悪いニュース

 ロッタさん――ではなくロッタちゃんは、のっぴきならない事情で架空島に幽閉されている。

 一昨日、そして昨日の会話を聞く限り、僕の推理はおおよそ間違いない。

 そもそも最初から、悪い予感しかしなかったのだ。いくら僕より年下のティーンエージャーだとしても、精々ロッタちゃんは十代半ばだ。久しぶりに客人と会って舞い上がることもあるだろうが、はしゃぎ過ぎて疲れてお昼寝とか、あまりにも精神年齢が低すぎる。

 よっぽどはしゃぐ事情が、彼女にあったのだ。一分一秒を惜しむように僕の出した話題に食いつく彼女を見て、それは確信に変わった。

 ではそれがどうして、ロッタちゃんが幽閉されているなんて結論に飛躍するのか。ヒントはそこら中に散りばめられていた。それを集めれば、答えは明白。

 宇津木さんなら「ちょっとした事実の集積だよ」とでも格好つけてから、話しはじめるのだろう。

 第一に、ロッタちゃんがしたためた招待状だ。招待状には、奇妙な一文があった。

 『もしどうしても遠慮なさるなら、別の日でもよろしいので、いつでもタロット館に来てくださいね。』

 僕は最初、特に気にしなかった。架空島、そしてタロット館の主がロッタちゃんなら、この言葉は至極普通だと思ったからだ。しかし思い返してみて、不自然さに気づいた。

 どうして彼女は、場所をタロット館に限定しているのだろうか。

 タロット館は別荘だ。坂東さんが招待状の前半でそうしたためている。そして別荘というのは、フィクションのイメージそのままなら、長期休暇の際に訪れる場所であって、常駐するための場所では本来ないはずだ。

 それなのに、『いつでも』と書かれている。これはおかしい。これはロッタちゃんがタロット館に常駐しているような書き方だ。ロッタちゃんもその他のメンツと同じく、このサロンが催されるタイミングで架空島を訪れているものだとばかり考えていたが……。

 第二に、昨日の食事における会話。ロッタちゃんが言っていた、おかしなこと。

 「帳さんには度々、タロット館へ来ていただいているんですよ」と、ロッタちゃんは言った。そのとき僕が疑問に思ったことは、どうやら正しかったらしい。この台詞は、友人であるはずのロッタちゃんと帳がタロット館でしか会っていないことをやはり示唆していたのだ。しかもロッタちゃんはタロット館から出られないだろうということも分かる。友人同士が会うのに、片方を招いてばかりというのはバランスが悪い。必然、招き招かれがあるはずなのだ。それが無いということは、ロッタちゃんはタロット館から出られない可能性がある。

 ひとつひとつはただの不自然で、こちらがシニフィエを間違って捉えただけだろうで済む話。でも、不自然が複数にまたがったとき、それは推理になる。

 彼女がタロット館に常駐しているということは、おそらく呉さんをはじめとする使用人勢も常駐しているのだろう。そう考えると森さんしたいくつかの発言――「クルーザーの運転は暇を見てマイちゃんとお嬢に教えてるが」とか、「いつもはマイちゃんに起こされないと昼までぐっすりなのに」といった、日常感のある台詞も納得いく。

 どうして彼女がそんな状況に陥っているのかという点については、まだ憶測の域を出ない。警察嫌いであることから何かしらの刑事事件が関わっているのだと考えることもできるし、家族のことを頑なに話さないところから朝山家が絡んでいる可能性もある。あるいは両方か。

 宇津木さんは当然、その手の事情を知っていただろうとして、他の作家先生は何か事情を知っているのだろうか。

 そこまで考えて、僕は起きることにした。

「……今は、何時だ?」

 相変わらず時間は分からない。窓が無いとおおよその時刻の見当もつかないな。意外と面倒なものだ。

「どうも途中で寝てしまったみたいだけど……。うーん、どれくらい遅くまでロッタちゃんと話していたんだろう」

 あのときの眠気から適当に推し量るに、日は跨いでいたのかもしれない。夜更かしに慣れていないとはいえ、いい年して寝る直前の記憶が無いというのは情けないものだな。

「さて、今日はどうするかな」

 どうするも何も、僕はここから出られない。作家先生方が事態を進展させてくれればありがたいが、僕なりに頭の中で考える必要も当然ある。

「なによりまずは……」

 隣でぐっすり寝ている、ロッタちゃんをどうにかしないといけない。

「………………はあ」

 どうしてこうなっているんだろう。ロッタちゃんが部屋を出た記憶が無いのは確かだけど、まさか隣で寝ているとは思わなかったなあ。一応、独り言を呟いて起きるかどうか試してみたけど、そんな素振りはない。すやすやと、気持ちよさそうな寝息を立てていた。

