道化師の推理

「彼は逆位置の隠者だわ」

 部室に戻って開口一番、夜島帳はそう言った。小学生のころからの付き合いで僕はもう慣れて何とも思わないが、こいつは話題が飛躍する悪い癖がある。

 彼女の頭では全部、繋がっているのかもしれないが。

 結局あの後、僕は帳の言う通り惨めな探偵役を引き受けることと相成った。長谷川には「一時間で解決してやる」と自暴自棄に等しい宣言をして、鷲羽先生もそれで無理に納得させて部室へと帰還した。

 僕は部室の窓を閉め、丁度クレセント錠を下ろしていたので、金属がぶつかる音で帳の台詞を聞き間違えたかもしれない。聞き慣れない単語があったので、聞き返すことにした。

「逆位置のニンジャ?」

「隠者。逆位置の隠者」

「……タロット?」

 帳は軽く頷いて椅子に腰掛ける。部室には机と椅子のセットが五つあって、それぞれ向かい合うように置かれている。ちょうど小学校の時分、給食の際に机をくっつけるような具合だ。四脚が向かい合って、窓際の一脚だけが居心地悪そうに付け足されている。

「その様子だと、あまり知らないみたいね」

「まあね。正位置だの逆位置だの、向きを気にしてたみたいだからタロットだろうと推測したんだ」

 タロットって、あのタロットだよなあ。女帝とか正義とか……。本当にほとんど知らないんだよ。

「隠者はウェイト版タロット九番目のカード。解釈は人によって変わるけど……だいたい、『思慮』や『悟り』を意味するカードね」

「彼ってのは長谷川か? だとしたらそのカードはないだろ。あいつは『愚者』なんじゃないのか?」

「『愚者』のカードがあるのは知ってるのね……大意は?」

「いや、知らない」

 前に読んだ小説に出てきたから覚えていただけだ。意味は忘れた。

「愚者はウェイト版タロット零番目のカード。大意は『自由』や『冒険』といったところかしら? ネーミングはぴったりかもしれないけど、やっぱり意味は彼に合わないわ」

「それは隠者も同じなんじゃ……」

「逆位置って言ったでしょう?」

「う、ううん?」

 いや、まあ、タロットが占いの際に、カードの向きを気にするのは知ってるんだけど……ぶっちゃけ、だから何って話なんだよなあ。

「向きが変わると意味が変わるのか?」

「当然よ」

 当然なのか。

「逆位置の隠者。その大意は『浅はかな行い』」

「お、それならぴったりだ」

 長谷川の新入部員勧誘方法をして、帳はやつを逆位置の隠者と表現したようだ。僕は悪くないと思ったけど……それでも浅はかなのは事実だ。

「というか意外だな。帳がタロットに詳しいなんて。僕はてっきり、お前は占い信じないタイプだと思ってたけど」

「占いを信じてないのはその通りよ。でもそれはタロットに疎くなる理由にはならないんじゃない? 瓦礫くんは星占いを信じないからといって、黄道十二星座を把握しないわけじゃないでしょう」

「まあ、そうだけど……十二星座はあくまで常識の範囲じゃないか?」

「わたしにとってタロットは常識の範囲内なのよ」

 そう言い切られると二の句が継げないんだけど……。ああ、でもホームズは自分の興味の埒外だからと太陽系全惑星を把握してなかったんだっけ? なら、そういうもんか。

「ところでさっきから、愚者が零番とか隠者が九番って言ってたけど、タロットに順番なんてあったっけ?」

「あるわよ。全部で二十二枚、零番の愚者から二十一番の世界まで、ちゃんと番号は割り当てられているの。タロット解釈の際、数字を重視するかは占い師次第だけど……」

「ふうん。愚者が零番っていうのは何か気に喰わないな。一番から始めればいいんじゃないのか?」

「そうね。実は愚者のカードは、タロットの構成によって番号が変わるの。零番だったり、二十一番だったり二十二番だったり……。番号が与えられていないこともあるわ」

「番号が変わる、ねえ……」

 フラフラしてるなあ。さすが愚者だけある。

「ま、この話はいつでもできる。話を掘り下げはじめた僕が言うのもはばかられるけど、今重要なのはタロットじゃなくて長谷川の事件だ。制限時間を一時間にしちゃったし、さっさとブリーフィングでも始めよう」

 僕も椅子に腰を下ろす。ちょうど帳と正対する形となってしまう。座った後で気付いたが、こう、帳が正面にいるとやりづらい。ブラウスの襟元へ消えていく白い喉元が目に毒だ。

