タロット館2 不満な疑惑

最有力容疑者

 いわゆるお通夜状態にはならなかった。

 宇津木さんの遺体を確認した後、食堂に戻った一同がしたことと言えば、食事だった。食堂は食事をするところなので、これは自然なことだろう。時間帯がちょうど、夕食時だったこともある。

 お腹が空けば、どんな状況下でも食事は美味しいものだ。運ばれてくる料理を僕はいつものように食べた。それは帳も同様である。

 殺人事件。なるほど確かに危機的で安穏とはしていられない状況だ。だが僕にとっては予想済みの範疇でしかない。まあ、さすがに最初の犠牲者が宇津木さんだとは思わなかったけど。

 席順は昨日の夕食と同じである。ロッタさんの隣が、一席空いている。あそこについ昨日、宇津木さんは座っていたのだ。

「道明寺先生」

 他の先生方は一様に食欲不振なのか、最初に運ばれてきたスープに口もつけない。しかしロッタさんだけは別で、僕や帳と同じペースで食事を続けていた。死体確認後、「ひとまず食事にしよう」と提案したのが他ならぬロッタさんなので、彼女もまた、空腹だったということらしい。

 そのロッタさんが、思いついたように道明寺さんを呼ぶ。スプーンでスープをかき混ぜていた道明寺さんは怪訝そうな目をロッタさんに向ける。

「なんさね?」

「新刊はもう読み終わりました。とても面白いお話でしたよ。わたし、つい夜更かししてしまって」

「……え? あ、ああ」

 いつもの元気はどこへやら、道明寺さんの反応は鈍い。

「そういえばロッタさん、今朝そういうこと言ってましたね。道明寺さん、僕にも貸してくれませんか?」

「言ってましたっけ? 森の話だとわたしは一回起きてエントランスまで行ったそうですけど……記憶が無いんですよねえ」

「ロッタさんの記憶だと起きたのは何時ですか?」

「十二時です。みなさんと昼食をご一緒しました。ああ、それと猫目石さん。わたしのことは呼び捨てで構いませんよ」

「そういうわけには……」

 机が盛大に叩かれた。すぎたさんだ。すぎたさんが机に拳を打ち付けた衝撃で、スプーンがスープ皿とかち合って耳障りな甲高い音を出す。

「ちょっとあんた達! こんな状況下でなに呑気してんの。人が死んでるのよ?」

「そうですね、すぎた先生の言う通りです。人が死んでいます」

 椅子の背もたれに体を預けたロッタさんは、すぎたさんを睥睨する。三十歳近い年の差など、今この場において関係ない。忘れてはならないのだ。ロッタさんは、この館の主である。

 落ち着き払った余裕のある態度をとるロッタさん相手に、混乱のただ中にあるすぎたさんが敵うはずもない。

「まずは……そうですね、ここで状況を整理しましょうか。わたしは直接確認をしていないのでこんな質問をするのですが、宇津木先生は本当に死んでいたのですか?」

 館の主は金色の毛先を弄びながら、一同を見回す。僅か十四歳に、この場の主導権を握られているのは明白だ。新藤さんでさえ、一言も発していない。

「遺体の確認をしたのは猫目石さん、新藤先生、坂東の三人でしたね。どうでしたか?」

 全員の目線が、ロッタさんの言った順番に移動する。坂東さんは配膳を終えて、今はロッタさんの後ろに控えている。呉さんも坂東さんの隣にいるが、森さんの姿は見えない。

 坂東さんが言葉を発しないのはもはや必然として、こういう時は一番に発言しそうな新藤さんも口を開かない。重い沈黙が続いた後、仕方なく僕が口火を切った。

「僕が最初に遺体を確認しました。脈を取りましたが、反応はありませんでした。体は既に冷たくなっていて、死後硬直も起きていましたが……。死後硬直は死後二時間から三時間で発生するんでしたよね?」

 ミステリ作家なら、誰か一人くらい知っているだろうと思って投げかけた質問だったが、全員が首を縦に振った。常識みたいなものらしい。まあ、僕も知っているくらいの知識だからなあ。

