〇一七 風 獣

岳臣たけおみ君もそうするの?」


「え? ああはい。なんか好きなんですよ、新しい本のインクの匂いって。

 一番よくわかるのは買って家に帰って、袋から開けた時ですかね。

 涼子さんも新刊の匂い好きなんですか?」


「ううん、お父さ……父もよくそうしてたから」


「本好きはどうしてもやっちゃいますね、本の匂い嗅ぐのって。ほんとは買ってない本嗅いじゃダメなんだろけど」


「それも言ってた」


 私と岳臣君は、昼食を済ませてから陽見台ようみだい駅前のデパートの中にある書店で、妖怪関連の書籍を探していた。

 自分のやりたいことだけ通して、彼の意見を黙殺するほど私は厚顔無恥でも鬼でもない(夜叉姫だけど)。

 岳臣君の方も、心持ちカフェにいる時より楽しそうね。


「これですね」


 彼が渡してくれたのは文庫本だった。

 鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集。

 妖怪画の世界だと知らない人がいないくらい有名人の作品みたい。ぱらぱらとめくると、墨のみで描かれた、妖怪が一ページにつき一体描かれている。


「――――で、涼子さんの契約した御滝水虎おんたきすいこだけど、この本だけじゃなくどこにも詳細な記述はないですね」


「そっか」


 それはそうかも、水虎という妖怪はそこそこ知られてるみたいだけど、元は中国の妖怪で、日本へ伝播でんぱした際に河童と混交して独自の妖怪になった。

 お父さんが所蔵してた妖怪漫画、鬼太郎の原作だと、岩の壺に封印された液体妖怪。

 テレビアニメでは代を追うごとに、わかりやすくトラのデザインに変わった、っていうのは、昨日自分で検索して調べた。

 名前は近くても存在そのものは本質的に違うから。妖怪としては新参者だし。

 ただし強さは折り紙つきだけどね。


「で、岳臣君は、何調べてるの?」


「うん、夜叉姫の情報、なにかないかなと思って」


 それも情報は少ないと思う。

 もともと夜叉というのはインド神話の土着の神で、悪神の一種だけど、信仰する者に対しては利益をもたらす善神という二面性を持っているのだと。

 夜叉姫として覚醒してから私もネットで少しは調べてみた。だけど出てくるのはゲームとか直接関係なさそうな情報ばかり。

 とりあえず調べても詮無せんないことはこれ以上踏み込まない、というのが私のスタンスだ。

 でも、男子、というより岳臣君はそうではないらしい。わからないからこそむしろ嬉々として探して調べている。


 私は仕方なく女性ファッション誌を眺める。夜叉姫の情報も大事だけど、私にはこっちも重要ね。

 ぱらぱらとページをめくると今日行ったカフェ、そしてパンケーキが紹介されていた。

 それと同時に店内にいた二人組を思い出す。張り込んでいた? いやまさか――――


「――――?」


 チチッ   チチッ


 気がつくと、足元に黒くて丸い小鳥の妖魅、入内雀ニュウナイスズメがいた。私が視線に気づくと足早に書籍コーナーを移動して、視界ぎりぎりになるとこちらを振り向く。


  チチチッ   チチチッ


 ついて来いってことみたい。


「岳臣君」


 私は彼の袖を少し引く。便利に使ってるみたいで心苦しいけど、また道に迷わないとも限らないから。


「どうしたの?」


「いいから来て」


 説明している時間が惜しい。岳臣君の手をつかんで走り出した。

 外はすっかり日が落ちていた。入内雀は駅の真裏の空き地の上空を旋回している。幸いに人通りは全くない。


「少し離れてて」


 私は右手を顔の前にかざす。案の定ウツロが出現するあながいくつも開いていた。

 虚兵は――――出ていないみたいだけど安心はできない。

 右手の袖をまくった。

 夜叉の浄眼を展開して、太刀を取り出す。ほぼ同時に虚兵が洞から這い出てくる。

 前に虚兵が、サラリーマンをあの孔に引きずり込むのを見た。

 その時は虚兵を全滅させて、虚孔ウツロあなに夜叉の浄眼の光を浴びせて封印したから事なきを得たけど。

 やっぱり、ウツロたちは人知れず罪もない人をさらってるんだ。

 私、いや岳臣君とかが情報発信しても誰も信じないだろうから、おおやけにできないけど、ゆるしていいわけがない!


