上等高校1 道化師の化粧

容疑者は名探偵

 空気を入れ替えるために部室の窓を開けていたら、外から声が聞こえてきた。「イチ、ニィ、サン、シ」と、スタッカートのきいた掛け声は威勢がよくて初々しさも感じる。新入部員のものだろうか。

 一方、扉一枚を隔てた廊下側からは、弾けるような女子の話し声。何かいいことでもあったのかもしれない。その声に邪気は一切ない。

 耳をくすぐる声をバックグラウンドに、僕は左手に持った、水を含ませたメラミンスポンジで窓枠を拭う。何年も放置されていたのか、サッシの隅に汚れが溜まって黒ずんでいたのだ。僕は綺麗好きではないけれど、他にやることも無いので今日は掃除をすることにした。

 メラミンスポンジが汚れを取り去ると、サッシは銀の輝きを取り戻す。ステンレスだけあって、錆などは見られない。ふむ。この分なら、サッシは擦るだけで綺麗になりそうだ。

 左手に持った白い物体へ視線を移す。メラミンスポンジはサッシの汚れを吸い取って、逆に自分が黒くなっている。もう僕が持っていた部分以外、白さを残しているところがない。最初は立方体で、潰してもすぐもとに戻る弾性があったのに、今はぺしゃんこで座布団みたいだ。

 我が身を犠牲にして汚れを拭き取るその様は健気で、応援したくなってしまう。

 まあ、捨てるのだが。

 部室のゴミ箱に、汚れをふき取ってくたくたになったメラミンスポンジを捨てる。大き目の段ボール箱を組み立てて、ゴミ袋を内側に装備させた簡易的な物だ。ゴミ箱はいらないプリントで一杯になっていて、小さくなったメラミンスポンジは内容物に弾かれて床に落ちる。

 哀れ。自分のいるべき場所にも入れないのかこいつは。

 落ちたスポンジを拾ってゴミ箱にねじ込んで、サッシの汚れ具合を確認する。もう汚れている場所はどこにもない。良かった。倉庫から持ってきたメラミンスポンジをすべて使い切ってしまったのだ。まだ汚れているようなら、またスポンジを取りに行く必要があった。

 窓掃除終わり。次は本棚の整理に取り掛かろう。

 六畳間よりは一回り大きい程度の部室、その片側には、ステンレス製のロッカーが置いてある。高さは僕の胸元まで。職員室にでもおいてありそうなデザインだ。もしかしたら本当に職員室にあったのを、不要になったときにここへ運んだんじゃないだろうか。

 ロッカーの上には木製の本棚が置かれている。高さは僕の目線くらいで、本の背表紙が屈むことなく見渡せる。

 我が弁論部が有する本の量はあまり多くない。しかもすべてが顧問の趣味である。純文学がお好きな、いかにも国語教師らしい好みだ。『ノルウェイの森』や『沈まぬ太陽』などなど。高校生にはちょっとお固いな。

 僕の読書はミステリ一辺倒なので純文学なんて知らない。村上春樹はともかく、『沈まぬ太陽』など、しばらくハードボイルドの小説だと勘違いしていたくらいだ。

 部員の僕がそんなんだから、当然、収められた本たちは定位置からほとんど動かない。では何を整理するのかといえば、古新聞や雑誌なのである。

 顧問が興味深いと思って集めたのか、それともこれはOBが集めたのか。本棚には古新聞や雑誌記事をコピーしたプリントが詰め込まれている。正直邪魔だ。これら紙束どもを片付ければ本棚がもう少し空きそうなので、捨ててしまうことにする。空いたスペースにはホームズでも入れようか。

 本や紙束が雪崩を起こさないように、一枚一枚慎重に抜いていく。その際に古新聞の記事や雑誌の特集の、見出しがちらりと顔を覗かせる。読み始めるとキリが無いので、見出しだけ確認して捨てていく。

 どうせ捨てるのだから見出しの確認すら本来はいらない。だが、そこに文字があれば読んでしまうのが文系の性なのだ。

 埃っぽい紙を引き抜きつつ、古めかしいデザインのゴシック体を見ていく。

 『小学校で児童死亡、警察は他殺とみて捜査』。嫌な話だ。『新開発! 夢のボールペン。書いた文字を消せる! 開発担当者にその秘密を聞く』こっちはつい最近か。『葵氏失踪。消えた着服三千万のゆくえは。葵家康元岡崎市議会議員を指名手配。警察は捜査を強化』。そういえばそんな話もあったな。『母親殺害十一歳少女は刑事責任に問われず。犯罪に手を染めた少女の心の闇に迫る』三年前の記事だが、僕は知らない。『盗作か? 会談社と丸川書店、訴訟も辞さない構え』。今年の四月。『上等高校北側で白骨死体発見。葵氏失踪との関係は?』。さっきの記事の続きだな。『児童死亡事件急展開。密室状態での自殺か? 解決したのは被害児童の同級生』。これも記事の続き。『消費者センター注意喚起。乾燥剤が発火する事故相次ぐ』。へえ、気を付けないとな。