 新藤さんがため息を吐く。食欲は無いようだが、それでもこの人はあまり動揺を見せないなあ。

「そこから先、どのように死後硬直が起きるかまでは、さすがに覚えていないな。知識があったところで断定できるわけでもなし。死亡推定時刻の最短は死体発見の午後六時からマイナス二時間で、午後四時としていいだろう。異論はないな?」

 誰も言葉を発しない。妥当だろうと、みんな思っているのかもしれない。

「問題は最長となるが、昼食後に宇津木君を見た者は本当にいないのだな?」

「はい。それについてはわたしが皆様にお尋ねしました」

 呉さんが一歩前へ出る。

「お嬢様含め、皆様が食堂に会したときにお尋ねしたので、皆様の誰もが宇津木様を昼食後から見ていないのをご存知でしょう」

「少年と嬢ちゃんはどうなんだい?」

 須郷さんがこちらに指を向ける。僕が答えようとしたが、その前に呉さんが言葉を発する。

「猫目石さんには、まさしく『正義』の客間の前でお聞きしましたが、見ていないとのことでした。夜島様については……」

「森さんには言ったのだけど、その森さんがいないようだからもう一度言わせてもらうわ。わたしも宇津木さんを見ていない。わたしは朝早く海に行って、それから『鷲の座』にいたものだから、一日中見ていないわ」

 一気呵成に喋り終えると、帳は呉さんに森さんの所在を聞く。それに対し答えたのはロッタさんの方だった。

「森はクルーザー及びヘリコプターの点検をしています。非常事態ですので、万が一にはいつでも出せるように。クルーザーの方は今朝も点検したところなので、そう時間もかからないでしょう」

 それから正面に向き直り、会議を進行させる。

「なるほど。それでは死亡推定時刻の下限は昼食終了から少し経った、午後一時半と言ったところでしょうか。大雑把ですが、この約四時間の間に宇津木先生は殺害されたと。それでは次にアリバイの方を確認しましょうか?」

「おいおい! ちょっと待ってくれ!」

 須郷さんは慌てたように、ロッタさんの進行を遮る。遮られた方はキョトンとして、首を傾げるだけだ。

「どうかしましたか?」

「どうかしましたもなにも! どうして平然と推理大会が始まってるんだ? 警察に通報するんだろ?」

 すぎたさん、道明寺さんも頷く。警察に通報するのだから、死亡推定時刻やアリバイの確認は不要、か。それもそうだ。僕は事態を落ち着かせるためにロッタさんが状況を整理しているものだと考えていたが、警察に通報したという事実の方がよっぽど、人を冷静にさせそうなものだ。

「そうよ。架空島は孤島と言っても、ネットが通じるじゃない。それにケータイは圏外だけど、固定電話なら回線が通っているんでしょ?」

 すぎたさんは身を乗り出して、ロッタさんに提案する。ロッタさんはその深緑色の双眸ですぎたさんを見て、どこか鷹揚とした様子で答える。

「ええ。わたしたちの部屋にはそれぞれ、固定電話とインターネット回線が通っています。ネット回線を使えばテレビも見れますから、孤島にしては隔絶された感の無い場所ですね」

 のんびりした態度が、須郷さんとすぎたさんをイラつかせている。彼らの目の前に置いてあるスープはだいぶん冷めているはずだが、もうしばらく傍に置いておけば温め直せるんじゃないだろうか。傍目から見ても分かりやすいくらい、二人は顔を真っ赤にしていた。

