確執

 そこから一日中は、特に何もなかった。

 本当に何もなかったのだ。

 使用人の三人はそれぞれの仕事に戻り、僕や帳は遊戯室で、ロッタちゃんたちと一日中ゲームをして遊んでいた。その席には須郷さんを除くゲスト全員がいて、互いに互いを見張るような状態だった。宇津木さんが殺害されたときの状態を考えれば、有効な見張り方ではないのかもしれないが、少なくともひとりでじっとしているよりは安全だと、須郷さん以外のみんなは思ったのかもしれない。

 一日中、誰かと一緒にいる状態が続いた。トイレに行くのも二人一組だ。

「あんたはどうして、探偵なんかしてるの?」

「……はあ」

 遊戯室に籠っている男性は僕とすぎたさんだけなので、どちらかがトイレに立つときは必然このツーマンセルになった。

「特に、理由は無いんですけどね」

「嘘おっしゃい。夜島ちゃん絡みでしょ」

 夕方になって僕たちがトイレに立ったとき、すぎたさんとの間にそんな会話があった。

「予想がついているなら、聞かなくてもいいんじゃないですか?」

「聞いておいた方がいいのよ。一応、アタシたちはあんたに命を預けてる身なんだから」

「……どういう意味ですか?」

「まんまよ。どうやら事件の解決があんた頼みになりそうってこと。だとしたら、アタシとしてはあんたの探偵としてのモチベーションを確認したくなるじゃない」

「そういうもんなんですかね……」

「あんたが下心で探偵やってるのは分かってるのよ。でも、それだけが理由ってわけでもないでしょう。アタシが知りたいのはその部分よ」

「下心なのは決定なんですね」

 事実ではあるので否定はできない。

「でも、こういうのは人に話すようなことではないんですよ」

「御託はいいから話せ」

 すぎたさんの口調は有無を言わせないところがあった。この人的には(どうしてだか)命に関わる問題なので、そういう口調になるのもやむなしなのだろうか。

 まあ、僕としても、自分が恥をかくだけのものなので、意固地になって話さないほども過去でもない。隠せるなら隠しておくに越したことは無いのは確かで、だからこそロッタちゃんにも話さなかったが……すぎたさんには話しておいても損はないか。過去のお涙頂戴で多少なりとも心証が良くなれば(なる気はしないが)、何らかのアクションをすぎたさんに対してしなければならないときに、少しはスムーズになるかもしれない。

「僕はある人の代わり、なんですよ。九年前、つまり僕と帳がまだ小学三年生だったとき、その人が失踪したもので、それ以来、僕は探偵役をしているというわけです」

「ある人?」

「ええ。そいつは夜島錦といって、帳の従兄弟でした。帳と同い年で、傍目には一卵性双生児のようにそっくりでしたね。彼女は見た目は子ども頭脳は大人を地で行くような名探偵で、小学生だてらに刑事事件も多く解決しているようなやつでしたよ」

「ふうん。その彼女が、九年前に失踪したのね。で、猫男が代わりに探偵をやってると。……で、どうして錦ちゃんとやらはどうして失踪したのかしら?」

「ある事件がきっかけでしてね。そうだ。すぎたさんならどう思います? 一般的な小学校の教室である日の放課後、男子生徒が胸元をカッターナイフで刺されて死んでいたんですよ。ふたつある出入り口、それから窓は内側から鍵が掛けられていた。教室の鍵は職員室にありますけど、犯行予想時刻内で持ち出された形跡はない。いわゆる密室状態で、男子生徒はどうやって殺害されたのか」