 場所を移りたかったが、今更動くのもバツが悪くて、ここは我慢することにした。

 僕の気持ちはどこ吹く風で、帳は平然としている。

 さっきまで窓を開けていたからだろうか。それとも帳の涼やかさに影響を受けているのだろうか。部室の空気はひんやりしている。

「わたしは瓦礫くんが犯人扱いされているところからしか居合わせなかったけど……話を聞くに、加地さんの持っていたゴミ袋が突然燃えたんですって?」

「ああ。ちょうど、加地さんが持っていたゴミ袋の頭頂部から火が出たんだ」

 ゴミ袋に入っていたゴミの内、下部のゴミは一切燃えていなかった。出火が袋の上部からであるのは間違いない。

「誰かが火をつけたということではないのね?」

「もちろん。火が着く瞬間まで物部がずっと見てた。誰かが火をつけようとすれば物部が見逃すはずがない」

 物部の目が節穴じゃないという前提に立てば、だが。まあ、あの二枚目の眼が本当に節穴だったとしても、直接火をつけたというのは無いだろう。

「犯人は長谷川だからな。あいつがやったんだから、直接火はつけられない。考えられる方法は、そうだな……発火装置くらいだ」

 長谷川が犯人だと断定するのも早計な気もするが、この際断定しても問題は無い気がする。あいつが犯人じゃなかったら、ゴミ袋発火の謎を解いている最中に気付くだろうし。

「長谷川くんが犯人なら、直接火をつけるわけにはいかないものね」

 帳のお墨付きがあるので、長谷川犯人説で進んでも大丈夫そうだ。

「瓦礫くんはゴミ袋の中を探ったんでしょう? 発火装置は見つかったの?」

「いや、見つからなかった」

 もともと、見つかるとは思っていなかった。長谷川に発火装置を作るような脳があるとは思えないし、仮にあったとしても、発火装置による着火は避けたはずだ。

「僕は長谷川が本来練っていた計画が、もっと大規模な火災になるようなものだったんじゃないかと睨んでる」

「それはどういうこと?」

 帳は綺麗な、夜空を映したような瞳をこちらに向けた。

「ほら、考えてみろよ。長谷川がこんな自作自演をしたのは、探偵役として活躍することで自分が部長を務めるインターアクト部の知名度を上げたかったからだ。実際はどうだ? 加地さんの手が危うく燃えそうになった程度の事件で、野次馬もあの通りの人数しか集まらなかった。少なくはないが、自作自演をするリスクを考えれば宣伝効果が薄すぎる」

 長谷川がそこまで計算高く計画を練っていたとも考えにくいが……しかしリスクを負うのは他でもない自分だ。リターンがある程度は見込めるようにしなければ、骨折り損になりかねない。

 多少なり計算はしてそうなものだ。

「何らかの仕掛けが施されたゴミ袋を加地さんが物置に投入し、しばらくして発火。物置全体に火が回って火事になる。これが本来、長谷川が思い描いていたプランなんじゃないかと思うんだ」

 そうなると、おそらく発火装置はマズイ。もし炭になった物置から発火装置の残骸でも見つかれば、そこから足がつく可能性もある。

「そうでなくても、僕と発火装置を結び付けるだけの証拠が必要になる。これが発火装置を使わない、もっと短絡的なトリックで行われたのなら、状況証拠だけでも僕に嫌疑を向けるのはそう難しくない」

「Post hoc ergo propter hoc」

 帳の口から、聞き慣れない言語が飛び出した。英語じゃあ、ないよな?

「なんだそれ? ドイツ語?」

「ラテン語」

 じゃあ知らない。

「瓦礫くんも読んだことのある小説に書いてあったわよ? 因果の誤りってこと。結果と対応しない原因を結び付ける、とでも言った方がいいのかしら?」

 えっと、今の話題から離れてはいないんだよな?

「インターアクト部に昨日、まさに事件の前日あなたが居たことは枢要ね。長谷川くんが『猫目石がゴミ袋に何かを仕掛けているのを見ました』と言えば事件は解決するもの。インターアクト部の部員は全員、あなたと同じかそれ以上に、ゴミ袋に仕掛けを施すのが容易だったにも関わらず、ね」

「ああ、そういうことが言いたかったのか」

 イレギュラーの存在は嫌でも目立つ。それがタイミングよく事件の前日ならなおさらだ。結果に対応しない原因。そう表現するよりは、結果があったからこそ原因っぽくなるとするべきか? もし事件が起こらなければ、僕が昨日インターアクト部の部室に出入りしたことをいぶかしむ生徒など誰もいないはずだ。

 事件が起きればこそ「そういえばあいつ……」という気付きは生まれる。

「もっとも、長谷川は探偵役が希望だったみたいだから、そんな無粋なやり方で僕を犯人にするとは思えないけど……。それ以前に、あいつの大根役者っぷりたらなかったな。あいつが犯人だって丸分かりなんだもん」