「だったら――」

「警察は来ませんよ。通報していませんから」

 欠伸混じりに、ロッタさんは呟く。「源氏物語の作者は紫式部です」とでも言うような自然さがその言葉にはあった。

 もしかして……犯人が電話線を切った? インターネットも、アンテナか回線を物理的に切断すれば不通になる。

 いや、待て。

 今、ロッタさんは「通報していません」と言ったのか? 通報『できない』のではなく、通報『しない』と。

「電話線でも切られたかい? じゃあクルーザーで直接、警察を呼びに行けばいいじゃないか。それとも、クルーザーもヘリも壊された?」

 冷静さを欠いているのか、須郷さんはロッタさんの言葉を正しく理解していない。

「ですから、警察には通報していないのです。電話もネットもクルーザーもヘリもおそらく正常ですが、警察は呼びません」

 駄々っ子に言って聞かせるような口調で、ロッタさんは言い放った。身を乗り出していたすぎたさんは、ドシンと、椅子に体を預けた。

「な、なんで……なんでそうなる!」

 須郷さんが激昂して立ち上がる。椅子は後ろに倒れ、盛大な音を立てる。隣に座る新藤さんが眉をひそめた。

「何故、警察を呼ばない!」

「嫌いなんですよ、警察」

 言葉を返すロッタさんの声は、幾分か不機嫌そうだった。それはタロット館で僕が初めて目撃する、彼女の負の側面だ。年相応の我儘さをもって、彼女は須郷さんの憤慨を一蹴する。

「痛くもない腹を探られるのも面倒ですし、できれば警察の方々には、架空島に踏み入ってほしくないのです。そのため、警察は呼びません」

 これは最終決定です。ロッタさんは異論を認めない強い口調で、何度も繰り返した。

 警察は呼ばない。

 警察が嫌いと言う話がどこまで本当かは判断のしようがないが……。ロッタさんのことなので、退屈しのぎの推理ゲームを警察に取られるのが嫌で通報しないという理論で動いている可能性もある。館の主で会の主催者だが、やはりまだ十四歳。物事の分別が完全につく年齢ではない。

 後ろに控えている呉さんと坂東さんは、ロッタさんの言葉に動揺する様子が無い。つまり、ロッタさんをよく知る使用人勢からすれば、こうなるのは予想通りということか。

 殺人事件が起きてなお、僕が食事を楽しむくらいに楽観的だったのはひとえに、警察に通報するだろうという当たり前の予測が働いていたからだ。館も島も今現在確認できる範囲ではクローズドしていないというのも大きい。万が一クローズドしてもこれだけの作家先生がいれば、架空島に行ったことを外部の人間――担当編集者などが知っていてもおかしくないから、少し待てば誰かが来るだろうとも思っていた。帳は間違いなく旅行の旨を家族に伝えているだろうから、作家陣が当てにならなくてもどうせ夜島家から助けが来るし、島と館の所有者である朝山家からも救援はあるに決まっている。

 それらすべてが空振りしても問題ない。なにせゲストには宇津木さんがいる。宇津木さんがクローズド・サークルの可能性を考慮して、万が一のときは外部から自動的に救援が来るように仕組んでいるだろうと踏んでいた。

 クローズド・サークルも殺人事件も起こる可能性を十分わきまえていて、それでも僕が帳についていってこのサロンに参加したのは、以上の理由から「なんとかなる」と思っていたからだ。案外、僕もまだまだ殺人事件に対する危機感の現実味が足りないのかもしれない。

 まさかロッタさんの方から横槍が入るとは。

 宇津木さんなら、この状況は可能性として頭に入れていたのか?

「あの……もうこの際、警察を呼ばないというロッタさんの判断には従います」

 否定しても仕方がない。ここでいくら言い争っても時間の無駄だ。ロッタさんがさっき言ったように、連絡手段はロッタさんと坂東さんら使用人の部屋にしかない。警察への連絡手段をロッタさん側に掌握されている時点で、呼ぶ呼ばないの議論に意味は無い。

「ではどうするんですか? 犯人を野放しにしたまま、予定通りサロンを続けて、明日に帰ると?」

 予定では二泊三日。つまり明日が最終日。

「いえ、そうではありません。警察は呼びませんが、わたしどもも犯人を野放しにする気はありません」

「はあ……言ってること矛盾してません?」

「していません。わたしは警察が嫌いですが、探偵は好きなんですよ?」

 隣に座るロッタさんがこちらを見る。エメラルドグリーンの瞳が宝石のように輝いている。

「言いたいこと、分かりますよね?」

「まあ、なんとなく」

 分かりたくもないけどね。

「こうしましょう」

 ロッタさんは区切りをつけるように一回手を叩く。

「犯人を野放しにできない、これは当然のことです。一方で警察は呼ばない、これは仕方のないことです。警察が駄目なら、探偵に頼るしかない。これがわたしの結論です」

 探偵好きというロッタさんの趣味は、警察嫌いの裏返しか? もともと探偵小説趣味ではあったのだろうが、過去に何か、悪い出来事でもあったのか。

「でもさあロッタちゃん」

 今までだんまりを決め込んでいた道明寺さんが、スプーンでロッタさんを指す。

「問題はその探偵よ。そりゃ、あたしたちは全員が推理小説を専門とする作家だけど、だからって探偵行為ができるわけじゃないわ。ああいうイレギュラーはそれこそ、宇津木さん限定なんだから」

