伍 突入

 近藤さんが表戸を叩く。鍵の開く音がして、戸が細く開かれる。


「こない遅ぉに、どちらはんどす?」


 柔らかな物腰で男が問うた。池田屋の旦那だろうか。その瞬間、戸の脇に控えていた永倉さんが、男を外へ引きずり出した。近藤さんが戸を全開にして、中に叫ぶ。


「新撰組の御用改めであるッ! 無礼すまいぞッ!」


 永倉さんに投げ出された男が、ひぃっと悲鳴を上げた。大事な証人だ。こいつは殺さない。戸口の守りをになう隊士が、またたく間に男を捕縛する。


 近藤さんを先頭に、おれたちは池田屋に突入した。わぁっ、と大声を浴びせられる。廊下を走って斬りかかってくる男が三人。


 身軽な平助が飛び出した。


「一階は俺に任せろ!」


 叫びながら打ち振るう刀が最初の敵を斬り伏せた。平助の隣に踏み込んだ永倉さんが背中で告げる。


「俺も平助と一緒に一階に残る。敵の本隊は上だ。近藤さん、総司、頼んだ!」

「おうッ!」


 一声吠えて、近藤さんが狭い階段を駆け上がる。大部屋のふすまが開いた。月代さかやきの伸びた男が飛び出してきて、刀に手を掛ける。顔が恐怖に歪んでいる。


「し、新撰組だ!」


 それが最期の言葉になった。近藤さんは問答無用で男を斬った。絶命した男が階段を転げ落ちる。その死体を跳び越えて、おれは階段を登る。宙に浮いた花乃さんが続く。


 登り上がった途端、異様な臭気に鼻を打たれた。


「奥に妖がいるね」


 やはり、と近藤さんがうなずく。


「俺はここから先に踏み込めそうにない。敵のうち、環を持たない者も同じだ。部屋から出てくるだろう。俺はそいつらをここで迎え撃つ」

「わかった。妖のほうは、おれに任せて」


 言い終わるかどうかのところで、開いた襖からわらわらと男たちが飛び出してきた。おれは刀を抜く。近藤さんがおれの背中を叩く。


「行け、総司! ここは全員、俺が引き受けた!」


 おれは、ひるんだ顔の男に当て身を食らわせて吹っ飛ばして、大部屋に転がり込んだ。ぴったりと花乃さんが付いてくる。背後で、足音と怒号、悲鳴が入り乱れる。


 男が五人、爛々らんらんと光る目をして立っている。額の赤い環が、その目よりさらに不気味な光を発している。


「少し手強いかもしれまへんえ?」


 花乃さんがたすきを掛けた。うなずきながら、おれは、吐き出す息に血の匂いを嗅いだ。まずい。空気が悪すぎる。暑気と湿気に妖気が混じって、胸の病にひどくさわる。


 おれの肩から下りたヤミが、金色の目でおれを見上げる。おれはかぶりを振った。まだ、おまえの力は必要ない。


 部屋に残っていた、環を持たない男たちが全員、小さな窓から飛び降りた。それを見届けてから、環を持つ男の一人が口を開いた。


「桂サンが来るマデ、持ち応えルで。僕らはアキラメん!」

「桂? 長州の変装の名人、逃げの小五郎だっけ。あんたたち、やっぱり尊攘派の長州藩士ってことで間違いないね?」

「幕府のいぬドモは間違っチョル。正しいのは僕らダ! 殺す殺ス殺ス!」


 細長い形をした町屋の大部屋が、ぐにゃりと平坦に広がる。近藤さんは力場に呑まれずに済んだだろうか。平助たちは妖気に当てられていないか。不安がある。不安を消すには、目の前の敵を消すしかない。