 考えてみれば、昨日も寝ぼけた状態で起きてきたな。そんな彼女が、物音を立てた程度で起きるとも思えない。揺すっても起きないかもしれない。

 部屋の隅を見ると、そこに車椅子が置きっぱなしにされていた。その肘掛には『魔術師』を模した鍵がある。それはつまり……。

 ベッドから這い出て扉に向かう。ドアノブを捻ると、何の手ごたえも無くあっさり開いた。内側からすら施錠していなかったわけだ。不用心すぎる。

 本当にどうしようか。これはいろいろ問題だ。このまま、もし僕が現状をどうすることもできない状態で第二の事件が起きたら、それこそ詰みだろう。僕が犯人だと思われても仕方ない。「ロッタちゃんを眠らせて鍵を入手。そして第二の事件を起こしました」と。

 まあそれで警察が呼ばれるならそれでいいが、万が一リンチにでもされると厄介だ。何故かこの島では帳が僕を庇ってくれているけど、水泳さえできない女子高生は戦力にならない。僕も腕っぷしに自信があるタイプではないので、強硬手段に出られると困るのだ。

 島に総員が軟禁されているこの状態が長引けば正常な判断力をみんなが失って、そういう穏やかじゃない事態に発展しかねない。迅速な解決が必要なのは確かだ。

やはりロッタちゃんを起こして、彼女に外側から鍵を掛けてもらうほかあるまい。

「起きろ、起きるんだロッタちゃん」

 取りあえずロッタちゃんの肩を掴んで揺すった。女子に触るのは気乗りしないが、さん付けをやめたあたりから彼女に接触する行為の忌避感も無くなり始めていた。ていうか同じベッドで寝ておいて今更なんだよ。

「起きてくれ、頼むから」

「ううん……」

 金色の髪が揺れるが、彼女の内で自発的に動く部位はなかった。時折唇を動かして唸るが、意識的な行為ではなさそうだ。

「起きろ! こんなところで寝たら死ぬぞ! 雪山じゃないけど」

 日本のフィクション界における様式美を一通り踏んでみたが、起きる気配が無かった。ロッタちゃんは目を閉じたままもぞもぞ動いて、シーツに包まった。

「あ、殺人犯とひとつ屋根の下にいるんだから、無防備なまま寝たらやっぱり死ぬか」

 それ以前に、これは起きないところまで含めて様式美なのだった。

「……マジで起きない気だなこの子」

 しかも厄介なのが、彼女の寝る位置がベッドの中央に移動してしまったことだ。どうしても彼女が起きない場合、僕は二度寝するつもりだった。そしてもし第二の事件が起きたとき、起こされるまで気付きませんでしたアピールでギリギリ言い訳しようと……。しかしロッタちゃんがこの位置だと、いくらベッドが大きくても僕が寝れない。

 それこそ今際の際のギリギリラインに立つくらいの言い訳だが、ぶっちゃけこれしかないだろうという腹案だったのになあ。現在時刻が分からず、外に誰がいるかも判然としない状況で堂々と廊下に出るわけにはいかなかった。呉さんかその他使用人勢がいれば(ロッタちゃんのパーソナリティをよく理解しているために)この状態を正確に理解してくれるだろうが……作家先生は無理だろう。

 加えて、彼女の自室である『運命の輪』の部屋が施錠されているかどうかも分からない。『魔術師』の鍵はここにあるが、『運命の輪』の鍵が見当たらない。ロッタちゃんの着ているネグリジェにポケットは無さそうだったし……。

 施錠されておらず、鍵が部屋の中にあるというケースが最有力だが、施錠されている可能性も否定できない。ロッタちゃんを抱えていって扉が開きませんという骨折り損だけは勘弁だ。

