タロット館3 不必要な発言

違和感

 嫌疑が晴れたことで、僕は堂々と大手を振って、新藤さんの遺体が見つかった現場へ検分に向かうことができた。客間の外ではすぎたさんと須郷さんの二人が、開け放たれた入り口の方をちらりと見ている。どうせ警察が呼ばれるのは事件解決後なのだから、気になるのであれば現場に入ってしまえばいいのに。警察への通報が著しく遅れている時点で、現場保存もなにもあったものではない。

「そういえば呉さん」

「なんでしょうか」

「宇津木さんの遺体はどうしてましたっけ? 今は夏ですし、対処を誤ると大変なことになりますよね」

 隣を歩いていた呉さんは、今はもうスイッチが切り替わったのか使用人モードで、表情も声も平静を保っている。こういうところが、森さんと違って熟練している証拠なんだろう。技術者で対物的な森さんと使用人で対人的な呉さんを比べるのもおかしな話だが。

「お嬢様の指示で、現場は最低限保存しています。宇津木様の遺体もそのままに。冷房と除湿機能で当分は腐敗対策になるでしょう。無論、この状態が長引けば、個別の対策も追々」

 そしてエプロンドレスのポケットから、薄いゴム製手袋を取り出して僕に渡す。

「現場を捜査なさる際は、こちらをご利用ください。指紋は極力、つけない方が賢明でしょう」

「分かりました」

 客間に入ると、そこにはロッタちゃんと道明寺さんがいた。ロッタちゃんは車椅子に座りながら、少し離れた位置で部屋を観察している。道明寺さんはゴム手袋をはめた手で、クローゼットの中身を漁っていた。

「猫目石先輩、これはどう思いますか?」

「まだ何とも言えないな」

 問題の新藤さんは、ベッドに倒れていた。寝間着替わりの着流しには特に、乱れた跡はない。部屋も荒らされた形跡がないから、争った末の殺害という流れではないらしい。

 凶器はまたしてもナイフ。またしても胸に一突きである。

 遺体の首元に触ってみる。当然脈は無いが、まだ温もりが僅かに残っている。死亡推定時刻の正確な所は分からないが、今から精々二、三時間前が限度か。

「ともかく、気になる点があるとすれば……」

 ベッド横のサイドテーブルを見る。そこには『愚者』をモチーフとする、若者と犬とが左右から支える格好の水差しが置いてあり……。

 つまりここは、『愚者』の客間なのだ。新藤さんに割り当てられた『世界』の客間の、ひとつ右に位置している。扉に掲げられていた絵も、『愚者』の大アルカナだった。

「どうして現場がここなんでしょうね?」

 ロッタちゃんはしきりに首をかしげていた。まだ着替えておらずネグリジェ姿だったが、この様子だと眠気はもうないらしい。

「発見したのは……?」

「森さんよ」

 僕が発した質問を受け取ったのは道明寺さんで、彼女は動かした手を止めてこちらを見る。道明寺さんの顔色は優れず、目の下にはくまもできていた。

「ロッタちゃんが今朝、それもついさっき、森さんと坂東さんにマスターキーを探させるよう命令したのよ。坂東さんが倉庫を調べている間に、森さんは念のため空いている客間を調べることにして、書斎から鍵を持って来て開けたらご対面、ってこと」

「では、マスターキーは? 見つかったと聞いていますが」

「ここでゴタゴタしている内に、坂東さんが見つけたって。なんでも、倉庫にあった古いツールボックスの中にあったらしいわ」

 ちょうどそのとき、森さんが『愚者』の客間に入ってきた。両手で金属製のツールケースを持っている。錆だらけのそれはバールか何かでこじ開けたらしく、蓋が歪んでパッカリと開かれている。中を覗きこむと、様々な工具に混じって、何の装飾もなされていない鍵が入っていた。鍵の先端は知恵の輪のように奇妙で複雑な形をしている。この鍵を複製するのは、たとえ実物を手元に置いていた状態でも難しいだろう。マスターキーの予備がなかった理由がよく分かる。

