〇一五 突 風

 一方、涼子たちに話しかけた男はまだバスに乗っていた。


 ――――プルルルルルルルルル プルルルルルルルルル


 男の携帯電話が鳴る。


「はい、ああ大丈夫だ。物事っていうのは最初が肝心だからな。これ以上ないファーストインプレッションを与えておいた。

 これで今後話をスムーズに進められる」


 携帯電話の向こうで、押し殺したようなため息が聞こえてくる。


【まあ、ある意味予想はしてたけど。あなたの任務は対象マルタイ、いえ適格者に気取られないよう尾行して、その成否を上に報告。それだけでしょ?】


「……いや、なんつーかさ、カレの方のプレゼンか?

 情報を箇条書きみたいに説明って、そりゃあのもつむじ曲げてバス降りるよなあ?」


【どうせ、あなたが直接、もう聞きたくないような話をしたんでしょ? これで直接追いかけたら適格者の子から怪しまれるし。

 なんでやってほしくないことから、真っ先にできるの?】


 男は耳からスマホを離して、一呼吸置いた。


「なんていうか、そのーー……なりゆきだな、今後気を付ける」


 スマホの向こうで【何度聞いたかその台詞セリフ】というのがため息混じりに聞こえてきた。が、男は飄々と返す。


「任せろ、まだ任務は続行中だ。ああ、俺はいたって真面目だ。よろしくどうぞ」




   ***




「この神社みたいですね」


 岳臣たけおみ君が指さす所に『それ』はあった。


「この木は推定樹齢五百年以上。その昔この地域に『鎌風』と呼ばれる怪異が続いたらしいです。

 時の領主が村落の代表に命じて、クスノキの若木を御神木に祀って、怪奇現象を『カミ』として扱ったって」

 ここにはさらにご神体として石像が三つ祀られてます」


 岳臣君が指さすところ、木の根元には小さなほこらがあって、そこによくわからない動物の石像が三つ並んでいる。なんだろう、狛犬にしては細いし。

 普通に考えればイタチがモチーフなんだろうけど、それともちょっと違う。

 さっきバスで見せてもらった(見せられた?)画像と同じだ。

 ブログをアップしたのは私のお父さん。

 『願わくば、正しき心の持ち主と逢えることを願って』、説明文はそんなふうに締めくくられてた。

 妖怪浪漫ロマンもいいんだけど、もうちょっと自分も含めて、娘の安否も気遣ってほしいなあ。

 夜叉の浄眼についても知ってることがあったら教えてほしいし。

 物思いにふけってると、岳臣君の説明はさらに続く。


「地元の人たちからの信仰も根強いみたいですね。賽銭とかお供え物もすごい多い。

 祀られて以降、この地域にいわゆる鎌風の怪奇現象は減ったらしいんですけど。

 僕個人はカマイタチ現象っていうのは社会学、医学的にも証明できることだと思うんですよ。


 カマイタチのすねの皮膚が裂ける現象だけど、これはもともと、栄養状態が悪い状態で、冬の乾燥した山の中を歩くと、まれに皮膚が急激に引っ張られてできる、血があんまり出ない傷。

 これがカマイタチの正体なんじゃないかなって。

 この地で祭祀さいしを行って治世が良くなることで、領民の栄養とか健康状態が改善された。

 それで、いわゆるカマイタチ現象も減っていったんじゃないかなと思います」


「ふぅん」


 つい生返事になる。全く興味がないわけじゃないけど、そういう実証をするのは学者の仕事。

 妖怪なんかの怪異現象に対する彼のスタンスだけど、頭から妄信するわけでも否定するわけでもないみたい。

 普段煮え切らないというか、どっちつかずの態度が多い彼らしいといえばらしいけど。

 私のスタンスはそれが『いる』なら使わせてもらう、それだけね。


 見上げると、枝葉の間から陽が射して、葉がざわめいて黄緑色に輝いている。全体的に清らかな感じだ。

 ご神木に右手、夜叉の浄眼を近づけると指先にちりちりと何か感じる。明らかに此岸このよならざるモノがいる証左だ。

 続けて、右手で顔の右半分を覆って浄眼越しに辺りをうかがう。するとヒュンヒュンとなにかが神社の境内を飛び交っているのがわかった。

 数は……三匹。でも妖魅の存在としては一体に感じる。こちらを意識、警戒してる。自分たちを認識できるから少し気が立ってる。

 みことみとらは後ろ脚だけで立って前足をぱたぱたさせる。敵意はないというアピールみたい。


「ふーーっ」


 私は息を大きく吸い心を落ち着ける。そしてブレザーの右袖のジッパーを外し、大きくまくり上げて、肩口に留める。

 おじいさまがデザイナーの人に頼んで追加したオプションらしい。

 できれば私に相談してほしかったけど『サプライズを優先したい』という理由で私に内緒にしていた。全くもう、緊張感のない……。

 夜叉の浄眼を右腕に顕現させると、三匹の警戒の色が強くなった。

 クスノキを中心に、白い妖魅はヒュンヒュンと飛び回る。好奇心と警戒が半々という感じね。


えないけど、やっぱり風の妖魅だけあってすごいね。涼子さん、気をつけて」


 岳臣君が心配そうに私に進言してくる。


「大丈夫、夜叉の浄眼の使い方は、ここ何日かで完璧にマスターしたから」


 私は浄眼を装着させた右手を前に突き出した。何度も手を握ったり閉じたりした後、手の甲にはまった水晶から弱い光を照射する。

 『力で従わせるつもりはないから』というアピールだ。

 妖魅たちと契約、使役するといっても夜叉姫の威光を振りかざして、頭から押さえつければいいというものでもない。

 そこは人間も妖魅も同じだ。こちらに敵意や害意がないことを示した上で、力を貸してほしい。

 低姿勢で臨めばきっと理解し合える、私はそう考えてる。


 と――――


 ダァン!