 記事は古いものから、比較的新しいものまである。ゴシップじみた扇動的な見出しから始まるものも多い。小学校の児童死亡事件なんて九年前のものだ。

 ただでさえ一杯になっていたゴミ箱が悲鳴を上げる。みしみしと。直方体だったはずなのに、少しずつ丸みを帯びている。

 僕はゴミ袋を箱から引き抜く。詰まっていたので左手で袋の口を持ち、右手で箱の口を押さえつけて力を込めた。しばし格闘して、ようやっとゴミ袋が箱から外れる。

 膨らんだゴミ袋の口を縛る。適当でいいだろう。こう、二回、ぎゅっぎゅと縛れば。

 太ったゴミ袋を肩に担いで、サンタクロースの気分を味わいながら部室を後に……しようとして、扉に引っ掛かった。扉の幅は十分にあるはずだが、袋が想像より大きかったのだ。

 ごく普通にゴミ袋を手に持って部室を後にした。思えば今はサンタクロースなんて季節外れだ。物事には何でも旬がある。旬を過ぎれば旨くない。今日は毛虫青虫ダンゴ虫がぴったりの時季で、とてもじゃないがソリが滑れる路面状況じゃない。サンタごっこは今じゃなくていい。

「よう猫目石。お前もこれからゴミ捨てか?」

 僕が出た扉の正面には、もうひとつ同じような金属製の扉がある。そこからほとんど同時に出てきたのはクラスメイトの物部だった。ブレザーは脱いでいて、ネクタイはだらしなく緩んでいた。

 彼は一応二枚目、という設定らしい。男性に興味なんてないので彼がイケメンだろうが不細工だろうが僕の人生に一ミリだって関与しない。ただ、クラスの女子が総じてそのような評価を下しているらしく、だから僕も「ああ、彼は二枚目なんだなあ」と思うことにしている。

 そんな二枚目物部も片手に袋を掴んでいる。袋の色こそ違うがその中身はゴミだろう。まさか物部が、今からサンタごっこに興じるとは思えない。

「まあな、そんなところだ」

 適当に返事を返し、僕は目的の場所へ向かう。だいぶん早や歩きのつもりだが、物部は着いてくる。目的地が同じなら通るルートも同じだろうが、しかしこいつと一緒に行く義理だってないのに……。

 階段に差し掛かる。足元に気を付けて下りている僕に、構わず物部は話しかけてくる。

「ところでどうだ? 新入部員は?」

 物部がにやついた顔で聞いてくる。僕の答えなど、聞かなくても分かると言いたげだ。分かるのなら聞かなければいいのだが、陳腐な質問に予定調和の返答をして「だよなあ」と言い合うのが『会話』というものらしい。少なくとも彼らにとっては。無視してもいいが、それをすると話がこじれるだけだ。僕は『流す』という手段を覚えている。

「ひとりで掃除してたが?」

「だよなあ」

 僕が部長を務める弁論部は、深刻な人材不足に陥っている。もう言葉を喋れるなら妖怪変化の類でも構わないくらいだ。だからこそ今日、新入生が気になる部活に顔を出す体験入部は積極的に活動をしていくべき、なのだが…………。

 僕はひとり、部室の掃除をしていた。

 誰も体験入部になど来なかった。はなから、部員が僕一人の弁論部に入る奇特なやつがいるとも思っていなかった。

「そういう君たちはどうなんだよ」

 僕は礼儀として、同様の質問を物部に返すことにした。もっとも、これだって答えは分かり切っているのだが。

「ああ。俺らのところは四人入ったぜ。全員男子だけどな!」

 物部が部長を務めるは数学研究部。しかし名前は飾りで、実際にはロボットのプログラミングをしているのだとか。詳しくは知らないが、男子は興味を持ちやすい分野だろうな。お陰で部員には事欠かないようだ。

 二人して横並びで階段を下りていたから、上ってきた女子が足止めをくらう。階段は人が二人並べば、間を通り抜けるのは難しい幅だ。狭くはないのだが、僕も物部もゴミ袋を持っているからこの女子が通り抜けるのは困難だろう。

 僕か物部が立ち止まって道を譲るしかないのだが、物部はズンズン先へ進む。おのれ二枚目、紳士的じゃない。僕は立ち止まって、上ってきた女子生徒に道を空けた。

 物部のつむじを追いながら、会話を続ける。やめたって構わないが、沈黙はそれで耐え難い。

「ふうん。じゃ、もう安泰だな。少なくとも、君がゴミ捨てに行けるくらいの余裕はあるんだから」

「まあな。四人入れば文化部としちゃ上出来だろ」

 それは確かにその通りだ。うちの高校は運動部の人気が根強い。ゆえに文化部で新入部員が十人を超えるのは吹奏楽部と漫画研究部、あとはインターアクト部くらいである。

 インターアクト部というのは、いわゆるボランティア部だ。キャップを集めてワクチンの寄付をしたり、障がい者学級の子どもたちとスキーに行ったりする。僕も昨日、集めたキャップを洗ったり乾かしたりするのを手伝った。いつも暇なので、他の部にパシられることが無いでもない。

