十三.そらみつ大和の国
私は街の中央に大きな屋敷を与えられ、そこに住まいすることを命じられた。都の目抜き通りに面した、高床の神殿のような大きな屋敷である。さらには幾多の下人をも与えられ、私の意志とは関係のないところで、数多の男女にかしずかれる生活が始まったのである。
今まで轡を咬まされ、手綱を引かれていたのが、今度は厩に入れられたような、そんな気分がした。そしてそれを自嘲するような自分も、どこか同居していたのである。意味もなく、屋敷の中をうろつくことが多くなった。
一週間ほどしたある日、自由に外出したいと思った。ところが、再三、下人を走らせて、オウスの元に向かわせたのだが、許可があるどころか、命令も、返事さえもなかった。
屋敷の縁側に出ると、垣根の向こうに、通りを挟んだ向かいの屋敷の屋根が見える。その敷地内に大きな森があるせいで、ほんの一画しか見えないのだが、これがオウスの屋敷だった。いつ見てもしんと静まり返っている。森の木々もさやともそよがない。黒い森であった。
父の元に参上しているのだろうか、と思った。イズモからの略奪品、いや、ここではもはや戦利品というべきだろうが、あの丹塗りの長櫃に詰めた財宝の数々を献上しているのであろう、私はそう思った。その中にはきっと、イズモタケルの身にまとっていた獣の皮もあるのだろう、そんな想像ができた。そしてきっとオウスは、自分の軍功を、熱っぽく語るに違いない。それは寂しい想像だった。私は自分の肩を抱いた。寂しかったが、現実であろうと思われた。
私は下人に鏡を取り寄せさせた。そしてそれを使ってすっかり伸びきってしまった髭を整えた。大陸にいた頃と同じようにすると、どこか罪深いような気分になった。
随分面変わりしたように思った。ずっと日に焼けていたし、何よりも痩せていた。頬がこけて、目が落ち窪んだ。いつも目が充血していた。白髪が増えたようにも思う。私は鏡を覗き込みながら、両手で頬を撫でた。吹き出物の先端から血が出ていた。そこに映りこんだそれが誰なのか、もはや私自身わからなくなっていた。
ヤマトの王との謁見を許されたのは翌日のことである。使者があり、私は仕度する間もなくすぐに輿に乗せられた。当初はオウスも共に向かうという話であったのだが、オウスの屋敷の前を通りかかってみると、門は閉ざされたままであった。
やがて私が通されたヤマトの王の屋敷というものは、壮麗なものであった。石造りの垣根に丹塗りの門がある。そこで私は輿を降ろされた。中もまた一つの街のようであった。太い柱の建築物が幾多も並ぶ。大陸の皇帝に比べれば質素といえるかもしれないが、これは朝廷であった。文明の建築物であった。
私は高揚している自分に気付いた。大陸の面影を見て、懐かしむような感情と同時に、溶岩のようなどろどろしたものも心の内に浮かんだ。どこか苦々しかったのかもしれない。
私は広い部屋に通された。両側に数十人の官人たちが居並び、また、私の背後に数十人の女官が座した。正面には簾が降ろされていた。私は額ずいてヤマトの王の出座を待った。
気配がした。重たい影のような気配であった。私はほんの少しだけ顔をあげて、様子を伺ったのだが、簾は降ろされたままであった。
最も上座に座していた官人の一人が言った。
「遠方より大儀である」
私は戦慄して顔をあげた。それは大陸の言葉であった。
「オオキミ様に、そなたがこの地にやってきた由来を申し上げよ」
頭の禿げ上がった、痩せた鶏のような男であった。しわだらけの細い首だった。爛々とした目つきで、私の様子を伺っていた。
オオキミ、という言葉に私はほんの一瞬、戸惑った。蛮族を従える王の中の王とでもいう意味だろうかと思った。私は、これは厄介だな、と思った。
私は正面に向き直ると、大陸風の拝礼をした。そして、大陸での戦乱を避け、倭国に渡ってきたのだと申し上げた。簾の奥から返答はなかった。
その代わりに、背後に座していた女官たちから、くすくすと笑い声が起きた。官人たちは苦笑いを浮かべて、額をさすったり、横の人間と目を見合わせたりした。先ほどの鶏のような官人が言った。
「それではオウス様のせいで、イズモではさぞやご苦労なさったろう」
彼がそう言って笑うと、周囲からもどっと笑いが起きた。
「よりにもよって、あのようなお方に会うとはな」
冷たい風が外から吹き込んだ。鳥肌がたった。
その後、その鶏のような官人(あとから聞いたが名はチタリという)に、イズモでの暮らしぶりや待遇などを聞かれ、また、大陸の知識など、まるで尋問といえるほどの多くの質問に答えさせられた。しかし、簾の奥から返事は一向になかった。
最後にチタリは、私にオオキミの后たちの診療を命じた。特に、一番年若の后が臨月であるから、このお産に立ち会ってほしい、ということであった。私はこれを承諾した。挨拶を申し上げて、退出しようとした。そのとき、簾の奥から、くぐもった深い地鳴りのような声が聞こえた。
「あれは戦争が好きだから」
そう言ったような気がしたが、よく聞き取れなかった。ただ、官人たちが一様に表情を強張らせて目を伏せたのがわかった。チタリが犬を追い払うような手つきで、私のほうをしっしっとやった。
私は女官たちに案内されて、この謁見の間を出た。
もやもやとした気分が私を支配していた。目が曇っているような気もしたし、耳が遠くなったようにも思えた。ヤマトは、一望できない、そんな印象を持った。私は今日、巨大な生物の爪の先だけを見せられたような、そんな気がした。
そんなことを思いながら廊下に出ると、戸が上がっているのに目がいった。ふと、外を見た。
庭に、日焼けした男が四肢を突っ張らせたような、太い松が一本あった。その陰に、薪が積まれていた。不用のものでも焼くのだろうかと、何の意識もなくそれを見た。
それは薪ではなかった。丹塗りの長櫃の数々が打ち壊されて、中身もそのままに、無造作に積み上げられているのであった。私は目を疑った。それは、オウスがイズモから戦利品として持ち帰った長櫃の数々であった。かの地の、織物や玉石が、地面に投げ出されていた。
私が思わず声を漏らすと、それに気付いた女官たちは慌てた様子で私の袖を引いた。きいきいと子鼠のような鳴き声をあげながら、
「オオキミ様のご命令ですからこれも仕方がないのです」
と言った。
結局、私はそのまま家へと帰された。
その夜、夕食を摂ったあと、私は縁側に出て寝転んだ。夜風は冷え冷えとして、冬の気配があった。私は下人に言って毛布を持ってこさせた。それを引きかぶってオウスの屋敷のほうを見た。灯明が点いている様子はなく、真っ黒い闇の中であった。私はかじかんだ手に息を吹きかけた。そのまま手をさすりながら、その黒い闇を見つめていた。風に梢のさわさわと鳴る音だけが、ひっきりなしに聞こえていた。私は頻りに手をさすっていた。
私は、オウスに会いたいと思った。下人を使者に遣わしたが、門も開かないと言って空足を踏んで戻ってきた。
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