「俺は自分のツールを使うから、タロット館に置いてあったやつは触っていなかったんだ。倉庫に三つのボックスがあったがその中の一番古いやつがこれだろうな。たぶん、どっかの誰かがマスターキー片手に作業してて、うっかり金庫に返し忘れてそのままになってたんだな」

 念のためゴム手袋を嵌めて、マスターキーを取り上げる。ボックス内のツールは錆だらけで、マスターキーもその例に漏れない。先端の細かい部分も腐食しているので、鍵として機能するかは怪しい。

「ツールボックスはこじ開けたんですか?」

「まあな。錆だらけでびくともしなかったからな。あと、その鍵が使えるかどうかも坂東の旦那と確かめたが、無理っぽいな。ウォード錠自体は単純な造りだが、さすがに二十二もの錠に合わせたマスターキーとなると、繊細かつ複雑にもなる。そんなに錆びついてると動きゃしない」

「これで、マスターキーを犯人が使ったという線は消えたわけですね」

「ま、あたしはマスターキーなんて最初から興味ないんだけど」

 道明寺さんがジッとこちらを見た。

「あたしは専門家じゃないけど、まだ体温が残ってるってことは、新藤さんが殺されたのはそんなに前じゃない。ここ二、三時間以内に限られる。そこでまずは瓦礫くんのアリバイを聞こうじゃない」

「僕のアリバイ、ですか? 第二の事件が発生した場合、僕は容疑者リストから外れるという話だった気がしますが……」

「そんな心証の話、誰も真に受けちゃいないっての。どうなの?」

 それもそうか。分かり切ったことだ。たとえ僕が両手足を縛られた状態でも、作家先生勢は僕が犯人である可能性を真っ先に思いつくだろう。『トリックで何とかできる』ことを彼らは一番よく知っているのだ。そのせいでどんな状況証拠を積んでも、僕が容疑者リストから外れることは無い。

 僕が死なない限り、猫目石瓦礫は犯人ではないという結論に彼らが至ることは無いだろう。

「今は八時くらいですね。じゃあ新藤さんの死亡推定時刻内、僕は寝ていましたね」

「誰か証明できる?」

「証明の必要もないのではないですか、道明寺先生」

 ロッタちゃんが口を挟む。冷たい視線が道明寺さんを捉える。

「先輩のいた『魔術師』の客間は外から施錠していました。内側からの開錠にも鍵が必要なのは先生もよくご存じのはず。そして鍵は昨晩、新藤先生からわたしが預かっていました」

 ……嘘はついてないな。死亡推定時刻の時点で『魔術師』の鍵は客間内に存在していたので、可能性だけを論じれば僕も容疑者だ。さすがにロッタちゃんも、そこはフォローしてくれたらしい。

「そもそも、死亡推定時刻内で起きていた人間は精々、呉、森、坂東の三人くらいでしょう。あるいは先生方は、眠れぬ夜を過ごしていたかもしれませんが……」

 ちらりと、ロッタちゃんは部屋の外を見遣る。すぎたさんと須郷さんが棒立ちのまま、僕を睨んでいた。

 二人の後ろから、するりと帳が現れる。昨日と同じ浴衣を纏って、殺人現場におののくことなく平然と入ってきた。うっすらと笑みすら浮かべているあたり、この状況を楽しんでいるようにも見えた。

 帳が部屋に入ってくるのを待ってから、ロッタちゃんは話を再開させる。

「この場の総員に、アリバイが無いのは明白でしょう。よって猫目石先輩を一方的に容疑者扱いするのも奇妙なこと。むしろこの第二の事件によって、先輩はこの中で最も潔白に近い人物になったと言えます」

「と、トリックを使ったんだ! そうに決まっている」

 須郷さんは一歩踏み出して、大声で叫ぶ。帳が僕の方をちらりと見たので、どうやら須郷さんに状況を説明するのは僕の役目らしい。

「須郷さん、トリックって、具体的にはどういうトリックのことですか? 『魔術師』の客間を鍵無しで抜け出すトリックですか? それとも遠隔操作で新藤さんを殺すトリックですか?」