「そういや長谷川が何か言ってたっけな。忘れちまったけど」

 文化部のことが話題になったので思い出したのだろう。長谷川はクラスメイトで、インターアクト部の部長である。部長職という点は僕や物部と同じだ。

記憶能力の低い理系人間物部のために、今朝長谷川が言い放っていた台詞をリピートする。

「『見てろよ! 今日俺、スゲェ方法で新入部員集めてやっからな!』」

 自分で言ってみて、その内容の空疎さに愕然とした。

「ああ、そうだ! そんなこと言ってやがったな。結局あれ、何だったんだ?」

「さあね」

 どんな方法なのか想像もつかないが、たぶんスゲェのだろう。

 ただ、本当に凄かったら今ごろ騒ぎになっていて僕の耳にだって届いていそうなものなので……そういう結果だったようだ。

 僕たちは階段を一番下まで下り切って、ロビーに出る。購買部があり、自販機も何台か置かれている、少し広めのスペースだ。

「今日はダンス部、いないな…………」

 いつもはこの広いスペースを利用して、ダンス部が練習をしているのだが……。今日に限ってはいない。ダンス部だって部室はちゃんとあるので、今日はそこで大人しくしているのかもしれない。

「あ、なんだよ! もう購買終わってる。パン買おうと思ってたのに」

 僕の少し前を歩いていた物部が、ブレザーのポケットから財布を出しながら言う。ゴミ袋持ちながら食べ物を買うつもりだったか。まあ、ゴミを捨てに行くついでってことなんだろうけど。

 ロビーを出て、中庭に向かう。校舎はロの字の様な形をしていて、僕たちがさっきまでいたロビーはその上部にあたる。ちなみに、昇降口があるのはロの字の底面部だ。

 石タイルが張られた中庭は、中央に木が植えられているだけ。運動部が練習に使うことはなく、たむろする連中も居ない。僕たちのように通路として使う人間がちらほらいるばかりのデットスペースだ。

 僕たちが目指すのは、昇降口の出入り口にほど近いところにある物置である。校内で出たゴミはゴミ箱に収められるが、そのゴミ箱が一杯になると袋に移し替え、ちょうど僕や物部がそうするように中庭の物置へ持っていく。

 掃除の時間はとっくに終わっているはずだが、物置の前には三人の生徒がいた。全員女子。あれ? しかもみんな見たことがある顔だ。一人は分かるとして……。

「加地じゃねえか。何してんだ?」

 僕が思い出そうとしていると、先に物部が声を出す。物部の言葉に反応して振り返ったのは、三人の女子の内、真ん中にいたおかっぱの生徒だ。ネクタイをだらしなく締めている。

 クラスメイトの加地さんである。加地さんは両手で、ゴミ袋の口を結んだ部分を持っている。黒い袋は丸々としていて重そうだ。

 加地さんは長谷川と同じ、インターアクト部に所属している。そうそう思い出した。加地さんの傍にいる二人の女子生徒もまた、インターアクト部だ。昨日見たばかりなので、かろうじて覚えていた。

「なんであんたら二人でいんの? 仲良かったっけ? きもっ」

 加地さんの第一声は不機嫌そうなものだった。何か彼女の機嫌を損ねる事態があったのかもしれないが、僕はそんなこと知らないし知りたくもないので八つ当たりだけはしてほしくなかった。

「偶然だっての。それよりお前もゴミ捨てか?」

 軽くいなして、物部が話を続ける。僕は本当にゴミを捨てに来ただけなので、さっさと手に持っているゴミ袋を物置に置いて帰りたい。世間話をする気分でもないのだ。まだ部室の窓、開けっぱなしだし。

「うん。ていうか聞いてよ、長谷部のやつがさあ……」

 いや聞くつもりもない。ゴミ捨て、不機嫌、加地さん、インターアクト部、というエレメントを繋ぎ合わせれば、おそらく加地さんの不機嫌に長谷川が関与していることは分かる。そして長谷川が部長であること考えれば、どうせ長谷川にゴミ捨てを頼まれたかなんかで不機嫌なんだろうことは想像に難くない。

 僕は残りの女子二人の間を失礼して、既に開いていた物置に自分の持ってきたゴミを捨てる。僕よりは年下らしい二人のインターアクト部員は既にゴミ袋を持っておらず、もう既に物置へ放り投げたものと思われる。