「……あ……うわあっ!」


 岳臣君がかすれた声を上げて物陰に隠れた。御滝水虎を顕現して瀑布刀をびだす。

 私は正眼に構えて端から斬りかかった。


「ふっ、はっ、はあっ!!」


    ザシッ!  ガツッ!   ドンッ!


 鉛色の兵士を瀑布刀で斬り倒していくと、あたりには鉄錆とも血臭ともつかない臭いが漂い鼻をつく。

 不思議な感覚だ。以前はそんなことは無かったけど、今私の中に闘いを楽しんでいる自分がいる。

 足軽兵十数体をたおすと、更地の中央部分からひときわ巨大な虚兵が出現した。

 その容貌はオランウータンを思わせる体型の大きなからだと丸くて凹凸が全くない頭。

 受け口の下顎したあごから牙が二本生えていた。ただ眼に相当する部位がなく、大きく開いた口には、スパイクのような鋭い牙が無数に並んでいた。

 右手に錆びた鉄塊みたいな剣を持っている。そのサイズは私の身長ほどもあった。



【種類】:虚兵、大

【名称】:鯨頭げいず、バーラエナ・カプト

【特徴】:巨大で普段の動きは鈍重だが突進力に長ける。

     視力が極端に弱いが聴覚、嗅覚に優れるため、光のない場所での活動を好む。


 だったら、と私は真っ正面を避け、獲物の錆びた大剣を持っていない左側に向かった。

 機動力を削ぐため片足や腰を連続で斬る。


 ザン! バシュッ!   ズン!


 ゴァァァァァアアアッ!!


 バーラエナ・カプトが苦し紛れに大剣を振り回す。私は撃ち合わずに瀑布刀を盾にした。


    ゴガンッ!