 ……もうしばらく待って、彼女が覚醒するのに賭けるしかなさそうだ。まだ第二の事件が起きるとは決まったわけじゃないし、今はまだリスクを負うべきタイミングではない。

 念のため鍵で扉を施錠し、それから僕は読書をすることにした。読むのはロッタさんが持って来てくれたタロット辞典だ。

 タロットになど興味の無い僕だが、しかし今回の舞台はタロット館。大アルカナの意味を、今ここにいる人の分くらい確認しておいても良いだろう。それにもし、朝山大九が中村青司みたいな建築家だった場合、どこかに秘密の通路を用意している可能性だってある。タロットについて把握しておけば、その通路に気づけるかもしれない。

 まずは僕に割り当てられた大アルカナ『戦車』だな。ええっと、大きく分けてタロットにはウェイト版とマルセイユ版があるんだったか。タロット館の絵はどっちなんだ?

 凡例を見るにマルセイユ版とウェイト版は並列されているらしいので、とりあえず『愚者』を確認することにした。帳が「『愚者』は物によって順番が違う」と言っていたのを思い出したのだ。タロット館の『愚者』は『0』と表記されていたから、そこから種類を割り出せそうだ。

 『愚者』のページを見ると、ウェイト版と書かれている方はタロット館の物と同じく『0』が描かれていた。一方、マルセイユ版には数字が与えられていないのかカード上部には何も描かれていない。

「タロット館はウェイト版か……。でもどうしてウェイト版なんだ?」

 僕は帳が持っているタロットを見せてもらったことがあり、それがウェイト版だったからウェイト版がスタンダードみたいに思っている。でも、マルセイユ版も十分ポピュラーなはずだよな。

 並び順の違う二つの版を採用するのは現実的じゃないのだろうけど……。朝山大九はタロット館を設計する前に相当タロットの勉強をしたはずで、その証拠こそこの辞典に代表される書斎に残された資料だ。何か、ウェイト版を採用した決め手みたいなものがありそうなものだが……。

 とにかく、『戦車』のページをめくる。ウェイト版として載せられているカードの絵柄は、なるほど客間の扉に掛けられているものにそっくりだった。マルセイユ版の『戦車』はそもそも、スフィンクスではなく馬が引っ張っているじゃないか。

 そしてそのスフィンクスについて、きちんと記述もなされていた。

 『動物がカードに描かれた人間の本能を表しているのは、これまでで説明した通りである。ではこの大アルカナの場合はどうか。二頭の白と黒のスフィンクスが戦車を引っ張る様は、戦車に乗った若者を強大な本能が突き動かしていることを表している。そしてそれは崇高さに隠された本能である、とも。

 白いスフィンクスは純真、黒は闇の側面を表す。その二頭が彼を突き動かす原動力だ。二頭のスフィンクスと若者で構成される三角形は、二方向へ分かれる本能を統制して前進する意思を示している』。

 二方向へ分かれる本能、ねえ。崇高さに隠された本能というのは、どうも言い当てられた感があって嫌な気分になる。それはまさしく、今の僕と帳の関係なのかもしれない。

 『大意として勝利を表すとされるが、自我衝突や自我のコントロールも含意する。また逆位置の場合、自我や本能の統制が取れていない状態を示し、乱暴や激情を表す』。

 大意を確認するに、坂東さんは決して適当に選んだわけではないし、宇津木さんもお世辞で「似合う」と言ったのではなかったようだ。

 ……宇津木さんは名探偵だからまだ僕のパーソナリティを正確に把握できたことは理解できるけど、どうして坂東さんはここまで正確に? 帳がけっこうな情報量を向こうに提示したのかもしれない。本当に、僕はどういう人物として紹介されていたのだろう。

 さて、次は帳の『女教皇』だな。辞典的には戻る格好になるが……。

 『女教皇の頭飾りはエジプトの女神イシスと同じもの。彼女はギリシアでソフィアと称された知恵の象徴であり、命を狙われた夫オシリスをその知恵と洞察力で窮地から何度も救った。