「長谷川がゴミ捨て行ってこいって言うんだよ? 信じられる? 女子にゴミ捨てとか。男子が行ってこいって話だよね」

「ああーなるほど。長谷川悪いやつだな」

 しりとりの際、最初に使われる言葉が『りんご』であるのと同じくらいありきたりな会話を加地さんと物部がしている。しなくても互いに言うことが予想できる会話、続ける意味があるのだろうか。

 さてと、僕はもう用もすんだし部室に戻ろうかな。

 僕が来た道を戻ろうとすると、物部の手が僕の肩を掴んだ。

 もう少し居ろということか。僕は用が無いし、加地さんとも君とも語らう気が無いのに。

「相変わらずだな。どうせ部長になって威張ってんだろ?」

「そうなんだよね。ほんと、これだから男子って。どうにかなんない?」

 物部は加地さんとの会話を続行する。僕の肩を離さない。

 くっそ、力強いな!

 僕の力じゃ大抵の男子に負けるから、抵抗するだけ無駄かもしれない。

 大人しく二人の会話が終わるまで待つか。そう思ったときだった。

「あれ? なんか焦げ臭くないですか?」

 加地さんの後ろに控えていた、部員の一人がそんなことを言う。

「そうか?」

 物部が鼻を動かして臭いを嗅ぎ取ろうとする。

 僕も一応、臭いを嗅いでみるが、焦げ臭さを感じない。

「どっか燃えてるの?」

 もう一人の部員が心配そうだが、それは杞憂だ。高校のすぐ横は堤防になっているし、周囲には住宅にまじって畑も多い。きっと、刈り取った雑草などを燃やしているのだろう。

 珍しくとも何ともないので、僕は気にしない。

 だが、インターアクト部の三人娘には気がかりだったらしい。

「どこから臭ってくるの?」

 加地さんは不安そうな顔をして、辺りを見回す。

 他の二人も同様の動きで、臭いの発生源を特定しようとしていた。

 僕の鼻にも、臭いが漂ってきた。これはなるほど、肉や魚が焼けるような美味そうな匂いではない。紙などが燃える時の、煙の臭いだ。

「熱いっ!」

 突如、加地さんが叫ぶ。

 何があった? 

 見ると、加地さんが持っていたはずのゴミ袋が地面に転がっている。ゴミ袋は煙を出していて、ちりちりと、火の音が聞こえてくる。何より黒い袋の結ばれたところ、加地さんが持っていたところが溶け始めているのは燃えている証拠だろう。

「燃えてる、のか? これ」

「たぶん燃えてるんだろうな」

 物部は取り乱したようだが、それでも対処は的確だった。おそらく発火元と思われるゴミ袋の頭頂部を踏みつけて、火を消そうとする。踏みつけるたび、溶けて開いた口からゴミが散らばる。プリントの類が多い。それらは焦げて、ところどころに引火している。僕も手伝って、火のついたゴミたちの消火にあたる。

 幸い、あまり燃え広がっていなかったようで、火はすぐに消えた。

 ゴミ袋をひっくり返して中身を石タイルの上にばら撒く。ゴミ袋の上部に詰められていたプリントの束は燃えていたが、下部の、お菓子の袋やビニールには燃え移った痕跡が無い。火元自体がゴミ袋の上部だったということか。

「これは……」

 焦げたプリントを足で探っていると、じゃらりと、何かを踏みつけて滑る。足をどかすと、白色の粒が落ちている。これは、どこかで見たことあるぞ。

 さらにプリントを探ると、やっぱり出てきた。溶けたビニール梱包。お菓子でも包んでいたのか? 違う。

 乾燥剤だ。しかし粒がこんなに大きいのは初めて見る。こいつ…………。

「大丈夫ですか、先輩?」

 部員の一人の声で、僕は思索から引き戻される。加地さんの方を見ると、部員たちが加地さんの両手を見ている。そうか、加地さんがちょうど持っていた部分に近いところが発火したから、加地さんは火傷しているかもしれない。

「あっつい……。でも、見た感じは大丈夫」

 まあいいか。本人が大丈夫というなら問題ない。怪我人がいなかったのも幸いだ。

 頭を切り替えて、さっき見つけた乾燥剤へと戻る。あの白の粒々は間違いなく、焼き菓子などに入っているそれだ。

 そして、さっき僕の足が踏んだことからも分かるように、いくつかは外に出ている。これは決定的だ。

「何してんだ猫目石?」

「ん? ああ」

 物部が近づいてくる。説明しないと駄目なのか?