「シナリオ自体は悪くないけど、アクターがお粗末だったわ」

 帳の声には、本当に残念そうな感情が交じっている。お粗末のお陰で僕は助かっているのでそこを残念がらないでほしいのだけど……。

「それで? 肝心のトリックについては、何か思いついたの?」

 いよいよ本題に入るにあたり、帳の目の色が変わる。瞳の中の宵闇は一層深くなる。

 その吸い込まれそうな瞳から僅かに視線を逸らしつつ、僕は自分の考えをぶつける。

「直接火をつけたなら、考えられる手はひとつだけだ。発火装置を使ったんだよ」

「ちょっと。さっき発火装置は使ってないって言ったでしょう」

「言葉の綾だよ。長谷川は使ってないと僕が考えている発火装置っていうのは、機械で作った本格的な物だ。燃え残った部品を見たらすぐに『発火装置を使ったな!』って気付かれるような……」

「じゃあ、長谷川くんが使ったっていうのは?」

「燃え残っても、そうと気付かれない発火装置。正確に言えば、あいつはゴミ袋の中に入っていても不思議ではない物を使って発火装置『みたいなもの』を組み上げたんだ。事実、今回のボヤで発火元となったのは乾燥剤だった」

 燃えたゴミ袋の中を確かめて、それも確認している。

 僕はゴミ袋の中から見つけてきた白の粒を机の上に並べる。帳はそれをひとつ掴んで、眼に近づけて観察する。

 白い手に絡め取られた乾燥剤は、僕の知っている粒ではない。異様なまでに大きくごつごつしている。水を吸って膨らんでいるのだ。

「水に濡れると発火するのよね? それは聞いたことがあるわ。詳しい理論は知らないけど……」

「一応、物部に聞いてはある」

 理系だからもしかしたらと思って尋ねてみたら、運の良いことに知っていた。「お前に言われて思い出した。ワイドショーで見たことだけどな」と前置きをしてから話してくれた。

「乾燥剤はいろんな種類があるけど、食品に使われているものはシリカゲルと生石灰の二種類だとさ。物部の目が確かなら、今帳が持っているタイプは生石灰の方だ」

 どちらにせよ、水分を含むと発熱することは変わらないようだ。

「ただ、シリカゲルと生石灰では発熱量が違う。シリカゲルはそんなに発熱しないが、生石灰の方はよく発熱する」

「発熱、なのね? 発火じゃなくて」

「みたいだな。どちらにせよ、近くにあったプリントが熱で燃えれば結果は一緒だけど」

 生石灰は水分を含むと発熱し膨張するという性質があるのだとか。僕が見つけた乾燥剤の粒は帳が持っている物のように、どれもごつごつして、大きさも乾燥剤にしては違和感を覚える。

 膨張したんだろう。この乾燥剤の様子を見るに、これが出火の原因なのは確実だ。

 持っていた乾燥剤の粒を、帳は机の上に転がした。

「それじゃあ長谷川くんが発火装置をでっちあげるのに使ったものは、この生石灰と……」

「水、だろうな」

 だが、そこで行き詰まる。

 窓の方を見た。サッシは掃除したばかりなので、くすみひとつ見当たらない。窓ガラス越しには運動場の、茶色いタータントラックが見えた。集団が走っている。遠くからでは男女の区別などつかない。周回遅れなのか、ひとりだけやけに集団から遠く離れている。

「僕はゴミ袋をきちんと探った。だから乾燥剤が出火元だと結論付けることもできた。でも……なかったんだよなあ」

 当初、僕はこのボヤを事故だと考えた。梱包が破れた状態の乾燥剤が捨てられて、そこに誰かが水分を含んだゴミ――紙パックのジュースなどを捨てた。ゴミに含まれた水分は時間をかけて垂れ、やがて乾燥剤を濡らす。そして発熱、発火。

 それが妥当な流れだろうと、そう推測した。

 しかしゴミ袋を漁り、すべてのゴミを検分したが、なかったのだ。

 乾燥剤を濡らした水分。その出所が。

「正確には、いくつか紙パックのジュースが捨てられてはいた。でもそれは全部ゴミ袋の下の方、乾燥剤の下に捨てられていたんだ」

 まさか水滴が重力に逆らうはずもないし……。

「本当に、紙パックのジュースは乾燥剤より下にあったの?」

「それは断言してもいい。ゴミ袋の上部にあったら焦げてるはずだし……。ああ、もし乾燥剤と当該ゴミの距離が近ければ、そのゴミは灰になってる可能性もないではないか……」

 そうはいっても、出火はボヤ程度である。よっぽど小さくない限りは、完全に燃え尽きるということもないだろうが……。

「灰になってたら、瓦礫くんは気付かないものなのかしら」

「つまり?」

「不自然な灰があるとか、この灰はプリントが燃えた時のものじゃないとか、そういうのは分からないのかしら? 名探偵の中には、灰を見て煙草の銘柄を当てる人もいるじゃない」

