弐 激闘

 試衛館の仲間が京都に到着して、一年と四ヶ月が経った。オレたちが池田屋に討ち入って尊皇攘夷の過激派を征伐した手柄は、京都の情勢を大きく変えた。


 新撰組は称賛された。新撰組の直接の上役である会津藩主、松平かたもり公からも、特別の給金をたまわった。金がなくて苦しい生活だったのを、ようやく脱却できそうだ。


 尊攘派は逆に、ますます追い詰められた。池田屋事件の始末を巡って、長州藩を京都から追い出そうという声が、朝廷や幕臣から上がった。長州藩とそれ以外の藩との対立が深まった。修復不能なほどに。


 そして、池田屋事件から一ヶ月半が経った秋七月中旬。にっちもさっちもいかなくなった長州藩は、過激な手段に出た。勝先生が避けたがっていた「鉄砲だの大砲だの持ち出してどんぱち」やる事態が、京都のまちなかに出現した。


 御所西のはまぐりもんを背にした会津藩、新撰組、桑名藩の連合軍に向けて、長州藩が発砲。御所へ押し入りたい長州藩と、門を守る会津藩連合軍の、激しい戦闘となった。


 長州藩のうち発砲した部隊は八百人だが、増援が到着すれば二千人を優に超える兵力だ。これに対し、会津藩は一千人を切る程度。新撰組に至っては、出動できたのは七十人足らずだ。


 銃弾、砲弾が飛び交っている。オレのそばで身を伏せながら、土方さんが歯噛みした。


「話にならねえ。新撰組の飛び道具は貧弱だ。金さえありゃ、ちっとぁどうにかなったものを」


 屯所にも鉄砲や大砲があるが、古道具みたいな品物だ。どこかの藩がいらなくなったものをもらい受けた。飛び道具だけじゃなく、刀も具足も何もかも、新撰組はそんなふうだ。羽織の代金だって、まだ完済できていない。


 火薬の匂いと土埃と、ごくかすかに、血臭。砲弾が破裂すると、しばらく耳が馬鹿になる。


 距離を置いて弾を飛ばし合う今のままじゃ、刀を差してここに控えている意味がない。いっそ長州藩が突入してきて白兵戦が始まれば、新撰組も働けるのに。焦りが募る。


 焦り?


 長州藩のほうこそ焦っているんじゃないのか? 総力を注ぎ込むつもりで来るだろう。緒戦が砲撃と銃撃だけとは思えない。


「嫌な感じがする」


 煙と土埃の向こうへと目を凝らす。ずらりと居並ぶ大砲。先頭に立つよろいかぶとの指揮官が、振り返って何かの指示をした。


 異形が姿を現した。


 体が長い。蛇かと思ったが、翼と脚とたてがみがある。頭は三つ、脚は七本、尻尾は三股に分かれている。鱗は不気味に赤黒い。


 会津藩連合軍から、どよめきと悲鳴が上がった。砲撃を指揮する切れ者の山本かくさえ、無防備に棒立ちしている。


 異様な姿の龍が、つんのめりそうな格好で駆けてくる。その周囲の空間がひしゃげるのが見える。


「まずい、力場に呑まれたら戦えない」


 オレは立ち上がった。刀に手を掛けながら飛び出す。銃弾が頬をかすめた。龍は前衛の目前に迫っている。止めなければ。


 凛と響く男の声があった。


「させぬ!」


 制止する臣下を振り切って、男が全軍の正面に躍り出た。黒い烏帽子えぼしに錦の陣羽織、色白で涼しく端正な顔をした男だ。


「会津公、松平容保さま……」


 思わず足が止まった。恐れ多くも、その名をつぶやいてしまう。

 軍全体が色を失った。容保公ひとりが冷静に龍を見据えて、動いた。


 容保公は胸の前で両手を合わせた。次の瞬間、内なる気が噴き上がって、烏帽子を吹き飛ばす。半ば隠れていた額があらわになった。そこに赤い環がある。透明なはねが三対、容保公の背中に広がった。


 環の力を得た者だ。けれど、妖ではない。呪詛にも似た妖気を、容保公は欠片かけらも発しない。


 容保公が気迫の声を放った。六角形の白い光の板が、とっさに数え切れないほどたくさん出現した。会津藩連合軍の正面に立ち上がった六角形は、蜂の巣のようにみっちりと組み合わさって、白い光の壁を成す。


