十七.愛しけやし我家の方よ

 明方になってオウスの屋敷から迎えが来た。朝日に一面の雪が照り映えて、眩しくも白い光が、世界中に満ちているような朝だった。黄金の鞍を置いた馬を牽いてやってきたのは、いずれも見覚えのある侍女たちだった。彼女たちは、私の顔を見るや、深々と頭を下げたのだった。


 オウスはすぐに仕度をした。侍女たちの持ってきた男の衣服に着替えると、帯を締め、太刀を佩いた。赤い組紐で角髪を結った。一筋の乱れもない。そこにクマソの赤い櫛を差した。できあがると、彼は、私を見て、はにかんだ。


 彼は、胸を張って、背筋を伸ばし、まるで英雄の馬上にあるような姿勢で、庵を出た。彼の姿が真っ白な朝日に包まれたように見えた。彼は戸口でこちらを振り返った。そして「あなたはどうして、大陸を捨てたんだっけ?」と言った。私は「東海の彼方に、戦乱の無い国があると聞いたのです」と答えた。彼は空を仰いで目を閉じた。しばらくそうしたあと「そうか」と言った。

「その国、見つかったら、教えてくれ」

 彼は白鷺の大空に舞い上がるかのように、軽やかに身を翻して、馬に乗った。侍女たちは泣いていた。


 私は、去っていくその隊列をいつまでも見つめていた。庵の軒から、氷柱が下がっていた。朝日を受けて融け始めていた。透き通った涙のような雫が、とめどなく零れ落ちていた。


 そして、オウスがわずかな軍勢を率いて、東方征伐の大遠征に出発したのは、この二日後のことである。生ぬるい灰色の雨が降り、融けた雪が悉く泥と混じりあい、足元の深くぬかるんだ、薄暗い朝だった。


 私はこれを山の麓で見送った。葬列のようだった。


 それから一週間ほどして、いよいよ寒さが厳しさを増した頃、私は大病を患い、床に伏せった。これは私もとうとうだな、と思った。脳の端のあたりは、どこか冷静だった。私は、その日までの一日一日を、数えるようにして日を送った。


 ある日、私は枕元に誰かが座っている気配を感じた。夕暮れ時であったように思う。目を開けても瞼が重く、はっきりとそれを見ることができないのだが、獣の皮の衣を着た青年が、そこに腰を下ろして、外のほうを見ているのがわかった。彼は腰に、葛の蔓の巻き付いた太刀を佩いていた。その柄に手を置いたまま、じっと外を見ている。私は、乾ききった喉を震わせて、ようやく声を絞り出した、「陛下、ああ、陛下」と。だが、彼が振り向いたのを見て私は驚いた。その顔は、オウスだった。

「もう戦いたくない」

 と、彼は言った。そこで、目が覚めた。


 その頃になって後家のオフルコが尋ねてきた。彼女は随分と私の憔悴を嘆いた。彼女は私の体を抱き起こして、お湯に溶いた薬を飲ませてくれたのであった。だが、むせてしまって、吐き出してしまった。以後、私はみるみるうちに痩せていった。手首がまるで、枯れ枝のようになった。


 一月が過ぎた。オフルコがオウスの近況をどこからか伝え聞いてきた。ハシリミズという海で嵐に遭い、どうにか流れ着いたものの、この海難で、軍勢のほとんどと、侍女の一人を失ったという。彼の最も愛した侍女、いや、后でいいだろう、それが死んだのだ。


 私は、打ちひしがれた気分に満ちた。骨の浮いた手の甲を見て、海を思った。すさぶる海、それは恐ろしかったし、懐かしかった。私もやっぱりあのときが、死に時だったか、と思った。


 オウスの動向を報せるものは、それが最後になった。それっきり、噂はぴたりと止み、もとよりそんな人物などいなかったかのように、ヤマトの国は日常を取り戻した。


 そして春が来た。私は、回復した。


 回復、というよりは、死ぬことを得なかった、というだけにすぎないと思う。兎角、私は、また、死ななかった。


 ある日、私は久しぶりに庵の外に出て、薪の束に腰掛け、柔らかな春の日を浴びていた。しばらくまどろんだあとになって、私はその傍らの櫟の木の下に、獣の皮でくるまれた包みがあることに気付いた。誰かからの届け物であろうかと思って、私は中を開けた。中を見て、墓を暴いたような気になって、私は青くなった。クマソの赤い櫛が入っていた。


 オウスが、東国征伐を終えて帰る途上、ノボノという土地で死んだと聞いたのは、その翌日のことだ。病を得て、痩せて痩せて、それでもなお、帰国を思い、父の名を呼び、寒い荒野のただ中で、小雨に打たれながら、彼は死んだ。野鼠のような、死だった。


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