 夜島嬢が無理をおっしゃる。

「一介の高校生たる僕にできると思うか? それにあの時は適当にひっくり返したから、不審な灰があったとしても風に紛れてどっかに飛んでっただろうさ」

 見分けられるかどうかは二の次である。消火のためにゴミ自体を踏みにじったから、そもそも現場の保存状態自体がよろしくないのだ。

「でも、大雑把なトリックは把握できそうね。出火元が乾燥剤なんだから、あとは長谷川くんがいかに直接手を触れないで乾燥剤に水分を与えるか、でしょ?」

「簡単に言ってくれるな……いや、意外と簡単か?」

 簡潔にまとめてみると、この謎は案外難しくなさそうだな。

「ああ、そうだ。長谷川が用意した発火装置もどきには、三つの可能性が考えられる。設定した時間が経過すれば燃える時限式。何らかの衝撃に反応する感応式。そして長谷川が任意のタイミングで出火させることが可能な遠隔操作。しかも、今回の事件で考えられるケースはひとつだけだ」

「それは?」

「時限式。しかも、かなり大雑把なやつ」

 振り返ってみよう。長谷川が本来計画していたのは、ゴミ袋を集積しておく物置を焼き尽くすような火災だった可能性が高い。今回の事件は、長谷川の計画が失敗した形であるというのが大前提だ。

 もし長谷川の仕掛けた発火装置まがいが、やつの自由なタイミングで起動可能なものであれば、加地さんが持っている段階で燃えるのはおかしい。

 それは感応式でも同じこと。感応式だとするのなら、物置にゴミ袋を放り込んだ時に起動するようセットしなければならない。まさか重そうに両手でゴミ袋を持っていた加地さんが、ゴミ袋を振り回して周囲にぶつけるなんてことはしないだろう。加地さんはゴミ袋に特別大きな衝撃を与えず物置まで運んだと考えるのが筋で、それなら感応式の発火装置が起動することも無いのだ。

 そういう仮定の話以前に、今回のケースで感応式というのは考えにくい。加地さんは几帳面な性格では無かったと僕は記憶しているが、しかし物置にゴミ袋を置く際、発火装置を起動させるほどの衝撃をゴミ袋に与える確証はどこにもない。そっと、静かに置くことも考えられる。

「だから、時限式しかあり得ないと言うのね」

 以上のことをまとめて帳に説明する。彼女は納得したようで、飴細工のように細い指を唇に触れさせた。

「状況を整理して可能性をひとつひとつ潰してみれば、思っていたほど複雑ではなさそう。つまり長谷川くんが発火装置を構成するのに用いたものは、条件を洗い出せば……」

「乾燥剤に水分を与えるもの。ゴミ袋に入っていても違和感の無いもの、あるいはボヤ程度の火で燃え尽きるもの」

「そして発火装置は、時限式であること」

 ブレザーの袖をほんの少しめくり上げて、帳は右手首に巻いたリストウォッチを露出させる。薄いコーラルピンクのバンドに植物の模様があしらわれたそれは、彼女がつけるには安っぽい。

 ここから文字盤は見えないが、僕は知っている。

 あの文字盤にもバンドと同様の植物があしらわれていること。レリーフとして浮き彫りにされているバンドと違い、文字盤の植物は色鮮やかに塗られていること。塗装した人間の腕が悪かったのか、蔓の緑がはみ出していること。長針は黒く、短針は白い。それぞれギリシャ時代の建築物に使われた柱のデザインで、長身にはB、短針にJと打たれていること。文字盤の上部に『TORA』と刻印されていること。