「それが、錦ちゃんが失踪する原因となった事件?」

「ええ」

「まるで今回の事件みたいじゃない。密室状態で、胸を刺されて死んでるとか……」

「言われてみればそうですね」

 そして同時に、朝山大九が自殺した様とも被る。

「にしても、密室ねえ。アタシにはさっぱりだわ。答えは?」

「自殺、ですよ。男子生徒は邪魔されないよう、教室を密室にしてから自分でカッターナイフを突き立てて死んだんです」

「ちょっと、それありなの?」

「ありもなしも、実際にそうだったんですよ。男子生徒の家から、遺書も見つかりましたから」

「……まあいいわ。でも、名探偵という錦ちゃんはきちんと事件を解決したんでしょ?」

「いえ、事件を解決したのはあいつじゃないんですよ。だからこそ、問題になったんですけど」

「へえ。誰なの?」

「僕です」

 今でも覚えているのだ。錦の失踪が九年前のいつだったかは忘れてしまっても、あのとき、事件を調査して、どうやって解決に至ったのかは。

 小学校の教室というのは基本的に同じような間取りをしている。だから警察が現場の教室を封鎖していても、別の教室を使って密室状態を生み出す実験はできた。ありがちな氷と糸のトリックから始まり、教室にある身近なもので錦は十くらいのトリックを考え出した。しかしそのトリックは確認したところ現場の形跡とは一致せず、一か月くらいしてあいつは手詰まりになってしまった。

 警察も錦も、他殺の線で追っていた。だからこそ、最もシンプルな解答に辿り着かなかったのだ。

「一か月くらいして、僕は自殺なんじゃないかと思いました。錦があれだけ必死に悩んでも、他殺の線で密室を構築する方法を編み出せませんでしたから、逆に他殺ではないと思うようになったんですよ」

 自殺なら内側から鍵を掛けるだけなので、トリックもへったくれもあったものではない。トリックを使った痕跡が教室内に残らないのも頷ける。僕は自分の考えを補強するため、遺書を探した。

「男子生徒の両親も、自殺の線はまるで疑ってなかったみたいで……。まだ子どもの死という事実に整理もつかず、部屋はそのままの状態で手つかずでした。だからこそ、勉強机の引き出しの中に、特に隠されることもなく入っていた遺書に、一か月の間誰も気付かなかった。僕はその遺書を男子生徒の両親に見せ、彼らの手によって警察に引き渡されて、事件は終わりました」

「ううん? 錦ちゃんが失踪したっていうから、てっきり事件絡みの何かに巻き込まれたのかと思ったけど、そうじゃないわけ? いったいぜんたい、その事件のどの過程で錦ちゃんは失踪したの?」

「え? ああ……」

 そうか。普通、事件が原因で失踪となったら、事件に巻き込まれたと思うものか。

「あいつが失踪したのは、事件に巻き込まれたからじゃないんですよ。この事件が終わった後、失踪しましてね」

「終わった後? 失踪する理由があるの?」

「正確な所は、僕も帳も分かりません。錦が何かを言い残したわけではないですから。でも、おおよその想像はついてます。たぶん、僕が錦より先に事件を解決したからでしょう」

 登場人物一覧に、名探偵の肩書を持つ人間は二人もいらない。九年前、帳は錦の隣を歩いていて、僕は二人を離れた距離から見ていただけだ。それを、本来の立ち位置を覆して、僕が探偵になってしまった。

 瓦礫くんは、どう思う?

 帳に一度、水を向けられただけだ。それだけで舞い上がって、調子に乗って、物語を掻きまわした。

「本当に、それだけが原因なのかしらねえ」

「はい?」

 すぎたさんは、いぶかしむような目を僕に向ける。いや、目はサングラスに隠されて見えないのだが、何故か色つきのレンズ越しでも、彼の視線はいぶかしんでいるように感じられたのだ。

「たかがそれだけで、九年も失踪するもんなのかしら」

「たかがそれだけって……」

「実際そうでしょ。一回お株を奪われただけ。それで拗ねたんでしょ。子どもじゃない」

「当時は子どもでしたから」

「でも九年も経てば、あんたも錦ちゃんも当時よりは大人でしょ? 失踪するほど大げさなことじゃないのは分かるし、頭も冷える。それでもなお、失踪し続けるのには理由があるんじゃないかしら」

