捌 暗殺

 十一月十八日は、日が暮れると、ひどく冷え込んだ。近藤さんの招きに応じた伊東さんは、たった一人でやって来た。新撰組の屯所から程近い、町屋造りの一軒家。近藤さんのめかけが住む家だ。


 旧交を深めるささやかな宴が、ふすまの向こうでおこなわれている。オレと永倉さん、原田さん、時尾の四人は、薄闇の中で息を潜めて会話を聞いた。


 伊東さんは相変わらず善良だった。


「ようやく近藤さんや土方さんと会うことができた。三月以来だ。あのときは私の身勝手で新撰組の調和を乱してしまい、本当に申し訳なかった」


 謝罪に、近藤さんが正直な言葉を返す。


「困った、と思った。平助や斎藤がいなくなった穴は大きくてな。しかし、我々はお互い、うまいやり方を知らんのだ。武士である以上、曲げられないもの、貫かねばならないものがある」


 最初はぎこちなさがあった。土方さんがそつのないことを言って、次第に緊張感がほぐれていく。


 オレと土方さんで、筋書きは綿密に作ってあった。何を言えば、伊東さんが乗ってくるか。どう振る舞えば、伊東さんが近藤さんたちを信用するか。読みはことごとく当たっている。この暗殺は造作ない。


 政治の話になると、近藤さんと土方さんは黙った。曲げられない主張がある。だからこそ、議論の席では伊東さんと戦わない。伊東さんだけが熱心に語っている。


「近藤さん、土方さん、確かに武力は必要だ。ただし、それは日本の中で争うためのものじゃない。欧米諸国から我が国の海を守らないといけない。私たち武士は早急に、持てる武力を束ねて、強い海軍を創設しなければならない」


 そのためには、はまぐりもんの変で対立した過激派の力も借りたい。彼らの罪をゆるして、手を取り合いたい。それが伊東さんの主張だ。そして、新撰組の古参兵が絶対に妥協できない点だ。


 オレの隣で原田さんが顔をしかめた。


「伊東は池田屋事件も蛤御門の戦いも経験してねえ。命懸けで長州と戦ったことがねぇんだ。だから、あんな腑抜けたことを言える」


 原田さんの向こう側で、時尾が眉を曇らせている。道着姿で、傍らには薙刀なぎなたがある。かたもり公に命じられて新撰組預かりの身となった時尾は、オレの潜伏先と新撰組の屯所とを行き来する連絡役として最適だ。


 しかし、暗殺やしゅくせいなんて汚れ仕事に、女の時尾が首を突っ込まなくていい。来るなと再三言った。時尾は譲らなかった。新撰組の邪魔はしない、でも万一に備えて待機したい、と。


 伊東さんが不意に黙った。しばらくあって、苦しそうに言った。


「斎藤くんがいなくなって、ほうぼう探した。殺されたという噂を耳にしたが、事実なんだろうか? 私は斎藤くんの腕も人柄も頼りにしていた」


 近藤さんは応えない。嘘が苦手な人だ。代わりに土方さんが、筋書きどおりのせりふを口にする。


「斎藤が仇として狙われる可能性も高いだろう。ずっと汚れ仕事をやらせてきた。あちこちから恨みを買っている」


 オレが殺されたという噂は、土方さんが流した。斎藤一の名が死んだ代わりに、オレは山口二郎と名乗っている。


 近藤さんが話題を変えた。


「高台寺党の面々は、どんなふうに過ごしている? たもとを分かったとはいえ、皆、俺の教え子のようなものだ。やはり、どうにも気になってな」


 伊東さんが明るい声音を取りつくろった。高台寺党は、変わらない日々を送っているらしい。伊東さんの護衛を当番で回しながら、空いた時間に剣術稽古や学問、英語の勉強をする。酒量は減ったんだろうか。藤堂さんの風邪は治っただろうか。


「斎藤」


 永倉さんに呼ばれた。反射的に顔を上げてから、目をらす。


「違う」

「山口二郎と呼べってか? あいにくだが、俺らはみんな頭が悪くてな、愚か者の目には、おまえは斎藤一にしか見えねぇんだよ。何度言わせるんだ」

「名を変えた意味がない」

「だからどうした? それより、伊東はいつもあんな調子だったのか?」

「いや、普段はもっと沈んでいた。今日は明るい」


 原田さんが腕組みをした。


「面の皮の厚そうな男だと思ってたんだが、勘違いだったな。ちびっこい犬みてえに虚勢を張って、ずいぶんとよく鳴いてやがる。肝が冷えて仕方ねぇんだろう」

「でも、伊東さんは一人で来た。それが精いっぱいの虚勢だとしても」


 宴は夜更けまで続いた。話題は尽きなかった。友人同士のように、近藤さんと土方さんと伊東さんは笑い合って語り合う。


 部屋がしんしんと冷えてきた。手足の指をさすって温めながら、オレたちは待った。そして時が来た。


 伊東さんがいとまを告げたのは夜四ツに差し掛かるころだった。あぶらのこう通を行く後ろ姿を、オレたちは尾行した。左右には民家の板塀が続いている。外灯をともす家がぽつぽつとある。尾行するには不利な明るさだ。


 不意に、ぴしりと音がした。小枝を踏み折る音だろうか。音を立てたのはオレたちではなく、伊東さんでもなかったらしい。伊東さんが足を止めた。板塀に目を向ける。


 その瞬間、板塀の隙間から槍の穂先が飛び出した。どすっと重い音がした。槍が伊東さんの腹に刺さっている。


 板塀の陰から男たちが飛び出した。新撰組隊士を三人、槍を持たせて潜ませていた。


 槍に裂かれた腹を押さえて、伊東さんが逃げ出した。追撃する隊士の刀をかいくぐる。板塀を背に、刀に手を掛ける。伊東さんも相当な使い手だ。隊士はかつに手を出せない。


 オレは駆けた。じりじりと逃げる伊東さんの正面に回り込む。


 小さな寺の前だった。山門に焚かれたかがりが、オレと伊東さんを照らす。伊東さんが目を見張った。オレは刀を抜いた。切っ先を伊東さんに向ける。


 澄んだ金属音がした。伊東さんが抜き放った刀が、オレの切っ先を逸らした。それだけだ。反撃と呼ぶにはか弱い。オレの手にはまだ刀がある。伊東さんが板塀を背に、ずるずると座り込む。


「これは……こんな冗談をやらかすものではないだろう、斎藤くん。冗談はよしてくれ。私は、ただ……」


 伊東さんの腹から噴き出す血の量が尋常ではない。間もなく死ぬだろう。伊東さんはじっとオレを見上げている。顔が苦痛に歪んでいる。せわしない呼吸が白くただよう。次第に表情が緩慢になっていく。


 あっないと思った。悲しみも苦しみも感じない。寒さも忘れた。オレはもう、人ではないのかもしれない。死にゆく伊東さんを平然と眺めている。


 伊東がかすかに唇の端を持ち上げた。


「いくらなんでも、卑劣に過ぎるぞ」


 かすれる声がささやいた。直後、伊東さんは、がくりとのけぞって、動かなくなった。

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