 銃撃と砲撃が止んだ。いや、止んではいない。こちらに届かないだけだ。銃弾も砲弾も光の壁に当たって消滅する。


 龍が壁にぶち当たって弾き返された。距離は近い。けれど、妖気は迫ってこない。容保公の壁が防いでいるらしい。


「誰ぞ妖を討てる者は!」


 容保公が呼ばわった。オレは戦陣を駆け抜けて、前衛の守りから飛び出した。


 ここに沖田さんはいない。胸の病で寝付いている。山南さんもいない。屯所を守っている。だから、オレが一人で行く。


 問題ない。図体だけは大きいが、異形の龍はさして強くない。抜き放った太刀、ダチがそう告げている。


 オレは環断のつばを外した。面妖な姿になった環断が本来の力を解放する。オレの気を食って、妖の肉を断つ力だ。


 妖の空間に突っ込んだ。平べったく押し延べられた景色。銃弾らしきものが、極彩色の尾を引きながら、歪んだ世界の向こうを滑っていく。


 オレは龍をにらむ。首の長さがばらばらの三つの頭は、いちばん高いやつがオレの背丈の倍といったところか。体幹が安定せず、重心がふらついている。


「さっさと潰してやる」


 胴を狙うより細い首を討つほうが手早いだろう。オレは刀を構えた。万全の気迫が、しかし削がれた。


「助太刀させてくなんしょ!」


 女の声だ。会津の言葉だ。


 道着姿に薙刀なぎなたを携えた娘が、妖の力場に飛び込んできた。色白の綺麗な顔が、あまりにも場違いだ。


「あんた、何なんだ?」

ときと申します。貴方おめさまと同じ、環を断つ者だなし」


 たすきを掛けた袖の下、ちらりと、白い二の腕に蒼い環がのぞく。その細い腕で薙刀なんか振り回せるのか。不安が差したが、丁重に構っている余裕はない。


「自分の身は自分で守れ」


 言い捨てて、走る。突進の勢いを刀に乗せる。ふらつく龍の右の首へ、大振りの斬撃。鱗の肌に刃が深々と食い込んだ。


 骨を砕く感触はあった。血をき散らしながら、首はまだつながっている。オレは跳び下がる。


 真ん中の頭があごを開いた。何かが来ると勘付いた次の瞬間、龍が火を噴いた。避ける暇はない。環断をかざして、ただ耐える。


 肌が焼ける。額のはちがねが、着込んだくさり帷子かたびらが、猛烈な熱を持つ。思わず声を上げる。


 炎の息吹が止んだ。次の息を吸い込もうと、龍に隙ができた。見逃せない。


 オレは地面を蹴った。火傷やけどの痛みの八つ当たりのように、全力でぐ。千切れかけだった右の首がね飛んだ。


 ぐらりと、龍の体が傾いた。憎悪のまなざしが四対、オレを見下ろした。二つの顎が同時に開かれる。オレは身構えた。


 炎は来なかった。


「無茶しらんにべ」


 オレの前に、時尾と名乗った娘がいる。両腕を開いた時尾の正面に淡い色の膜が広がって、炎を防いでいる。


 炎が止んだ。龍の前脚が三本まとめて、オレと時尾に振り下ろされる。転がって避けて、龍から間合いを取る。


 時尾がオレに駆け寄った。くっきりした眉がひそめられている。オレは顔を背けた。


「お侍さま、じっとしてくなんしょ」


 侍と呼ばれて、名乗っていないと気付いた。


 時尾の手がオレの頬に触れた。びくりと、オレはとっさに震える。時尾は手を引かない。その手から、涼しいような温かいような、心地よい何かが流れ込んでくる。


 ちりちりとした痛みが癒される。身にまとう鉄から熱が消える。息を呑んで目を見張る、ほんのわずかな時間の出来事だ。


 時尾が手を引いた。薙刀を握るくせに柔らかな感触が、オレの頬にごりを留めた。時尾は龍に向き直って薙刀を構える。


「この龍、そだに命が感じられね。間違った環の力から早く解放してやっべし」


 オレは時尾より前に出た。


「炎には気を付ける」


 間合いを一気に詰める。中央の首を滅多突きにする。前脚を避けて跳びのく。


 炎の息吹を構える横っ面を、時尾の薙刀が打ち据える。地団太を踏む七本の脚が絡まって、巨体がよろめく。勢いに乗じて攻撃を加える。龍が横倒しになる。


 起き上がれない敵をいたぶるのは趣味じゃない。環断を晴眼に構えて、龍を見据える。赤黒い鱗を透かして、心臓のありかがわかった。


 オレはまっすぐに踏み込んだ。あばらの間を縫って、正確に心臓を仕留める。


「来世はまともに生きろ」


 つぶやいた言葉が、絶命する龍に聞こえたはずもない。

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