「理由?」

「たった一つの理由じゃ、失踪するには割に合わないわ」

「そう言われましても、僕は錦じゃないですから分からないですよ」

「あんた、錦ちゃんとはどんな関係だったの?」

「どんな……? まあ、探偵と助手、だったんですかねえ。錦が探偵で。ちょっとした事件がきっかけで、あいつと僕はいろいろつるんでましたから」

「夜島ちゃん――帳ちゃんの方じゃなくて、錦ちゃんの方と先に知り合ったってこと?」

「ええ。帳と知り合ったのは二年生の頃です。あいつ、当時は病弱で入院していたんですよ。錦がお見舞いに行くって言って、僕を引っ張ったんですよ」

「はいはいだいたい事情は分かった。あんたが悪い」

「え?」

 だいたいも何も、僕と帳、錦の関係性についてはまだ三割くらいしか喋ってないと思うのだが……。帳と知り合ってから先、意外と大変で……。そのエピソード抜きで分かるものなのか?

 すぎたさんの場合、事情が何であれ「あんたが悪い」って言いそうだが。

「でも、夜島ちゃんも自分が悪いって思ってるんでしょ。あんたと夜島ちゃんの両方を知ってる人間から、『二人の間に壁を感じる』って言われたことは無い?」

「壁、ですか……?」

 無いような……いや、まさしく昨日、ロッタちゃんに言われたような。あれは「距離を感じる」だったかな。

「一応先輩として、しかもちょっと常人より難儀な道を歩いてきた先輩としてアドバイスするわ。その壁、さっさと取り払いなさい。そこまで難しい工事じゃないでしょう」

 壁、あるいは距離。僕の錦に対する負い目を考えるなら、それはあってもおかしくない。ただ、それを取り払うのが難しくないというのは、どういうことだろう。三人の関係性と、九年前の事件。それぞれを雑駁にしか語っていないのに、どうしてそこまですぎたさんは言い切れるのか。

 分からないことは多々あって、しかし今は、そこに頭を裂くべきではない。

「考えておきますよ」

 まずはこの事件を解決して、生き残らなければならない。宇津木さんも新藤さんも死亡し、すぎたさんの言い分が正しければ作家先生勢で事件を解決できそうな状態の人間はいない。もうそろそろ、重い腰を上げなければならない。

 


 とはいえ、腰を僕が上げるのにはもうしばらく時間が掛かった。坂東さんのアドバイスに従って書斎を調べたいのは山々だったが、一応は有力容疑者なので、ひとりで行動するとみんなから警戒される。帳を伴う手もあったが、それだとすぎたさんから猫男死すべしと睨まれるし、それとちょっとした理由からいつものように帳と額を集めるわけにもいかない事情があり、やはりひとりで動ける機会を待つしかなかった。

「帳、今何時か分かるか?」

「自分の時計を見ればいいじゃない」

「壊れてるんだよ」

「十時三十六分ですよ、猫目石さん」

 夕食を済ませた後も長い間、総員は遊戯室に籠っていた。僕の質問に帳ではなく呉さんが答え、ロッタちゃんが眠そうに欠伸をし始めたところで、今日の所はお開きとなった。ロッタちゃんはまだ遊びたがっていたが、殺人犯が誰か分からずみんな疑心暗鬼の中憔悴しきっていたから休みたかったのだ。

「ところで、須郷さんは無事なんですか?」

「はい。あれから、昼食と夕食を運びましたし、二時間に一度、安否確認はさせていただいています。扉を開けてもらい、姿も確認しています」

「そうですか。なら、よさそうですね」

 犯人は、これ以上殺す気が無いのか? それとも、今は殺害を控えているだけか。

 一度みんなが自室へ帰るのにあわせて『戦車』の客間へ戻ってから、書斎へ足を向けた。初日からその存在を知らされていたが、そういえば、入るのは今回が初めてか。

 木製の扉を開いて、中に入る。扉に鍵はついていないらしく、施錠することはかなわない。誰かが突然来ても察知できるよう、耳を澄ませる必要がある。

 書斎の内部は、客間より一回り大きいくらいといったところだろうか。見取り図で見たときに抱いた印象と、そう違わない広さだ。正面の扉に向かい合うような格好で、帳の部屋にもあったような重厚そうな机が置かれている。金持ちはみんな、こういう机が好きなのだろうか。セットの椅子も革張りの豪奢なもので、僕のような凡人では逆に落ち着かなくなりそうだ。

