捌 山桜
新撰組ご用達の
島田
端正な姿になった山南さんに花乃さんが術を掛けて、氷に閉じ込めた。こうしておけば、山南さんの時が止まる。醜く腐れてしまわない。
翌朝早く、眠るような山南さんを荷車に載せて
近藤さんの切れ上がった目から
言葉のない時間が流れる。大津を出て今に至るまで、おれはほとんど口を開いていない。泣いてすらいなかったことには、近藤さんの涙を見て初めて気が付いた。
髪を掻きむしった土方さんが、普段じゃあり得ないほどめちゃくちゃな頭のまま顔を上げて、おれたちを見渡した。言葉がようやく絞り出される。
「山南さんの死は、私闘の果ての討ち死になどと、誰にも言っちゃならねえ。山南さんは脱走の責を負って、士道を曲げることなく、誇り高く切腹して果てたと、皆には公表する。それが山南さんへの
私闘だろうと切腹だろうと、死んじまったら同じじゃないか。そんなことを思うおれは、やっぱり
元治二年(一八六五年)二月二十三日、花が咲き始めた春の日に、山南さんは散っていった。野辺送りでは、新撰組の仲間はもちろん、屯所の家主である武家屋敷の人々も、近所の子どもたちも花街の女たちも、たくさんの人が泣いた。
墓は
おれは毎日、山南さんの墓に出向いている。線香の匂いが苦手なくせに、ヤミも必ず付いてくる。花を手向けたことはない。おれが持ってくるまでもなく、山南さんの墓前は綺麗な花であふれているから。
今朝は先客がいた。
「伊東さん」
呼び掛けると、顔を上げた伊東さんは、げっそりと隈のできた目元を無理に微笑ませた。
「山南さんの最期は立派だったそうだね。沖田くんが切腹の
「ああ……そうだと思いたいね」
「しかし、寂しいね。私は大切な朋友を
伊東さんは墓石を見つめて手を合わせて、立ち上がった。おれに場所を譲るように、墓石の建ち並ぶ狭い道を去っていこうとする。
花にまぎれて紙片が供えられている。紙片には、流れるような字で歌が書き付けられていた。伊東さんの字だと、わけもなく直感した。
――春風に 吹き誘われて 山桜 散りてぞ人に 惜しまれるかな
「春風ってのは、東から吹くよね。伊東さん自身ってことかい?」
立ち去る足音が止まる。力なく笑う気配がある。
「東から来て東の字を名に持つ私は、芽吹きを促す優しい風ではなく、春先の嵐だった。寺社を巡り、桜を愛でながら歌を詠もうと約束していた矢先に、早咲きの山桜は私の手の届かないところで散ってしまった」
「あんたは何も悪くない。でも、あんたが山南さんの居場所を奪った。おれはきっと、あんたを好きにはなれないよ。おれは善人じゃないからね」
山南さんの墓前で、ひどいことを言っている。ごめんね、山南さん。だけどさ、おれがどんなに行儀の悪いことをしても、もう叱ってもらえないんだよね。
花に埋もれそうな真新しい墓石を見つめても、そこに山南さんの気配なんてこれっぽっちもない。この手にあったはずの、山南さんの喉笛を切り裂いた感触の記憶も、だんだん薄れようとしている。
山南さんが消えていく。
視界が熱くにじんだ。まばたきと同時に涙があふれ出した。ああ、やっとだ。山南さんが死んでから初めて、やっと、おれは泣いている。
墓の前に這いつくばって、声を上げて泣いた。その晩から高熱が出て、幾日も寝付いた。病魔に魅入られた悪夢の中で亡者に追い立てられたけれど、山南さんには出会えなかった。
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