 細部まで知っている。

 ただ、バンドにデザインされた植物がザクロであるということは、帳に教えてもらうまで気付かなかった。

「そろそろ一時間経つわ。長谷川くんたち、来るかもね」

 僕の方に目を向けて、ようやく彼女は自分が見られていることに気付いたらしい。どうしたの、と聞いてくる。

「あ…………いや。その時計、まだ使ってるんだなあって」

「プレゼントしてくれたのは瓦礫くんよ。使われて嬉しくないの?」

「そうは言ってないけど」

「じゃあなに」

「帳には不釣り合いだったかなあと」

 あの腕時計は、僕が中学生の時にプレゼントしたものだ。自分なりに良い物を選んだつもりではあるが、あの時は所詮中学生だった。腕時計を選ぶには感性が子ども過ぎたのだ。

「そんなことないわ」

 独白に等しい僕の感想。帳はいつも通り笑い飛ばすか無視するかのどちらかだと思っていたら、ストレートな否定が僕の耳元を通り過ぎる。

「それとも瓦礫くんは似合わないと思った上でわたしにプレゼントしたということかしら」

「話が飛躍して」

「ない。全然」

「僕には飛んでるようにしか」

「飛んでいるのは瓦礫くんの意識。それかあなたの頭の螺子」

「僕はロボットじゃないからな」

「そうね。ロボットなら三原則に従っていないとおかしいから、それなら瓦礫くんはロボットじゃないんでしょう」

「僕、なんか変なことを」

「あなたはなにも言わないわ。どうしてあなたごときの一言でいちいち感情を動かさなければならないの」

「言葉に棘しかねえよ」

 何が何だがさっぱりだが、ここは謝っておくのが吉だろう。女性相手に喧嘩をしないのは文系男子にとって基本の処世術だ。

「悪かった」

「原因を理解しない謝罪の言葉はわたしの耳に届かない」

「それは正論だ」

「本当に原因が分からないの」

「灰色の脳細胞を持っていたとしても難しい」

「わたしは」

 帳は目を伏せた。長い睫毛、濡れ輝く瞳がいじらしくて、僕は窓の方に視線を逸らした。

 したがって彼女の、撫でるような声だけが耳に届く。

「右腕の焼印に触れてほしくはなかった」

 相変わらず彼女の言うことは意味不明。ただし彼女の感情を動かす、しかも悪い方向へ大きく揺らすことと言えばアレ以外に考えられないので、平伏。

 謝り倒した。

「ごめん」

「わがままよ。気にしないで」

「それでも」

 謝罪と了承の無限ループに陥りそうになったとき、カツンカツンと扉が鳴らされる。部室の金属扉がノックされる音に違いない。

「来たようね」

 顔を上げた帳はいつもどおりで、感傷的なところはどこにもない。蒸留水のように澄んだ表情をしていた。

「いいぞ。入ってくれ」

 彼女が切り替えたとなると、僕も意識をリセットしないわけにはいかない。

 僕が許可を出すとドアノブが捻られる。無遠慮な、ノックなんて形式的にしただけでお前が俺を入れるのは当たり前だと言わんばかりの勢いだ。

 そんな自信と負けん気に満ちた扉の開き方をするやつなど、長谷川の他に僕は知らず。

「それじゃあ、お楽しみの正解発表といこうか!」

 予想通り、扉の向こうから現れたのはやつの脂ぎった顔だった。

 長谷川が部室に入ると、後ろから物部と加地さんが続く。ふたりとも事件の当事者なので、解答編への出席に誰も文句は言わない。

 ギャラリーはいない。いても入れないし、大半は長谷川の演技に興ざめしていることだろう。

 鷲羽先生は事件を事故として処理するのに忙しいのか、姿を見せなかった。

「お前は俺を犯人にしたいようだが、本当にそう上手くいくのかい? エセ探偵さん」

 エセ探偵にエセ探偵と呼ばれるのは滑稽な気分にさせる。どうやら長谷川は待ち時間の間に、自分の置かれた状況、つまり自分が犯人だと疑われていることくらいは察したようだ。

 物部か加地さんが教えたのかもしれないが、どちらにせよ話が運びやすくなった。

「そうだな。僕は今回の事件をフーダニットではなくハウダニットとして捉えている。それは君の言う通りだよ」

「え? フーダニット? なんだそれ」

 探偵ごっこをするなら、それくらい知っていてほしかった。

「なんでもない。独り言」

 立ち上がって窓際に移動する。長谷川、物部、加地さんはそれぞれ席についた。僕の座っていた場所、すなわち帳の正面に長谷川が腰かける。その隣が物部。帳の隣は加地さん。男女が向かい合う構図を、僕が上座から眺める格好だ。

「さて、まずは事件が起きた時の経緯からおさらいといこう」

 本格推理小説のお決まりである一言から、解決編を始めることとする。どうせ探偵役を演じるのなら、同じ演じるでも実存の名探偵に倣うのが道化らしくてよろしい。

「事件が起きたのは放課後からおおよそ一時間後。帰りのHRの後に控える掃除すら終わった時間帯。僕と物部はゴミを捨てるために部室から中庭に向かった。それは加地さんたちも同じだ。僕と物部が中庭の物置に到着した時、既に加地さんと二人のインターアクト部員は物置の前にいて、部員二人はもうゴミ袋を物置の中へ放った後だった。僕もゴミ袋をすぐに放ったけど、物部と加地さんのふたりはしばらくそこで話し込んでいた。内容? 長谷川の悪口だったな」

 物部と加地さんがそろって頤を解く。長谷川は当然怒ったような顔をするが、構わず続ける。

「そして事件は起きる。加地さんの持っていたゴミ袋が突然燃えだした。出火したのはゴミ袋の上部で、そこを持っていた加地さんはあやうく火傷をするところだった」

 加地さんは両手に視線をやっていた。火傷こそしなかったが、まだひりつくのだろうか。

「僕と物部が燃えたゴミを踏んで消火した。火が小さかったこともあって、被害はほとんどなかった。ゴミ袋を漁ってみると中から乾燥剤が出てきたから、おそらくこれに水が垂れて発火――正確には発熱して、一緒に捨てられていたプリントに引火したのではと推測できた」

 事実は違ったのだが。目の前にいる長谷川を睨む。こいつのせいで無駄な時間をとっているのだ。

「ボヤは事故として片づけられるところだった。ところが、長谷川が現れて『猫目石が犯人だ』なんて言い出すからさあ大変。ここまでが大まかな流れだが、誤りはないな?」

 椅子に座る四人が一様に首を縦に振った。

「よし。それではいよいよ肝心のトリックに入ろう。今回の事件の犯人が長谷川なのは議論を待たないとして、問題はその方法だ」

 既に流れが流れなので、自分が犯人扱いされていることに長谷川は異論をはさまない。ただにやにやと、余裕を持った表情をこちらに向けるだけだ。

 その余裕、いつまで続くかな?

