四 斎藤一之章:Betrayal 油小路事件

壱 火種

 オレたちが新撰組の名をかたもり公からたまわったのは今から四年前、文久三年(一八六三年)八月のことだ。


 八月十八日の変で、会津藩と薩摩藩は、長州藩を朝廷から追い出した。そのとき、オレたちは容保公の警備をして手柄を立てた。名前はその褒美だった。


 試衛館の面々が江戸から京都に出てきたのは、新撰組の名が付く半年ほど前。池田屋事件とはまぐりもんの変で新撰組の名が知れたのは、名を賜った翌年。


 試衛館の仲間が初めて欠けたのは、蛤御門の変から半年後だ。山南さんが死んだ。脱走の責を負っての切腹。討ち死にじゃない死に方をするなんて、京都に出てきたころは想像していなかった。


 山南さんの死から、ちょうど二年が過ぎた。慶応三年(一八六七年)二月。この二年の間にオレはたくさんの変化を目撃した。佐幕派の新撰組にとって、いい方向への変化じゃなかった。敵が数を増やして、手強くなった。


 最も大きな敵は薩摩藩だ。三年前、蛤御門の変のころ、薩摩藩は佐幕派の味方だった。死に物狂いの長州藩に横合いから打撃を加えて、容保公率いる会津藩の勝利に協力した。


 蛤御門の変の後、最初の長州征伐がおこなわれたときも、薩摩藩は佐幕派だった。が、苛烈な気性で知られる薩摩藩なのに、長州藩と戦わなかった。話し合いだけで、うやむやな決着をつけて終わらせた。


 そして去年、二度目の長州征伐。薩摩藩は完全に長州藩の味方だった。一昨年あたりから、薩長はすでに通じていたようだ。


 薩摩藩の寝返りは強烈な痛手だ。薩摩藩は外国と密貿易をして、最新式の火器をそろえている。長州藩にも横流ししているらしい。


 いや、「寝返り」という言葉は正しくない。勝先生が言った。


「薩摩は最初っから、ちょいとばかり他藩とは違っているのさ。薩摩は南の海を持っている。密貿易が十八番である上、外国の情報に触れることへのおびえもない。江戸から遠いざまで、幕府の権威なんてものへの関心も、吹けば飛ぶ程度だろうしな」


 蛤御門の変のころ、薩摩藩が佐幕派に味方していたのは、容保公が天皇のお気に入りで、幕府の上層部と朝廷の上層部が近い関係にあったから。


 その後の寝返りに見える行為は、幕府をたすけたところで無益だと気付いたから。幕府は、外国を打ち払おうという古い考えに凝り固まっている。薩摩藩本来の気質や考え方と、少しもそりが合わない。薩摩藩は、朝廷を直接操って政治を動かそうと考えた。


 薩摩藩と長州藩の仲は、土佐藩の脱藩浪人、坂本龍馬という男が取り持った。坂本さんを仕向けたのは、勝先生だった。勝先生の私塾には、坂本さんや薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の吉田松陰、そのほかいろんな思想の持ち主が出入りしていた。


「いいか、斎藤。俺ぁ幕府の高禄をんでる身だが、幕府の考えが世の中を正しく導くなんざ、これっぽっちも思っていねぇんだ。人が大量に死ぬのはいただけねぇが、ぶっ壊したほうがいい形骸ってものが、この国にはごろごろしてやがるだろう?」


 途方もなく大きな話をしながら、勝先生は楽しそうだ。オレは話を聞くばかり。相槌もろくに打たないのに、勝先生は話し続ける。


 オレと勝先生のやり取りには、普段、白いはとを使う。でも、勝先生は神出鬼没で、いきなり京都に現れる。今、勝先生は仕事をしていない。去年、二度目の長州征伐の後始末を巡って、将軍後見のひとつばしよしのぶ公とうまくいかなくなったせいだ。


 今日も唐突に勝先生は現れた。オレが非番だと知っていたようだ。有無を言わせず島原の片隅の小さな料亭に連れてこられた。掛け軸の奥の隠し部屋で酒を飲んでいる。勝先生の長広舌は、酒が入ってますます滑らかだ。


「柱が二本、相次いで折れた。去年七月に第十四代将軍、いえもち公が崩御。十二月になって慶喜公が将軍職に就いた。そしてその二十日後、先代天皇が崩御。後を継いで即位したきんじょう天皇は、どうも先代とは動きが違う。さて、会津の容保公はこれからどうする?」