「うわっ!!」


 振り向くと、鎌鼬の一体に岳臣君が体勢を崩された。妖魅が見えない彼はしりもちをつく。

 もう一匹が距離を置いて体勢をかがめてる。隙ができたから斬りつけようとしてるんだ。

 だけど私は慌てない。夜叉の浄眼をかざし神社の境内一帯に光を照射した。二体目、両手に鋭い鎌をつけた妖魅に光が当たる。

 大きさはフェレットよりも一回り大きいくらい、全体は名前通りイタチと同じ流線型で、全身は白っぽい銀色の毛に覆われてつぶらな瞳が愛らしい。

 特徴的なのはしっぽ。身体よりも太くて長い。見ただけでさらさらした毛並みだっていうのがわかる。



 浄眼の光に安心したのか、警戒していた鎌鼬カマイタチが動きを止めた。こちらを注視しだす。

 私が右手を近づけると、流線型の動物の姿の妖魅は直立して、すんすんと匂いを嗅ぐ。こういう所は動物と同じね。

 小首をかしげて浄眼を見ている――――


 ――――か、かわいい。……ああ、だめだめ。今は契約することに集中しないと。

 もふもふは、その後の楽しみに取っておこう。


 頭とか首筋とか、しっぽをもふもふしたい衝動をなんとか抑えつつ、他の二匹が近寄って来るのを辛抱強く待つ。

 そうこうしていると、他の二匹も警戒を解いて近寄ってきた。

 三匹とも腕、いや前足に小さな鎌がついている。持ってるんじゃなく、人間の手で言えば両手の小指の下あたりから生えていた。

 その鎌を畳むように納めて、二匹とも辺りを確認しつつも少しづつ私に近づいてきた。

 よし、いける。私は心の中でガッツポーズをした。




   ***




 だが、予想というものはいつの時代も往々にして、容易たやすく裏切られる。

 涼子の近くまで来た鎌鼬たちに御滝水虎おんたきすいこの分身態とも言えるみこ、そしてみとらが興奮しだした。

 友好を示そうとして、上体を上げ鎌鼬に抱きつこうとする。


            にゃあっ  にゃああっ


 ギィッ!?   ギィィィッ!!   ギイイィィィッ!!


     ぎゅん!   ぎゅぎゅん!!


 それがあまりにも急すぎて、鎌鼬たちは弾丸のように逃げまどった。

 人のいない神社の境内の中、お互いに弾きあいそのたびに強風が辺りに吹き荒れる。


 バン!      バァン!     バァン!


 ゴォォォォォォォォォォッ!


「こ、こらっ!」


 涼子がみことみとらを叱るが、それでは鎌鼬は収まらない。さながらビリヤードの球のようにぶつかり合い、風が舞う。静かな神社の境内は騒然となった。


「しかたないわね、鎌鼬たち、鎮まりなさい!」


 涼子は夜叉の浄眼を介して鎌鼬に命じる。すると、鎌鼬三匹は弾かれたように動きを止めた。


「よーし、よし。いい子だからおとなしくして。さあ契約しましょう」


 銀毛の妖魅たちは酒に酔ったように、ふらふらと二足歩行で涼子に近づいてきた。


「すごい……! 僕には見えないけど、そこに妖魅がいるんだね」


 岳臣が涼子に近づいたその時だった。

 浄眼の力で、なんとか押さえつけていた鎌鼬三匹が岳臣に反応して、涼子の足元から一斉に跳びあがった。




 ブワァァァアアアーーーーッ!!




 その時吹き荒れた風で、涼子のスカートがへそ上あたりまで大きくまくれ上がる。

 内側に縫いこまれた黒いフリルや、オーダーメイドの黒いシルクのブラウスのすそまでもが、鎌鼬が巻き起こした風にあおられてはためいた。

 涼子にとっての不幸、岳臣にとっての幸運(?)は、涼子が『コスプレみたい』と、下着の上に着けるアンダーパンツを穿いて来なかったことだった。


           ばっ!!


 すでに手遅れだったが、スカートの前を押さえて、真っ赤になりながら目に涙をいっぱい溜めて震える涼子。

 そして先ほどの暴風のあと、対照的に顔面蒼白になり固まって動かない岳臣。


「……………………」


「……………………」


 両者の間には言い知れぬ沈黙が流れていた。


「……見たでしょ?」


「…………な…………。

 ……ナニガデショウカトイウカナニモミテマセンワカリマセンシリマセンホントウデス」


「見たでしょ!!」


「見てません! 神や仏に誓って何も!!」


「色は!?」

「白!」


「やっぱり見たんじゃない!! ………………この……ヘンタイ!!!」


 涼子はつかつかと岳臣に迫る。岳臣は後ずさった。


「い、いや今のは僕自身が潔白、という意味でのシロであって、

 決して涼子さんの下着の色がs――」

                  ぱ ぁ ん !!!


 それ以上の言葉が語られることは無かった。

 涼子の渾身こんしんのビンタ(という呼び方の掌底)を受けた岳臣は、空中で三回転して地面に叩きつけられた。


  ――――ぎゅぃぃぃいいいん

                     ずしゃっ――――


 うつ伏せになったままぴくりとも動かない。

 その様子に恐れおののいた鎌鼬は、三匹とも号令をかけられたように涼子の近くに駆け寄る。

 浄眼の光に照らされた鎌鼬は三匹が集まり緑と白に輝く宝珠になった。




 鎌鼬との契約は無事に終わった。

 だが、岳臣は、いやかつて岳臣遊介だった物体は ほぼ地面と同化し、動く事がなかった。

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