「それは――」

「どちらにせよ同じことです」

 須郷さんの言葉を遮って続ける。こういうときは相手に喋らせないというのもひとつの方策だと、僕はよく知っている。現に四月、長谷川に対して使ったのと同じ手だ。

「たとえば前者のトリックの場合、抜け出したからどうなる問題でもないでしょう? 部屋の中からは外の状態が分からない。いざ外に出てみて、廊下で誰かと鉢合わせになったらそれこそ一巻の終わり。さらにそんな状態でどこにいるか分からない新藤さんを探すのは至難の業です。では後者は? トラップを仕掛けるなら『世界』の客間を使うでしょう。あるいは新藤さんが訪れる可能性のある場所――事件現場である『正義』の客間や僕のいた『戦車』の客間ならトラップも僕自身は容易に仕掛けられますね。しかし新藤さんの遺体はこの『愚者』の客間で見つかった。最も新藤さんが――新藤さんに限らず誰もが訪れる可能性の低い場所に、誰がトラップを仕掛けますか? 僕が犯人ではないだろう理由はそれが全てです」

 道明寺さんはまだ僕を睨んだまま、手袋を外しながら言った。

「どーしてあんたがそんなにスラスラ、言い訳が出てくるのかは余計疑問だけどね」

「反論を予期していたとでも?」

「そうとしか思えないでしょうに」

 上手くいったかな。僕が探偵としての能力をそれなりに持ち合わせていると思われてしまうと危険なので、あえて道明寺さんが言う風な印象を与える作戦に出てみた。案外効果はあったようで、須郷さんの僕を見る目が一層厳しくなった気がする。僕がデコイとして機能している間は、犯人も計画を修正してまで僕を殺そうとは思うまい。僕に嫌疑が向いている間は、犯人がノーマークで自由に動けるということ。犯人にとって、僕を容疑者にしておくのはメリットが大きいはずだ。

 それに、僕を囮として使うには、僕が殺害するにたる動機のない人物は生かさないといけない。帳とロッタちゃんは殺害される可能性が減っただろう。僕が殺人を犯すとしてその動機は新藤さんの言った『見栄を張るため』というのが一番しっくりくるだろう。すると僕を評価してくれる側の帳やロッタちゃんは殺害する理由が無いのだから。

 少なくとも、その場を混乱させるためだけの理由で殺害されることは無くなったはずだ。無論、犯人の殺害対象に二人が入っているなら意味はないが……。犯人の狙いは作家先生勢である可能性が今は高い。

 それというのも、新藤さんを殺害するに足る動機を有する犯人が、今回初めてサロンに参加した僕と帳、そしてタロット館に常駐しているロッタちゃんたちを殺害するに足る動機を同時に有するとは考えにくいからだ。なにせ僕たちは同じコミュニティ内ではよく知った仲だが、コミュニティ同士のつながりはほとんどない。作家先生勢とロッタちゃんたちは去年のサロンが初邂逅。僕は今回が初めてで、帳はサロン外で会っているとはいえ、作家先生勢とは面識がない。

 コミュニティ同士の繋がりはかなり希薄で、そのためにコミュニティの枠を超えた複数人を犯人が標的にする動機が無いような気がする。

 そしてそういう考えを抜きにしても、新藤さんが殺害された時点で、容疑者が一人浮かび上がってくる。

「道明寺先生。昨日、新藤先生が言われたことを覚えていますか?」

「はあ?」

 ロッタちゃんの穏やかな声に、道明寺さんの不機嫌そうなとげのある声が跳ね返ってくる。

「何のこと?」

「ほら、昨日の夕食の席での言葉です。新藤先生は猫目石先輩が宇津木先生を殺害したと仮定したときの動機について――」

「ていうかあんたはいつから、瓦礫くんのこと先輩呼ばわりなの?」

「新藤先生はこう仰ってました」

 無視してロッタちゃんは話を続ける。

「『例えば俺が殺害されれば、道明寺くんが疑われるだろう。また、須郷君が殺害されればすぎた君が疑われる。これが自然なことなのは、疑問の余地が無い』。我々にとっては自明のことなのですが、道明寺先生と新藤先生は作風が大きく違うことから、確執があったのですよね?」

