四.死なましものを

 その日の正午をまわった頃、王の妃が入水して果てたという報せが屋敷に届いた。そしてその報せからそれほど間を置かないうちに、その十歳になる息子が捕らえられたとも報じられた。王に毒を盛り弑せんとした謀叛の疑いであった。


 家臣がそのいずれの報せを持ってきたときにも、私は王の枕元にあったが、王は天井を見つめたまま、一言も発することはなかった。唇を固く結んだままだった。


 夕方になって隣の部屋では老臣たちが集い協議を始めた。王の枕元には微かな囁きだけが漏れ聞こえてきた。何の話をしているかはわからなかったが、しかし容易に想像がついた。捕らえた王子の処遇についてであろうと思われた。


 私は王の額の汗を拭いながらも、微かな声の漏れてくる壁のほうに意識を向けていた。そのとき不意に王が口を開いた。

「私は愚かだろうか」

 落ち着いた声だった。だが、淋しい声だった。彼は泣いているようにも笑っているようにも見えた。その深い藍色の目に吸い込まれそうで、私は返答することができなかった。

「笑ってくれ、張旦」

 彼は言った。

「王子にとって私は、実父を追放し、母を犯した男だ」

 彼は目を閉じた。寄せた眉がわずかに震えていた。


 王の肩まで掛布をあげてやってから、私は部屋を退出した。ちょうど隣の部屋から老臣たちも出てくるところであった。

そして彼らから、王子の処刑が決まったと聞かされた。さらにこの時私は初めて、この謀叛の王子と王の因縁を聞かされたのである。


 屋敷を出ると私は川辺をそぞろ歩いた。夕日の眩しい時分だった。風が渡って川面がさざめくと光が目にちくちくとした。歩くたびに足の下の石ころがごりごりと嫌な音をたてた。


 このとき私の頭の中は、さきほど聞いた老臣たちの話で一杯になっていた。


  王には年の離れた兄があったという。父親が死んだ時、本来であればこの兄がその王位を継ぐはずだった。だが、酒を飲んでは暴れ、気に入らないことがあると女官にも拳をあげるようなこの兄を、この国の人々は新たな王として歓迎しなかったらしい。そこで家臣たちは弟のほうを主君として奉じ、結託してこの兄を遠国へと追放した。そして残されたその兄の妻子はそのまま、弟王の妃と、王子として迎えられた。王は二人を慈しんだ。妃と夫婦関係を持つことはなかった。だが二人の長子として共に王子を守ろうと誓った。そしてその王子を継嗣として育て続けたというのだ。


 いや、王がその二人にどう接してきたかはこの際問題ではないだろう。とにかく、今日、こういう結果になったのだから。


 それは悲しかった。王のあの苦悩に震える眉を思い浮かべると、悲しかった。だが、人の業というのは得てしてそういうものだ。


 薄暗くなり始めた頃、私は自宅に帰った。王子が幽閉されていた自身の邸宅で、首を掻き切って自害したのもこの時分だったらしい。だが、それは、後から聞いた話だ。


 この日以来、私は王の容態を診るために、また毎日参上する日々が始まった。二週間ほどしてようやく王は床を離れたが、元のように歩けるようになるまでは一月ほどかかった。だがそれでも私が参上するときには、窓の縁にもたれかかるようにして座っていることが多かった。そうしていつも窓の外の遠くを見ていて、私が声をかけるまで気付かない。顔色は一向によくならなかった。以前にも増してその表情の影は深くなった。


 そうしているうちに季節は夏になった。雨の日の多い夏になった。不気味な底冷えのする日が続いて、雨蛙の鳴き声もかぼそく、山々も雨に打たれ、色落ちしたような黄緑色をさらしていた。


 私はある日、王の元に弩を持参した。自ら木を削り、大陸で使っていたものを再現したものだ。


 この国には弩というものがなかった。あるのは弦の張りの弱い長弓ばかりで、飛距離も短く命中精度も今ひとつだった。男たちがこの弓で猪を狩るのに難儀しているのが、私にはどうももどかしくて、とうとう手ずから弩を作り上げてしまった。弩は、威力がある上、片手でも扱える。王も感心してくれるに違いないと私は思ったのだ。


 私は王と共に屋敷を出、川辺に向かった。波打ち際に立つと、私は早速に弩を構え、続けざまに三発、砂洲に向かって射てみせた。たっ、たっ、たっと、三つ並んで砂埃が舞った。王は黙ってそれを見ていた。私は再び矢をつがえ、今度は葦の茂みに狙いを定めた。たっ、という音と共に、茂みから兎が転げ出た。兎は全身を引き攣らせ、後ろ足を天に向かって不自然に突き上げたまま事切れていた。

「便利でしょう、陛下」

 私は王のほうを顧みてそう言った。

「狩りだけでなく、戦にも充分使えます」


 私に他意はなかったと言っていい。だが、王の表情はみるみるうちに強張っていった。

「それは、人を殺すのに便利という意味か」

 狼の唸るような低くくぐもった声だった。

 眉尻が震えていた。

「この国に武器は必要ない。それは持って帰って、薪にしろ」

 夏にしては冷たい風が吹いていた。


 その日の夜もまるで真冬のように冷え込んだ。翌日になって私はとうとう高熱を出し、そのまま一週間ばかり寝込んだ。王の屋敷へはそのまま足が遠のいた。


 二週間ほどが過ぎ、私は新しい薬を作ったので、久しぶりに王の屋敷へと向かった。だが、戸口のところで女官たちに制止された。王が謁見を拒んでいると言われたのである。私はやむなく黙って引き返した。あれこれと考えるのはよそうと思った。私は極力、心を固まらせたまま、ひたすら地面を見続けながら来た道を戻った。

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