漆 散華

 飛ぶ鳥を仕留めるには初めに翼を討つべきだと、猫の本能が知っていた。


 桜の古木の幹を蹴って跳び上がる。勢いのままに、翼を狙う三段突き。折れた刀では防ぎ切れず、山南さんの白い羽根が赤く染まって飛び散る。ぐらりと体勢が傾く。


 着地と同時におれは土を蹴り上げた。山南さんが腕で顔をかばう隙に、足下をくぐって背後を取る。跳躍して片翼に刀を振り下ろす。


 ざっくりと、手応え。それと同時に、反対側の翼で打たれた。鎌鼬の波動を乗せた打撃に、皮膚が裂ける。


 失策だよ、山南さん。


 おれは翼をつかんだ。猫又の爪と牙で、翼を引き千切る。山南さんがうめいて地面に転がった。


 さっき蹴った桜が花びらを散らしている。


 山南さんが転がりながら跳ね起きて、晴眼の構えから突進してくる。おれは正面で刀を受ける。つばり合い。間近に見下ろす山南さんの目。今は、おれのほうが背が高くて力が強い。力比べの主導権を握る。山南さんの刀を、その体ごと弾き返す。


 後ずさる山南さんの脚を払う。それでも繰り出される刀に、よこぎの一打。山南さんの手から刀が飛んでいく。


 座り込んだ格好の山南さんが、おれを見上げた。翼がもげて、あるいは折れて、無残だ。おれのこの手が傷付けた。抜き身の刀がひどく重い。


「おれの勝ちだよ」

「ああ。見事だ」

「疲れたでしょう? 帰って休もう。その傷、ゆっくり養生しなけりゃいけないよ。山南さん、帰ろう」


 山南さんが微笑んだ。柔らかい声が歌うようにつぶやいた。


「帰りたかったなあ」


 それは一瞬の出来事だった。


 山南さんの手がおれの刀をつかんだ。先端を喉に押し当てる。そのまま掻き切る。血しぶき。鮮烈な匂い。せつ、強くきらめく山南さんの目。そして光が失せる。


 ゆっくりと、山南さんの体がくずおれた。


 おれの右手に、喉笛の血管を断った感触が残っている。人を死なせた瞬間の、絶望的な感触が。


「山南さん……?」


 応える声はない。血が山南さんを赤く染めていく。駆け寄ってきた花乃さんが、おれの袖をつかんだ。


「山南さまの魂は、赤い環から解き放たれました。ただの刀と違う、沖田さまの力を帯びた刀によって命が絶たれましたさかい。山南さまは救われたのや」

「救われた?」

「へえ。環を断てるのは、環を持つ者だけどす。環を断たんと旅立たはったら、りん転生できんで永遠に苦しむことになったところを、沖田さまの力が……」


「そんなのが何の救いになるの? 目に見えない世界の出来事なんて、どうでもいいよ。環を持つおれや花乃さんの力が山南さんを救えるって言うなら、生き返らせようよ。おれは、この世に生きる山南さんを救って助けたいんだよ」

「できひんことや。環を断つことと命を絶つことはおんなしやさかい」


「じゃあ、花乃さんはいつかおれを殺すの? おれが環の力を制御できなくなったとき救ってくれるために、あんたはおれのそばにいるんだろ? それはつまり、おれを殺すって意味だよね。今、おれが山南さんを殺しちまったように」


 口に出して、はっきりと理解した。結末はくつがえらない。死んだ人は生き返らない。


 おれは刀を投げ出して、地面に這いつくばって、山南さんを抱き起こした。優しく厳しかった二つの目は澄んだまま、どこでもない場所を見つめている。


 美しい死だとか正しい死だとか誉れある死だとか、そんなもの、あるんだろうか。


「死んじまったら、全部一緒じゃないか」


 血の匂いに包まれている。山南さんの体は、間もなく冷えて硬くなる。そして腐っていく。山南さんはもうしゃべらない。死んじまっても、今でも、ただまっすぐなその士道が正しかったと、山南さんは思っているんだろうか。答えは聞けない。


 ふっと、あたりが暗くなった。山に日が沈んだんだ。おれの肩に花乃さんの手が触れた。


「今夜は大津で休みまひょ。夜の山越えは危険どす。それに、山南さまのお体も清めて差し上げんとあきまへん。明日、お日さんが顔を出さはったら、すぐに、山南さまのお体と一緒に京都に戻りまひょ」


 おれの隣にしゃがんだ花乃さんが、そっとがっしょうした。それからその手が山南さんのまぶたを閉ざした。


 風が吹いた。薄闇の中に、山桜の花びらが舞う。

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