うたかた
序
交通信号も、家灯りも、街灯の一つもない夜の市街地を、『
四人の乗員たちは、いずれもまだ十代半ばの少年少女だった。漆黒の
「みんな、少し揺れるぞ」
運転席――背の高い生真面目そうな少年が言った。
闇の中で、いやに輝く金色の瞳/ひび割れた悪路でも顔色一つ変えずにハンドルを切る。
「揺れるのはいいけどよ、
助手席――短髪を逆立たせた少年が応えた。
トレードマーク=首元についたふわふわの付け襟を
「
右後部座席――小柄な少女が釘を刺した。
白磁の肌/感情を宿さない夜色の瞳。代わり映えしない外の暗闇を眺める。
「今更そりゃねえだろ、
「未成年が吸っていいわけがないだろう。我慢しろ」
「
「ん? わたしはですねー……みんなとドライブできて面白いですよー」
左後部座席――金毛少女の朗らかな笑み。
鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌/猫のようなしなやかさで伸びをする。
「愛海に聞いたおれが悪かったよ」
実りのない返事に、助手席の少年――陽彦は溜め息をついた。
聖二は堅苦しいし、深雪は何を考えているのか分からないし、愛海はマイペースすぎて調子が狂う。
陽彦としてはもう少し、気のいい付き合い方がしたかった。
ここはろくな楽しみの一つもない、痛みばかりが充満した場所なのだから。
人の手から奪われ、文明の灯のほとんどを失った暗黒地帯・北海道。
かつては十五万ほどの人口を抱える中規模都市であったここ――A市の一帯はとうに荒れ果て、舗装の隙間から草木が茂り、皮肉なほど澄んだ空には星と月とが煌いている。
まるで人類の行き過ぎた文明に警鐘を鳴らす、
慣れない感傷にも飽きて目をつむる。けれど、眠れそうにない。
諦めて新たなガムを口に放った。ミントの爽やかさが鼻を抜ける。
数十分もそのまま揺られ続けた頃。
「そろそろ着くぞ」と、聖二が告げた。
「ああ」陽彦がガムを包み紙に吐く。
「了解」深雪が手櫛で髪を遊ばせる。
「頑張りまーす」愛海が水筒から、ストローでチュウチュウと何かを吸う。
貨物車は緩やかに減速し、音もなく停まった。
街中に建つ四階建てショッピングセンターの駐車場――とっくに倒産して本土では見かけなくなった看板が、ここには当時のまま残っている。
「ワイルドハント部隊、宗像班。これより
記録端末を起動した聖二が、そっと吹き込んだ。決まってそれが、陽彦たちにとって作戦開始の合図だった。
※※※
ショッピングセンターの出入り口は三方向――それぞれ建物の西、南、東端にある。
カートやガラス片の散乱した西口――車輪付きのバカでかいプラスチックケースを引き摺った陽彦が、壁の裏に身を潜めていた。南口には深雪が、東口には聖二と愛海が、同じように待機しているはずだ。
割れっぱなしの自動ドアの奥には、薄暗い店内の様子が窺えた。棚が倒れ、床は爪痕だらけ、壁も色褪せて、すっかり荒れ果てている。こういった広くて屋根付きの空間を、フィンブルたちは好んで棲み処とする。
班長である聖二の合図で、三方から戦線を押し上げていく。そのはずだったのだが。
『一階中央で群れを発見。いつでも仕掛けられる』
耳元の通信機から、深雪の声がした。
『……待て深雪。お前、また先行してるな!? 所定の位置について僕らと同時に――』
聖二が狼狽する。予想できた事だろうに何を慌てているんだこいつは、と陽彦は思った。
「聞きゃあしねえよ、聖二。おい深雪、親玉だけはおれが追いつくまで待てるか?」
どうせ無駄だろうな、という諦念を込めながら、胸元のピンマイクに囁く。プラスチックケースを開封した。
得物を抜く――禍々しい刃が牙のように並んだ、子供の身の丈ほどもある
『分かってる。強かったら無茶はしない。始める』
