参 密偵

 六月になって、伊東さんたちは五条橋東の善立寺から東山の高台寺の月真院へ拠点を移した。


 高台寺は、寺や神社だらけの東山でも特に敷地が広い。新たな拠点である月真院はたっちゅうといって、僧侶が寝泊まりするための離れだ。本堂までは、裏山を登って少し歩く。オレたちは僧侶ではないから、本堂に通う用事もないが。


 誰が言い出したものか、伊東さんたちは高台寺党と呼ばれるようになった。伊東さんも案外それを気に入って、高台寺党と名乗っている。


「高台寺は由緒ある寺だ。たいこう秀吉のだいとむらうため、正室である北政所きたのまんどころ寧々ねねが建立した。この月真院も、二百五十年の歴史を持つそうだ。その長い歴史に、私たちもあやかろうではないか」


 月真院の庭からは八坂の塔が望める。木や草が伸び放題の庭は、見る人が見れば風情があるらしい。伊東さんはよく縁側に腰掛けて庭を眺めている。有名な俳句にも同じ風景が詠まれているそうだ。


 晩夏の太陽がようやく沈んだ。出掛けるたくをして庭に立つと、藤堂さんが呆れ顔になった。手桶を持っているから、打ち水をしていたんだろう。


「斎藤、また祇園かよ?」

「ああ」

「まさか斎藤が祇園通いにまっちまうとは思ってもみなかったぞ。そんなにいいおんながいるのか? 色恋沙汰なんざ初めてだろう?」

「別に」


「なあ、おまえがひいにするおんなって、どんな感じだ? あ、もしかして年上か? 確か斎藤は、姉さんと兄さんがいて、末っ子だったよな。好いた相手には、ちゃんと『あいらぶゆう』って言ってやるんだぞ」


 高台寺党は伊東さんを先生に、英語を勉強している。アメリカから仕入れた、武器の本や法律の本が指南書だ。


 でも、それだけではおもしろくないからと、伊東さんは口説き文句も教えてくれる。皆、まじめな言葉よりも「あいらぶゆう」のほうをよく覚えている。


 黄昏時の薄暗がりにも、藤堂さんの目元が赤いのが見えた。日のあるうちから酒を引っ掛けていたんだろう。このところしょっちゅうだ。藤堂さんだけじゃなく、皆、酒の量が増えた。


「贔屓の芸妓がいるわけじゃない。安い酒を飲んでるだけだ」

「手酌ってわけじゃねぇんだろ? あ、そうか、逆か。斎藤がおんなに入れ込んでるんじゃなく、向こうが斎藤に惚れ込んじまって離さないんだな?」


 けらけら笑う藤堂さんから顔を背ける。行ってくるとだけ告げて、オレは門をくぐった。


 東山の坂を下って東大路に出る。東大路を北に少し行けば、花街のにぎわいに包まれる。東山は八坂神社の門前町、祇園だ。


 祇園は甲部と乙部に分けられる。甲部は、京都に六つある花街でいちばん格式が高い。例えば勝先生くらいの身分なら、問題なく店の敷居をまたげる。もとは野良侍だった新撰組じゃ玄関払いだ。


 普通の武士が入れる程度の店は、乙部のほうにある。祇園東とも呼ばれる場所で、店の格式はいろいろだ。思想家が密談しても秘密が洩れないくらい、きちんとした店もある。三度の飯を口にできる程度の銭を渡せば女が抱ける、安い色茶屋もある。


 オレはいつもの料理屋に入った。店の女に告げる。


ないとうはやの連れだ」

「へえ。内藤さまは先ほどお着きどす。こちらへ」


 うなぎの寝床の店構えは、差し詰め迷路だ。幾度か来るうちにおおよその構造は見当が付いた。どう考えても、隠し部屋が三つも四つもある。


 奥まった席のすだれ越しに、女が内藤隼人の名を呼んだ。聞き慣れた声が返事をして、すだれを上げる。


「待ってたぞ」


 役者のように端正な顔で笑っているのは、土方さんだ。内藤隼人というのは、土方さんが使う偽名だ。


 オレはすだれをくぐって席に着いた。盆の上には二人ぶんの酒とさかなが用意されている。土方さんはオレの盃に酒を注いだ。


「高台寺の居心地はどうだ? あのへんは山手になっているし、木が多い。大勢で押し合いへし合いする新撰組の屯所より、ずっと涼しいんじゃないか?」

「いくらか涼しいと思う。でも、やぶが多い」


「なるほど。そいつはご愁傷さまだ。おまえの祇園通いは怪しまれてねぇか?」

「藤堂さんにからかわれるが、気付かれてはいない」


「だろうな。まじめな男ほど女遊びにも熱中しちまうってのが、世間の相場だ。高台寺党は皆、不安を抱えて、酒やら双六すごろくやら花札やらで気をまぎらわそうとしてるんだろう? 斎藤の場合は女に走ったと、平助たちも思ってるのさ」


