〇五〇 潮 騒
「ね、ねえりょうこさんほしぞらがきれいだね」
「……………」
またしても
場所は昼過ぎに来た磯付近、時刻はもう夜九時を回っている。雲が薄くたなびいていて、星空は言うほどはっきりは見えていない。
「
そしてその妖魅が出してきた試練を乗り越えれば、『牛鬼』が姿を
夜叉姫にそう助言されて、九州は福岡県の海水浴場まで来ている。
私が夜叉姫として浄眼と契約してから、今月で二回目の遠出だ。そのうち
思えば先週、岳臣君がなんとなく放った一言で、今回のミッションが始まったんだった。
しかもそれは、私の右手に格納されている
お互いに疲弊するからあまりやらないけど、浄眼の内側で夜叉姫と話をすることがある。
最初に出逢ったのは、浄眼を手にはめた時で、その時は何もない霧が出てる空間だった。
だけど前回行った時は、私の家の座敷とほぼ同じ間取りや調度品の部屋に通された。
細かい理屈や機能は分からないけど、ある程度夜叉姫が好きにカスタマイズできるみたい(中にはお父さんの私物の大量の漫画、私が貸した携帯ゲームとか、家にあったレトロゲームまでやりこんでたのは驚いたけど)。
お茶菓子を出してあげて一服した所で、彼女からはあっけらかんと言われた。
「前回は、似たような状況で契約を結ぼうとしたけど……結局失敗した」
それに関して問い
そうしたら、その昔、女だけで行っても牛鬼には会えないから契約できない。
ということで、そこいらにいた若い男を、何の説明もなしに連れて行ったみたい。
当然のように、契約どころか男は逃げて牛鬼との契約は失敗。そのままうやむやにしたままらしい。
厳密な意味では、牛鬼そのものとは会ってもいないから失敗ともいえないけど、それにしても……。
岳臣君は聞かれたことに答えただけだし、夜叉姫は後始末させるというよりは、私を信頼してくれている、はずだ。そう信じたい、本当に。
「で、なるべく仲睦まじいカップルになって、こうして……海辺で
もちろん私は、夜叉の浄眼を一般人には
ただのカップルがここらを
晩ごはんもそこそこに海岸に来たから、お腹が空いてきた。でもまさか、さっき旅館で出された料理を広げるわけにもいかないし。
万が一にも、お膳をテイクアウトしてるのがどこからかバレたら、旅館に迷惑がかかる。
こんな天気にもかかわらず、岳臣君は黒いウインドブレーカーにオートバイ用のグローブまではめている。私がどうこういう筋合いはないけど、だいぶ暑そうだ。
さっきまでと違って、きれいな星空には厚く雲が立ち込めてきた。
どことなく蒸し暑く、落ち着かなくなる感覚。
妖魅が
それに伴って、穏やかだった海もだんだんと波が高くなってくる。独特の圧迫感と緊張感は、妖魅が近くにいる何よりの証拠だ。
「……………………」
しょうがない、牛鬼との契約が最優先だ。岳臣君には悪いけど、埋め合わせはちゃんとしよう。
「ね、ねえ、いい
そう言って目を閉じてあごを少し上げた。
「「…………!!」」
ガサッ ガササッ!!
後ろの方でなにか物音がする。
見ると、猫又と五徳猫が
よくアニメとか漫画では見るけど、実際にやってるのは初めて見た。
気持ちは買うけど、あなた方、岩だらけの磯浜でやったらかえって目立つから。
私はジェスチャーで二人に下がるように促す。一方の岳臣君は緊張したのか、がちがちの表情になっていた。
――――はぁ、はぁ、はぁ――――
と、遠くから何か
暗がりで見えにくかったけど、遠くから女の人が、大きめのタオルにくるまれた何かを持ってこちらに来た。
「どうしました? ……顔から血が! なにがあったんです!?」
岳臣君が女の人に声をかけた。
ぱっと見は23~4歳くらい。青いワンピースを着て、足はなぜか素足だ。
血の気が失せたような顔色で、長い前髪が顔にかかっている。
普通にしていれば確実に美人だけど、額や口の端から血が出ていた。ここまで走ってきたのか息も絶え絶えだ。
「主人が……暴力を振るってきて……アパートから……逃げたんですけど……追いかけてきて……なんとか……振り切って……」
「まず落ち着きましょう、僕たちがついてますから。
DV、いわゆるドメスティックバイオレンスとかそういう
岳臣君がハンカチを手渡す。その質問に女の人は声を殺してすすり泣いた。
「……うっ、ううっ……! ……本当は優しい人なんです、この子にも私にも……!
ただちょっと不器用で、人付き合いが苦手なだけで……! 新しい職場にも口下手だから
ぽたっ ぽたっ ぽたっ ぽたっ
押し殺した泣き声に、水滴が防波堤に落ちる音が重なる。
「すみません、見ず知らずの人にこんな身内の恥を聞いてもらうなんて……。
でも、話を聞いてもらったらなんだか落ち着きました。そうだ、あの人が心配するから連絡しないと。
あの、初対面の人に頼むのも気が引けるんですけど……この子を抱っこしててもらっていいですか?」
いくぶんか気持ちが上向きになったのか、垂れていた前髪をかき上げて岳臣君に頼んだ。
「ああ、はい。いいですよ」
人のいい彼は一も二もなく、女性が抱えていた丸まった布を受け取る。
若い女の人は私たちから少し離れた。
「……ふう、岳臣君。差し出がましいのかもしれないけど、警察に連絡した方がいいのかも。
ほら、私たちの知り合いで
私は小声で岳臣君に耳打ちする。
「家庭内暴力、虐待、ネグレクトとかなら、福岡県警の生活安全課に連絡した方がいいですね。
緊張した声で岳臣君が続ける。
「なんであのひと、連絡するって言ってスマホも何も持ってないんですか?
第一、誰かに殴られてアパートから逃げて来たなら市街地、旅館側から来るはず。なのにあの女の人は防波堤側、海から来たことになる。
それに」
岳臣君は下を向いた。何か
その粘液を
粘液はとめどもなくなくたらたらと流れている。
「極めつけはこれです」
岳臣君が抱えていた布をめくると――――
そこには全身が濡れた、魚にも似た不気味な胎児がくるまれていた。
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