深雪が応え、通信が遮断された。
数秒後、獣の吠え声が重なり轟く。深雪が動き始めたと理解するにはそれで十分だった。
高鳴る心臓。巡る脳内物質。獲物を八つ裂きにして血肉を貪るイメージ――荒ぶった精神状態を自覚し、自己嫌悪する。
近づいてくる足音から、敵の数、種別、興奮状態といった情報を、陽彦の尖り耳は正確に捉えていた。
尖り耳――然り。いつの間にか陽彦の全身は、大きく変貌していた。首元から顔までを覆うふさふさの毛並み。血走った両目。剥き出しの歯並び。それはまるで人間と山犬を掛け合わせた、醜悪な二足歩行モンスターのような姿だった。
壁の裏から音を頼りにタイミングを合わせて飛び出し、竜巻のごとき回旋力で刃を振るう。
「オォォ……ッラァ!」
「■■■ッ!」
入り口から勢いよく飛び出した影が腰から横一文字に両断され、慣性を殺しきれないまま陽彦の後ろに転がった。噴き出した血液の匂いが嗅細胞をくすぐる。
陽彦は衝動を抑えながら、殺人
「■■■ッ」「■■■■■!」
続けざまに飛び込んできた二体が両脚を斬り落とされ、タイル張りの床に投げ出される。
漆黒の毛皮、真っ赤な四つの目、狼めいた鼻面、熊のように巨大な体躯を備えた、今の陽彦の姿にも似た怪物――ベアウルフだ。
「■■■■……」「■■■■■■……ッ」
地面に転がったベアウルフたちが唸る。苦しげな声に反して切断面は急速に癒え始め、あまつさえそこから繊維状に生えた肉の芽が、腰や脚を繋ぎ合わせようとしていた。
フィンブルの多くは、欠損すら治るほどの超再生力を備えている。防ぐ方法はただ一つ。
「黙って死ね」
陽彦は呟くとともにチェーンソーの回転数を上げた。ドルルルルルルッ、と唸るような音を上げ始めたそれを、手近なベアウルフの頭に振り下ろす。
怪物の頭蓋はもはや切断というよりも粉砕され、ゼリー状の神経細胞が爆ぜ飛んだ。生命活動の完全停止――傷口の再生が止まる。
続けざまに、残る二体の頭にもチェーンソーを叩きつけた。高速回転するブレードがひび割れたタイルごと脳を掻き混ぜ、返り血が陽彦をしとどに濡らす。
犬のように長くなった舌でそれを舐めた。
尖り耳が新たな動作音を捉える――同種の獣×5が接近中。怯えきった吐息=弱敵。
チェーンソーの回転数を落とし、再び機を見計らう。
他の三人、うまくやってるかな。あいつら全員危なっかしいからな――そんなことを考えながら巨刃を振るった。飛び込んできた影が裂かれ、断末魔とともに瑞々しい花が咲いた。
※※※
ショッピングセンター東口の駐車場。
「あはっ!」
金毛の少女――愛海がアスファルト上で舞う。その掌から、鋭利な杭が勢いよく飛び出した。
「■■■■ッ!」
ベアウルフの胸部が貫かれる。ゾゾゾゾゾ……と啜るような音と共に、身体が干からびていく。
杭の尖端に空いた小さな孔から、血液/組織液といった液体が吸い上げられているのだ。
「あは、あはは、あははははおいしー!」
愛海が快哉の叫びを上げた。彼女という生き物にとって、これは食事に当たる行為だった。汲み取られた血液は内臓で濾過されて全身を巡り、愛海に更なる力を与える。
「あはは、あはははははっ……あっ?」
ふと気付く――囲まれている。薄闇越しに幾つもの眼が、愛海に憎悪を向けていた。
「「「「「■■■■■■■■■……ッ!!」」」」」
逃げる間も与えずベアウルフたちが殺到し、鋭い牙が愛海の柔らかな肌を裂く。
「あああ、痛い痛い痛い痛い、あは、痛いいいいいいい!」
手足が捥ぎ取られる。腹が、胸が、首が抉られる。己から噴き出す生臭い霧のなかにあっても、愛海は笑うのをやめない。
次の瞬間、ベアウルフたちの全身を痛みが貫いた。ボロボロの流木のようになった愛海の胴体から、幾本もの杭が
杭は刺さると同時に逆向きの返しを展開し、もがき逃れようとする怪物たちを離すまいとしていた。