「発火元だよ。この乾燥剤が燃えたんだ」

「はあ? 乾燥剤が燃える?」

「どんな化学反応が起きたかまでは知らないけどね。乾燥剤は水分を含むと発火するんだ。聞いたことないか?」

「うーん。……ああ! そういや、ワイドショーで見たことあるぞ」

 僕が見たのはさっきだ。古い記事の中に、乾燥剤の発火に対し消費者センターが注意喚起をするものを読んだ。

 推測だが、インターアクト部の誰かが捨てた乾燥剤の梱包が破れていたんだろう。プリントの束をかき分けた時に白の粒を踏みつけたのはそのためだ。

 そして、破れて乾燥剤が露出したところに水が垂れて、発火したと。水分はおそらく、飲みかけのジュース。購買には紙パックのジュースが売っているから、それを飲みかけの状態で捨てたんだろう。

「じゃ、事故か?」

「そういうことかな…………ん?」

 ぶちまけたゴミ袋の中身を探っていると、不意に、違和感を覚える。

 おかしい。僕の予想が正しければ入っているはずのものが、そこにはない……。

 周囲が騒がしいのに気付いて顔をあげると、野次馬が集まってきていた。ブレザーの黒が僕たちを囲んでいる。昇降口が近いから、騒ぎを聞きつけた生徒が近づいてきたのかもしれない。

「おい、どうした? 大丈夫か?」

 聞き覚えのある声がした。野次馬に混ざって、僕や物部、加地さんが所属するクラスの担任である鷲羽先生が近づいてきた。

 鷲羽先生は頭頂部の禿げた、背の低い男性教諭である。男子としては低身長の僕と、だいたい同じくらいの背丈だ。昔に大病を患ったとかで、女性よりも細身で弱々しい。野次馬をかき分けるのにも苦労している。

 物部が近づいて鷲羽先生を助けた。

「加地の持ってた袋が燃えたんスよ。猫目石が言うには、ゴミ袋の中に入ってた乾燥剤が燃えたんじゃないかって」

「乾燥剤が……? ああ、最近、よく聞くが……」

 体が弱くとも教師。頭の方は弱くない。鷲羽先生は理解が早くて助かった。僕が白い粒状のものを差し出すと、事情を呑み込んでくれたようだ。

「加地、怪我は無いのか? そうか……。じゃあ、事故ってことか?」

「ええっと……」

 我が上等高校は私立であり、何より体面は重要なことである。いや、別に体面が重要なのは私立高校に限った話では無いけれど、やはり気にしがちな面ではある。僕たち生徒側からすれば過失か故意かなんてどうでもいい。とりわけ、怪我をしかけた加地さんの立場ならそうだろう。しかし教師側から考えれば、過失か故意かは重要なポイントのようだ。

「まあ、事故ってことなんでしょうけど……」

 さっきは物部に事故だと、ほとんど断言してしまったけど、今はそう言いにくい。ちょっと、事故というには不審なことが出てきたのだ。それを明らかにするまでは、安易に事故と断言するのは避けた方がいいのかも、しれない。

 いいんだけどね。さっきも言った通り、生徒側……少なくとも僕は過失だろうが故意だろうが関係ない。それに、僕が過失か故意か判断したところで、それが最終決定になるわけでもないし。

「念のため、加地は保健室に連れて行こう。悪いが物部と猫目石で、散らばったゴミを片付けておいてくれ」

 鷲羽先生が至極常識的な指示を僕たちに与える。ただゴミを捨てに来ただけの物部は情けない声を出す。

「ええ? そりゃねえよ」

「諦めよう」

 ボヤが起きてゴミ掃除くらいで済んでいるんだから、今回は幸運づくしだった。もしゴミ袋が全体的に燃えていれば加地さんは両手を大やけどしていただろうし、僕たちだって怪我を負う危険性があったんだ。掃除くらい大目に見よう。

「ボヤか……」

「大したことないってよ」

「なんだそんだけか」

 騒ぎが沈静化するのを肌で感じる。野次馬の群れがつまらなさそうにほどけていく。こいつらは逆に、燃え方が激しければ激しいほど面白かったに違いない。あやうく当事者になりかけた僕としてはとんでもない話だ。

 野次馬諸君に、ここはひとつ勉強になったと思ってもらおう。

 劇的な展開なんてまず体験できないことを。

 野次馬、エキストラとしてですら、劇的な場面には出くわさない。周りで殺人事件は起きないし、怪盗からの予告状だってないし、建物は中村青司が建てたものじゃない。

 僕たちが生きる世界は普通だ。事実は小説より奇なりなんて言ったやつは誰だ? ノンフィクションがフィクションを超えることなんてありえない。

 事故だ事故。偶然に偶然が重なって偶然を二乗したくらい、不幸な偶然の連鎖で今回の事故は起きたのだ。幸運にも怪我人はいないし壊れた物も無い。

「まあ、滑稽ではあるよな」

 きっとそれは、僕自身が一番体験して『いない』ことで、一番体験したいことなのだろう。

 つまりこの後何が起こるか。どのような展開が繰り広げられるのか、何となく想像はついている。

 野次馬を割って叫び声が轟いた。

「ちょっと待った!」

 ありきたりの台詞。使い古された言い回し。そして陳腐な演出で、僕の知るクラスメイトが登場した。

 野次馬をモーゼのごとく……とはいかなかったらしい。遮二無二にかき分けて、僕たちのところまでやってくる。自分の一喝で野次馬をその場にくぎ付けにしておいてその体たらくだから世話無いな。

