「雲外鏡(うんがいきょう)の章」
〇七〇 棄 児
「ふむ、新規の
薄暗い空間。トルク音に似た低い音が響き、
そこは壁や天井、床に至るまで、金属とも生物ともつかない青黒い材質でできていた。
この世のものとは思えない、広さにして1000㎡ほどの空間の中には、巨大で半透明の、逆さにしたフラスコのような物体。それらが
天井と床を繋ぐように太い管が上下に伸び、その中央に直径2mほど、ルーローの三角形を逆さにし、半透明の子宮にも似た奇怪なオブジェクトが無数にあった。当然ながら鑑賞用などではない。
その内側は透明な液体、
ごぼごぼ ごぼっ ごぼっ ごぼっ
下の太い管から気泡が上がると、中にいる『何か』は身体を
そこは、虚神が自分たちの眷属を作り出す、
生物の摂理とは異なる、無明の闇から来る虚兵。その
仮初めの生命じみた動き、思考を伴う虚兵だが、その運用は工業機械となんら変わりがない。
主の目的のため、限定的かつ機能的に使われる用途。ただ死と破壊、嘆きと苦痛をもたらす異形の使者。それが虚兵の本質だった。
「うまくいってるようね」
「ふむ、『闇子宮』の増設はこれくらいでいいだろう。まずは原始的な量産型に始まり、腕力に長けた者、機動型、あるいは虚霧を生み出すのに長けた者。
この惑星に生命が誕生し、枝葉が別れるように種が分岐していった。同様に虚兵も適応放散、
ヴェーレンは
「まずは種類を増やし、その後数を。どれほど作っても作り過ぎるということはないからな。
『
ふむ、それぞれを吸収し貯蔵する
「面白そうだね、僕にも見せてよ」
「ほう、ここに来るとは。珍しいな小僧」
ヴェーレンが振り向くと、そこには黒い袖なしパーカーのフードを被った魔少年、ディクスン・ドゥーガルがいた。興味津々といった感じで、狂気の生産工場を眺めている。
その様子は、おもちゃ売り場にやって来た子供のように楽しげだ。
「まあね。僕もミタキリョウコとただ
「なかなか殊勝なことを言う。それならばその策とやら聞かせてもらおうか」
「ああ、虚神の力を人間にも
具体的には――――、――――、――――。
で、――――、――――、――――。
どう? 悪くないだろ?」
「ふむ、微調整は必要だろうが根幹は
「そう? じゃあ僕が考えたのを作ってくれる?」
「ああ。暫し時間がいる。できた時に『蜘蛛』で一報を入れよう」
「わかった、楽しみにしてるよ。
それにしても壮観だね、虚兵が作られてる様子を見るのは。何だかわくわくするよ。
僕のアイディアがうまくいったら、虚兵の軍勢とか作ってくれる? ああ、全長15mとかの巨大兵でもいいなあ。考えただけで笑いが止まらなくなる。そうなると、今やってることもさらに張り合いが出る。
それじゃ、
再び闇に掻き消えたディクスンを見やりながら、那由多は視線をヴェーレンに戻す。
「いいの? 好きに遊ばせて。
とりあえず『いい子』にしてるみたいだけど、牛鬼の一件で夜叉姫の前で腕を折ったんですって? 案外あなたの手を噛むために画策してるのかも」
「構わん、真意はともかく
もとより、大人しくこちらの指示に従う手合いでもあるまい。面従腹背ならばそれはそれでよし。儂をもしのぐ勢力を手に入れる。それもまた一興よ。
それよりも」
「ええ、あなたが言うように一人連れてきたわ」
那由多が横抱きに抱えて運んできたのは、痩せ細って、今にも息を引き取りそうな少女だった。
日本人、小学二年生くらいの背丈だが、髪や服装も汚れきっている。明らかに長い間周囲の庇護を受けられず、衰弱しきった少女は、意識を失っているのか弱々しい呼吸を続けている。だがそれもかなわず、呼吸は弱まるばかりだ。
すーー…… すーー…… すーー……
「ふむ、ここで死なれては困るな」
ヴェーレンは節足動物じみた長い手を少女に近づける。その手には飲み水の入った水差しが握られていた。
虚神は少女の口に水差しをあてがい、ゆっくりと口を湿らせる。
けほっ けほっ
痩身の老科学者は手を
「儂にはどうも、人間の介抱は不得手のようだ。那由多、この子供に、滋養があるものを与えて養生してやれ」
「それは構わないけど、本当にこんなことで夜叉姫の、『
「そこは……賭けというよりも座興に近いな。御霊の覚醒、解放はこの際後回しだ。
今は
『将を射んと欲すれば』――――という
どちらにせよ、
子供を、腫れ物に触るように扱っていたヴェーレンは、手をローブに戻した。少女は意識がないまませきこんでいる。那由多はその顔を無表情に見つめた。
「親に棄てられた子供――――これ以上ない地獄を味わったのに。新しい人生を望むのかしらね。
この子の人生、記憶……誰にも気がつかれることがないのかしら…………」
「感傷か? お主らしくもない。子供に対する憐憫など不要。我々にとっては取るに足らん駒でも、将を仕留めるために動かすのみだ」
ヴェーレンは長く節のある腕を6本上に大きく突き出し、天井を仰ぐ。
「今現在、我らが狙うべきは―――― 一つは三滝渓介。二つは照獣雲外鏡。
そして三つめ。この三つはそれぞれ因果でつながっている。
いずれにせよ、大願成就のため、事を為すのみ。
最後の一つ、これが最も肝要だ」
ヴェーレンは紡いでいた言葉を一旦区切った。そして殊更に低く呟く。
「――――魔書、
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