「そんな理由で人殺すと思う?」

「猫目石先輩の殺害動機については、『見栄を張りたかった』で納得してましたよね。それよりはよっぽど現実的な動機だと思います」

「でもねえ――」

「それともこう言いましょうか。『想像はできるけど、こればっかりは本人に聞くしかないかな』」

「ぐっ……」

 それはまさしく、昨日道明寺さんが言った台詞だ。

「なんにせよ、ワイダニットだけでどうにかなる問題ではありません。宇津木先生を殺害することで猫目石先輩に嫌疑を向けたよう、犯人は新藤先生を殺害することで道明寺先生に嫌疑を向けたがっている、という推測もできます。それより問題は、またしても、密室だったということでしょう」

 そう。またしても密室だったのだ。道明寺さんは『書斎から鍵を持って来て開けたらご対面』と言っていたが、それはつまり、この『愚者』の客間は森さんが開くまで施錠されていたということを意味する。

「森さん、『愚者』の鍵は……」

「ん、ああ。俺が見たときは、ちゃんと二本あったぜ。先生、俺を疑ってるかい?」

「疑ってはいませんよ。ただ、念のため後で確認しようとは思ってます」

「かーっ、信用ねえな俺」

 森さんは空気を読まずからからと笑う。この人もロッタちゃんほどではなくても図太いらしい。単に楽観的なだけかもしれないが。

「わたしはあらかじめ『世界』の客間を調べていたのだけど」

 隣で帳が口を開く。

「あちらは施錠してなかったわね。鍵も部屋の中に置きっぱなしだったし」

「『世界』の客間は関係ないんじゃないか? いや……つまり新藤さんは自分の部屋を出るのに、部屋を施錠しなかったってことか?」

 不用心な。本当に不用心だぞ。ロッタちゃんみたくここに住み慣れた人間ならともかく、新藤さんがそんなミスをするかな……?

「ちょっと引っ掛かるわね」

「僕はお前のその言い方に引っ掛かる。どういう風の吹き回しだ? お前から調査してその情報を僕に寄越すってのは」

「他意は無いわよ。早く謎が解ければそれに越したことはないでしょう? わたしだって、この空間の危険性くらい把握してるわ」

「あっそ」

 どっちみち、新藤さんの部屋は後で調べる必要がありそうだ。ついでに、宇津木さんの部屋もだな。犯人が被害者の鞄に、何か証拠物を紛れ込ませて隠していないとも限らない。

「ところで、ロッタちゃんがここに常駐しているって情報、なんで隠していたんだ?」

「あら、言い忘れてたかしら?」

「お前な……」

 隠す気はなかったんだろうな。だからこそ僕は帳の会話などを断片的に拾ってその結論に至ったわけだし。まあ、ロッタちゃんの友人である帳にとっては当然の事実なので、言い忘れるのも仕方のないことなのかもしれない。

「とにかく、状況を整理すると」

 僕と帳が話している間に、ロッタちゃんと道明寺さんの間でも何か話に進展があったらしい。道明寺さんは周囲の人間にも伝達するためか、少しだけ声を大きくした。

「新藤さんが死亡したのはこの『愚者』の客間。死亡推定時刻は今から二、三時間ほど前。死因は胸をナイフで一突き。森さんが新藤さんを見つけたとき、この客間は施錠されていて、二本ある客間の鍵は二本とも書斎の金庫に入っていた。こういうことでしょ?」

「ええ。それには異論有りません。実際には、あくまで遺体が見つかったのが『愚者』の客間であって、新藤先生が実際に殺害された場所は不明ですが、それは些細な問題でしょう」

 そうだろうな。新藤さんの状況からして、別の部屋から運び込んだ痕跡は見られない……。仮に殺害現場が『愚者』の客間以外の場所だったとしても、密室状態を解決しないことには運び込むことはできない。それに運んでいる姿を誰かに見られればアウトなんだから、そんな危険を冒すとは思えない。

