〇五一 潮 妖

「――――きゃーーっ!!」


 夜叉の浄眼の効果で、ある程度恐怖心が軽減されてるんだろうけど、それでも思わず悲鳴を上げてしまった。

 半魚人の赤ん坊、というのが一番近い感じ。

 眼は閉じているけど、眼球が顔の両端にあって妙にせりだした、青白い赤ん坊が口をパクパクさせている。その様子は可愛らしさのかけらもない。

 言うなれば、深淵からきた者みたいだった。


岳臣たけおみ君、その赤ん坊から手を離して!!」


「無理です! 粘液でくっつけられてます!!」


 見ると赤ん坊をくるんでいた布からも、透明のねばついた液体が出て岳臣君の腕に絡みついている。おまけに――――


「やっぱり、というか警戒していて正解でしたね。この赤ん坊もあの女も妖魅です……!」


 言いながら、岳臣君は全身に力を込めて両足を踏ん張る。


「どんどん重くなってる……!

 くっ……予想してた以上だ。これ、何十キロ……いや際限なく重くなるのか?」


 そう、私たちは女とその赤ん坊の正体に、最初から気づいていた。

 海辺の近くにいる人間に、何かと理由をつけて自分の子供を抱かせる妖魅。

 まさか、身の上話に D V ドメスティックバイオレンスを混ぜ込んでくるとは思わなかったけど。

 正体を知らずに抱き抱えてしまうと、赤ん坊は見た目に反してどんどん重くなって、抱いた者は圧し潰される。もちろん、そんなことはさせないけど。


「正体をあらわしなさい! 妖魅『濡れ女』!!!」


 異形の篭手、夜叉の浄眼を完全に顕現させた。浄眼珠の光を照射する。

 が、一瞬早く女の姿が伸び上がり、光をかわした。

 変化へんげしたその姿は、顔は美人の部類に入るけど、蒼い髪は濡れて身体のあちこちに貼りついている。

 そして腰から下、足に当たる部分が、腰の太さ程もある巨大な蛇に変化していた。

 服は脱げて、割りにスタイルがいい身体が露わになるけど、その肌は人間のそれじゃない。青白い鱗で覆われて、常に粘液でぬらぬら光っている。

 5mほども上の位置から私たちを見て目を細める。


「ヤハリヅイテイタカ……。夜叉姫ヤシャヒメ

 オマエ私達ワタシタチギョセヌ……」


「やってみなくちゃ分からないでしょ!!

 妖魅顕現、『流獣りゅうじゅう御滝水虎おんたきすいこ』!!」


 右手の甲の宝珠から蒼い宝珠が出た。そこを依代に、澄んだ滝を司る巨大な虎の妖魅、御滝水虎が此岸こちらに顕れる。


 ――――グルルルルルルルルルル――――


 御滝水虎は前傾姿勢を取り、濡れ女を威嚇いかくする。一方の濡れ女は腕を組んで悠然と構えたままだ。


「ふん、書物にも絵姿がない来歴の浅い新参者が! 妖魅としてふるくからあまねく知れ渡る我にかなうと思うたか!!」


「やってみればわかることだ」


 対する御滝水虎も負けていない。前傾姿勢を取って飛びかかる。

 一方の濡れ女は鎌首をもたげた蛇のように構えると、御滝水虎にぶつかる。


 ドシッ!!


 御滝水虎のわき腹に体当たりしてきた。


 ゥオオオオオオオ!!!


「ぐっ!!」顕現している間、私と御滝水虎は痛覚を共有している。肋骨に少なくない痛みが走った。


「「涼子さま!!」」


 猫又と五徳猫が悲鳴を上げた。


「私たちなら大丈夫! それより牛鬼に備えて火車を呼んで来て!」


「はい! わかりました!」


「涼子さま! お気をつけて!」


 二人は海水浴場に駆け出す。と、蛇の下半身が鞭のようにしなってコンクリートを打ち鳴らした。


 ビシャァァァン!!


