陸 本領
氷の壁が破れた。降り注ぐ氷片の中を、おれは駆ける。蛇の胴体を踏み台に跳躍して、狙うは頭。まぶたのない目に、刀の切っ先を突き入れる。蛇が、かすれた音で絶叫した。
のたうつ尾を避けて跳ぶ。隙を見ては斬り付ける。おれが使う
「中途半端に人間の理性が残ってるみたいだね。だから、おれの動きに惑わされるんだ」
花乃さんが印を結んで、力を解放した。白い霧が蛇の体にまとわり付く。胴の一部が
「蛇は冬には出てきぃひん。冷やっこいんは苦手どっしゃろ?」
花乃さんは、蛇に容赦なく水を、次いで冷気を浴びせる。蛇の鱗が凍る。逃げようとする蛇は、しかし遅い。
片目の蛇が花乃さんを
「よそ見するなよ。おれが相手してやるからさ」
もたげた鎌首の真下に入り込んで斬り上げる。鱗を突き破って、血管を裂く手応え。生臭い返り血。
傷を押して反撃に転じた蛇の頭が、おれが迎え撃つより先に、がくんと止まる。足下から噴き上がった水柱に、頭だけ突っ込んだ格好だ。水之
「あら、見苦しい。暴れんといてくれはる?」
五本の水柱が一斉に噴き上がる。うねったままの格好で、蛇が留め付けられた。
「お見事」
「長ぉは持ちまへん。さっさと切り刻みよし」
「了解」
首を
生命を破壊していく感触。背筋を駆け抜ける興奮。右手の甲で環が熱を持つ。妖の狂気に酔い痴れる一歩手前で、おれは刀を振るっている。
並の刀なら、とっくになまくらになっているだろう。おれの刀は違う。いや、もとは並の刀だったはずが、いつしか妖気が乗り移ったらしい。斬っても斬っても、決して刃こぼれしない。
得意の刺突の一撃で終わる試合も好きだ。でも、たまにこうして遠慮なく妖を切り刻むのも、くたびれるけど楽しい。
もとは五人の妖の志士だった蛇は、十以上の肉塊に成り果てて、まだ動いている。花乃さんは、一つを除いて、水柱を消し去った。もがき続ける頭だけ、水之戒から解き放たれない。
「ほな、終わらせましょか」
おちょぼ口が歌うように言って、細い指が印を結んだ。ぱしんと打ち合わされる二つの手のひら。水柱が凍って、そしてばらばらに砕け散った。凍ったままの蛇の頭も、もとろもに。
唐突に暗がりが訪れた。
蒸し暑さに包まれた。夏の京都の町屋の二階。乱闘の痕跡。血みどろの死体。動く気配は、おれと花乃さんだけ。
おれは刀を提げたまま、聞き耳を立てた。おれ自身よりずっと鋭いヤミの聴覚が、階下の声を聞き分ける。
平助と永倉さんを呼ぶ声がする。土方さんの声だ。平助と永倉さんがそれに応じる。怪我をしている。でも、命の危険はないらしい。
階段を駆け上がってくる、ほとんど響かない足音。あれは間違いなく、斎藤さんだ。果たして、近藤さんの無事を確認する斎藤さんの声がする。
おれは刀を鞘に収めた。険しい表情を崩さない花乃さんに、笑顔を向ける。
「もう大丈夫。新撰組の増援が来たから。ほら」
途端に体が重くなる。肺腑にたまっていた血が一気に込み上げて、喉が塞がった。うずくまって咳き込むうちに、頭が真っ白になっていく。背中をさする男の手は、斎藤さんか土方さんか。
せっかく手柄を立てたのにな。最後まで体が持たないんじゃ、格好が付かないよ。
そっと苦笑いした意識はそのまま、溶け落ちるように闇に沈んだ。
たくさん刀を振るって疲れた後に見る夢は、いつも、何もない。ただ静かな闇だ。
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