参 拿捕

 ながれやまに入ったのは、四月二日だった。江戸に連絡する主な街道は、薩長土肥の軍勢によって制圧されようとしている。できるだけ連中がいない道を選んで進んだが、二度、検問に掛かった。近藤さんは堂々としてやり過ごした。


「そうか、あなたがたが官軍か。道理で江戸や武蔵や下総しもうさとは違う言葉を話すわけだ。俺は大久保大和という者だ。下総の豪農が用心棒を抱えたがっているという噂を聞いたのでな、仲間を連れ、雇い主を求めて歩き回っている」


 近藤さんは小さな嘘をつくのは苦手だが、派手に見栄を切るのは得意だ。甲陽鎮撫の任に就いたときには大久保剛と名乗っていたから、用心のため、名を大和に改めた。ありがちな筋書きは、土方さんが考えてオレに確認を求めた。


 流山では、中核となる近藤さんと土方さん、オレ、時尾、島田さんは大きな酒造屋に仮住まいすることになった。そのほかは、近所の寺や神社に分宿する。


 島田さんが近藤さんの側に来たのは意外だった。島田かいという人は江戸にいたころから永倉さんと仲がよくて、その縁で、京都でも早い時期に仲間に加わった。大抵は永倉さんや原田さんと一緒に行動していたのに、最後の決断で近藤さんを選んだ。


 夜、オレと島田さんで寺や神社の分隊を見回りに出た。


 島田さんはオレより十五ほど年上だから、もう四十路に入っている。がっしりとして体が大きくて、信じられないくらい力が強い。そのくせ甘いものに目がないのを、よく永倉さんにからかわれていた。


 しみじみと、島田さんが言った。


「顔ぶれがすっかり変わっちまったな。しかし、斎藤が新撰組に残って、しかもこっちに付いてくるとは思っていなかった。俺がおまえの立場なら、近藤さんの前から逃げ出しただろうよ」

「逃げても、行き先がない。オレの命は近藤さんに拾われたから、近藤さんのために使う。島田さんこそ」


「俺が永倉のほうに行くと思っていたか? あいつとはかれこれ十年近い仲になるから」

「ああ。京都でもよくつるんでいたのに」


「俺も迷ったよ。でも、ここは会津公のもとに馳せ参ずるのが筋だろう。永倉たちも、じきに合流したいと言っていた。近藤さんと永倉、どっちが正しいというわけでもない。行く末は同じ道につながっているはずだ」


 オレはうなずけない。信じる道を選んでまっすぐに進んだ結果、山南さんも藤堂さんもオレたちの手で死なせた。誰がより正しかったとか、どっちが間違っていたとか、そんな話じゃなかった。仲間なのに死なせた、その結果だけが事実だ。


 もうこれ以上、誰ともばらばらになりたくない。死ぬのなら、仲間と同じ道を行って仲間を守りながら、命懸けで戦って散りたい。


 源さんの最期は、武士として美しかった。源さんは伏見の戦で、殿しんがりを守って討ち死にした。若い者をかばいながら散ったと聞いて、源さんらしいと思った。悲しくて誇らしかった。


 今のオレには、源さんみたいに気高い死に方はできない。オレはつぐなわなきゃいけない。


 近藤さんは、オレを無害だと言った。でも、害を為さなくても、嘘をつき続けた罪はある。オレはずっと士道に背く生き方をしていた。本当は、死んでびても許されない罪だ。


「斎藤一」


 島田さんが急にオレの名を呼んだ。何だ、と目で問うと、島田さんは破顔した。


「いや、つくづくいい名だと思ってな。字面も響きもいい。今、俺の目の前にいる斎藤一という男には、斎藤一という名しか似合わんよ」

「よくわからない。名前なんて」


「新撰組という響きも、すぱっと潔くて格好がいいだろう? 会津公は、会津の古い軍制の中でも特にほまれ高い部隊の名から取って、俺たちに新撰組と付けてくださった。似合いの名だとも言ってくださった」

「ああ。認められて、嬉しかった」


「そうさ。名前ってのは大事なんだよ。俺や近藤さんたちにとって、おまえは山口二郎じゃ駄目だ。新撰組の斎藤一として、一途の一の字が似合う男として、まっすぐに戦ってくれ。卑屈になるな」


 違う。オレは卑屈な男だし、一途なんかじゃない。


「勘違いばかりだ」


 永倉さんから、一本気だと言われたことがある。あれも違う。伊東さんからも藤堂さんからも頼りにされた。あれは本当に根底から間違っていた。近藤さんがオレの罪をゆるした。勝先生に操られていたと、その見方が正しいとは言い切れない。