 彼女の左右にあるふたつの柱は対立するふたつの存在を表す。それは例えば男と女、動と静、光と闇の均衡である。対立するふたつの原理の均衡こそが真意と言われる。

 また、柱の間に張られた布に描かれた柘榴は女性器の象徴で、このカードは女性性を神聖化しているとされている。

 知識や知恵が大意とされるが、学問的な知恵よりも内助の功、女性としての知恵と洞察力を示す。逆位置の場合、対立する二原理の均衡が破れたことを表す』

 これほど、帳にぴったりなカードもないだろうな。しかし二つの原理の均衡というのはどういうことだろう。帳と何かもうひとつの原理が均衡しているのか、それとも帳の周囲でふたつの原理が均衡しているのか。

 坂東さんがどこまで考えて割り振ったのかは分からないから、考えるだけ無駄か。それに所詮占い。どうもペラペラと解説をめくった感じ、大アルカナ一枚だけで占うようなものでもないらしいし。

 鞄から招待状に同封されていた参加者一覧を引っ張り出す。部屋がそれぞれどこだったか、メモを取っておいた方が便利だろうと思ったのだ。ついでに役立つか分からないが、辞典に載っている幾つかの大意からそれらしいものも書いておこう。

 さらに空いているスペースに使用人勢とロッタちゃんも書き加えておいて、完成だ。


サロン参加者一覧改

 名前       部屋       大意

  新藤帝都     『世界』     『最高到達点』

  すぎた      『死神』逆    『停滞』

  須郷大覚     『太陽』     『物事の成就』

  宇津木博士(故) 『正義』     『公明正大』

  道明寺桜     『力』      『勇気』

  猫目石瓦礫    『戦車』     『自我の衝突』

  夜島帳      『女教皇』逆   『均衡の崩壊』


  ロッタ      『運命の輪』   『チャンスの到来』

  坂東慶      『塔』      『事態の急変』

  森元通      『吊るされた男』 『実りある努力』

  呉舞子      『恋人たち』   『協調性』


 すぎたさんのカードは、どうもいい意味じゃないな。『死神』は正位置の方が悪い意味になると思っていたけど、この辞典で確かめると正位置の大意は『再スタート』だった。なんでも死が終わりと始まりを意味するようで、逆位置になってしまうと死が訪れないことを示し、それが『停滞』という大意になるらしい。

 『死神』のカードに関しては、客人であるすぎたさんを慮って逆位置にしているだけかもしれない。タロットに詳しくない人からしたら、正位置の『死神』はあまり良い気分にさせてくれるカードじゃない。じゃあ最初から割り振るなよという話だが、ここら辺は坂東さんの采配の問題だ。

 『吊るされた男』が正位置でプラスの意味になるのにも驚いた。森さんの部屋の扉を見ていないから、実際には正位置か逆位置かは分からないが、彼は使用人だからすぎたさんのような気遣いもなく正位置のままな気はする。

 坂東さんも、あまりいい意味のカードじゃないみたいだ。こっちも位置を確認していないから、実際は逆位置なのかもしれないけど……。ちなみに逆位置の『塔』の大意は『破壊の回避』だった。

 ……あれ? そういえば帳の『女教皇』は逆位置だったんだよな。

「うぎゃ!」

「うわっ」

 僕の思考はベッドの方から突然上がった、潰れたような悲鳴にかき消された。慌ててそちらを見ると、ベッドから落ちたらしいロッタちゃんがシーツを体に絡ませてもがいていた。

「大丈夫か?」

「うう。あれ? 猫目石さん……じゃなかった。猫目石先輩じゃないですか」

 ロッタちゃんはごろりと転がって、床の上に仰向けになってこちらを見た。上半身を起こすことすらしないが、意識ははっきりしているらしい。昨日の朝と違って、受け答えがしっかりしている。

