漆 決闘
速い。凄まじく速い。
構えた次の瞬間、沖田さんはもうオレの目の前にいる。
オレは反射的に動いた。知った太刀筋だから間に合った。沖田さんの斬撃を弾く。再度の打ち込みが速くて重い。押し切られて、後ろに跳びのく。
花乃の声が飛んできた。
「沖田さまの動きを止めて! ちょろちょろされたら、術を掛けられへん!」
「無茶を言うなッ」
「無茶でも何でも、余力のある今のうちにどうにかしぃひんと、その速さと
指摘は正しい。数え切れないくらい剣を合わせた沖田さんが相手だから、どうにか反応できるだけ。オレは圧倒的に劣勢だ。
すんでのところを防ぐ。妖刀を生やした腕の一撃はあまりに重い。このままではあと少し、ほんの数合で、オレの腕は音を上げる。
沖田さんが引いて構える。一瞬、力を
オレは踏み込んだ。ただ一撃にすべてを懸ける刺突。
互いの必殺剣がぶつかり合う。絡む刃が火花を散らす。金属のこすれる音がする。
金色の目が間近にある。
目的は達した。沖田さんを捕らえた。
がくんと、沖田さんが揺れる。背後から術をぶつけられた衝撃だ。沖田さんがたたらを踏む。オレは間合いを開ける。
沖田さんの体に水のようなものが巻き付いている。両手で印を結んだ花乃から、気が噴き出している。花乃がまなじりを吊り上げた。
「あかん、弾かれる。よぉ縛らんわ」
沖田さんが術の
行ける。不十分ながら花乃の術が効いたこの速度なら、互角にやれる。
沖田さんは手数が多い。斬も突も鮮やかに、対する者の目を奪う。華のある、天才の剣だ。相手を翻弄して先を読ませない。
オレは待ち受ける。紙一重で斬を受け、突を
沖田さんの金色の目が、にたりと笑った。
噛み合った刀を、不意に横ざまに流される。沖田さんの左手が襲ってくる。反射的にその手刀をいなす。徒手の柔術はオレのほうが得意だ。
激痛が走った。
化け猫の爪がオレの右の上腕に刺さっている。人間の手なら打ち払えた。爪は想定外だ。
金色の目が勝ち誇る。鋭利な牙がのぞく。剣を振るには近すぎる。獣が獲物に食い付く間合いだ。妖の牙がオレの喉を狙う。
「えいッ!」
気迫の声を上げて、時尾が脇差を突き込んだ。捨て身か相打ちの覚悟。でなければ、この決死の間合いには入れない。
オレは転がって逃れた。右腕が爪に裂かれた。時尾の脇差は沖田さんの刀に止められる。力の差は歴然。時尾は弾き飛ばされる。
沖田さんが時尾に刀を振り上げた。時尾はまっすぐ沖田さんを見上げる。淡い光の膜が時尾から染み出して、沖田さんに巻き付く。
「止まってくなんしょ!」
束縛の術だ。沖田さんは
駄目だ。時尾も花乃も本気じゃない。本気のつもりでも、どこかに手加減がある。沖田さんを
そりゃそうだ。いくら気の強い女でも、人斬りの男と同じようにはいかない。悪でないもの、大切なものを斬るには、覚悟以上の何かが必要だ。
だったら、オレがやってやる。オレにしかできない。
沖田さん、真剣勝負だ。最初で最後の、命を懸けた斬り合いだ。
オレは立って、刀を構えた。沖田さんがオレに向き直る。オレは刀を晴眼に据えて待つ。
いつでも来い。
沖田さんが動く。流れる足
オレは迎え打つ。ただ一撃の刺突。低くまっすぐに。
三段突きがオレの左肩を切り裂く。激痛。
左腕に、肉を貫く手応えが走る。
沖田さんは自分の腹を見下ろした。オレの刀が深々と刺さっている。オレと沖田さんの目が合った。沖田さんは、きょとんとして、小さく口を開いた。その口から血があふれた。
音もなく景色が変わった。破れ寺、朝の光、血の匂い。刀を引き抜くと、傷口から黒いものがぼとりと落ちた。黒猫だ。沖田さんが倒れる。