「長谷川は言うまでも無く、ゴミ袋が出火した時には現場に居合わせなかった。そして物部は出火直前まで加地さんと話していたが、加地さんの持っていたゴミ袋に近づいた輩は誰一人いない。そうだよな?」

「ああ。確かに加地の持っていたゴミ袋に触れていたのは加地だけだ」

 二枚目は僕の説明を補強してくれる。大仰に頷いた。

「ここで実は、長谷川以外の容疑者が二人出てくる。一応、まずはそれについて説明しておこうか」

 長谷川が犯人であることが自明の理なので帳とのブリーフィングでは意図的に無視していたことだが、長谷川を屈服させる上では明らかにしておいた方が良い部分だ。

「物部と加地さん。二人は通常なら容疑者になる」

 目を三角にしたのは加地さん。

「どういうこと? いきなりあたしが犯人? 怪我するところだったんだよ?」

 一方、物部は自分が容疑者になったのはポーズでしかないと気付いているのか、態度を崩さない。

「あたしを容疑者にするなら、ちゃんとした証拠があるんでしょうね?」

「……いや、ただ格好として容疑者リストに書き込んだだけだよ。ほら、探偵役がわざとらしく自分も犯人の可能性があることをほのめかすように」

「はっきりしなさいよ! あたしは犯人なの? そうじゃないの?」

 加地さんに探偵小説の妙はわからないようで、僕の返答は彼女を激昂させるだけだった。

 帳が意地悪く笑っているのが目に入ったが無視する。

「いいか? 加地さん自身がゴミ袋に火をつける場合、そして物部がゴミ袋に火をつける場合というのは純粋な可能性としては考えられるんだよ。互いに互いの注意を逸らすだけでいいから、僕やインターアクト部員二人よりは容易に、直接火をつけることができたはずだ。しかしそれはハウダニット観点からの話であって、ワイダニット観点からすれば逆に可能性が低い。なぜなら、二人はゴミ袋に火をつけたって得しないからだ。たとえ得をしたとしても、わざわざ加地さんの手が炙られるような位置に着火する合理的な理由はハウダニット的にも存在しない」

 と、ここまで言って、帳以外の三人には探偵小説の素養が無いことを思い出す。普段、解決編の読者が帳だけだとこういう弊害が起こるのだ。

「要するに動機が無いってこと。あったとしても、加地さんの手を炙る位置にわざわざ着火する必要はない。だが、ゴミ袋に火をつけて加地さんの手を炙る必要性を持つ人物が一人だけいた。それがお前だ、長谷川」

 この場にいる全員は、今朝の長谷川の宣言を知っている。ボヤが起きて長谷川が突然現れたことで、ボヤと一連の三文芝居が長谷川の言うところのスゲェ勧誘方法であることには気づいている。

 少し逸れた。話を本題へ戻そう。

「僕たちは主観的に長谷川が犯人であると思っているけど、あえて客観的な可能性を挙げると、長谷川が犯人である理由は以上だ。もっとも、これは動機の面での話。ぶっちゃけ、動機なんて人それぞれだから推理したって意味が無いとも言える。だから僕たちが考えなければならないのはその先、長谷川がどうやって火をつけたかということになる」

 ここで長谷川が、自分の優位を確認するように胸を張る。

「それがお前なんかに分かるってのか?」

「分からなかったら、探偵役なんてとっくに降りてる」

 帳と条件を整理した時点で、既に謎は解けている。

「ここからが本題だが、その前に確認しなければならないことがある。それは、今回のボヤ事件が、犯人である長谷川からすれば失敗であるということだ」

「失敗?」

 おうむ返しにしたのは加地さんだった。他方、物部は失敗と聞いて何となく意味を察したようで。

「もっと大きな事件を想定してたのか? 自作自演するにしてはちっせえ事件だと思ってたんだが……。イマイチ、盛り上がりにも欠けてたし」

「盛り上がりってのは、野次馬のことだな。そうだよ、いくら長谷川でも、最初から自分が野次馬の中へ飛び込んで探偵役を買って出るなら、もう少し演技の練習をしただろう。あれはたぶん、聴衆の面前で探偵役を演じること自体は想定していなかったからだ」

「つまり――」

 久々に帳が口を開いた。

「本来は加地さんが物置にゴミ袋を投下、そこから出火して物置ごと燃えるような火災をイメージしていたということよ。しかし実際は、加地さんが物部くんと長話をしたことで、その企みは失敗した。このことが、瓦礫くんに事件解決の糸口を与えた……そうでしょう?」

「まあ、その通りなんだけど」

 なんか急かされてる?