 現れたのは長谷川将。そう、ちょっと前に僕と物部が話題にしたあの男。加地さんや、その後ろに控える女子たちの所属するインターアクト部の部長である。

 長谷川は鷲羽先生よりも背が低く……つまり男性としては身長がかなり低いタイプで、しかし鷲羽先生と違い肉付きは良く、豚と罵られるほどではないが肥えている。そしてちょっと脂がのっている。何を食べたらそうだらしなく太れるんだろうか。太る秘訣があるのなら、ぜひ鷲羽先生にも教えてあげたらどうだろう。

 僕の目の前にくるなり、長谷川は台詞を繰り返す。

「ちょっと待った!」

 うんだから待ってるんだよ。もう僕は地面に散らばるゴミを片付けて部室に帰りたいんだ。

 君の遊びに付き合う義理はない。

 長谷川を無視して、掃除道具を取りに行こうとする。すると、あろうことか長谷川が僕の行く手を遮った。

「おっと、逃げるのか猫目石?」

 一連の行為を見ていた野次馬から、ざわめきが起こる。ようやく散らばり始めた野次馬が、にわかに戻ってきて、僕の周囲を黒くしていく。面倒な。

「逃げるって、何からだよ? むしろ僕は、今から地面に散らばったゴミと格闘するために、つまり正々堂々戦うために道具を取りに行くんだ」

「お天道様が見逃しても、この俺は見逃さねえぜ?」

「君が何を見逃さないって?」

「お前は完璧にやったつもりかもしれないがな、俺の目は誤魔化せなかったようだな」

「だから、君の目を僕はどうやって誤魔化そうとしたんだ?」

 会話がまるでかみ合わない。長谷川には自分の定めた話の運びがあるようで、僕の言葉をすべて無視して我が道を進んでいる。

 長谷川は息を大きく吸う。厚いブレザー越しからでも、長谷川の腹部が膨らむのが見える。「今から大声出しますよー」と警告されている気がしたので、僕は両耳を塞いだ。

「このボヤ騒ぎの犯人がお前だってことだよ! 猫目石瓦礫!」

 中庭に響く怒声。野次馬のざわめきは一瞬止まって、それからさらに大きくなっていく。

 いったい野次馬の何人が、『猫目石瓦礫』が僕の名前だと気付くだろうか。おそらく、全員気付く。

 怒声の主である長谷川と相対しているのは僕だけだし、おまけに長谷川が僕を指さしているからだ。

 近くにいた物部や加地さんたちの視線も感じる。しかしそれは…………。

「お前の悪事は全部お見通しだ。このインターアクト部部長の長谷川が、お前のやったことをこれから晒してやる」

 物部の方を見る。二枚目は「やってらんねー」と言いたげな表情で肩をすくめてみせた。

 加地さんも、後ろにいる後輩部員二人も似たり寄ったりだ。タネが袖から覗いている手品師を見るような目つきである。

 僕に心を読む能力なんてないが、今なら彼らが内心で何を思っているのか読むのは容易い。それはおそらく、僕も思っていることだからだ。

 長谷川…………お前犯人だろ?

 なるほどなあ。これが今朝、長谷川の言っていた新入部員のスゲェ勧誘方法か。自作自演で探偵を演じ、部長の知名度を上げることで部の知名度自体をあげようって寸法だ。

 悪くない。

 犯人として吊し上げられている僕が言うのもなんだが悪くない。

 あまりにも三文芝居であるという点を除けば、だが。

 周囲にできた黒い野次馬の群れが、皆一様に白けているのが手に取るように分かる。他人事なのに分かるっていうのも珍しい。

 どうもどうやら長谷川の言動は野次馬の好奇心やら興味やらを根こそぎ冷ましてしまったようだ。

「待て待て長谷川。猫目石が犯人って、そりゃ無理だろ」

 呆れ返った物部が長谷川の独壇場に横やりを入れる。ひょっとすると長谷川は不機嫌になるんじゃないかと思ったけど、やつの顔から余裕は剥がれない。大根役者の癖にある程度は反論も予期しているらしい。

「俺はゴミ袋が燃える瞬間まで加地と話していた。つまりゴミ袋をずっと見ていた。だが、ゴミ袋が燃えるまで猫目石は加地の持っていたゴミ袋に触れていないし、それどころか近づいてもいなかったぞ」