「密室。……密室ね」

 帳は繰り返し呟いて、それからまた、楽しそうに笑う。

「も、もうオレは嫌だぞ」

 入り口付近にいた須郷さんは一歩下がる。新藤さんという心の支柱を失ったからだろうか、その態度は昨日より恐怖に支配されていて、全身から玉のような汗を吹き出していた。

「こ、こんなところ、一秒だって居てられるか! 今すぐ帰るぞ」

「残念ですが、それはできません」

 対するロッタさんは、真逆に冷静で淡々としている。やはり、単に事件を楽しむために探偵を使って事件を解決しようとしているわけではないらしい。彼女の態度には子どもとは思えない余裕と冷淡さが交じっていた。

「容疑者のひとりである須郷先生ひとりを帰すというわけにはいきません」

「ば、馬鹿言うな! こんな、殺人鬼のいる島にいてみろ。全員死んでしまう……。帰れないというのなら、オレは部屋に戻る!」

「それでしたらどうぞご自由に。ただし、宇津木先生と新藤先生のお二人が、密室で死亡していたという事実をお忘れなく」

「くそっ! お前ら、頭がおかしいんじゃないのか!」

 捨て台詞を吐いて、須郷さんは『愚者』の客間を後にする。すぎたさんは僕とロッタさんに一瞥くれると、部屋の中へ入っていった。

「確かに、須郷さんの言う通りでしょ。アタシだってこんな島、一秒だっていたくないわ」

「でしたら、犯人を見つける以外にないでしょうね」

「でしょうね。もう腹くくったわよ。だからこそロッタちゃん、あなたに聞きたいのよ、凶器の話をね」

 凶器……。そうか。そういえばまだ、それについて十分な議論はなされていなかったな。

「宇津木さんのときも、新藤さんのときも凶器はナイフでしたね。同じようなデザインの」

「最有力容疑者兼猫男はだまらっしゃい」

「さいで」

「凶器のナイフだけど、あれはタロット館にあるものなの?」

 すぎたさんに尋ねられて、ロッタちゃんは首を傾げた。一応館の主人とはいえ、使用人ほど備品を把握しているわけではないらしく、返答は少し自信なさげなものになった。

「後で呉か坂東に確認を取った方がいいでしょうが……おそらくあのナイフはタロット館には無いものです。ただ、見たところ特別な細工のあるナイフではないようですし、場合によっては館にある刃物で代用ができる範囲ですから、凶器から犯人を特定するのは難しいでしょうね」

「それなんだけど、一応念のため、全員の持ち物を検査してみない?」

「……あまり意味があるようにも思えませんが、まったく今まで思いつきませんでしたね」

「どっかの誰かさんが――」

 すぎたさんはこちらをぎろりと睨んだ。

「――あからさまに怪しかったからね。ロッタちゃんの言う通り、収穫のある行為ではないだろうけど、犯人に対する牽制という意味でも行って損はないわ」

「じゃ、やればいいでしょ。ただしすぎたさん」

と、話に割り込んできたのは道明寺さんだった。

「さすがに女性陣は、荷物を男性陣に見られたくないと思うんだけど……」

「………………」

 サングラスで目元が隠れて、すぎたさんの表情は読みにくい。しかし何となく、彼女……なのか彼なのか、とにかくすぎたさんからは逡巡のようなものを感じた。

「そうでしょうね。じゃ、女性陣は女性全員で、男性陣は男性全員でそれぞれの荷物を確認。一覧表を製作して、それを見せ合うという形でいいかしら?」

 道明寺さんもそれに了承して、少々遅い荷物検査が始まることとなった。ただ、ここで少し問題になったことが二点ある。

 ひとつはタロット館に常駐するロッタちゃんたちについて、一覧製作の上でどこまで記すかという点。しかしこれに関してすぎたさんは、「そもそも常駐している人はいつでもどこにでも隠せるんだから、荷物検査の必要もない」と言った。まあ、それじゃあ牽制にならないわけで、特筆するべきものがあれば記す程度になった。

 もうひとつの問題点は、須郷さん。引きこもってしまったものだから、引っ張り出すのに小一時間かかった。

 ちなみに、すぎたさんを男性、女性どちらの陣営にするかという問題についてだが、すぎたさんは自分から男性陣営に入ったため、そこまで問題にはならなかった。変な所でいざこざを起こして時間を無駄にしたくなかったのかもしれない。