 勘違いされるのは好都合だが、気分はよくない。


 オレは京都の女が苦手で、芸妓は特に駄目だ。気位が高くて、オレみたいな無骨者を見下してくる。遊郭で楽しいと感じた試しがない。色茶屋でさえ、吐き出した欲望より抱え込んだ気苦労のほうが、かさが大きかった。


 土方さんとはしょっちゅうこの店で会っている。高台寺党の様子を伝えて、新撰組の近況を聞かされる。京都を巡る佐幕派と倒幕派の力関係も逐一知らされる。新撰組にとって、状況はよくない。


 今日もまた、いくつか情報を交換した。それから、土方さんはおもむろに切り出した。


「一つ、仕事を頼まれてくれ。たけかんりゅうさいを斬ってほしい」


 ついに、という気がした。今さら、という気もした。


 四年も前の池田屋事件のころにはもう、武田さんは危うかった。軍師を気取っていて、近藤さんの腰巾着。でも、伊東さんが来てから、武田さんは頭脳や弁舌を自慢するのをやめた。近藤さんも武田さんを遠ざけるようになった。


「なぜ、今?」

「薩摩藩と連絡を取っていることが露見した。びへつらうのがうっとうしいだけなら生かしてやってもよかったが、敵との密通は許さねえ」


「罪を認めさせて、切腹させることは?」

「認めねぇだろうよ。それに、時間をかけてもいられねえ。何者にやられたかわからねぇ形で葬りたい」


「オレがって、新撰組としては問題ないのか?」

「斎藤が新撰組を抜けたわけじゃなく、高台寺党を探る間者として働いてることは、試衛館の仲間は知っている。つまり、俺と近藤さん、総司、永倉さん、原田さんと源さんだ。武田の暗殺も同じ顔触れで計画を立てた」


 試衛館の仲間とくくられる中に、山南さんと藤堂さんがいない。山南さんはすでに死んだ。藤堂さんももうすぐ死ぬんだと告げられた心地になる。酒で熱いはずの胃の腑が、すっと冷えた。


 土方さんは武田さんの暗殺計画を淡々と告げた。近々、京都の町の南端、竹田口あたりの料亭で宴を開く。古くから新撰組に貢献する者をねぎらうという名目だ。宴では、武田さんを功労者の筆頭の一人に据える。


 武田さんには、宿の用意があることを伝える。竹田口を出て伏見に向かう途中にある宿で、女の手配もしてある、と。


「斎藤には、竹田街道のぜにとりばしで武田を討ってほしい。鴨川に架かる橋だが、両端に柳が垂れて視界が悪い。人目に触れずに事を運べるだろう。頼めるか?」


 尋ねられて、嫌だと答えられるはずもない。土方さん自身は気付いていないが、こういうところは意地が悪い。尋ねるんじゃなく、命じてほしい。人を斬るのは自分の選択じゃなく、他人からの命令だと思っておきたい。


「わかった。斬る」


 短く答えて、酒をあおる。空になった盃に、土方さんが酒を注ぐ。また一息に呷る。オレは昔から酒は強かったが、最近は少しも酔えない。顔にも出ないから、水を飲んでいるんじゃないかと、よく言われる。


 しばらく無言で飲み食いした。うっすらと頬を赤くした土方さんが、不意に眉をひそめた。


「平助は戻ってきそうにないか?」

「戻る?」

「新撰組に戻ってくる気があるなら、平助だけは迎え入れたい。戻ってこないとしても逃がしてやりたいと、永倉さんは言っている。斎藤の目から見て、平助はどんな様子だ?」


 オレはかぶりを振った。


「藤堂さんは、曲げない」

「高台寺党として、伊東さんと心中する覚悟か?」


 オレはうなずいた。少し違うとも思う。藤堂さんには、命懸けで伊東さんに付いていく覚悟がある。でも、それは心中する覚悟とは別のものだ。藤堂さんは、一和同心の理想の中で生きていきたいと望んでいる。


 いずれにしても、相容れない。新撰組は伊東さんをゆるさない。藤堂さんは伊東さんから離れない。


「土方さんたちも、覚悟を」


 オレの言葉に、土方さんは唇を噛んだ。差し向かいで盃を傾けるとき、土方さんは正直だ。うらやましいくらいに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る