「早く肝心の、トリックの話をしましょう」

 赤い唇が濡れる様が面妖で、思わず目線を逸らした。長谷川たちには不審がられていないだろうか。

「帳が言ったような想定をすると、自作自演にしては微妙な規模の事件にも納得がいく。ボヤなんて、僕たちがもみ消した段階で野次馬がいなければ、あるいは鷲羽先生が偶然出てこなければそこで終わっていた。事故としてすら処理されなかったかもしれない。しかし物置の火災となると、事故としてもインパクトは十分。その上で誰かが『あれは放火だ』と言ったところで冗句だと一蹴されることもない」

「だから長谷川が想定していたのも、ボヤではなく物置火災となるわけか」

「ふーん。で? それがどうトリックと関係するの?」

 物部と加地さん、ふたりの反応はいちいち対照的だ。たぶん二人とも同じくらいの思考能力は持っているはずだが……。

 憶断だが、話し方に問題があるんじゃないかな。物部は頭の中で喋る言葉を整理してそうだけど、加地さんは思ったことをそのまま口にする感じ。どっちがいいとは言わないけど。

「長谷川が本来練っていた計画の形を正確に知ること。それは長谷川が使用したトリックをかなり厳密なところまで絞り込むのに役立つ。僕の推理が正しければ――」

 ちらりと長谷川へ視線を移す。

「――長谷川が使ったのは発火装置だ」

 やつの顔がほんの少しだけ、青みを帯びた気がする。

「おい。それは無いだろ!」

 三流以下探偵は語気をわざとらしく荒げ。

「お前と物部は見たはずだ! 出火したゴミ袋の中に発火装置なんてなかったことくらい!」

「その台詞が既に犯人たる証左なんだけどね」

 僕と物部が消火及び捜査をしている時、こいつはいなかったのに、どうしてそれを知っているのかという話で……。

 他称二枚目は肩をすくめているので、彼が教えたということも無いだろう。最初からこういう発言を引き出すために、待機中に必要以上の情報は教えなかったのかもしれない。こういう騙しのテクを微妙に有するのが二枚目の二枚目たる由縁だ。

「もちろん、僕が言う発火装置は言葉の綾。長谷川はゴミ袋の中に入っていてもおかしくない物を利用して発火装置をでっちあげたんだ」

 そしてさらに、と、ステップを進める。

「発火装置はその仕組みから時限式、感応式、遠隔操作の三タイプに分類されるわけだが、長谷川が使用したのは時限式だ」

 感応式は加地さんの行動次第で成否が思いっきり別れるので以下略。遠隔操作だったら長谷川が失敗するわけがないので以下略。

「で? そこまではいい。でも発火装置を作るのに使った物が具体的に何なのか分からなけりゃ、名探偵としては失格だよな?」

 犯人兼名探偵は趣向を変えたのか、努めて冷静を装う。声が震えていることは指摘しない方がよろしいのだろうか。

「まずひとつ。猿にでも分かる物として、焼き菓子などに付属する乾燥剤がそれにあたる。これは捜査をした僕と物部が現認している。乾燥剤の素材は生石灰で、水分を含むと発熱、膨張する性質を持つ。そして僕たちが見つけた乾燥剤はあからさまに膨張していた。つまり、火元が乾燥剤であること、乾燥剤が発火装置の部品であることは確定的だ」

「それは分かり切――」

「乾燥剤の存在が明らかになることで」

 犯人に喋らせる暇を与えない、帳の一言がここで挟まる。

「もうひとつの部品が水を供給できるものだと推理できる。一番のポイントはこれ」

「今一度、条件を整理しようか? 長谷川が発火装置をでっちあげるのに利用したものの条件は、まず水を供給できること、そしてゴミ袋に入っていてもおかしくないものだ。これは結果論だが、二つ目の条件を、ボヤ程度の火でも燃え尽きるもの、と置き換えても問題は無い」

 犯人の筋書きは物置火災だったので、燃え尽きて残らないものも犯人の使用可能用品だ。ゴミ袋を漁ってもそれらしいものが出てこないのは、僕が見逃しているか燃え尽きているかのどちらか。

 おそらく後者。

 僕は自分の目を節穴だとは思いたくもない。

 恥を忍んだとしても推理的観測から後者しか考えられない。

「犯人――長谷川将が使ったもう一つの部品、それはメラミンスポンジだ」

「メラミンスポンジ? あの、汚れを落とすやつ?」

 加地さんの問いに頷く。

「そうそれ。メラミンスポンジなら水分を乾燥剤に供給するのに好都合だろう。学校の倉庫にあるから入手も容易で、わざわざ燃え尽きやすい大きさに切るまでもなく、最初から手のひらサイズと使い勝手もいい」