 こうして僕は、すぎたさん、須郷さん、森さん、坂東さんの四人と共に荷物検査に向かう。『太陽』の客間にいた須郷さんを引っ張り出した関係から、須郷さんの荷物を最初に検査し、そこから円形の城壁を反時計回りに坂東さん、すぎたさん、森さん、僕という順番だ。

 検査のとき、ついでに僕は全員の部屋を一通り観察した。トラップが仕掛けられていないか調べるためだ。「逆にトラップを仕掛ける気なんじゃないの?」という危惧をしたすぎたさんが僕の調べた場所を再度調べているので、かなり入念なチェックができたはずだ(すぎたさんが逆に仕掛けてないかどうかは、遠目で僕が確認した)。

「この部屋と森さんの部屋は、LANケーブルの差込口があるんですよね?」

 坂東さんの部屋を確認したとき、差込口の有無も確認することにした。しかし坂東さんの部屋にはパソコンが無く、差込口の捜索に思いのほか手間取った。

「ベッドの下だぜ、先生。坂東の旦那は一応パソコンを持ってるけど、普段は使わないからって仕舞いこんでるんだ」

 森さんの言う通り、差込口はベッドの下にあった。これは森さんの部屋も同じであることを後で確認しているので、おそらくロッタちゃんや呉さんの部屋もこうなっているのだろう。

 それから、坂東さんの部屋を調べて分かったのは、彼に与えられたアルカナが逆位置だということくらいだろうか。扉に掲げられた絵は上下が逆になっていた。

「ゲストに割り振られた大アルカナは、坂東さんが決めたんですか?」

 坂東さんの部屋を調べ終わり、すぎたさんの部屋へ向かうまでの短い移動時間に、僕は思い切って坂東さんに話しかけた。森さんたちは前を歩いていて、代わりに話す誰かがいないのを悟ったのか、ついに坂東さんは重々しく口を開いた。

「……そうでごさいます」

 その声には年をいたずらに重ねただけでは出せない重み、というより凄みというやつだろうか、そういう風格があった。樹齢百年越えの大木が声を発したら、たぶんこういう声色になるんだろう。

「すぎたさんのアルカナが逆位置なのはどうしてですか?」

「特別、他意などはございません。タロット館も、アルカナを割り振られた客間も、あくまで舞台装置に過ぎませんから。お嬢様の言葉で表現するなら、『通路が迷路でできている館と似たようなもの』でございましょう」

「…………坂東さんは朝山家で働く使用人の中でも古株だと思いますけど、この館の設計者である大九さんについては、何か知りませんか?」

「多くは知りません。お嬢様が大九様に相当なついておられたことと、大九様もお嬢様も、一族内で疎まれる立場にあったということくらいでしょう」

「それは……」

「我々は、お嬢様の過去について、あまり吹聴するつもりはございません。ただ、一方で、現状からお嬢様をお守りする必要があるのも事実。犯人追求のため、探偵であるあなたがお嬢様の過去を知る必要があるというのなら、開示する必要があると、そう考えています。後でお時間がございましたら、書斎をお調べになるとよろしいでしょう」

 書斎に……? 何か、あるのか? もし書斎にロッタちゃんの過去を探る何かがあるというのなら、少なくとも書斎に入り浸りだった宇津木さんは知っていたのだろうか。

 何にせよ、坂東さんの口車には乗らざるを得ない、か?

 書斎は後で調べるとして、次に調べた『死神』の客間でも、少しだけ発見をした。すぎたさんの招待状を読んだのだ。

「逆ですよね、便箋」

 便箋には僕や帳のときと同じく、背面に『死神』の絵が描かれていたが、逆だった。まさか上下を間違えたわけではないだろうから、最初からそうするつもりだったのだろう。

 この便箋については、森さんから話を聞いた。

「お嬢は雰囲気作りが大好きだからな。このデザインの便箋を使おうって提案したのもお嬢だし、逆位置、だったか? ともかく客間の絵の向きに合わせて便箋も逆にしたんだな」