 島田さんは笑った。


「きっと巻き返せる。おまえの人生も、新撰組も会津も、名誉を挽回できる日が来る。それまで耐えて、己の意志を曲げることなく、誇りを持って生きていくんだ。風向きは必ず変わると、俺は信じている」


 島田さんのそういう楽観的なところは、多くの隊士に慕われている。オレの偵察や暗殺を補佐することもあったのに、島田さんが怖い人と言われることはない。その明るさがうらやましい。


 でも、島田さんには、念じた思いを実現させる力はないらしい。


 オレたちを取り巻く戦況に容赦はない。風向きは変わらず、逆風はむしろ強くなった。この上ないほどに。


 事態が急変したのは翌日、四月三日のことだった。


 いまだ軍備の整わないオレたちは、流山の集落ごと倒幕派に包囲された。首領は即刻出頭せよ、との通達が届いた。


「戦って勝てる数じゃない」


 偵察に出たオレと土方さんは、同じ判断を下した。いちばん広い神社に急遽集合させた二百人の軍勢は、すでに浮足立っている。さしもの島田さんも無言だった。


 近藤さんだけが悠々として笑ってみせた。


「今までの検問と同じ方法で切り抜けよう。俺が行って、話をして来る」


 青ざめた土方さんが何度もかぶりを振った。


「駄目だ、近藤さん。危険すぎる」

「敵は俺を新撰組の近藤勇だと勘付いてはいないんだろう? 俺の顔をよく見たことがあるのでなければ、大久保大和が偽名だと看破できるはずもない」


「しかし……」

「幸い俺は、色男のトシのように目立つ顔をしていない。京都で会ったことがある者がいても、他人の空似だとでも言ってごまかせる。皆、聞け。俺が戻るまでは、土方歳三が新撰組の局長だ。しっかり付いていくんだぞ」


 血の気が引いた。土方さんに後を託すなんて、近藤さんも本当は理解しているんだ。倒幕派の呼び出しに応じることがどれほど危険なのか。


 気付いたときには声を上げていた。


「行くな、近藤さん」


 視線が集まるのを感じた。近藤さんが、幼い子どもにするように微笑んだ。


「どうした? 顔色が悪いぞ」

「行かないでくれ」


 声が震える。体も震えている。


 近藤さんが戦におもむくというなら、こんなに震えない。近藤さんが向かう場所は、戦場じゃない。得体の知れない恐怖が胸に貼り付く。肺腑も心臓も冷たい手に握り潰されるようで、息が苦しい。


「出頭せよとの通達を無視すれば、おまえたち全員を危険にさらすことになる。流山の町が焼かれるかもしれない。俺が行かないわけにはいくまい」

「相手はこの軍勢の首領が誰なのか知らない。オレが身代わりになっても、きっとわからない」

「こら、斎藤、俺の仕事を横取りするな。首領役をするには、おまえではちょいとばかり貫禄に欠ける。俺が留守にする間、おまえはトシを支えてやってくれ」


 近藤さんは、さっときびすを返した。オレは、とっさに近藤さんの腕をつかんだ。近藤さんが振り返る。その顔は、怒ってはいない。穏やかで厳しい。


「嫌だ、近藤さん」


 死にに行くのはやめてくれ。時間稼ぎだなんて考えないでくれ。もっと安全に切り抜ける方法を探そう。


 声にしたいはずの言葉が、口からうまく出ていかない。感情が暴れている。しゃべることは、こんなにも難しい。


 近藤さんが分厚い手で、そっとオレの手を叩いた。


はじめ、しっかりな」


 幼いころ、親も姉も兄も、あまりオレの名を呼ばなかった。試衛館で当然のように一と呼ばれて戸惑った。子ども扱いされているようにも感じた。家族でもないくせにと、憎まれ口を叩いた。


 近藤さんも皆も、オレの前では、オレを一と呼ばなくなった。大人の男のように苗字で呼ばれることが誇らしくて、でも寂しかった。沖田さんや藤堂さんみたいに、オレも正直になればよかった。子どものオレは子ども扱いでよかったのに。


 体から力が抜けた。だらりと両腕を垂らして、ただ近藤さんを見つめる。近藤さんは笑った。声に出さず、唇の形だけで、別れの言葉を告げた。



***



 その日、近藤さんは倒幕派にとらわれた。傭兵隊長の大久保大和としてではなく、新撰組の近藤勇として。


 何が起こったのかわからない。近藤さんが名乗ったとは考えられない。倒幕派が内通者か密告者を抱えていたのか。


 近藤さんが処刑されることが決まった。近藤さんは、倒幕派の大きな駐屯地がある板橋宿へ連行されていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る