 まるで将棋でも指しているような言い方だ。国が丸ごとひとつ、大いに混乱しようとしているのに。


 佐幕派は分が悪い。そんな気がする。攘夷という考え方もよろしくない。たぶんそうだと思う。オレの近くにいる頭のいい人は、二人ともそう言っているから。


 勝先生と伊東さん。国の行く末を考えられるくらい頭がいいのは、オレが知る限り、この二人だけだ。でも、伊東さんより勝先生のほうがずっと頭がいい。オレは伊東さんの目をあざむけても、勝先生には隠し事ひとつできない。


 空の盃に手酌で酒を注いで、勝先生は身を乗り出した。ぎょろりとした目は、笑っているのに鋭い。


「伊東ろうの様子はどうだい? いい加減、我慢の限界じゃねぇのかい? いや、そろそろ飛び出さなけりゃ、土方あたりが追い出しにかかるころだろう」

「土方さんだけじゃない。今は近藤さんのほうが伊東さんを危険視している」


 二年前、山南さんが死んだころ、伊東さんは近藤さんのお気に入りだった。伊東さんは頭がよくて弁が立って剣も使える。


 近藤さんはたくさんのことを伊東さんに訊いた。新撰組の軍備、屯所の場所、味方にすべき人物、そして、この国の行く末。


 語り合ううちに、埋めがたい溝があることがわかった。伊東さんは、佐幕派じゃなかった。幕府を倒して新しい国の形を創ろうと説く倒幕派だった。


「斎藤よ、おまえさんはどうする? 土方から、伊東を探れと命じられてるんだろう? 任務を続けるのかい?」


 にやにやと楽しそうに、勝先生が尋ねる。オレの答えなんか、わかり切っているだろうに。


「続ける。火種には巻き込まれておく」

「そうかい。しかし、おまえさんも気苦労が絶えねぇな。土方の手先として、伊東に気付かれねぇように伊東一派と仲良くする。と同時に、この勝麟太郎の手先として、土方らに気付かれねぇように新撰組に身を置いている」


「初めからだ。もう慣れた」

「殊勝なことだな。あまり気を詰めるなよ。弾け飛んじまうぜ。おまえさんはどうにも純粋だからな」


 純粋というのは違う。単純なだけだ。オレは、言われたことをこなすしかない、ちっぽけないぬだ。


 勝先生は盃を一息にあおって追加の酒を注文した。今夜は酔い潰れるまで飲むつもりなんだろう。寝首を掻くことも簡単なのに、オレは毎度、最後まで勝先生の面倒を見る。勝先生を殺しても、その呪縛から逃れられる気がしない。オレは勝先生が怖い。


「伊東という男は賢いが、でかい思い違いをしている。近藤らと議論を交わせば通じ合えると思っている点だ。新撰組は、議論じゃどうにもできねぇよ。なあ、おまえさんにもわかるだろう? 新撰組を動かしてるのは、思想じゃあねえ。忠義だ」


 初めは忠義ですらなかった。そんな立派な動機じゃなくて、剣の腕でのし上がりたいだけだった。オレたちには剣しかなかったから。


 京都に出てきて、容保公がオレたちの上役になった。近藤さんよりずっと高い場所にいる人を知った。その人のために働こうと心が決まった。それが忠義というものなんだと思う。


「伊東はな、立派な思想を持っている。頭で動く人間だ。だから、心で動く新撰組と、どうやったってうまくいかねえ。何、どっちも間違っちゃいねぇのさ。一緒にいることだけが間違いだ」


 勝先生の酒が進む。オレも注がれるままに飲むが、酔えない。そもそもオレは酒が強い。酔い潰れたことなんて一度もない。


 少しれつの怪しい口調で、勝先生が予言した。


「数日のうちだ。伊東は間もなく新撰組から離脱する。一緒に行くやつが、さて何人になるか。斎藤、覚悟を決めろ」

「覚悟?」

「おまえさんはこれから裏切り者になる。俺の耳目であることを隠してるなんて程度の生ぬるい裏切りじゃあねえ。おまえさんは伊東一派とともに行動する。近藤や土方に伊東一派の動きを通じるためだ。その結末は、どうなる?」


 オレは酒を呷った。勝先生に突き付けられるまでもなく、わかっている。


「それがオレの仕事だ」


 新撰組は、脱走する者をゆるさない。伊東さんたちには必ず裁きが下される。その日をいつにすべきか。最適の判断をして最後通牒をもたらすことが、オレに課される役割だ。

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