「……はあ」

荷物検査を終えた僕たちは食堂へ向かった。既に検査を終えて一息ついていた女性陣と合流して、結果を照らし合わせる。

僕たち男性陣はすぎたさんが、女性陣は道明寺さんがメモを取った。それを合わせたのが左の票になる。


猫目石瓦礫  招待状・着替え二日分・水着・洗面具一式(歯ブラシ・歯磨き粉・

       タオル類)・携帯電話・財布・本二冊・腕時計(故障)・睡眠導入

       剤一壜

すぎた    招待状・財布・携帯電話(充電器込み)・ノートパソコン(充電器

       込み)・サングラス・アメニティ類・洗面具一式(歯ブラシ・歯磨

       き粉・シェービングフォーム・カミソリ・タオル)・着替え二日

       分・腕時計

須郷大覚   招待状・財布・携帯電話(充電器込み)・ノートパソコン(充電器

       込み)・スペアメガネ・着替え二日分・洗面具一式(歯ブラシ・歯

       磨き粉・電動シェーバー)・腕時計・水着

森元通    ツールボックス(各サイズのプラスとマイナスドライバー・六角レ

       ンチなど多数)

坂東慶    タロット(ウェイト版とマルセイユ版各一)

夜島帳    招待状・ノートパソコン・着替え二日分・本二冊・水着・日焼け止

       めクリーム・女教皇の絵

道明寺桜   招待状・財布・携帯電話(充電器込み)・ノートパソコン(充電器

       込み)・着替え二日分・水着・アメニティ類・洗面具一式(歯ブラ

       シ・歯磨き粉・タオル)・化粧道具一式・腕時計・本三冊(うち一

       冊は貸し出し中)・ビタミン剤一日分・コンタクトレンズ(ワンデ

       イタイプ・三個)・メガネ

ロッタ    特筆するものは特になし

呉舞子    特筆するものは特になし


 当然ながら、事件解決に直接つながるものは見つからなかった。やはりそういうものは、前もって隠すだろう。

「この睡眠導入剤は何なのかしらね」

 製作された一覧表の当該文字を突っつきながら、すぎたさんは得意満面で指摘した。ですよね。僕の鞄から見つけたときも相当食いついてましたからね。

「寝つきが悪いときに飲むんですよ」

 本当は帳のために用意しているものだが、実は帳にそういうことは言っていない。だからここは適当にはぐらかした。どの道、誰のために用意したかはあまり問題ではないだろう。

「市販のものですから、効きはそう早くないですよ。これで相手を眠らせて……は少し難しいと思います」

「どうだか」

 いや、実際、薬物使用は難しいはずだ。部屋には水差しがあるし、洗面所もあるから使用後の処理も簡単だが、警察が体内を調べて薬物反応がでればそれこそ詰みなので、そんなことはできないだろう。

「他に怪しいのは、なさそうですね……」

「道明寺さんがコンタクトしてたのは、アタシ初耳だけどね。アタシもしてるんだけどさあ、二泊三日の予定だったから使い切っちゃったのよね」

「サングラスの上にコンタクトだったんですか、すぎたさん……」

 色つきのメガネでいいだろうに。

 隣に座っていたロッタちゃんが、僕の服の裾を引っ張った。

「先輩、被害者である宇津木先生と新藤先生の荷物は調べましたか?」

「一応ね。でも、犯人が何かを隠した様子はなかったな。もっとも、もともと何が鞄に入っていたか分からないから、巧妙に隠されている可能性を排除しきれないけど」

「少なくとも、凶器などはなかったんですね」

 そもそも、凶器が残っているのかという問題もある。犯人にこれ以上殺害をする気がなかったら、凶器もこれ以上は不要だ。すべて使い切ってしまっているとも考えられる。現地調達できるものを、発見されるリスクを甘受してまで多く持ち込むメリットはない。

 何か有益な情報はないかと、もう一度一覧表を見る。見続けていたら文字が変化するなんてことも無いのだから、睨めっこを続けるだけ時間の無駄なのだが……。

「…………ううん?」

「どうかしたの?」

「いや」

 帳に話しかけられて、僕は視線を一覧表から外した。

 違和感がある。

「なんでもない。やっぱり無駄足だったかな」

 普段なら帳に話しているだろうその違和感を、僕は彼女に隠した。帳は僕の様子から何も感じ取らなかったらしく、柔らかい表情でこちらを見ていた。

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