肆 投宿

 品川の港で富士山丸を降りて、先に順動丸でった永倉さんたちと合流した後、おれたちは江戸からの指令を待ちながら体を休めることになった。


 ここ、品川宿は、江戸と京都を結ぶ東海道五十三次のうち、江戸の日本橋を出て最初の宿場だ。


 かまという大きな旅籠はたごに身を落ち着けると、皆の行動はさまざまだった。宿場町のにぎわいに繰り出す者、近所の寺や神社に出掛けて剣の稽古をする者、怪我の療養のために宿で寝る者、あるいは、ただ眠らざるを得ない者。


 おれは花乃さんに訊いてみた。


「東のほうに出てきたのは初めてなんだろう? 永倉さんあたりに案内してもらって、ものさんでもしてきたら? 品川の色街はずいぶん大きいから、女相手の小間物や着物も品ぞろえがいいらしいよ」


「結構どす。遊びに来たのと違いますし、江戸のおなの趣味は、うちには合いまへん。それより沖田さま、お体の具合はいかがどす?」


「今日は起きていられる。これくらいの状態が続けば、江戸の中心へ移るにも、自分の足で歩いていけるよ。何、花乃さん、出歩くならおれと一緒がいいの?」


「調子に乗らんといてください。散歩や買い物やったら、一人で行けます。だいたい、今の沖田さまは人混みに出ていける体調と違いますやろ」


「相変わらず手厳しいなあ」


「すぐ無茶したがる沖田さまが悪いのや。散歩やのうて、まずは、お宿のお庭に出てみはりまへん? かわいらしい山茶花さざんかが咲いてはりましたえ」


 庭のそばは何度か通ったはずだけど、花なんか咲いていただろうか。気にも留めなかった。行こうと返事をしたら、花乃さんは嬉しそうにうなずいて、分厚い綿入れをおれに着せ掛けようとした。


「やめてくれよ、爺くさい格好だけはさせないで。天気もよくて暖かいし、今でも十分きちんと着込んでるからさ」

「あきまへん。少しでも温こぉしてはってください。この綿入れ、病人がおるさかいって無理を言うて、お宿から貸してもろたんどすえ」


「はいはい、どうもありがとう。熱でも出たら着るよ」

「沖田さま!」

「ヤミを抱えてたら温かいから、そんな分厚いのは必要ないってば。さあ、ヤミ、行こう」


 おれがヤミを拾いながら腰を上げると、花乃さんは唇を尖らせて、ばさりと綿入れを置いた。


 庭には土方さんがいた。木刀を振るっている。顔も腕も、まだ生傷が治り切っていない。全身、汗みずくだ。


 土方さんは、ときおり鋭い気息を吐きながら、目に見えない敵と切り結ぶ。上段からけの一撃。返す刀でぎ払って、すかさず間合いを取る俊敏なあしさばき。再び踏み込んで、二連の刺突。


 ぴたりと静止した土方さんが、木刀を下ろしておれを見て、苦笑した。


「何度やっても、俺では速さが足りねえ。総司お得意の三段突きは、どうやったって体得できそうにねぇな」

「そうかな? 土方さんの剣、昔より無駄がなくなって、だいぶ速くなったと思うよ。もう三十四だっけ? その年で速さを保ってられる、むしろ増してるってのは、鍛錬を怠らない証拠だ。さすがだね」


「絶妙に気にさわる言い方だが、聞き流しておいてやる。剣の道も色恋と同じで、若くて勢いがあるだけじゃ極められねぇんだよ」

「その二つ、一緒にしないほうがいいと思うけど」


 土方さんは唇の片側だけで笑った。そばの木に引っ掛けてあった手拭いを取って、顔や首筋に押し当てる。


 おれの斜め後ろで、花乃さんが、ほうと息をついた。いつだったか力説されたけど、土方さんが汗を拭う姿は色気があるらしい。男のおれにはわからない。


 呼吸を整えながら、土方さんは苦笑いを浮かべた。


「総司は、色恋はともかく、剣のほうはえらく早熟だったよな。技を習得する速度が、人並み外れて速かった。三段突きだって結局、実戦で使えるのは総司だけだ」

「一度の踏み込みのうちに基本の突きを三回、確実に相手に当てるだけだよ。特別なことをするわけじゃない」


「その速さを特別じゃないと言い切るんだから、おまえはやっぱり天才だよ。斬撃の速さは鍛錬できても、刺突の速さは天性の能力がものを言う」

「刺突の威力の高さなら、斎藤さんのほうが上だよ。三段突きも、習得はしてると思う。斎藤さんは一撃で確実に仕留める剣を好んで、手数を増やしたがらないから、三段突きを使わないけど」


「違ぇねえ。木に吊るした鉄片を木刀で突いて貫通させる。斎藤のあの刺突の威力も、誰にも真似できやしねえ」


 そのときだった。おれと花乃さんの背後から、男の声がした。


「噂の斎藤一だが、どこにいるか知らねぇかい?」


 近寄られるまで気配を感じなかった。はっとして振り返る。おれの腕の中で、ヤミが首筋の毛を逆立てた。

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