「その点は心配ないわ」

 帳はポンポンと、僕の肩を叩いた。

「ここにいるじゃない」

 だいたい予想はついていた。ロッタさんの台詞を聞いた時点で、こうなるであろうことは。

「帳……こういうのは」

「錦の領分、といいたいのかしら」

 僕と帳の押し問答は無視して、道明寺さんは得心が行ったように手を打つ。

「ああ、そういえばすっかり忘れてたけど、あんた探偵なんだっけ」

「帳が勝手に言ってるだけですよ。宇津木さんとはそれこそ月とスッポンくらいの違いがあります」

「つまり、猫目石さんに事件を解決してもらいます」

 僕の言葉を聞きもしないで、ロッタさんがひとりで話を先に進める。

「事件が解決し、犯人が挙がればそのときは、警察を呼びましょう。犯人さえ分かっていれば、下手な捜査の結果冤罪が起きるなんてことはないでしょうし」

 …………警察嫌いとは言っても、最終的には呼ぶのか。その辺、変なところは分別があるというか。さっきは架空島に踏み入ってほしくないと言っていたのに、今は危惧するところが『冤罪』にすり替わっている。本当に警察嫌いなのか? 推理ゲームための口実と考えるべきか?

「そして犯人が判明するまで、何人たりとも架空島を出ることは許しません。ご安心ください。食料は一か月分ありますから、猫目石さんなら食料が尽きる前に事件を解決できるでしょう?」

 ロッタさんは楽しそうだった。本当に、トランプをみんなと楽しむ子供のように、声が弾んでいる。いい気なものだ、お嬢様は。

「わたしは異議なし。警察を呼べない以上、それが最善でしょうね」

 もうひとりのお嬢様も、緊迫感の無い口調で賛同する。他人事だと思いやがって。

 作家陣は誰も、反対どころか賛成の意も口にしなかった。おそらく総員、気持ちとしては反対なのだろう。しかしそれを、表だって口にすることができない。

 ここまで突拍子もない事態へ発展すると、議論する気が失せてしまったのかもしれない。作家勢全員で反対すればあるいは警察への通報という常識的な判断をロッタさん相手に押し通せるかもしれないが……。

 驚くべきことは、新藤さんが形式的にすら異議を挟まないことだ。新藤さんの顔色を窺うと、そこには焦りや恐怖といったものがない。ショック状態からはいち早く脱却したのか、平常通り泰然自若、山のごとくどっしりと構えている。

 もしかして、新藤さんには犯人の目星がついている? だから堂々としているのか?

「無言は肯定と捉えてもよろしいですね? それでは推理を早速始めましょう。死亡推定時刻は午後一時半から午後四時の間でしたね。問題はアリバイですが――」

 自分のペースで早々と、ロッタさんは状況の整理を再開させる。

 どうやら、僕が事件を解決する以外にないらしい。だが、四月や七月に解決した事件とはわけが違うし、僕は宇津木さんほど殺人事件に慣れていない。正直なところ、遠慮したい。

「わたし、道明寺先生、すぎた先生、須郷先生、新藤先生の五人は昼食後、遊戯室でゲームをしていましたね。ゲームは午後五時まで続き、夕食が近くなったので解散してそれぞれ自室に戻ったり食堂に移動したりしました」

