一.神の寄り来る浜

 彼らにとって、私が一体どこから来たのかということはは全く問題ではないらしかった。


 彼らは私に家を与えてくれた。丸太を組んだ上に萱を葺いただけの粗末な家である。彼らはそこにたくさんの肉や野菜を持ち込むことを欠かさず、とうとう一月ほども私をひたすらに養ってくれたのである。


 当初私は、彼らがただ善良なる人々なのだと理解していた。しかし一月も彼らに養われる暮らしをしているうちに、私は自ずと彼らの言葉を少しずつ覚え、次第に彼らのことがわかるようになってきたのである。


 彼らは私の流れ着いた砂浜のことを、彼らの言葉で「神の寄り来る浜」と呼んでいた。彼らの伝説によれば、かつてこの浜には海の向こうから漂着した神があったそうだ。海面を黄金色に照り映えさせながら漕ぎ寄せた船には、粟の粒ほどの小さな神が乗っていて、やがて上陸して土着の神と協力し、現在のこの国を作ったという。


 どうやら、彼らは、この伝説の如く漂着したこの私を、神と同一とはいわないまでも、何か吉兆のように考えたらしく、私を歓待してくれたのであった。それだけ彼らは信心深い民族だったといっていい。


 彼らの生活はいたって原始的であった。

 日の出と共に目覚め、男は弓を手に鹿や猪を狩りに出かけ、女は海や川で魚を採り、日の沈むと共に寝る。萱葺きの小さな家に住み、麻の袋に四肢を通す穴を開けただけの服を着る。男は髪を結わない。女は頭上に一つに結い上げたところに櫛をさす。五家族ほどを一単位にした集落を成すが、そこに外敵を想定した柵や堀は無い。農耕はせず、家畜も飼わない。


 この国に住むには畑を耕す必要などないように思われた。この地には、海があり、大きな河川があり、また大きな湖があった。どこの家にとっても、家のすぐ目の前に海や川がある。漫々たる水は、魚や貝、またそれを狙う獣たちを、いつも家の前まで届けてくれる。彼らはそれを神の施しと理解し、感謝を捧げながら拾うだけ。民を養うにはなんとも豊満すぎる大地だった。


 私の脳裏に浮かぶのは、故郷に広がる乳色の砂漠だ。夜毎家畜を狙ってやってくる夜盗を、虱を一匹一匹指の先で潰すように、弩(いしゆみ:ボーガン状の小型の投石器)でその頭を砕いて割らなければいけない。やがて夜盗は時節の変じるに伴い、「秦の末裔」だとか「天命を受けた者」などと言い出し、革命の名のもとに反乱を起こす輩に成り下がったわけだが、そんな連中を生む必要のない土壌というのが、この世にあるのだと私は初めて理解したのである。


 私はしばらくのあいだは、彼らに養われる生活を続けていたが、いつまでもそういうわけにはいかないと思い、家の前の川で自ら魚を釣るようになった。魚自身が欲して陸にあがりたがるのかと錯覚するほどに、いくらでも釣れた。それを近隣の人々と交換し、肉や野菜を得た。時に酒と交換してもらうこともあった。未熟な技術で作られた濁り酒であったが、味はなかなかのものであった。


 また、私は故郷で医者をしていた経験を生かして、薬を作った。この国の植生は故郷とそう変わらなかったので、材料を得るのに苦労はなかった。彼らの医療は未熟で占いや迷信に頼った野蛮な代物であった。だから私の薬はそう時を移さないうちに最も喜ばれる商品になった。


 こうして最初のうちはよそよししい態度で接してきた人々も、二月三月と過ぎていくうちに、会えば必ず挨拶し、昨日あったことなどを、おもしろおかしく会話するような間柄になっていった。


 半年が過ぎた。

 ある日、隣の家に住むイデヒコという男にこう言われた。

「王に会ってみないか」

 このとき私はひどく仰天した。この土地で聞くはずのない言葉を聞いたと思ったからだ。

「お前たちには、王がいるのか?」

「当たり前だ。張旦の作った薬を欲しがっている」


 今から思えば、私の運命が転がりだしたのは、この時からだった。

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