「よそ見をするな!! 尋常に立ち合え!!」


「言われなくても、そうするわよ! 御滝水虎、いける?」


「問われるまでもない」私は夜叉の浄眼から太刀を出し文言を唱える。


妖具化ぐるか、瀑布刀!!」


 太刀に清冽せいれつな水がまとわりついた。彼岸のモノを斬れる刀、瀑布刀が現出する。

 刀の峰を下に向け正眼に構えた。


「ふん、刀の峰で戦おうとは。我を相手に手を抜こうというのか? そんなことでは我は倒せんぞ」


「うっ……! ぐうっ……!」


 岳臣君は前傾姿勢を取ってかろうじて耐えていた。私は大きく息を吐く。この濡れ女を止めて、早く岳臣君を戒めから解放しないと。




   ***




 涼子さまに、火車様を連れて来るように頼まれた私たちは、旅館までの道を探していた。

 人間にとっては薄暗い夜道でも、私たち猫の妖魅にとっては日差しがあるのとなんら変わりがない。まして、相手はあの火車様だ、近くに行けばすぐわかるはず……。


「全く、火車様ったら、いつでもふらふらしてるんだから……!」


 猫又さんが走りながら愚痴りだす。ある意味同意見だけど……。


「しょうがないですよ、あの方は確かに歴史もふるくて強いですけど、戦いには向かない性格ですから」


 鬼力きりょく、妖気の残り香を頼りに二人であちこちさがす。そこかしこから妖気が感じられるから、ほんとにふらふらしてたみたい。




「あっ、いた!! 何やってるんですか、火車様! 涼子さまが大変なんですよ!」


 あろうことか、火車様は万事屋コンビニの前で若い男三人に囲まれていた。

 駐車場の縁石に腰かけて麦酒ビールを飲んでる。また男の人にたかってる!

 まあ、らしいといえばらしいけど、今は非常時だ。早く涼子さまの所に連れて行かないと。


「うーーん? ああ、お前たち。迎えに来たということは、もう牛鬼と契約は済んだのかニャ?」


「それどころか、一大事です! 火車様も来てください!」


「面倒は御免だニャーー」


 らちが明かないので二人で両脇を抱える。男達から不満の声が上がった。

 私には人間の男の良し悪しは分からないけど、日焼けした肌に割と精悍せいかんそうな体つき。火遊びが好きそうな感じに見える。


「あれーー? ネコ語のおねえさん、もう帰っちゃうのーー?」


「君たちもすごい可愛いじゃん。お姐さんのお友達? 高校生? ここらじゃ見ないけど遊びに来たの? LINE交換しようよーー」


「ねーー、一緒に遊ぼうよーー。ちょうど三対三だし、ちょうどいいだろ?」


「…………鬱陶うっとおしい」


 猫又さんが男達に向き直った。背中を丸めて威嚇いかくする。


 フーーーーーーーーーーッ!!


 猫又さん本来の姿、大きなキジトラ猫の姿が二重写しになって、赤黒い陽炎かげろうのように揺らめく。


「うっ、うわっ!!」

「バケモノ!!」

「わあああああっ!!」


 逃げまどう男の背中を見て、猫又さんは鼻を鳴らして手をぱんぱんと払う。


「ふん、女の子に向かって失礼な。さ、行くわよ五徳猫」


「はい」


 二人で両脇を抱えて、来た道を戻る。一方の火車様は――――


 ざり ざりざりざりざりざり


「もう、なんで草履ミュール引きずってるんですか! っていうかいつの間にそんなの買ったんですか!?」


「うん? ついさっきニャ。心配しなくても六花から路銀おかねもらってるから大丈夫ニャ」


「それで、いくらしたんですか?」


「うーーん、確か拾萬圓じゅうまんえんくらい、だったかニャ?」


「え˝っ!?」


「なんでそんな高いの買うんですか!! 私たち一か月壱萬圓いちまんえんでやりくりしてるのに!!」


うるさいニャ! 何買おうが私の勝手ニャ!!

 だいたいお前たち最近生意気ニャ!!

 特に五徳猫! お前は付喪神つくもがみなのか、創作系妖魅かこの際はっきりするニャ! 

 そんな風にどっちつかずだから、お前は知名度が今一つ上がらんのニャ!!」


「ううっ……妖魅ひとが気にしてることをずけずけと……! 第一、今の今言うことじゃ ないじゃないですか!!」


 ざり ざりざりざりざり  ざりざりざりざり


「そんなことより、いつまで足引きずってるんですか!! もう私が抱えますから猫になってください!!」


「むにゃーーーーーー」


 火車様が身体を震わせると、すぐさま真っ黒い子猫の姿になった。

 猫又さんが火車様を前に抱えて走る。私もあとに続いた。




 急がないと……!

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