 全員の視線が僕に集まる。ロッタさんの証言に反応を返すのも僕の仕事になってしまったようだ。やむを得ず、言葉を返す。

「……遊戯室にいた間のアリバイは完璧と」

 解散した午後五時以降の不在証明は死亡推定時刻から外れるので置いておくとして、五人のアリバイはそれぞれが立証した形となる。

「いえ」

 しかしロッタさんは首を振る。金色の髪がなびいて、鼻をくすぐる香りがこちらにふりまかれた。

「全員が全員、遊戯室を何度か出ているのです。すぐに戻ってくる場合もあれば、長い間出ているときもありました。なので、我々が遊戯室にいた間のアリバイについては、成立しているとは言い難いのです」

「なるほど」

 遊戯室にいたという、残り四人を順番に見た。ロッタさんの言に補足もないらしく、神妙な面持ちを崩さない。

 探偵役の交代はいつでもできる。今は情報収集が大切だと割り切って、甘んじて役になりきろう。

「坂東さんたちのアリバイはどうですか?」

「坂東は昼食後、厨房で片付けと夕食の準備などをしていたようです。呉は一時間ほどわたしと一緒に遊戯室にいましたが、坂東の手伝いをしに厨房へ。森はクルーザーの点検を再開させました」

 要するに、坂東さんは昼食後から一時間程度は一人きりだったのだ。犯行は可能。呉さんはどうかな。

「呉さん、ロッタさんの証言に間違いはありませんか?」

「は、はい」

 今の呉さんはスイッチが入り切っていないのか、毅然としたメイドの状態と鷹揚としたオフの状態の中間に位置する態度だった。自分が仕事をするタロット館で殺人となれば、いくら熟練のメイドといえどショックを隠し切れないらしい。

「厨房に入った後、出入りなどで一人になったことは?」

「坂東さんが食材などを取りに行くことはありましたが、わたしは出ていません」

 ふむ。自分から厨房を出たというのならともかく、坂東さんが出たことで生まれた隙、か。当の坂東さんがいつ戻って来るかも分からない状況下で、殺人を行えるだろうか?

 無断で厨房を出たことを怪しまれるだろうが、同時に言い訳が通用しそうな範囲でもある。一応、容疑者リストに入れておいていいだろう。

 森さんは一人だったから、アリバイ不成立。使用人組は全滅だな。というかこれ、アリバイのあるやつなんているのか?

「そういう、探偵面した猫男のアリバイはどうなの?」

 棘のある言い方はすぎたさんに決まっている。彼は腕を組んで椅子に体を預け、まっすぐこちらを見ている。はなから僕を疑っているような目線だ。嫌になる。

「僕は朝からずっと、海でした。ああ、そういえばすぎたさんは海に来てませんでしたね」

「アウトドアは苦手でね。で? 問題の午後一時半から午後四時の間は?」

「ビーチにほど近い『鷲の座』で、帳と一緒に居ましたよ。そうそう、帳のアリバイならそれこそ明白です。ずっと僕と一緒にいたんですから」

「身内の証言は信用ならないわ。ていうか、あんたたち二人きりで何してたのよ?」

「……何もしてませんよ。帳が寝てたんで、傍にいたんです」

「嘘っぽ」

 信用ないなあ。僕もすぎたさんの側なら同じように思うのかもしれないけど。確かに、親しい男女が二人きりで何もないはず無いもんなあ、普通なら。

 なんで何もないんだろう。

「…………さて」

 僕はそもそも、三人の人間を容疑者リストから外している。ひとりは言うまでもなく僕自身だ。これは論理ではない。僕だから僕が犯人でないということを知っている。それだけのこと。無意識下で殺人をした可能性についてもあり得ない。僕に二重人格や夢遊病の兆候などないからだ。あるなら十八年生きてきた中で誰かが気付いている。故に僕は容疑者リストから除外。

 二人目は夜島帳。別に帳だから除外するというのではない。アリバイだ。彼女には完璧なアリバイがある。午後一時半から四時の間、帳は寝ていて、それを僕はずっと傍にいて見ていたのだ。これ以上完璧なアリバイがあるか。

 三人目はロッタさん。思い出してみれば、宇津木さんの死因は胸にナイフを刺されたことだ。しかし足が不自由なロッタさんが、宇津木さんを刺し殺せるとは思えない。殺すならもっと、別の方法を選ぶはず。