 本棚は机の背後、そして部屋の両サイドにあった。部屋に造りつけられているようだ。優に千冊は入るだろう容量を持っているが、その本棚すべてがギッチリと本で埋まっている。ざっとタイトルを見てみると、大抵は今朝読んだようなタロット辞典や、建築関係の本だった。

 本棚の一角には本ではなく金庫がはめ込まれていた。これが例の、客間の鍵を収納する金庫だろう。ダイアル式で見るからに本格的。何らかのトリックで破るのは難しそうだ。

「これは……」

 机の上に再び視線を向けると、木製の箱が大量に積まれているのが目に留まる。ひとつ手に取って開いてみると、中からカードが出てきた。タロットのようだ。こんなに種類があるとは思わなかったが、朝山大九もよくこれだけ集めたものだ。

 さて、肝心のものは……。坂東さん、書斎を調べろとは言ってたけど、何を調べろとは言ってなかったなあ。だが、ロッタちゃんの過去を調べる上で有益なものとなると、あらためるものは限られそうだ。まさか市販の本に彼女個人の過去に絡む何かが見つかるとは思えないし……。写真とか日記みたいに、もっと安直で露骨なものがあるんだろう、きっと。ここは朝山大九の書斎なんだから、彼の手記ぐらい見つかりそうなものだ。

 ある程度アタリをつけて調べてみると、目的の物はすぐに見つかった。本棚の下の方に、分厚い辞書類に紛れて、薄い一冊のノートが差し込まれていたのだ。開いてみるとそれはスクラップ帳のようで、過去の新聞や雑誌の記事がページごとにのり付けされていて、余った空白部分に書き込みがなされていた。それをペラペラとめくっていると、見覚えのある記事があった。

 『母親殺害十一歳少女は刑事責任に問われず。犯罪に手を染めた少女の心の闇に迫る』。その見出しは確か、四月に部室で処分した記事の中のひとつにあった。あのときは見出ししか見ていなかったが……。

 記事の日付は三年前。新聞ではなく、これはゴシップ誌のようだ。少年法によって当然実名は公表されていないが、仮に『十一歳少女』がロッタちゃんだとしても、年齢は合致する。もしかして、僕の求めていた情報はこれか?

 『九月十三日、愛知県西尾市で発生した女性殺害事件において、警察は捜査の結果、被害者の娘である十一歳の少女を補導した。少年法の規定により少女は刑事責任を問われず、検察から児童相談所に送られることになる。児童相談所は雑誌のインタビューに「少年鑑別所で詳しく調べることになるだろうが、その後、保護観察になるか児童自立支援施設に入るかは現段階で決まっていない」と語った。』

 この文章の後は、少年法に基づく一般的な事件の処理の流れが説明され、次いで少年法そのものの問題点を指摘する文章が続く。まあ、ありがちな「加害者優遇だ!」という主張で、僕の欲しい情報じゃない。事件の概要について探してみたが、結局、それらしい項目は見つけられなかった。鮮度命のゴシップは、既にその事件を読者全員が知っていることを前提にして記事を書いているのだろうか。どういう書き方がゴシップ誌のスタンダードなのかは分からない。ほとんど読まないからな。

 本当にこの記事が、ロッタちゃんに関連しているのかははっきりしないが、関係がありそうだと匂わせる。他のページを捲ってみると執拗なまでに同じ事件に関する記事ばかりが集められていたが、逆にこういう三面記事は、この事件に関するものしかなかった。後は全部、建築業界に関連するニュースばかりだ。

 数ある事件の中からこの事件だけに、朝山大九が興味を持つ理由があった。

「まあいいか」

 ロッタちゃんが警察嫌いなのは、事件のときに警察を嫌いになるエピソードがあったのだろう。身内での事件なら親族と折り合いが悪くなるのも当然で、島流しもあり得そうだ。彼女の過去にもいろいろありそうだが、おそらく今回の事件とは何の関係も無い。僕の過去が今回の事件と、何の関係も無いのと同じように。