 役者もどきは指を振る。「分かってないなあ」とポーズが語っている。

 うわ、すごく殴りたい。

 長谷川は自信たっぷりな台詞を吐く。

「甘いなあ。ちゃんとトリックがあるんだって」

 ほう、トリックと来たか。まあ、ゴミ袋に触れていないという条件は僕も長谷川も同じだから、何か発火装置を仕掛けただろうことは想像がつく。

「トリック? あのゴミ袋、インターアクト部の部室にあったやつよ?」

 長谷川の主張に対し、加地さんはごく平凡な反論をする。だが、その反論には穴がある。

「加地。お前忘れたのか? 猫目石は昨日、インターアクト部にいたんだぞ?」

 確かに。僕は昨日インターアクト部の部室にいた。ちなみに、キャップの洗浄を手伝ってほしいと頼んで来たのが他でもない長谷川なのは、言わぬが花か。

 昨日の時点から企んでたんだな。

「観念しろ猫目石。てめえが使ったトリックはもうお見通しなんだよ!」

 長谷川が勝ち誇ったように胸を張る。なんかその姿『瀕死の探偵』に出てきた犯人みたいだな。残念ながらそいつの名前は忘れたけど。

 僕は「煙草をくれないか?」とでも言えばいいんだろうか。その前に、ランプを明るくしてもらうのは忘れないようにしよう。

「うーん……」

 ちらりと鷲羽先生を盗み見た。駄目だこの先生。事故で済みそうだったことが事件に発展するのを恐れてオロオロしている。長谷川の口を塞ぎたい。しかしここまで大きくなった騒ぎを自分で止めれるか……という葛藤が体に現れている。足がフラフラと右へ左へ行ったり来たりだ。

 別にあいつに喋らせたって僕はまったく被害を受けないんだけど……。今まさに生き恥を晒しているクラスメイトが直視に耐えないと思うほど、感受性も豊かではない。

「そのトリックはなあ…………!」

 長谷川探偵がついに、トリックのネタばらしにかかろうとした時だった。

「…………あはっ」

 笑い声がした。

 一応これでも緊迫した場面。さあいよいよ長谷川が、悪人猫目石がゴミ袋を燃やすのに使ったトリックを発表するぞというこの場面には、あまりにも不釣り合い。

 大笑いではない。そよ風が吹いたような微かな笑い。聞き逃してもおかしくない小さな笑い声に、しかしその場は停滞した。

 これには長谷川も、眉をひそめる。

「誰だ?」

 野次馬の一角が、それこそモーゼがやってみせたように割れた。それは長谷川がやったような無粋なものではない。

 自然に、するりと。

 何の外的要因もこちらからは見受けられないのに、すらりと割れた。

 突然の光景に僕たちが驚いていると、あっという間に道ができてしまう。

そして黒い集団の後ろに、僕のよく知るやつがいた。

 まるで野次馬が自分のために道を空けるのは、木に生ったリンゴがやがて落ちるのと同じく、自然なことだと言わんばかり。彼女は道が十分な広さになるまでたっぷり待ってから、悠然と僕たちのもとまで歩いてくる。

 異質。そこら辺にいる女子高生とは態度も素振りも一線を画している。

 彼女に一メートルを歩かせるのも煩わしくなって、僕は近づいた。

 夜島帳に。

「なんでここに?」

「おもしろそうだったから」

 肩を撫でる程度に長い髪は日の光を受けて眩い。肌は透き通るように白く、黒いブレザーとコントラストを織り成す。ネクタイは加地さんがしているように緩くではなく、きつく結ばれているにも関わらず、彼女から優美さを損なわせない。