 五人の妖の志士たちがへんする。肉体が形を失った。腕が胴体に呑まれる。首が肩ほどに太くなる。左右の脚がくっついて、頭から足の先まで、のっぺりと凹凸のない筒になる。


 五つの筒がばたりばたりと倒れて、のたうちながらつながっていく。人間の柔らかい皮膚ががれ落ちた。みしみしと音を立てて、赤黒い鱗が生えそろう。


 蛇だ。一体の大蛇が鎌首をもたげて、おれたちを見下ろした。何かを叫ぶように、蛇が大口を開けて喉を鳴らす。先の割れた舌がうごめく。


「趣味が悪いね。あんなふうにはなりたくないな」


 独りちて、身構える。ちょっと厄介な敵だ。四肢のある獣ならまだしも、蛇が相手じゃ動きが読みづらい。だったら、どうするか。黙って出方を待つのは、おれの流儀じゃない。


 切っ先を下げた構えのまま、おれは唐突に飛び込んだ。蛇の喉だか胸だかわからないあたりに、一閃。


 十分に踏み込んだつもりが浅かった。あるいは、滑って逃げる蛇のほうが素早かったのか。手応えが弱い。鱗が硬い。舌打ちした、そのせつ


 真横から打たれた。


 とっさに体を縮める。自分を打ったのが蛇の尾だと、視界の隅に確認した。床に叩き付けられて、受け身を取って跳ね起きる。怪我はない。痛みも大したことはない。


 おれは再び飛び出そうとした。できなかった。

 肺腑のどこかが、ぐちゃりと音を立ててよじれた。


 上がってきた咳を抑えられない。体を折って咳き込む。よじれたままの肺腑が痛んで、咳と一緒に血が、おれの口から飛び出した。震える手が刀を取り落とす。


「沖田さま!?」


 花乃さんが駆け寄ってくる。いけない。隙だらけで二人固まっていては、狙ってくれと言うのと同じだ。


 蛇がとぐろを巻く。花乃さんがおれの前に立ちはだかった。印を結ぶ背中。蛇がこちらへ向けて跳躍する。はッ、と花乃さんが気迫を発する。


 足下から滝が噴き上がった。次の瞬間、滝が凍った。


 蛇が、凍った滝に激突する。氷は蛇を弾き返した。うっすら透ける向こう側で、蛇が引っ繰り返ってのたうつ。


 凍った滝は、おれと花乃さんとヤミを中心に、ぐるりと四周を囲んでいる。冷やされた空気が肺腑に優しい。


「時間稼ぎに過ぎひんわ。沖田さま、薬か何か持ってはらへんのどすか?」


 花乃さんは早口で言って、おれの背中をさすろうとした。大丈夫、と制するおれの手は、吐いた血で真っ赤に染まっている。情けない。どうせ血に染まるなら、敵の返り血がいい。


 ヤミがおれに体をすり寄せた。おれはヤミを抱き上げる。


 おいで。


 念じた瞬間、胸にまっすぐ、ずるりと黒猫の体が染み込んできた。全身の血が騒ぐ。右手の甲の環が燃える。うずく頭から耳が、尻に二股の尾が生える。目も耳も鼻も冴える。体が軽い。肺腑の痛みが消える。


 おれは刀を拾って立ち上がった。


「迷惑かけたね」


 微笑むと、花乃さんは息を呑んだ。


「沖田さま、その目……その姿……!」


 この目は今、ヤミと同じ金色に変じて、瞳が縦に開いているはずだ。笑えば、唇から牙がこぼれる。おれは尻尾を振って、つやつやした毛並みの耳を動かしてみせた。


「おれは胸を病んでてね。ろうがいだよ。熱が出たり咳が出たりして起きられない日がたまにあるんだけど、黒猫には労咳を鎮める力があるからって土方さんがヤミを拾ってきて以来、こうしていつでも自由に動けるようになった」


「猫又の力を、体の内に取り込んではるの?」

「たぶんそんな感じ。おれも細かいことはわかんないや。ちゃんと動いて戦える力が手に入るなら、何でもいいんだ」


 どすんと震動が起こる。蛇が氷の壁に体当たりした。壁にひびが走る。時間はあまりないらしい。


「壁が破られたら、うちがあの蛇を足止めします。沖田さまは、切り刻んだってください」

「了解。いきなりけちが付いちまったぶんは、きっちり取り返さないとね」


 また蛇が、どすんと壁にぶつかってくる。ひびが広がる。

 いつでも来い。おれは腰をためて身構えた。

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