愛海の口元が緩む。
「……いただきまぁーす♪」
※※※
「■■■……」「■■ッ……?」
勢いよく駆けていたベアウルフたちが突如その場に倒れ、泡を吐きながら痙攣する。
駐車場に停められた、改造貨物車の上。金眼の少年――聖二は、口元を覆うプラスチックマスクに唾を吐いた。唾はマスクから伸びた管を通し、彼の持つ針撃ちライフルへと補充される。
口内の腺から分泌されるその液体は、ごく少量で生物の全身を硬直させ、間もなく死に至らしめる猛毒だ。
聖二は狙いを定め、続けざまに引き金を絞った。プシュッ、と小さな音を立てて針が発射、命中する。新たな死体予備軍が冷えたアスファルトに転がった。
「ふわぁ~……相変わらず凄い腕前ですねー! 聖二くん!」
能天気な大声が響く。全身から杭を生やしてサボテン人間になった愛海が、ぶんぶんと手を振っていた。杭の尖端にはミイラのように乾いた肉片がぶら下がり、捥げたはずの四肢は新たに生え変わっている。
「愛海、油断していると本当に死ぬぞ」
「ごめんなさーい!」
聖二は溜息をついた。どうして自分の元には、問題児ばかりが集まるのか。
素行不良の《
『群れの主を
三人目の問題児――《
※※※
第一波を斬り散らし、建物内部へと潜行していた陽彦にも、その通信は聞こえていた。
逃げ出すベアウルフたちの頭をすれ違いざまに叩き割りながら、獣の匂いの濃くなる方へと進むと、やがて暗闇の中にそれが見えた。
辺りに転がる、夥しい数の死体。そのうちの幾つかには、目立った外傷がなかった――深雪にはそういう殺し方ができた。
その中心に、五メートルはあろうかという巨大なベアウルフが息絶え、血まみれの深雪が立っている。片目が痛々しく潰れ、胸元が引き裂かれていた。
「おい」
床にチェーンソーを突き刺し、声をかける。
「陽彦、お疲れ様」
深雪が駆け寄り、無表情のまま陽彦の手をギュッと掴んだ。長年の付き合いから、どうやらそれが本人なりに愛着を込めた表現らしいのは陽彦にも分かっていた。
「あのさあ、おれ、待てるかって聞いたよな? で、お前は無茶はしないって言った」
「相手は人型じゃなかった」
「なら、楽勝で勝ってみせろよ」
「こんなの掠り傷だから」
「馬鹿だろ、お前」
深雪にも再生能力は備わっている。数分もすれば今の傷も元通りだろう。とはいえ、脳でも潰されれば当然死ぬ。班の全員で――少なくとも陽彦を待てば、もっと安全に戦えたはずだ。
彼女は常にこうだった。命令が理解できないわけでもなく、しかも普段はどちらかといえば従順な方なのに、戦いになるとなぜかいつも勝手に先陣を切っていた。
「もしかしてお前、死にたがってるクチか?」
「ううん、全然……陽彦は?」
「あ?」
「陽彦は死にたいと思ったこと、ある?」
急な問いかけに思わず固まる。「ない」と言いかけて、どうしてか言葉が出なかった。
「……さあな」
その気になれば誤魔化せたのに、なんとなくばつが悪くて、はっきりと否定することはできなかった。黒曜石の双眸が、真っ直ぐに陽彦を見つめ返していた。
「陽彦は私が死なせないから」
掴んだままの掌を更に強く握りしめ、深雪が静かに言う。上目遣いの深雪としばらく見つめ合う内に気恥ずかしくなって、陽彦はその手を振りほどいた。
「人より自分の心配しやがれ……ほら、見えちまうぞ」
自分の
「ムッツリスケベ」
「殺すぞ貧乳」
悪態をつき合いながら、傷んでいない死体を二人で漁りはじめる。
ここに標的はいなかった。狩りの日々はまだ続きそうだ。
しばらくは毎食、固くて臭い肉を食うはめになるだろう――こんな時は、愛海の体質が少し羨ましくなるのだった。
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