 車椅子に乗っているのが実は演技で、足は健常であるという可能性も考えないではなかった。しかし考えてみて、どの道犯人ではないと結論した。何故なら、ロッタさんは最終的には警察を呼ぶ気だからだ。

 もしロッタさんが犯人なら、警察は呼ばない。全員殺して島に埋めた方が安全だ。ロッタさんひとりでそれをするのは無理だろうが、彼女には三人の使用人がいる。そういうことをせず、警察を呼ぶ気がまだあるということは、彼女が犯人ではない証左となるだろう。

 まあ、新しい情報が入った場合は修正もありうるが……とりあえず犯人の可能性が最も低いひとりである。

 少なくとも、現時点での状況ではそういうことになる。

「お嬢、点検が終わったぞ」

 食堂の扉が開かれ、森さんが入って来た。

「クルーザーやヘリに異常はない。それから、船着場に知らないボートが停泊したような痕跡もない」

「ごくろうさま。離れはどうだった?」

「誰も隠れちゃいなかった。島のどこかに隠れているというなら話は別だがな。もう夜中だし島は広いから、山狩りするなら人手がいる」

「山狩りの必要は無いわ。外部からの侵入者がいるとは考えられない」

 ロッタさんの言には一理ある。師崎港からここまで、クルーザーでゆうに三十分はかかっている。もし外部から侵入しようとしれば、同様の船が必要だろう。しかもそれを隠しておける場所もない。着岸できるのは船着場だけなのだから。

 森さんが呉さんたちのいる位置へと収まるのを待ってから、ロッタさんは柔らかく口を開く。

「さて、一通り確認は終えましたが、我々には解決しなければならない問題がひとつあります」

「密室、ね」

 僕の隣で帳が呟く。楽しそうだなあ。

「はい。呉と猫目石さんの証言によれば、『正義』の客間は施錠されていたのですよね。それを呉が、予備の鍵で開いたと。猫目石さん、宇津木さんが持っているはずの鍵はどこに?」

「宇津木さんのジャケットの、胸ポケットに入っていました。僕が宇津木さんを仰向けにしたとき、ポケットから飛び出しました」

 最初にそれを確認したのも僕だ。

「いわゆる密室状態だったわけですが、鍵は宇津木さんの持つ一本と、呉さんの使った予備の一本だけなんですか? マスターキーは無いそうですが」

 気になるのはそこだ。客間は二十二部屋もあるのに、マスターキーが無いというのはどういうことだろう。鍵の構造上、それが難しいのか?

「はい。鍵は各部屋につき二本ずつありまして、その内の一本をみなさんにお渡ししています。予備の鍵は書斎の金庫です。番号はわたししか知りません。マスターキーに関しては、わたしも知らないんですよ」

「知らない?」

「祖父の話では、マスターキーも作ったそうですが……。金庫の中には入っていませんでした。紛失したのか、どこかに隠されているのか……。ともかく、わたしは行方を知りません」

 怪しいといえば怪しい。紛失ないしは行方不明という状況を、証明することはできない。館の主であるロッタさんが隠し持っていても不思議はない。あるいは紛失していたマスターキーを、犯人が偶然拾ったという線も。

 偶然まで考え始めたら終わらない。

「そんなことより、あたしはあり得そうな仮説を思いついたんだけど、須郷さんは気づかないのかしらん?」

 鍵の話に及んで興味が出たのか、獅子と女性が彫られた『力』の鍵を見ていた道明寺さんは、鍵を懐に戻してから呟く。

「どうもどうやら新藤さんは気づいてるっぽいけど、どう?」

「……探偵役は君に譲るとしよう」

「瓦礫くんはどうかなー?」

「ご自由に」

 まあ、誰かは気付くと思っていた。できれば気付かないでほしかったが、ミステリ作家相手では誤魔化しがきかない。

 そう。僕は容疑者リストから無条件的に僕自身を外したが、道明寺さんたちからすれば僕もまた、容疑者のひとりなのである。僕だけじゃない。帳も、アリバイが成立しているとは見てもらえていない。

