弐 士風

 しばらく本気で鬼ごっこをしていた。それが中断したのは、鳥居からこちらをのぞく二人の男に気付いたからだ。おれも子どもたちも、思わずそちらに駆け寄った。


「山南さん、伊東さん、二人そろって出掛けてたの?」


 おれより十歳ほど年上の山南敬助ととうろうの二人はいつも、新撰組の中でいちばんきちんと武士らしい格好をしている。月代さかやきり跡も青々として、綺麗に結った髪からはちょうの香りがする。背筋の伸びた立ち居振る舞いはお手本だ。


 山南さんは、江戸の試衛館のころから一緒だった。剣は近藤さんと同じくらい腕が立つ上に、仲間内で随一の博識だ。貧乏侍の子であるおれや斎藤さんに学問のいろはを教えてくれたのは、山南さんだった。


 伊東さんは、去年の十一月、江戸での募兵に名乗りを上げて新撰組に加わった。ほくしん一刀流を使う縁で、平助と以前から面識があったらしい。学問から政治まで何でも知っていて、弁舌爽やかで格好がいい。


「山南せんせ、久しぶりや! 伊東せんせも、ご機嫌よろしゅう」


 おれのときと違って、子どもたちは山南さんと伊東さんには丁寧な挨拶をする。山南さんも伊東さんも二本差しに羽織袴だけど、子どもたちは怖がらない。山南さんは暇を見付けて遊んでやっているし、物腰の柔らかい伊東さんは初対面で気に入られていた。


 山南さんと伊東さんは、まとわり付く子どもたちに構いながら、花乃さんに会釈した。花乃さんが慌ててすそを整えて、頭を下げる。子どもの目の高さに合わせてしゃがんだ山南さんが、おれを見上げた。


「久しぶりに、一日じゅう唐宋時代の漢詩ばかりを目に入れていたよ。今の日本の言葉を危うく忘れるところだ」

「漢詩? どうしてまた?」


「ひょんな縁で、さる公家の蔵書家から書物の整理を任されたのだ。半年前の大火の折、屋敷に積み上げていた書物をすべて、火に強い蔵に放り込んだ。書物は焼けずに済んだが、どこに何があるやらわからなくなってしまったらしい」


「ああ、それで、新撰組きっての学問家の二人がそろって出掛けていたわけか。蔵の整理は終わった?」

「いや、まだだ。なかなか進まないのだよ。好きな詩が収録された本を見付けるたび、伊東さんと二人でついつい話し込んでしまう」


 山南さんと伊東さんは笑い合った。題材が物凄いから話の中身には付いていけないけど、山南さんが屈託なく笑顔を見せてくれるのは嬉しい。


 このところ、山南さんは塞ぎがちだった。近藤さんや土方さんと、屯所の移転を巡って意見が対立しているせいだ。


 半年前と比べて、隊士の人数は三倍くらいに膨れ上がった。壬生の武家屋敷、数軒に分かれて間借りするのでは、そろそろ場所が足りない。例えば会津藩が駐屯するこんかいこうみょうのような広い寺に屯所を移そうと、年末から議論が交わされている。


 近藤さんと土方さんは、壬生より一里南にある西本願寺を移転先に挙げた。山南さんはこれに反対だ。西本願寺は長州藩とゆかりが深いらしい。もしかしたら、長州藩と通じた寺の者が新撰組の内部を探ろうとするかもしれない。


 じゃあ、どうする? 別の場所を探す? 移転せずに壬生に留まる?


 壬生の居心地がいいかといえば、そうでもない。もともとの住人とめ事を起こす隊士は、最初のころからいた。近ごろは狭っ苦しい暮らしのせいでうっぷんがたまって、ますます問題が増えている。


 子どもたちのうちの一人が、手拭いをひらひらさせた。


「山南せんせ、目隠し鬼やろう! 伊東せんせも一緒にやらはる?」


 伊東さんが目をしばたたかせた。子どもたちに読み書きを教えたことはあっても、遊びに誘われるのは初めてだ。


「私も遊びに交ぜてくれるのか?」

「ええよ! 目隠し鬼、やったことあるん? 教えてあげよか?」

「ぜひとも教えてくれ」


 伊東さんが笑うと、目尻に鳥の足跡みたいなしわができる。男の目元のそのしわが好きだと言う芸妓がいたなあと、おれはぼんやり思い出した。


 そうか。伊東さんって、本当はこんな顔で笑うんだな。


 伊東さんは、新撰組の中では浮いている。頭がいいのがたたずまいにもにじみ出るせいで、ちょっと近寄りがたい。おれは割かし平気だけど、永倉さんや原田さんは苦手らしい。


 近藤さんは頭のいい人が好きだから、伊東さんにもよく話し掛けている。もともと知り合いだった平助は、ちょくちょく伊東さんに政治のことや外国のことを質問する。そこに斎藤さんも巻き込まれていることが多い。


 そういうとき、伊東さんは丁寧に噛み砕いた言葉で答えを返す。近藤さんや平助は満足そうだけど、伊東さんにはたぶん物足りない。愛想のいい笑顔はどこか硬くて、嘘っぽくも見えて、土方さんはその笑顔が好きじゃないと言っていた。


 伊東さんが唯一打ち解けている相手が、山南さんだ。年が近くて、同じくらい学問がわかって、武士としてのきょうも語り合える。今日の漢詩の話みたいに、ほかの誰にも付いていけないところで楽しそうに話すのを見掛ける。


 仲良くするのはいいことだ。純粋にそう思う。新撰組は結束しなきゃいけない。山南さんも伊東さんも、同じ志を持って集まった仲間だ。わだかまりは一つもあってほしくない。


 伊東さんが手拭いで目隠しをされた。立ち上がって、その場でぐるぐると回ってから、子どもたちを追い掛け始める。


「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ!」


 剣の腕が立つ伊東さんが本気を出したら、もっとちゃんと動けるはずだ。でも、今は笑いながらよたよたと歩いて、子どもたちを楽しませている。その様子に、山南さんが声を立てて笑っている。


 年かさの男の子が生意気な顔をして、おれに襟巻を差し出した。


「せっかく持ってきてもろたさかい、沖田せんせ、これ使うて、目隠し鬼になったら?」

「ああ、それはいいね。せっかくだから、使わなきゃもったいないね」


 二人で花乃さんを見やって、くすくす笑う。花乃さんは、つんとして、よそを向いた。


 おれは、地面に投げ出されていた襟巻の埃を払った。今さらだけど、すべすべした布地はずいぶん上等そうだ。縫い目が新しい気がする。


「花乃さん、もしかして、この襟巻、下ろし立て?」

「別に、沖田さまのために縫うたわけと違います」


 ぴしゃりと言われてしまった。その言葉は照れ隠し? それとも、本当に違うの? どっちなんだろう? まあ、どっちにしても、襟巻なんて年寄りか重病人みたいだから、おれは付けないけど。


 子どもたちが、早く目隠しするようにと、おれを急かす。襟巻を目に当てると、すべすべした布地から、ふわりと甘い匂いがした。

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