弐 討妖
何度経験しても、力場の風景は薄気味悪い。
長さの尺度が歪んで、奥行きが消える。そこにあったはずの建物は、地面に染め抜かれた絵に成り代わる。狭いはずの路地が道場よりも広く押し延べられる。夜でもなく昼でもない薄明るさは、まるで
娘が目をしばたたかせた。
「あんたはんたち、動けはりますの?」
「動けるよ。助太刀するって言ったでしょ?」
おれの言葉に、斎藤さんもうなずく。
「環を成そうとする者と環を断つ者だ」
「ちなみに、おれが前者で、斎藤さんはあんたと同じく生まれつきの環の持ち主だよ」
志士たちの姿が変化する。体が膨れ上がって毛むくじゃらの野獣と化して、着物が破れて弾けた。
「こんなん、大したことあらへんわ」
「公平に三匹ずつ倒すってことでどう?」
おれが提案すると、娘は悪態をついた。
「あんたはん、先に一匹倒さはったでしょう。公平と違います」
「細かいこと気にしないでよ」
「助言しますえ。大雑把な男の人なんて、京都の女は鼻にも引っ掛けまへん」
「それは困るな。京都には、あんたみたいにかわいい子がたくさんいるのに」
軽口を叩きながら、妖の志士の様子を見やる。
赤く燃える目と、ばちりと視線が絡み合った。ああ、こいつか。
「邪魔、するナッちゃ。池田屋、行カンとナラン」
「池田屋? そこであんたたちの仲間が密談をしてるんだね?」
「邪魔スルナッチャ。邪魔スル者、殺スコロスコロスコロスコロス!」
斎藤さんと、一瞬の目配せで会話する。おれがあいつをやるよ。向かって左の、
承知、と鋭い斎藤さんの声が視線の中に聞こえた。斎藤さんの剣が鞘走る。
おれは地面を蹴って飛び出した。
一歩、沈み込むように低く構える。二歩、牙を
刀を繰り出す。
一突き。肥大した妖の心臓が、びくりと打ち震えて沈黙する。
刀を引き抜く。振り向きざまに、
生臭い返り血。右手に伝わる短い断末魔。ぞくぞくと背筋を這い上がる興奮。思わず顔を上げて微笑む。さあ、次は誰が死にたい?
突然、太い水柱が地面から噴き上がった。
「水之
胸の前で両手を合わせた娘が四方を
娘の右手の甲の環が鮮やかに輝いている。全身から立ち上る気が風のように、結い髪からこぼれた毛を舞わせる。淡く光る白い肌がひどくなまめかしくて、一瞬、見惚れそうになった。
いや、何を考えてるんだか。自分自身を軽く笑い飛ばして、手近な標的に刀を一閃する。水柱ごと、野獣と化した首が飛んだ。降りかかるしぶきは血じゃなくて、涼しい香りのする水だ。
視界の隅で、斎藤さんがもう一体、倒すのが見えた。おれも負けていられない。一、二歩、短く駆けて次の標的を
「約束と違いますやろ!」
怒った声が飛んでくると同時に、斬り掛かろうと狙いを定めていた水柱が、鋭い音を立てて凍った。きらきらと氷片が飛ぶ。
「約束って?」
振り返ると、娘は荒っぽい仕草で印を結んで、ぱんっと両手を合わせた。
「三匹ずついう割り当てやったのに!」
二本だけ残る氷の柱が砕け散った。中に
「あんた、けっこう怖いね」
娘に笑いかけてやった瞬間、妖の志士たちが創っていた力場が崩壊して、京都の夏の夜が戻ってきた。
蒸し暑い。そこここに死体が転がって、地に落ちた提灯が、張られた皮ごと燃えている。
斎藤さんが刀を鞘に収めた。眉間のしわが深い。
「あいつら、池田屋と言った。場所は木屋町三条の北西だ」
「ということは、近藤さんが受け持ってる範囲? まずいね。あっちは人数が少ない」
「沖田さん、まっすぐ近藤さんの加勢に行け。オレが土方さんに知らせる」
「わかった。できるだけ急いでよ。そうじゃなきゃ、応援が到着するより前に、おれたちだけで尊攘派を片付けちまうから」
「承知」
おれは刀をしまった。おれのそばに戻ってきたヤミが、するすると身軽に、おれの肩によじ登る。そして駆け出そうとした、その途端。
「待って!」
おれは袖をつかまれて振り返った。羽織の
「うちも行きます」
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