参 弾嵐

 どんちょうが切って落とされたように、いきなり、戦場の現実が目の前に展開された。一瞬、状況がわからなかった。


 耳の脇を何かがかすめた。銃弾だ。


 かたもり公の守りの壁は背後にある。正面には、長州藩の前衛。路地を埋め尽くして、ずらりと並んだ鉄砲、大砲。


「お侍さま!」


 時尾に飛び付かれるまま、体勢を沈めた。淡い色の膜がオレと時尾を包んでいる。斎藤、とオレを呼ぶ近藤さんの声が、爆音の合間に聞こえた。オレと時尾は体を低くして、会津藩連合軍の前衛に戻った。


 両軍の砲撃が続く。会津藩の大砲頭取とうどり、山本覚馬の指揮は的確で、斉射のたび、長州藩の前衛が次第に欠けていく。眉のあたりを負傷した山本さんは血を拭いながら、すがめた目で長州藩をにらんで、大砲と銃に指示を出す。


 見ていることしかできない。銃弾と砲弾を防ぐ容保公の壁の内側で、会津藩の中でもオレと同い年くらいの若い連中が戦うのを、ただ見ている。


 いつの間にか時尾はいなくなっていた。土方さんと藤堂さんがオレの隣にいた。土方さんの秀麗な顔はひどく険しい。


「よく見ておけ、斎藤。見て、学んで、盗め。俺たちもいずれ、あの戦い方をしなきゃならねえ。今はそんな時代だ」


 藤堂さんが額の鉢金に触れている。池田屋で額をやられて以来、無意識に傷に触れる癖がついたようだ。


「敵が逃げ出したら、残党狩りに繰り出す。これは刀を使う仕事だ。そこできっちり働くしかねぇな」

「歯痒い」

「何言ってんだ、斎藤。おまえはついさっき、妖を退治するっていう大仕事をしただろうが。俺にもその力があれば、一緒に行きたかった。俺も力がほしい」


 不意に、容保公がよろめいた。オレはたまたま目撃したが、そうでない者もすぐに気付いた。白く光る壁が、花びらを散らすように、六角形の欠片かけらになって音もなく崩れていく。


「殿!」


 悲鳴のような声があちこちから上がった。容保公の背中に生えた三対の翅が、ふっと掻き消える。容保公は膝を突いた。


 土方さんが舌打ちした。


「会津藩は主君への忠誠心が並外れて強い。その主君が戦線離脱するとなりゃ、士気が落ちるのは必然。まずいぞ」


 長州藩も同じ読みをしたらしい。ここぞとばかりに砲撃が勢いを増した。銃弾が盾の隙間を縫って飛び込んでくる。前衛の目の前で炸裂した砲弾が鉄片をき散らす。倒れる者が続出する。


 ころりと形勢がくつがえった。焦ってひるめば、その空気はまたたく間に全軍に伝播する。門を守って路地にひしめく軍勢が一斉に浮足立った。


 いけない。持ち応えなければ。


 土埃と煙の向こうで、長州藩が前進して、斉射の構えを見せた。足音と怒号。会津藩の焦燥が、あわや恐怖に変わりかける。


 突如、横合いから轟音が聞こえた。

 何が起こったか、とっさには読めない。


 長州藩の前衛が崩れた。見えない手にぎ倒されるように、兵士がばたばたと倒れる。再び、轟音。長州藩がさらに崩れる。


 会津藩の山本さんが、ぱっと顔を輝かせた。


「薩摩だ! 薩摩軍が、新式の銃と大砲を引っ提げて加勢に来たぞ!」


 形勢が再び覆った。会津藩連合軍は俄然、気勢を盛り返した。不意打ちにかくらんされた長州藩を、薩摩藩と呼吸を合わせて攻め立てる。


 長州藩が完全に崩れるまでに、さほど時間は必要なかった。大砲を壊して打ち捨てて、長州藩は散り散りになって逃げた。


 会津藩の老武将、はやしごんすけが先頭に立って、残党狩りの開始を告げた。林さんの年代の会津藩士は刀だけの武士だ。鉄砲を扱う若い世代のそばで歯噛みしていたに違いない。


 近藤さんも意気揚々として、新撰組に言い渡す。


「我らも会津藩に続け! 手柄を立てて、新撰組の名を日本じゅうに知らしめるぞ!」


 おうッと吠えて、土方さんが、藤堂さんが、永倉さんが、刀に手を掛けながら駆け出していく。そんな様子を、オレはじっと見つめる。


 原田さんが、先陣から外れたオレに気付いて、足を止めた。


「どうした、斎藤? さっきの妖狩りで消耗したか?」


 十番隊組長、はらすけ。刀を使う者がほとんどを占める新撰組の中では珍しい、槍の使い手。伊予から江戸に流れてきた脱藩浪人で、熱い気性とどこかめた目を持ち合わせる。近藤さんや土方さんを、頭から妄信してはいない。ひょうひょうとして、ある意味では我が強い。


「消耗したわけじゃない。殿しんがりに就こうと思っただけだ」

「道理だな。近藤さんや土方さんは筆頭で手柄を立てようと突っ走るだろうし、平助や新八は熱中したらまわりが見えなくなる。尻拭い役が必要だ」


 流れ弾で負傷した隊士がいた。会津藩の負傷兵とともに待機することを告げる。新撰組から死者は出ていない。動ける隊士全員がそれぞれの組長に続くのを見届けて、オレと原田さんも隊士を引き連れて駆け出す。


 新撰組は手勢が少ない。七十人にも満たない。容保公からは信頼されて、竹田街道の要所の守りを預かっていた。でも、南の伏見から攻め上がる気配の長州藩をにらんでおくのがせいぜいで、追い払うこともできなかった。


 しかも、装備が手薄だ。御所西での急変の知らせを受けて会津藩の加勢に駆け付けたものの、砲撃戦の中で何もできなかった。


「時代遅れ」


 いつだったか、勝先生に言われた。新撰組はかわいいもんだ、刀を振り回すだけの時代遅れのかわいい犬だ、と。狼ですらなかった。


 ふと見ると、容保公が戦死した家臣の前でがっしょうしていた。今にも倒れそうに顔色が悪い。病みがちなのを押して出陣したと聞く。容保公の後ろで、時尾が目を閉じて手を合わせている。


 羽ばたきの音が聞こえた。見慣れた白いはとが頭上にいる。脚に手紙が結ばれている。鳩はのんに鳴いて、オレの肩に舞い降りようとした。


「今は寄るな」


 短く告げて腕を振ると、鳩は素直に飛び去った。

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