 そしてとんでもなくマズイことに、僕は容疑者の最有力候補なのだ。僕だけは、アリバイどころか密室状態についても突破できてしまうから。

「宇津木さんの鍵はジャケットの胸ポケットに入っていた。それが瓦礫くんの証言だけど、あたしたちはその瞬間を見ていない。あたしたちが宇津木さんの持つ『正義』の鍵を初めて目撃したのは、瓦礫くんが宇津木さんの傍を離れて、検死を坂東さんと交代したとき。そのときには既に、鍵は床に滑り落ちていた。もう分かるでしょ? 犯人は猫目石瓦礫。昼食後、あんたは何らかの理由づけをして宇津木さんと『正義』の部屋に入る。そこで隙をついて殺害し、鍵を奪って外に出て施錠。後は夕食時に戻ってきて遺体を発見。一番に近づいて、自分の体を死角にして鍵をジャケットの胸ポケットに入れるなり、床に置くなりする。どう? これが今のところ、最も自然な推理でしょ?」

 失敗したというか、焦ったというか……。あの時は宇津木さんの安否確認が最優先で、他人からどう見えるかなんて考えていなかった。この場にいる全員が全員素人ならそれでもいいが、専門家みたいなものだからな。立ち回りは気にしておくべきだった。

 宇津木さんなら、こういう疑惑を相手に与えずに動けるのかもしれないが。

「いくつか疑問があるわね」

「え?」

 驚いたのは反論を受けた道明寺さんではなく僕だ。

 何故驚いたのか? 言葉を発したのが帳だったからだ。まさか帳がここで喋るとは思っていなかったので面食らった。

 四月の件が顕著だが、こいつは僕が犯人扱いされても笑って見ているだけのことが多い。どういう風の吹き回しだ。

「その推理通りに瓦礫くんが動いたとすれば、昼食後、瓦礫くんは誰にも見つからないように動かなければならなかったはずでしょう。ちょっとそれは、博打がすぎるのでは?」

「その点は抜かりないさ」

 さすがにその反論は想定していたのか、道明寺さんの態度に揺らぎはない。なんか、四月にやった長谷川との問答を思い出す。

「瓦礫くんにとって、犯行場所へ見つからないよう行くのは絶対条件じゃない。見つかったって誤魔化しは利く。なにせ、『正義』の客間は『戦車』の客間の奥なんだからね。ほとんど自分の部屋へ行くのとルートが同じなんだから『自室に戻る途中だった』で言い訳は済む。そうやって目撃者を誤魔化したら、あらためて『正義』の部屋に向かえばいいだけなんだから」

 その方法だと嫌疑が人一倍かかりそうではあるが……まあ、おおむねは道明寺さんの言う通りである。誤魔化しようはいくらでもある。実際、死亡推定時刻には相当な幅があるわけだから、偶然その時間帯に現場の付近にいたからって、ただちに犯人とはならない。

「では瓦礫くんが宇津木さんを殺害する動機は? こちらの説明はつくのですか?」

 間髪入れず、帳が次の質問を発する。畳みかけるという表現が適切なくらいだ。

「さあね。想像はできるけど、こればっかりは本人に聞くしかないかな」

 本格ミステリの徒である道明寺さんはワイダニットに弱いらしい。それを見てとってか、新藤さんがその部分を補う。

「例えば俺が殺害されれば、道明寺くんが疑われるだろう。また、須郷君が殺害されればすぎた君が疑われる。これが自然なことなのは、疑問の余地が無い」

 新藤さんと道明寺さんの間には、朝山序列探偵小説賞で起きた確執がある。須郷さんとすぎたさんは言うに及ばず。だが……。

「宇津木君の場合はどうか。普通に考えれば、作家陣の中で唯一、確執の無い人間だと言える。去年までならな」

 新藤さんの言いたいことは、もう分かる。

「去年と今年の大きな違い。それは小僧とお嬢さんだよ。二人の存在が、宇津木君にとっては確執となる」

「瓦礫くんだけならともかく、わたしが含まれるのはどういうことですか?」

「小僧にとって、お嬢さんが起爆剤だということだ。いいかね? お嬢さんの話や小僧自身の話を聞くに、小僧は探偵としての役割を持っている。宇津木君と同様の、な。しかし宇津木君は類稀なる真物だ。小僧が敵う相手じゃない。目の上のたんこぶだ。だから殺した。殺して殺人事件を発生させれば、自身が名探偵として活躍できる。一石二鳥だな」