「沖田さん!」
オレは刀を投げ出して沖田さんを抱え起こした。血糊の付いた口は薄く開いて、浅い呼吸を繰り返している。
時尾が黒猫を抱き上げた。
「見てくなんしょ。背中に環があります。ヤミさんが沖田さまの身代わりに、環を抱えて命を絶たれる役割を引き受けたんだ」
猫の腹に、オレが沖田さんに
「沖田さまは、まだ息をしてはるの?」
「ああ。生きてる」
沖田さんの愛刀が、一瞬のうちにぼろぼろに
花乃はへたり込んだ。両目から涙があふれ出す。
「沖田さまの阿呆。いけず。心配ばっかりさせんといて」
弱い呼吸、痩せた体、奇妙に高い体温。天才の剣を操っていた男が、
「なぜ隣で生きてくれないんだ」
大事なものが、守りたいものが、消えていく。次々と奪われていく。
もし過去に戻れるとしても、分かれ道に立ったとき、違う選択をすることはあり得ない。オレは試衛館を守りたくて勝先生に従っただろう。山南さんは新撰組から身を引くことを選んだだろう。藤堂さんは伊東さんに行く末を託しただろう。
でも、沖田さんの病は何だ? こんなどうしようもない死に方があっていいのか? 選ぶ選ばないの問題じゃない。妖に身をやつしてまで生きたがる人を、運命はなぜ病魔で
不意に声が聞こえた。
「斎藤、どうした? さっきの物音は何だ? それは……まさか総司か!」
土方さんが駆け寄ってくる。血と土で汚れるのも構わずに、土方さんは地面に膝を突いて、沖田さんの頬に手を添えた。
「追ってきたらしい。危うく妖になるところだった」
「総司は生きてるんだな? 戦ったのか? 異様な気配がまだ残っている」
「黒猫が沖田さんの身代わりになって死んだ」
土方さんが、端正な顔を泣き笑いに歪めた。
「馬鹿だな、総司は。どうしておとなしく寝て待てねぇんだよ? なあ、無茶なんかしねぇで、ちょっとでも長く生きろよ。近藤さんや俺のぶんまで、きちっと生きてくれよ」
「土方さん」
「こいつな、親が早くに死んじまって、姉夫婦に育てられた。寂しかったんだろうな。九つで試衛館に住み始めたころは、狂ったように木刀を振るばっかりで、笑いもしなかったらしい。近藤さんがこいつの心を開いたんだ」
「沖田さんの暗い顔は、オレは知らない。沖田さんはいつも笑っていた」
「そうさ。明るくて生意気なのが、本当の沖田総司だ。病のせいで弱気になったり、妖の力で狂ったり、そんなのは総司らしくねぇんだよ。なあ、何でこいつを治す薬がねぇんだ? 何でこいつがこんなに苦しまなきゃなんねぇんだ?」
時尾がうつむいた。猫の体に涙が降るのが見えた。花乃が鼻をすすり上げながら、凛とした声で言った。
「うちが沖田さまを千駄ヶ谷に連れて帰ります。宙に浮かせる術がありますし、体に
できない話だ。嘘はつけない。でも、ほんの少し望みを掛けるくらいは許されるだろうか。
「江戸に戻ったら、必ず沖田さんを訪ねる」
その日が来るかわからない。来るとしても、何年後になるかわからない。生きて沖田さんと再会できるとは思わない。
でも、もしもオレが生き延びられるなら、いつか江戸に戻れるように。北でこんな戦いをしてきたと、顔を上げて報告できるように。今、一つの叶わぬ望みを言葉にする。
「また会いたいな、沖田さん」
沖田さんみたいに笑いたいのに、うまくできない。それでも無理やり微笑もうとした。両目から涙が落ちるだけだった。
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