 スカートから覗く細い足を捉えた僕の目は、慌てて上へと視線を持ち上げた。

 それでも僕の目には刺激が強い。赤く色づいた唇に指を当ててほほ笑む帳を見ると、心臓を握りつぶされた気がした。

 艶然としている彼女は、僕のよく知る普段の夜島帳だった。こいつは世界に核の雨が降ったって、その余裕を湛えた表情を崩しはしないだろう。

「夜島か? どうした?」

 物部や加地さんたちもこちらにくる。帳も僕や物部たちと同じ十五組の一員なので、知らない顔ではないのだ。

 気付けば長谷川のワンマンショーは終わりを告げている。当の長谷川はポカンとこちらを見ていた。

「ちょっと、ね。瓦礫くんに用があって部室にお邪魔したのだけど、いなくて探していたのよ。そしたら中庭でおもしろそうなことをしているのが目に入ったから、来てみたの」

 だろうね。お前が僕のピンチに駆け付けるような性格じゃないのは知っている。

「本当におもしろかったわ。あやうくお腹を抱えて笑い転げるところだったもの」

「お、おう……」

 二枚目物部の反応が鈍い。まあ、帳が大笑いしているところなんて誰も想像できないもんなあ。

「ま、待てよ! 何が面白かったってんだ?」

 我に返ったらしい長谷川がこちらに来た。まだ自分の優位を信じているらしく、帳に対し高圧的な態度を取る。

「普段影の薄い猫目石が犯人だからか? それとも、俺の推理が間違ってるってのか?」

 自分が探偵役をしていることが笑われている可能性はまったく念頭にないようだ。

 それと普段影が薄いは余計だ。

 長谷川の抗議に対し、帳は笑みを崩さない。

「違うわ……。あなたの推理が間違っているか、わたしには分からないけど、それでも面白いと思うのよ」

 それからまた、くすりと笑う。トライアングルを弾いたような澄んだ声は長谷川のがさつな声と違って、聞いていて気持ちいい。

「だって、あの瓦礫くんが…………あろうことか、誰よりも名探偵の瓦礫くんが容疑者にされているんですもの。これ以上に滑稽なことって、ある?」

「は…………」

 長谷川は何か言おうとして、しかし何も言葉を発することができなかったようだ。口をポカンと開けたまま、僕の方を見ている。

 物部にしても加地さんにしても、周囲にいるその他大勢にとってもそれは同じだったらしく、しばらくの間空白が、誰も声を発さない状態が続いた。

 その間、すべての視線は僕を突き刺していた。おおう、鷲羽先生までもが僕を怪訝な目で見ている。僕自身は一切、何の発言もしていないというのに。これはとばっちりではないだろうか。

「帳、言ってもいい冗談と悪い冗談ってのが」

「あら? わたしは嘘を吐くの、好きじゃないの。知ってるでしょう?」

 もう僕は何も言えない。

「あ、あぁ、いいか夜島? もう一度聞いていいのかあ? 誰が名探偵だって?」

 にやくつ長谷川が、帳に聞き直す。よせばいいのに、帳も律儀に同じ言葉を繰り返す。

「だから、瓦礫くんよ。こう見えても彼、こと探偵行為にかけては凄いのよ?」

 途端、長谷川は体をくの字に折った。心臓発作でも起こしてくたばったかと思ったが、その後にやつの笑い声が聞こえてきたので違うんだろう。くたばってくれれば話が早かったのに。

「ははっ! こりゃ傑作だ! 人は見かけによらないって言うが、さすがにそれはないだろ。猫目石が名探偵? ないない」

 自称名探偵長谷川少年は『腹を抱えて笑い転げる』という、帳がしているところは絶対に想像できない行為の一を実践してくれる。

 うーん。これはやっぱり、帳がするとは思えない行為だなあ。

 帳は平静を保った瞳を長谷川に向ける。そこにいったいどんな種類の感情が湛えられているのか、僕には分からない。

 ただ、口角が少し上がっているので、彼女は今、愉快な気分なのかもしれない。

「つうか、本当にそいつが名探偵だったら、三年も同じクラスにいれば気付くって」

「ふふっ。いいわ。じゃ、本当に瓦礫くんが名探偵かどうか、試してみる?」

 彼女はくるりと長谷川に背を向けて、僕の方を見る。

「じゃあ、後はお願いね」

 あ、ここから先は僕の仕事なのか。

「いやさ、お願いも何も、長谷川が犯人なのは自明の理だろ? 火を見るよりってやつだろ? 本人は気付いてないみたいだけど。これ以上、僕が一体何をするっていうんだ?」

 帳にしか聞こえないように、正面の彼女に顔を近づけて、声量を絞って耳打ちする。少し回り込んで、帳の右耳に言葉を流し込むような要領で。

 帳とは、肩と肩がぶつかる距離。僕ならまず、他の女子に対してここまで近づかない。

 夜島帳は特別だ。小学生の頃からの腐れ縁で、最近は前世からの宿命すら感じ始めているので、これくらいの距離なら何とも思わない。

 たとえ彼女が、僕の全理想を体現するほどの容姿を持っていたとしてもだ。よく『美人は三日で飽きる』とは言うが、まさにその通りなんだろう。昔馴染みの帳にいちいちドギマギはしてられない。

 僕の耳打ちをどう思ったか知らないが、帳は左手で僕のネクタイを掴むと自分の方へ引っ張った。体のバランスが崩れて前のめりになる。

 そのまま帳が引くままに任せていたら彼女を押し倒しかねない。帳とは烏鵲橋を越えるような仲では決してないので、押し倒すのはマズイ。いや、別に僕としては相手が帳なら別に……とかそういう話じゃなく、人目があるところでそういうのは紳士的じゃない……だからそういう問題でもなく。

 それが不可抗力だろうが故意だろうが両者合意の上だろうが、婦女子を押し倒すのは紳士としてあるまじき行為だ。

 僕は左足を前に出して、倒れゆく体を押さえつけた。

 帳の頬が近い。もう、触れ合っているんじゃないか? 僕の右頬に熱っぽさを感じるのは気のせいじゃないはずだ。

「決まってるじゃない」

 帳の声が僕の耳を撫ぜた。澄んだ声が彼女の温かい濡れた息を纏って脳内に届いた。

「本人に気付かせるのよ。三文探偵の長谷川くんに引導を渡すのは、本物の役目じゃないの?」

「まず僕が本物であるという証拠を耳揃えてから……」

「楽しみにしてるわ。ね?」

 それ以上僕は何も言うことが無く、彼女の指先に操られる人形となった。

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