肆 斬首
江戸の町を駆けずり回った。オレと土方さんと時尾の三人で、会える者には全員会って、近藤さんを救う
情勢を動かす力がある人なら誰でもいいから頼りたかった。京都で出会った桑名藩や福井藩の関係者、開明的な思想を説くと評判の私塾、試衛館とゆかりのあった富商や豪農。近藤さんの処刑を止めるために力を貸してくれと、とにかく頭を下げ続けた。
勝先生にも、
焦りが募った。京都の人斬り集団、新撰組の局長である近藤勇が捕らえられたと、江戸の町でも噂が立っていた。江戸では、新撰組は極端なほどに猛々しく脚色されて伝わっている。新撰組は夜ごとに京の町に繰り出しては、敵と見ればすべて斬った、と。
残虐なほどの強さは、オレたちが勝っていれば、
「見境もなく人を殺してばかりいるから、ほら、報復の刃に追い詰められる。因果応報というやつさ。浪士
会津も同じで、ひどい言われようだ。先代天皇の
噂が耳に入るたびに、土方さんが顔を歪める。時尾がうつむく。オレは、二人にだけ聞こえる声でささやく。
「倒幕派が変な噂を流してるだけだ。あんな言葉、新撰組や会津の真実なんかじゃない」
でも、オレたちは反論できる立場にない。下手に名乗りを上げれば、捕らえられて殺される。今まさに近藤さんの命が危機に
町の噂ひとつに踊らされて追い詰められる。倒幕派が官軍で正義、新撰組や会津はそれに盾突く愚かな悪役、そんな筋書きを楽しむ町衆、悪役退治を期待する声、戦の予感に沸き立つ世間、怖いもの見たさの好奇のまなざし。
待ってくれ。オレたちは悪じゃない。
曲げられない道がある。黙って滅ぼされるわけにいかない。だから戦う。どっちの陣営が正義か、そんなのは戦いが始まったときにはわからない。勝った者が正義を名乗るだけだ。
どうしてこうなっちまったんだ?
何度も何度も、今までのことを思い返す。江戸で、京都で、新撰組は何か大きな間違いを仕出かしたのか? 考えても考えても、わからない。ただまっすぐに進むことしか、新撰組にはできなかった。
倒幕派が
宇都宮は、徳川幕府の聖地である日光東照宮のお膝元だ。ここで倒幕派を撃退しようと、士気の高い佐幕派の勢力が続々と集結しているらしい。
宇都宮で倒幕派を破れば、近藤さんを救えるかもしれない。オレたちは期待を懸けて、日光街道を宇都宮まで北上した。
足掛け五日に渡る戦闘で、宇都宮は城も城下町も焼けた。
佐幕派は破れた。兵力差に押し切られた。オレたちが三千五百で倒幕派が二万。勝ち目は初めからなかった。
負傷した土方さんを
「近藤勇の処刑が二、三日中に板橋宿で執行されるらしい。その罪にふさわしい、見せしめの打ち首だそうだ」
冷静でなんかいられなかった。やけっぱちだとわかっていた。オレたちは板橋宿へ急いだ。近藤さんを助けられるなら、代わりにオレが死んでもいい。
板橋宿は、
「公開の打ち首やら、珍しか。なかなか見られるもんやなかぞ」
「しかも罪人はあの新撰組の
「切られた首は京都に運ばれて、鴨川の三条橋で
「おう、
「武士なら武士らしゅう、罪を認めて切腹すれば
「
オレの耳は訛りに惑わされることなく、侮蔑をいちいち正確に聞き分ける。凍て付く怒りに、血の気が引いた。叫んで暴れ出したい衝動を抑え込む。偽れ。
刀に手を掛けそうな土方さんを制して、まずは情報を集めた。明石の言葉をしゃべる父を真似て、播州訛りの者に声を掛ける。
嬉々として、そいつはまくし立てた。処刑が間もなく始まること、その場所、立会人と執行人の名、近藤さんの容姿、そして大久保大和の正体露見の経緯。
「もともと新撰組やった加納と清原っちゅう男に正体を暴かれたんじゃと。去年の冬、新撰組内部で、えらい抗争が起こったらしいわ。加納と清原は、近藤に潰された一派の生き残りで、近藤を恨んどったんじゃ」
高台寺党だ。倒幕派に加わっていたのか。古くからの伊東さんの弟子の加納さんと、肥後出身で鉄砲名人の清原さん。伏見の戦の前に近藤さんが襲撃されたときも、おそらく二人は動いていた。
近藤さんより先に恨みをぶつけられるべきは、オレだ。先にオレを殺しに来ればいいのに。いや、無理な話だ。公には、斎藤一という人間はもう消えている。オレの名は山口二郎で、山口二郎があの斎藤だと、高台寺党の生き残りたちは知らない。
処刑がおこなわれるのは、町外れにある馬の処分場だ。普段は閑散としているらしいが、今は見物人が押し寄せている。小柄な時尾が人混みに流されそうになった。
「待っ……」
慌てて口をつぐむのがわかった。会津の訛りを聞かれたらまずいから黙っていろと、オレの指示を守っている。オレは時尾の腕をつかんで引き寄せた。土方さんが先に立って、人混みを掻き分ける。
突然、わあっと歓声と拍手が起こった。
近藤さんが縄を掛けられて、
囃し声が静まる。近藤さんのそばに立つ誰かが口上を述べた。何を言っているのか、聞き分けられる距離ではない。
「くそッ!」
駆け付けるどころか、身動きが取れない。刀を抜き放つ隙間もない。土方さんがオレを振り返る。
いっそのこと、環の力を解放してしまうか。
妖と戦うためじゃなく、ただの人間を圧するために力を使ったことはない。それができるのかどうか、試したこともない。本能的に、してはならないと感じていた。生まれながらに環を持つ者は、自分で自分を律しなければ。でも、今は。
ぱっと離した時尾の腕が、逆にオレの腕にしがみ付いてきた。泣き出しそうな顔で、時尾は鋭くささやいた。
「おやめくなんしょ。おかしな
「離せ。オレはどうなってもいい」
「駄目です! 妖になって理性が消えれば、ここにいる全員、巻き添えだ。土方さまや近藤さままで襲っつまうかもしれねぇのです」
「じゃあ、どうすれば……!」
どうにもならなかった。
どよめきが波紋のように広がる。そして静まり返る。広場の中央で、執行人が手にした刀が、ぎらりと陽光を反射した。
人が人を斬るところなんて、嫌というほど見てきた。とっくに慣れて、何も感じないつもりだった。
絶望的な恐怖にとらわれた。オレは反射的に目を閉じた。
嘆息のような、歓声のような、悲鳴のような、何かが人々の口から吐き出された。聞こえたはずもないのに、肉と骨の断たれる音が体じゅうに響いた。
終わってしまった。オレは何もできなかった。
慶応四年(一八六八年)四月二十五日、板橋宿の処刑場で、近藤さんは死んだ。享年三十五。
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