「おはようございます。どうして猫目石先輩がわたしの部屋に? 鍵は確かに、かけていなかったと思いますが……」

「違う違う。君が、僕の部屋にいるんだよ。ここは君の部屋じゃない」

 絡まったシーツをロッタちゃんから剥ぎながら訂正する。

「ほら、その体勢じゃよく見えないかもしれないけど、ベッドの脇にある水差しを見てごらんよ。『魔術師』の大アルカナがモチーフになっているだろう?」

「……本当ですね。どうも昨日、自室に戻った記憶が無いと思っていましたが、そういうことですか」

 ロッタちゃんは床に座ったまま、大きな欠伸をした。まだ眠そうだが、眠ってしまうとこちらが困る。有無を言わせずロッタちゃんを抱えて車椅子に座らせた。

「部屋に戻れるか? 僕は部屋を出るわけには行かないからさ」

「そういえばそうですね。では、わたしがこの部屋を出て、外から鍵を掛ければいいんですね?」

「ああ。ところで、ロッタちゃんの部屋の鍵はどこに? この部屋には無かったけど……」

「わたしの部屋でしたら、開けっ放しだと思いますよ。ですから鍵は、自室の中です」

「不用心な……」

「普段は施錠しませんから。一応、客間には鍵があると言っても、知っている身内が使う分には施錠の必要性もありませんよ。だからこそマスターキーを紛失しても、作り直そうなどとは思わなかったわけです」

 なるほど。そう言われればマスターキーを紛失したままなのも頷けそうではある。まあ、ウォード錠の性質からマスターキーの製作が難しいというのが本音だろうけど。

「でも本当に、マスターキーはどこにあるんだろうな。君は見ていないんだよね?」

「ええ。祖父はマスターキーの存在を話していましたし、書斎にある資料の中に、マスターキーの発注書がありましたから、あったのは確かです。先輩は、今回の事件にマスターキーが絡んでいると思いますか?」

「……ううん、いや、どうだろう」

 まあ、マスターキーは今回の事件とは関係ないと思っているけど……。去年にここを訪れたのが初めての作家先生勢が偶然見つける可能性は低いだろう。作家先生が偶然見つけるような場所に落ちているなら、その前に使用人勢かロッタちゃんが気付きそうなものだ。裏を返せば、マスターキーを偶然見つけたからこそ、宇津木さんを相手取ってまで事件を起こす気になったとも考えられるけど……。

 一方使用人勢は、紛失していたはずのマスターキーを見つけた時点でロッタちゃんにそれを報告するはずだ。少なくともその時点で、マスターキーを使用して誰かを殺害することを考えていない限りは。

「とりあえず、マスターキーがタロット館や架空島のどこかに無いか、もう一度調べてもらえないかな? 見つかればラッキー、くらいのものだけど」

 結局、僕からロッタちゃんに頼めるのはそれくらいのことだ。『探偵』として活躍すればそれだけ寿命を縮めるこの環境、変な動きはできない。

「森に探させておきましょう。見つかれば、マスターキーが無関係だという確証が得られますから」

「頼むよ」

「それではわたしはこれで……。今はもう朝でしょうか? ともかく、時間になりましたら呉に食事を運ばせますので」

 ロッタちゃんは部屋を出る。きちんと、扉の鍵が施錠される音もした。再び僕は軟禁状態となり、これ以降は事件が起きても、容疑者入りすることもなくなった。

「……マスターキーか」

 『正義』の客間で起きた殺人事件、その密室トリックを考える上でもっとも忌々しい存在であるのは間違いない。有無を確認しないことには、どんなトリックを僕が講じても机上の論理になってしまうからだ。森さんが見つけてくれることを、期待するしかない。

 さらに厄介なことは、マスターキーの存在を事件から排除しなければ、僕がこうして軟禁されているメリットを得られないということだ。僕がマスターキーを所持していれば、『魔術師』の客間を自由に出入りすることは可能になる。目撃される危険性など諸々を考えると現実的ではないし、そもそも一昨日初めて来たばかりの僕がマスターキーを持っているはずなどないが、まあ向こうは「夜島帳との共謀」で大半の不自然を無視するだろう。確かに何度もここを訪れているらしい帳なら、少なくとも作家先生たちよりはマスターキーを発見する可能性も高いし、帳が見張り役になれば僕が目撃される率も下がるからなあ。

 ……さて、また暇になったな。どうしようか。ロッタちゃんが持ってきたもう一冊の本を読むのが、今のところ一番の暇つぶしではあるが。

 僕が『白紙のラブレター』の製版見本を手に取ったところで、扉がノックされる。

「猫目石さん。お食事をお持ちいたしました」

「はい」

 鍵を開けて中に入って来たのは呉さんだった。一昨日や昨日と同じく柔らかい笑みを浮かべてはいたが、そこに若干のぎこちなさを僕は感じ取った。

 彼女は二段式のワゴンを押していた。ワゴンの上にはトーストが二枚とふわふわのスクランブルエッグにソーセージとサラダ、さらにカットフルーツとヨーグルトとなかなかに豪勢な料理を載せたプレートがあった。

