玖 狂虎

 オレの部下、三番隊隊士が物陰から姿を現した。運べ、とオレは命じる。


 伊東さんの死体は油小路七条の辻に置かれた。明かりが届いて、遠くからでも目立つ。死体は、高台寺党をおびき寄せる餌だ。辻を囲んで四方に、合計三十人ほどが待ち伏せている。死体から流れ出た血が凍っていく。


 永倉さんと時尾が、オレと同じ東南角に身を潜めている。永倉さんがオレの肩を揺さぶろうとした。反射的に振り払う。永倉さんは懲りずに、オレの肩をつかんだ。


「平助は見逃す。絶対だ。近藤さんとトシさんにも、了承をもらってる。仲間殺しなんかしたくねえ。俺は伊東が苦手だったが、殺してぇと思ったことはなかった」

「憎い相手だけ殺すなら、京都はこんなに荒れてない」


 永倉さんは眉を逆立てた。目をらすと、時尾がオレを見ていた。大きな目に涙がたまっている。オレは時尾からも目を逸らす。


 やがて足音が聞こえた。来た、と皆に告げる。息を殺して待つ。


 先頭を駆けてくる、まりの弾むような足取り。小柄な影は藤堂さんだ。高台寺党は藤堂さんを含めて七人、伊東さんの死体へと走り寄った。


 ざわりと、オレの背筋に悪寒が駆け抜けた。単なる寒さじゃない。


「妖の匂い」

「斎藤さま、こっだことって……」


 時尾を振り返る。時尾が口元を覆って見つめる先を追う。藤堂さんが顔を上げた。両眼が、はっきりと、赤く光っている。人間の眼光ではあり得ない。


 月真院は妖の気配が濃いと、時尾が言った理由。藤堂さんが風邪と称して寝込んでいた理由。信じたくない。藤堂さんという存在が妖に近付いていたせいだなんて。


 藤堂さんはぐるりとあたりを見渡した。


「罠かよ、くそ。飛び込むまで気付かねぇとは、俺も焼きが回ってるな。出てきやがれ、てめぇら!」


 風圧を感じるほどの気迫だ。ただの気迫じゃない。隊士たちがよろめく。倒れ伏す者、嘔吐する者もいる。妖気だ。堕ちた妖が発する、人と相容れない気迫だ。


 いつからだ? いつ、藤堂さんは環の力に手を出した? 気付かなかった。オレはあまりに鈍っていた。同じ場所で過ごしていたのに。


 永倉さんが、ふらつきながら立ち上がった。


「平助! おまえ、何やってる!」


 藤堂さんがこっちを向いた。オレは進み出た。がくぜんとした藤堂さんが、にわかに牙をいた。笑えば白い歯が見えていた口に、牙が並んでいる。


「斎藤、てめぇ、裏切りやがったのか」

「いつもの役目だ」


「ふざけんなよ。その役目ってやつに嫌気が差して伊東さんに付いてきたんじゃねぇかと、俺は本気で信じてた。てめぇが死んだらしいって聞いて、俺がもっと早く力を得ていればと、どんだけ悔やんだと思ってんだよッ!」


 妖気が暴風になって吹きすさぶ。永倉さんが刀を杖にしてすがった。


「待て、やめてくれ! 平助、話を聞け! 近藤さんもトシさんも、おまえを殺すつもりはない。戻ってこい。頼む、戻ってきてくれ!」


 やけっぱちのような大声で、藤堂さんは笑った。


「永倉さん、お人好しすぎるって。二番隊組長がそんな調子じゃ、隊士に示しがつかねぇだろ。脱走者は、どんな理由があれ、許しちゃならねえ。俺らもそういう覚悟で、伊東さんを選んだんだからさ」


 藤堂さんは右の袖を引き千切った。上腕に、赤い環がぎらぎらと輝いている。永倉さんがくずおれた。新撰組も高台寺党も、藤堂さんの妖気に当てられている。立っていられるのは、オレと時尾しかいない。


 オレは刀を抜いた。時尾が薙刀なぎなたをしごいた。永倉さんがオレのはかますそを引いた。


「平助を救ってくれ。平助は仲間だ。殺し合いたくねえ。妖になってほしくねえ。もとに戻してやってくれ」

「無理だ。環は消せない。環を断つことは、命を絶つことだ」

「斎藤、おまえ……やめろよ。おまえまで妖みてぇな目をすんじゃねえ」

「今さらだ」


 妖刀、ダチつばを外す。左手の甲、環のある場所がかすかにうずく。環断がオレの気を食って、蒼く輝き出す。


 爆発するような妖気が、藤堂さんの体から噴き上がった。油小路七条の辻が歪む。景色がのっぺりと押し延べられて、倒れ伏す人々の姿が消える。藤堂さんが創る妖の空間に、オレと時尾だけが閉じ込められた。


 藤堂さんが吐き捨てる。


「ちくしョウ、暴れヤがる。力が、マトもに使エねえ」


 時尾が自分の二の腕をつかんだ。そこに蒼い環があるはずだ。


「環を成すことを急いだからだ。気を確かに持ってくなんしょ! 堕っつまってはならんに!」


 藤堂さんが笑う。明るいはずの声が、ざらざらと低くかすれていく。


「わかンネえ。音が聞こエネエ。目ガ見えねエ。こコ、どこダ? 永倉サン? 総司? 巻き込んでねぇよな? デモ何だロウ、斎藤、テめェガ憎イ。環ガ暴レて痛ェんダヨ。斎藤、テメぇノセイだ!」


 藤堂さんの姿が変わる。着物を引き千切って体が膨れ上がる。爛々らんらんと赤い目、巨大なあご、生え並ぶ牙。白と赤がまだらに交じった体に、黒いしまが走る。なり損ないの白虎だ。


 時尾が薙刀を構えた。


「斎藤さま!」


 しっの声を受けて、刀を構える。


「オレのせいか」


「んでね、違います! 藤堂さまに巣食った妖気が蒼い環を嫌っているだけだ!」


 藤堂さんだった妖が吠えた。波動がびしりと肌を打つ。殺気と敵意を浴びた環断が、舌なめずりをするように光った。妖の血を欲している。


 妖の目を見る。狂気に満ちておぞましい。あんた、本当に藤堂さんか? 信じたくない。でも、額にくっきりと白い傷痕がある。



***



 慶応三年(一八六七年)十一月十八日、深夜。オレが藤堂平助を殺した。額に傷痕のある死体は、小柄な剣士じゃなく、なり損ないの白虎のままだった。

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