 すなわち、犯人は以下の手段を用いた。

「長谷川はインターアクト部の部室においてあるゴミ袋――もうぞろ捨てに行くべき袋を選び、トリックを仕掛けた。まず梱包を僅かに切った乾燥剤をゴミ袋の中に上から置く。乾燥剤の下にはプリントを敷いて、土台をできるだけなだらかにしておくのが好ましいだろう」

 まな板の上の鯛は、捌かれる以外の未来を知らない。そもそも論として未来を知る能力に長けるなら、鯛はまな板の上に乗らない。

 いやに脂ぎった鯛は、鱗を全て青白く染めていて。

「次に乾燥剤の上にも、プリントを数枚置く。さらにその上から、水を含ませたメラミンスポンジを載せた。この時、スポンジは表面だけをある程度乾燥させる必要がある。いくらプリントを挟んでも、濡れに濡れたスポンジではたちまち乾燥剤が発熱引火するからだ」

 ゴミ袋に入っていたプリントの束。あれは出火時間を調整する役割を担っていた。

「ここまでできたら仕上げだ。犯人は加地さんにゴミ捨てを頼む直前、袋の口を縛ればいい。袋は口を縛られた時、上部が締まって、スペースが狭くなる。つまり袋の口を縛るということは間接的に袋を上部から押さえつけることであり、それはメラミンスポンジに圧力を加えるということだ。さて長谷川、圧力が加わった、しかも水分を吸収したスポンジはどうなる?」

 やつは答えない。それが普通の人間だ。

「なるほど」

 澄んだ声を出したのは帳。

「スポンジから出た水分は乾燥剤に到達し、ゴミ袋が燃えると。いわゆる化学変化はそこまで劇的ではないでしょうし、倉庫に運ばれた後に発火するように調整してあったのかしら? 搬送中に、もう発熱自体は始まっていたのかも」

 帳の言う通りで、大方間違いない。いくらプリントを挟んだって所詮紙束だ。結構早い段階で乾燥剤に水分は到達していただろう。

「以上が、今回のボヤ騒ぎの結論。ご清聴、ありがとうございました」

 道化は化粧を拭って、ギャラリーは席を立った。

 残されたのは僕と帳と、ひとりうなだれる長谷川将。

 僕が探偵を演じ真実を看破するのは、加害者を諭すためではないので。

 哀れな男を蹴り出した。



 帰りの電車の中、僕は一人、窓に映る自分の冴えない顔を拝んでいた。

 外は暗く、車内の灯りが反射して僕の顔をよく映す。僕の背後を、家康公ゆかりの岡崎城が通り過ぎた。

「焼印……」

 考えていたのは、さっきのこと。

 夜島帳が、珍しく心を乱したときのことだった。

「右腕の、焼印?」

 恐怖の谷か。

 しかし分からない。

 恐怖の谷における右腕の焼印、そのアレゴリーは『復讐』あるいは『過去への恐怖』というところか。それくらい、シャーロキアンでなくても読み解ける。

 分からないのは、帳にとって何が焼印なのかということだ。

 僕にとって右腕の焼印となるのは、夜島錦。

 かつて名探偵だった彼女。

 失踪して九年になる。確か行方不明が七年続けば、死亡扱いにする手続きを行えるはずだ。だが帳からそのような話は聞かないので、きっとまだ彼女は死亡していないのだろう。

 行方不明者を七年で死亡扱いにするのは、遺産相続や婚姻その他で面倒が生じるからだ。僕や帳と同年齢、未成年の彼女にそのような面倒は発生しようがないので、死亡にはしないのかもしれない。

 あいつが失踪したのは、いつだったか。

 薄情すぎて覚えていない。

 秋か冬だった気がする。あいつが消えてから、帳は精神的に脆くなっていて、しばらく入院していた記憶がある。それが秋から冬にかけてなので、たぶん錦の失踪もそれくらいなのだ。

「うーん……」

 駄目だ分からん。

 やっぱり分からん。

 僕にとって焼印と言えば夜島錦。帳が唯一心を乱すことがあるとすれば、それも錦のことを指すのだろう。

 けれども、帳にとって焼印?

 それはどういうことだ?

 九年前、錦が失踪する直接的な原因を作ったのは僕だ。決して、帳ではない。

 だから分からなくなる。彼女の動揺した様子からして、僕が話題を無遠慮に錦の方へ向けてしまったんだろうけど……。

 名探偵は動機について推理を巡らさず。

 いづくんぞ、凡夫の邪推巡らすや。

 メイクを落とした後の僕は、帳からの下命なき僕は、既に登場人物一覧からその名前を消しており。

 冴えない自分の顔から目を逸らして、ブレザーのポケットから文庫本を取り出して読者に戻った。

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