「すみません、わざわざ」

「いえ、こちらこそなんとお詫びしていいか。お客様を軟禁するなんて……。しかもさきほどお嬢様から窺ったことには、昨晩はお嬢様が失礼を」

「大丈夫ですよ。僕も、ロッタちゃんからはいろいろ聞きたかったですし」

 呉さんはテキパキと料理をローテーブルの上に並べていく。スクランブルエッグにかけられたトマトケチャップが、酸味とほのかな甘さを感じさせる匂いを放っている。ケチャップ香りをここまで鮮烈に意識したことは無い。

「昨晩の夕食も変わらずお召し上がりになっていたようなので、とりあえず普通の分量をお持ちしましたが、ご気分の方はよろしいでしょうか?」

「ええ。なんともなく、元気です」

 さらに呉さんがワゴンの下から取り出したのは包装されたバターが二欠片と、バターナイフやフォークが入った籠。それからコップと牛乳の入ったピッチャーだった。

 ……本当に豪勢だな。食料の方は持つのだろうか。まあ、サラダに使う野菜なんかは、腐らせるよりはさっさとお腹に収めてしまった方がいいのだろう。牛乳なんかも腐るのは早いだろうし。

「帳の様子はどうですか?」

「夜島様も猫目石さん同様、普段通りのようです。お二人を除けばいつも通りなのは、お嬢様くらいでしょうね。先生方はみなピリピリしています」

「その先生方ですけど、互いに互いを怪しんでいる様子は……?」

「……思えば、そういった様子は見受けられませんでしたね。疑心暗鬼になっていても不思議ではない状況だと思うのですが」

「なるほど」

 僕が容疑者として捕まっているからだろうな。最も怪しいやつが軟禁状態の内は、とりあえず安心できているみたいだ。無論、僕がなんらかの方法で軟禁状態を脱する可能性は考慮に入れているだろうから、ピリピリしているのはそれが原因か。

「少なくとも第二の事件が起きて、僕が容疑者候補から外れない限りは安定しているでしょうね。そして誰もいなくなったみたいな展開は避けたいところです」

「『クローズド・サークルは全滅が花』と、お嬢様はおっしゃっていましたが……」

「警察さえ呼べればそうはならないんですけどね」

 トーストにバターを塗って、一口齧る。濃い、芳醇な小麦とバターの香りと味が口いっぱいに広がる。

「呉さん。どうしてロッタちゃんは警察を呼ばないんですか?」

 世間話の流れで、核心を聞き出すことにした。あまり交渉術は得意ではないし、誘導尋問なんてもっての外だから、直接的な手段に出るしかない。

「それに関しては……お答えできません。ただ、お嬢様が警察嫌いなのは確かです」

 呉さんの顔は一瞬、さっと曇ってすぐに元通りになる。口封じされているというより、彼女自身が話したいと思っていないような印象を受けた。

 ミスったかもな。事情を詳しく突っ込んで聞くなら呉さんが一番だと思っていたけど、案外森さんの方が御しやすかったかもしれない。

「ロッタちゃんはこの島から出られないんですか? 一昨日と昨日、彼女の言葉を聞いた感じ、そう推測したんですけど」

「はい、確かにお嬢様はこの島から出られません」

 意外なことに今度は、間を開けずにレスポンスがあった。呉さんも特に、話辛そうなことを話している感じではない。

「……それは周知の事実ですか?」

「はい。作家先生方も、夜島様もご存知です」

「僕は聞かされていませんでしたよ」

 帳が情報を出し渋ったか、あるいは単に伝え忘れたか。あいつの場合なら後者の方が可能性は高いだろう。

「ロッタちゃんが警察嫌いなのを呉さんが公言したということは、それも周知の事実なんですね?」

「はい」

「では、架空島で事件が起きたとして、ロッタちゃんが警察を呼ばないであろうという推測を立てることは……」

「不可能とは申しません。お嬢様は警察嫌いであると同時に探偵好きですあることを公言なさっていますから。加えてサロンの参加者には宇津木様と猫目石さん、二人の探偵がいらっしゃいます。警察を介入させなくとも事件を終息させる算段がある以上、警察嫌いのお嬢様が通報を渋るのはある意味必然でしょう」

