十二.たたなづく青垣

 王の屋敷に火がかけられたのはそれからまもなくのことである。次いでこの国の祭祀を担っていた老巫女が引き出され斬られた。


 あれからまもなく軍卒たちに連行された私は、自分の部屋に幽閉された。窓は外側から打ち付けられた。灯明もなかった。


 私は暗闇の中にうずくまっていた。耳を澄ますと、荷車の行き交う音が聞こえた。だがその車輪の音も馬蹄の轟きににかき消され、男か女かもわからぬ悲鳴が一斉にわーっとあがったかと思うと、急に外はしんとした。あとは雨の音だけになった。


 袂にハルメのために彫った兎が入ったままになっていた。取り出してみると両耳が欠けていた。踵の骨のようになっていた。


 イデヒコは家族みんなで逃げおおせただろうか、と思った。私は押し流されるような気分になって、四肢を突っ張らせて床にしがみついた。私は、怖かった。もう何が怖いのかわからないほどに、怖かったのだ。


 一昼夜だった。オウスの軍勢が、指導者を失った蛮族を平らげるのに時間は要らなかった。オウスは私の作った地図を元に軍勢を動かしていたらしい。だが、そんなことは後から聞いた話で、このときの私には全くどうでもいいことであった。ただひたすらに心は灰色であった。


 翌朝になって解放された私が見たのは、いつもと変わらない風景だった。山は紅葉に彩られ、川と湖が漫々と水を湛えた、豊かな国土。ただし、そこにはもう、一件の家もなかった。


 その日は燃えるような夕日になった。山の端はますます強い黒に染まった。そこここの木の影が長く伸びた。雁の一群が太陽の中を飛ぶのを部屋の窓から見た。静かな黒い隊列だった。去っていく。私は手を伸べた。雁の群れは高く高く上がり、ふと力の抜けたように降下した。指の間をすり抜けたように見えた。手を下ろしたときにはもう雁は見えなくなっていた。その時、私はもう一度、もう、誰もいないのだということを、知った。


 翌朝、オウスは軍勢をまとめ、ヤマトへ向けて出立した。秋晴れの朝だった。先頭は侍女の一人が旗を掲げた。それに騎馬が続いた。その後ろに、オウスは星葦毛に黄金造りの鞍を置いて騎乗した。赤銅の甲冑を着、額に黄金の天冠を当て、クマソの赤い櫛を差した。彼の背後には略奪した財宝を入れた丹塗りの長櫃が続いた。さらにその後ろに、私は、丹塗りの輿に乗せられて、この行列に従うこととなった。軍卒たちが矛を掲げて勝鬨の声をあげた。


 袖で顔を覆ったきり、一度も振り向くことのできぬ道行きになった。心はすっかり錆び、枯れていた。この身はもはや割れた素瓶のようであった。


 イズモは次第次第に遠ざかっていった。海の音が聞こえなくなり、湖の音が聞こえなくなり、いよいよ川のせせらぎも聞こえなくなり、景色は山深くなるばかりで、イズモに満ちていた水の匂いも、とうとう感じられなくなった。一歩一歩遠ざかるにつれ、私は体の半身を引き剥がされるように感じた。足の片方だけが、あの地に残ってしまったような、そんな気がした。


 ある日、私は輿の上でまどろんでいた。私の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がして、目を覚ました。振り返ってみたが、それは気のせいだった。


 翌朝、一行は小さな集落を通った。イズモよりももっと小さな蛮族の集団だった。オウスは一行を少し離れた山の中に野営させ、軍卒を二人だけ連れてその中へと入っていった。この蛮族を束ねていたのは若い巫女の姉妹だった。オウスは妹のほうに言い寄って、姉のもとへと手引きさせ、姉を打ち殺した。妹のほうは生け捕りにしたが、逃げ出そうとしたところを結局射殺したらしい。夜には全ての家に火がかけられていた。


 その一週間ほどのち、また同じような集落を通った。ここには、八人の指導者がいた。いずれも熊の皮を被り、顔には刺青をした屈強な男たちだった。男たちは最初からこちらに敵意を持っていた。通りかかった我々の一行に矢を射掛けてきた。侍女の一人が死んだので、オウスはすぐに軍卒たちに弩を使うよう命じた。瞬く間に八人の首領は射殺され、オウスはその死体の一つを馬蹄にかけた。恐れおののいた集落の住人たちは山中に散り散りになった。