 でも、さすがに体格だけでなく膂力りょりょくにも差があり過ぎた。

 瀑布刀のおかげで直撃は免れたけど、一撃の攻撃力だけなら向こうの方が上だ。

 私は自身へのダメージを最小限にするため、あえて後方に派手に吹っ飛ぶ。砂利の上を転がると、小石が身体に刺さるように喰いこんだ。


「涼子さん!!」


 岳臣君が情けない叫び声を上げる。見た目ほどはダメージはないけど、人がいる時に劣勢というのはなんとなくかんさわる。


「仕方ない、契約して間もないけど新人を使うか。

 妖魅顕現、『鎌鼬カマイタチ』!」


 私が文言を唱えると旋風つむじかぜが巻き起こった。

 夜叉の浄眼から銀毛の妖魅が三匹顕現する。

 体型はほぼ同じだけど、その尻尾は最初見たもふもふじゃなく、各々違っていた。

 向かって左のが、尻尾が長い柄がついた大きな鎌。

 真ん中の尻尾は柄はないけど、身体よりも大きな刃の鎌が何枚もついてる。その種類も草刈り鎌や、刃がのこぎり状になっている稲刈り鎌とか形状はさまざまだ。

 右側のは、尻尾は包帯になっていて、何本も生えてる。


 ――――岳臣君が言ったのはそんなに外れてないのか。


『我ら風の妖魅『鎌鼬』。夜叉姫の召喚に応じせ参じた。

 貴女あなた様のやいばとなりて仇敵きゅうてきを討ち滅ぼす所存。

 は長兄が疾風とき


『次兄が颶嵐ぐらし


末妹すえなぎと言います』


『『『あるじめいに従いましょう』』』


 お兄さん二匹はだいたい同じ大きさで凪だけが少し小さい。


 私はうなずきを一つ返し文言を唱えた。


「鎌鼬、妖具化ぐるか!」


 その瞬間、瀑布刀が水風船に針を刺したように弾けて、元の太刀に戻る。

 太刀の刀身を中心に、ごく細い旋風つむじかぜが起こった。瞬時に太刀の柄が長く伸びる。

 それと同時に、太刀の刀身が太く厚くなって反りが入る。そして鍔部分から鎌の刃が一枚せり出す。

 そして鍔の下に、包帯のような細い布が何本も巻かれて、端がたなびいた。

 何の変哲もない日本刀が、柄が黄緑色で刃が銀色の薙刀なぎなたに変化した。


『『『銘は無し、嵐風刀らんふうとう』』』


 新たな妖魅の武器 嵐風刀を構え、改めてバーラエナ・カプトと対峙した。彼我戦力を分析する。

 リーチが伸びた分、距離の不利は減ったけど、その代わり大振りで攻めれば隙が大きくなる。

 薙刀の柄の端近くを持って突き主体の攻撃を加える。


 ザシュッ!  ズシッ!  ザンッ!!


「ギャオオオオオッ!!!」


 苦痛にもだえるバーラエナ・カプトが大剣を横薙よこなぎに振るった。

 無理に受けず、バックステップで攻撃そのものをかわす。

 十分に距離を取ってから嵐風刀を後ろに構えた。

 小山のような虚兵は雄叫おたけびをあげながら、ダンプカーのように猛然と突っ込んでくる。


 「斬術、『白南風しらはえ』!!」


      ゴウッ!!


 横薙ぎに払った薙刀からごく局地的な竜巻が起こった。

 竜巻は砂礫されきを巻き込みながら、巨躯の兵を間断なく攻めたてて切り刻む。

 突進の勢いを完全に殺されたバーラエナ・カプトは、肩で荒い息をしている。

 私は間髪入れず、棒高跳びの要領で薙刀の端、石突きを地面に突き立てて跳躍。


         ――――ゴッ


 そのままの勢いで頭めがけて嵐風刀を一気に振り下ろした。


    ギュアッ    ザンッ!!!


「ゴ……ァァァァァ……!!」


 断末魔の悲鳴を上げ、虚兵は空に散った。あとには光るオーブだけが残される。

 右手をかざして吸収しようとしたら、私以外の方向へオーブが引かれていく。その先には――――女性が立っていた。




   ***




「まずはお疲れ様、覚醒して間もないわりに結構戦闘力高いね」


 私はその女性を覚えていた。昼食の時、たまたま入ったカフェに先客としていたので印象に残っている。

 端正な顔立ちに流れるようなブロンドの髪。そして女性にしては長身。

 それにもまして五月の初夏の陽気だというのに、黒いロングコートに黒のレザーパンツに軍用のごついブーツ。シャツじゃなく、インナーは白のタンクトップだけ。


 コスプレのようなその外見はいやでも人目を引く。容姿が整っているから似合うといえば似合うけど、不自然なことに変わりない。

 女性は虚兵が残したオーブを両手でお手玉のようにもてあそびながら話を続ける。


「なにか特殊な訓練でもしてた? 浄眼と交信してから一週間そこそこでしょ? 

 それに妖具化ぐるかできる妖魅が二体。結構なレベルだよ」


「………………」


 話しぶりから察するに、夜叉姫に詳しい相手ということはわかる。だからこそ私は警戒を解けなかった。


「最初の覚醒の時は大変だったね。いきなりショタに攻撃されてさ」


「……しょた……?」


嵐風刀らんふうとうを握る手に力が入るのが自分でもわかった。

 彼女の言う『しょた』の意味はわからなかったけど、あの人外の魔少年を指しているのは間違いない。

 言葉のを探していると、彼女の方から話を続ける。


「ああ、自己紹介がまだだったね、私は六花りっか

 白聖しらひじ 六花りっか。みんなからはそう呼ばれてる。

 んで、一つお願いがあるんだけど……」


 不意に右手が軽く痺れた。


    ――――キィィィィ……ン


 かと思うと右手、いや夜叉の浄眼が音叉のように響いた。


「これは……共鳴?」


「そう、私とあんたの力がお互いに反応しあってる。んで、お願いっていうのは……」


 六花と名乗った女性が右手を出すと、周りの空気が変わる。寒気で身震いがした。




「私と、戦ってくれる?」

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