「……ですよね」

 嫌いなものに頼らなくともなんとかなるのであれば、それでどうにかしたいと思うものだ。ロッタちゃんの立場に立てば、警察を呼ばなくても事件は解決しうるのに、嫌いなのを我慢して警察を呼ぶ合理性が無い。

 ただ、一方で事件が終息次第警察を呼ぶという判断も彼女は下している。つまり最低限(本当に最低限だが)の良識は持っていて、彼女は決して遊び半分で探偵に事件を解決させようとしているわけではないということだ。

 よっぽど、過去に警察と一悶着では済まない何かがあったのだろう。

「ところで猫目石さん」

「はい」

「さきほど夜島様に頼まれまして、猫目石さんの腕時計を部屋からお持ちいたしました」

「あ、それは助かります」

 時間がおおよそすら分からないというのは気の滅入ることだ。時計があるだけでこの軟禁生活の精神衛生もマシになるというもの。

「こちらになるのですが……」

 ワゴンから腕時計を取り上げた呉さんは、何故か困ったような顔をしていた。

「どうも、止まっているようなのです」

「え?」

 受け取って文字盤を見る。時計は五時三十二分のところで確かに止まっている。秒針は均等な間隔で震えているが、五十五秒のところからまったく動かない。

「電池が切れているのかと思いこちらで交換してみたのですが、動かないようです」

「歯車が駄目になったのかもしれませんね。ホームセンターで買った安物ですから、寿命でしょう」

「森さんに直せるか聞いてみたのですが、『俺はこういう細かいの苦手だ』と」

 森さんらしい言い分ではあるが、客人にそのままの台詞を伝えるのはどうなんだろう。

「これじゃあ時間は分かりませんね。今は何時ですか?」

「今は……午前八時十五分です」

 呉さんはエプロンドレスのポケットから懐中時計を取り出して、時間を教えてくれる。腕時計を使わないのは、水回りの作業などで邪魔になるからだろうか。

「…………」

「どうかなさいましたか?」

「いえ、特には」

 五十五分で止まった秒針に、ふと客間の配置を思い出したのだ。あの、『愚者』と『魔術師』の客間の、書斎を挟んだ奇妙な配置。朝山大九が変人でそういう設計にしたのだと言われればそれまでではあるが……。

 どうも僕の中で朝山大九が、変人というイメージと結びつかない。それはまず、書斎に残されているという大量の資料が原因だろう。ただの変人なら、タロットをモチーフにするにあたって、事前の調査をそこまでしないような気がした。

 何か、意味があるような気がしてならない。ぐるりと本館を囲むような客間の配置といい、不可思議な『愚者』の客間の位置といい、モチーフにウェイト版を選んだことといい……。

 何か、あるはずだ。……待てよ、確か一昨日、帳が言っていたことには。

「呉さん、扉の絵についてなんで――」

 僕が全ての台詞を言い終わる前に、扉がノックされた。かなり乱暴で、性急な叩き方だったので、僕は言葉を途中で飲み込んでしまった。

「……はい」

 呉さんが扉を開ける。入ってきたのは森さんで、今日も灰色の、汚れが目立つつなぎを着ていた。

「ニュースが二つほどあるんだが聞くかい、先生」

 森さんは入るなり、僕にそう言う。そこに普段の飄々とした態度は無く、呉さんがさっき、この部屋に入ってきたときよりもはっきりと、焦りと不安が顔に出ていた。

「良いニュースと悪いニュース、というやつですか?」

「そんなところだな。良いニュースっていうのは、マスターキーが見つかったってことだ」

「では、悪いニュースとは?」

「客間で新藤先生の遺体が見つかった」

 僕の隣で、呉さんが息を飲む音が聞こえる。

「なるほど」

 悪いニュースではあるが、一方で良い側面もそのニュースは孕んでいた。

 とりあえず、新藤先生は犯人じゃなかったんだな。

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