 ここはフィクションならざる現実世界。ましてやミステリの世界ではない。登場人物の過去が一々、事件に関係していなければならない必要もない。

 僕がスクラップノートを片付けていると、廊下を歩く音が聞こえた。そのまま書斎を通り過ぎるかと思いきや、扉の前で音が止まる。

 少しだけ身構えた。しかしすぐに、警戒は解けた。中に入ってきたのは帳だった。

 彼女は浴衣を着ていたが、さきほどまで着ていた柘榴色の物とは色合いもデザインも違った。深淵のような黒色で、帯も同じように黒かったが、それは細身で簡易的な物だった。外で着る物というより、旅館などで、寝間着の代わりに着るような物にデザインが似ていた。

 帳は浴衣の上から赤色の羽織を着て、髪は濡れて艶やかだった。風呂上りなのか……こちらに一歩近づくたび、甘い匂いが部屋に充満していく。

「あら、瓦礫くん。こんなところにいたの? 先にここを調べて正解ね。危うく、あなたを探して館中を歩く羽目になるところだったわ」

「僕を探してた?」

「そうよ。瓦礫くんったら、手を鳴らしても天井裏から下りてこないんだもの」

「僕は忍者じゃねえよ! 第一、客間の天井裏に忍び込めるスペースないだろ。一応石造りだぞ」

「何してたの?」

 あ、無視された。

「調べ物だよ。推理に必要な情報を、いろいろね」

「事件は解決できそう?」

「どうだか」

 実はおおよそ、集まってはいるのだが……。

「須郷さんじゃないけど、僕だってこんな殺人犯のいる館に長居はしたくないさ。いろいろ考えてはいるけど、密室の破り方について、どうも思いつかないというか……そうだ。帳、初日にお前が言ってたことなんだけど」

「なに?」

「ロッタちゃんと賭けをして、『女教皇』の絵を一枚手に入れていたよな。あれ、どういうものだったんだ?」

「どういうものと言われても……。ただの絵よ。さほどオリジナリティのあるものじゃないわ。マルセイユ版の『女教皇』の模写ね」

「他にもあるのか? 別種のアルカナの、マルセイユ版は」

「らしいわね。ウェイト版とマルセイユ版に限らず、倉庫にたくさん。ほら、もともと、客間の絵は取り外しができるようになってたじゃない。絵をクリーニングに出す間の予備に使ってたんじゃないかしら」

「でも、だったらマルセイユ版はいらないんじゃないか? 客間はウェイト版に沿って並んでるんだからさ」

「絵を替えれば、マルセイユ版に対応できるようにしたんじゃないかしら。ウェイト版とマルセイユ版の違いといえば、精々『力』と『正義』の順番が逆な程度なんだから、その二つを入れ替えれば……」

「それじゃ駄目だろうな。鍵を見てみろよ。装飾がそれぞれのアルカナに対応してるのに、鍵だけ入れ替えないってのは無理だろう」

「そう。じゃ、本当に意味なんてないのかもしれないわね」

「…………」

 僕は、そうは思えない。朝山大九の人となりを僕は把握しきれないが、どうも、そういう意味の無い行為をするような人という印象は受けない。

「で、僕に用があったんじゃなかったのか?」

「ええ。あなた、睡眠薬を持ってたでしょう? あれ、一回分わたしにくれないかしら」

「ああ。別に構わない」

 ちょうど一回分は薬包に包んでポケットの中なので、部屋に戻る手間もない。僕はポケットから取り出した薬包を帳に渡す。帳を右手でそれを受け取って、袂へと仕舞い込んだ。

 その動作に何故か、僕の思考は引っ掛かる。

 待てよ。

 不意に思い出したのは、今日作った荷物の一覧表。二日目でのビーチの出来事。初日の夕食。

 違和感。

 どうして、『愚者』と『魔術師』の客間の間に書斎があるのか。

 どうして、新藤さんは『愚者』の客間で死んでいたのか。

 どうして、何故?

 その答えは。

「だとすれば、犯人は」

 あの人ということになる。

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