 夜島帳が起爆剤。つまり、新藤さんはこう言いたいのだ。

 見栄を張るために、殺した。

 僕が帳の前で格好つけるために、邪魔者の宇津木さんを殺害した上で探偵役を演じようとしたと。

 それこそ四月の長谷川みたいなもんだな。いや、部活の宣伝を考えていただけ、まだあいつの方が真っ当な動機を持っていた。

 僕は反論しなかった。空気が、雰囲気が、僕自身の理性が、反論を許さない。

 動機の面に関しては、どう何を反論しても意味が無い。動機は『猫目石瓦礫が犯人である』という前提があって、その上で『動機はなんだろう?』と想起して生まれたものだからだ。新藤さん持ち出した動機の推測を崩したところで、僕が犯人であるという前提が崩れるわけじゃない。

 問題は、ハウダニット。密室状態における殺人。それに対するもっともらしい回答がなされてしまった。これが痛い。正直、他の部分は大したことではない。ハウダニットに対して『猫目石犯人説』が一定の解答を得ているというのが最大の問題である。

 僕が犯人ではない以上、それ以外の方法が行われたのは間違いないが、今この場で『猫目石犯人説』を崩せるだけのハウダニットは思いつかない。

 下手に発言して犯人っぽい印象を与えるよりは、黙っておくのが吉だ。それに僕が犯人ということで収拾がつけば警察が呼ばれる。冤罪は確かに脅威だが僕には物証が無いから、本格的に捜査されればすぐに無罪放免だろう。そういう意味で犯人扱いされるというのは、実のところ僕にとってもメリットのある状態だ。

 ロッタさんがこれで警察を呼んでくれるなら、という前提で。

「物証が無いというのは、少々厳しいですね」

 しばらくして、ロッタさんが言った。道明寺さんは肩をすくめる。

「物証が必要かい? 論理的な回答が得られれば、それでいいと思うけど」

「それはわたしも同感ですが、道明寺先生の説は論理的にも厳しいと思います。この説を持ち上げるには、やはり物証の存在が必須かと」

 館の支配者さんは冷静というか公平というか。単に警察を呼ぶのを渋っているようにも見える。

「あたしの説が論理的じゃない?」

「ええ。道明寺さんの説は『猫目石さんが最初に近づき、その後宇津木さんの鍵が発見された。猫目石さんが近づくまで宇津木さんの鍵を見た者はいない。つまり猫目石さんが鍵を実は持っていて、どさくさに紛れてそれを置いた』というものです。確かに我々は猫目石さんが宇津木さんに近づき離れるまで『正義』の鍵を見ていませんが、それが偶然だったらどうです? 偶然我々の死角に鍵があり、猫目石さんが宇津木さんを仰向けにしたことで見える位置に移動したという可能性を否定できません」

 偶然も可能性も何も、その通りなのだ。

「逆を言えば、物証があればいいのだな?」

 新藤さんは僕が犯人だと決めつけているのか、ロッタさんに確認を取る。

「小僧が犯人である物証を見つければ、そのときは警察へ通報し、我々を帰すのだな?」

「はい。それはお約束します」

「なら決まりだ。今日はもう遅いが、明日から物証を捜索しよう」

 可能性としては十分考えられたが、ありもしない物証を探すこととなるとは。さて、これはどうしたものか……。

「今日は休むってことにしても、犯人猫野郎はどうすんの?」

 すぎたさんが立ち上がる。疲れているのか、休むのには賛成らしい。

「こいつをほったらかしにしたら、また誰か殺すんじゃない? 最悪の場合、そして誰もいなくなったとか、シャレにならないでしょ」

 犯人ではない以上僕にどんな手を打っても第二の殺人が起きるリスクは減らないという点を除けば、すぎたさんの提案はまともである。

 須郷さんは他人事のように、あるいはそれで全てが解決するような投げやりな口調で、短絡的な解決策を用意する。

「監禁だな」

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