 この頃からオウスは全身から炎のような輝きを放ち始めた。肩から赤銅色のぬらぬらとした光が立ち上るようであった。眼底を焦がすような重たい光だった。そして、やがて彼は、人々から、ヤマトの猛々しい、雄雄しい者、と呼ばれるようになっていった。


 彼らの言葉では「ヤマトタケル」という。


 行列は山中に分け入った。夜になると、木の枝に天幕を張り、その下に筵を敷いて野営した。私の天幕の外には一晩中見張りが付いた。


 ある日の夜、オウスは私の天幕を訪ねてきた。この日は急激に気温の下がった日で、鼻の先の感覚の無くなるような冷たい風が吹いていた。彼は天幕を太刀の切っ先で跳ね上げると「張旦!」と言って中に入ってきた。そして唐突に私の首に取り付き、きゃーっという、娘のような声をあげた。

「喜べ!」彼は叫んだ「父上が迎えにくる!」

 彼は両手で私の頬を掴むと、この顔を覗き込んだ。彼の瞳の中に私の顔が映っていた。

「おれの父はヤマトの王だぞ、そのお方がわざわざこのおれを迎えにヤマトの郊外まで行幸なさるというんだ、このおれの功を労ってくれるというのだ」

 彼は早口でそうまくしたてた。頬が紅潮していた。まなじりがうっとりとした色に染まっていた。

「父上が、おれを!」

 彼は掌で顔を覆った。肩を揺さぶらせて何度もそう繰り返した。私は尋ねた。

「お父上とはずっとお会いになられていないのですか」

「ああ、そうだ、もうずっと」彼は顔を覆ったままうわ言のように答えた「ずっと会ってくれていない」


 天幕を吊っている木の枝が、風に吹かれて揺れた。それに合わせて灯明も揺れ、天幕に映った私たちの影も、ゆらゆらと揺れた。私はそれを呆然と見つめていた。何かがぱちりとはじけたような音がした気がして、はっと顔をあげたが、何もなかった。


 侍女たちの呼ぶ声がした。オウスは立ち上がった。天幕をまた太刀の先で跳ね上げて、身をかがめて外へ出て行くその一瞬、彼はこちらを見た。泣いているように見えた。

「おやすみ」

 彼は言った。


 それから一月ほどの行軍ののち、一行は最後の峠を越えてヤマトの領内に入った。雲ひとつない晴れの日のことである。日の光が白かった。景色が冴えていた。峠の頂で、一行は一度止まった。そこからヤマトの国土が一望できた。彼らは皆嘆息した。私も一緒になって国原を眺めた。思えばこの島に流れ着いてから、初めて見るイズモ以外の国であった。


 こんもりとした山の幾重にもかさなり合うその中にそれはあった。私は驚いた。それは都であった。街道が碁盤の目のように整備された、人工的な都市である。


 だが、何よりも私の目を奪ったのは、その都の外に広がる金色の海原であった。稲田だった。日の光を浴びて黄金色に輝きながら、重たそうにたっぷりとたゆたう一面の稲の海。


 私は打ちのめされた。この国には農耕があった。農耕のある国には、計画がある。流通があり、経済がある。ヤマトは文明であった。


「たたなずく青垣、山ごもれる――」

 オウスは歌っていた。馬上で目一杯に背を伸ばしていた。彼の声はいよいよ高揚した。

「――大和しうるわし」


 一行は感動に震えながら峠を降りた。


 だが、平地に降りたとき、不意に先頭が足を止めた。行列が滞った。日が雲に隠れた。オウスの「わっ」という声が聞こえて、私は何事かと輿の上から背を伸ばした。事情は知れた。閑散とした街道があった。


 そこにヤマトの王の出迎えはなかった。


 代わりに年老いた下人が一人遣わされてやってきた。痩せた野良犬のように背中をかがめた小男だった。彼はオウスの前に跪いた。

「直ちに解散してそれぞれの家に帰るように」

 それが伝言だった。下人はすぐさま背中を向けて帰っていった。


 オウスの表情は私のところからはわからなかった。馬上の後姿だけが見えていた。ただその背中は細く薄く、今にも掻き消えてしまいそうな、そんな風に見えたのである。

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