楽しむに越したことなし

 結局夕食の後も、ロッタさんに散々質問攻めにされてしまった。解放されたのは長針と短針が同時に上を向く頃で、それからシャワーを浴びたりしていたので、ベッドにもぐりこんだのは午前一時を過ぎたところだった。

 枕が変わると眠れなくなる、なんて繊細な性質ではないから床についてから眠るのは早かった。起きたのは午前七時だが、眠気が残っているということもない。

 朝食を食べ終えて食休みをしていると九時になったので、僕はエレベータールームまで向かった。昨日あの後、明日はみんなで海に行こうと誰かが提案していたのだ。そこで詳しい話を聞いたのだが、どうやら海に出るにはタロット館の周囲にある離れのひとつ『鷲の座』へ行かなければならないらしい。

 離れに向かうルートは昨日、タロット館へ入る際に確認したとおりである。例の鉄製門扉の左右へ伸びていた道を右に行き、『獅子の座』を超えて奥へ行くとたどり着く。架空島において船着き場を除けば唯一、海岸にアクセスできるのがそこなのだとか。

 架空島にある四つの離れはそれぞれ、『運命の輪』のカードの四隅に描かれるモチーフをとって『鷲の座』、『獅子の座』、『牡牛の座』、『人の座』と呼ばれ、配置も『運命の輪』に沿っている。円形の城壁から見ての通り、どうやらタロット館自体が『運命の輪』をモチーフにしているらしい。

 すると気になるのは、門扉に描かれた『運命の輪』である。あれは逆位置になっていた。タロットはカードの向きで意味が変わるという話は帳から聞いているが、逆位置の『運命の輪』がどのような意味を持つのかは知らない。

 まさか発注ミスでレリーフが逆位置になったわけではないだろう。朝山大九がどういう意味合いで逆位置にしたのか、興味がないでもない。

 僕がビーチへ向かうためにエントランスまで行くと、エレベーター待ちなのか、森さんと宇津木さんの二人が立ち話をしていた。近づくと足音で気付いたのか、二人が振り返る。

 先に挨拶をしてきたのは森さん。灰色の、油汚れが目立つつなぎを着ている。

「よう猫目石先生。おはようだ」

 森さんは呉さんと違い敬称を外してくれない。僕は礼儀正しく「おはようございます」と挨拶を返した。

「猫目石くんは海へ?」

 今日も暑苦しいジャケット姿の宇津木さんは、僕が肩に掛けている荷物を見ながら尋ねる。

「まあそんなところです。宇津木さんと森さんも?」

 二人は同時に首を横に振る。

「俺はちょいと、クルーザーのメンテナンスに行くだけだ。お嬢はクローズド……なんだっけ? とにかく架空島が封鎖されれば好都合みたいに考えているところがあるが、俺らはそうもいかんからな。いくら予備が三台あると言っても、壊れていたら元も子もない。点検は技術者たる俺の仕事だ」

 なるほど森さんは技術者畑の人か。まあ、この人が呉さんや坂東さんみたいに給仕してる姿は想像もできないからな。

「クルーザーを運転できるのも森さんだけなんですか?」

「いいや。坂東の旦那もできる。一通り知識も持ってるみたいだが、さすがにメンテは無理らしいな。旦那はああ見えても年だから、力仕事はちょいとな」

「ヘリコプターは――」

 宇津木さんが口を挟んだ。

「確か一台、あるんでしたね。あれの運転は?」

「そればっかりは旦那の特権でね」

「ではあなた方が運転できない状態になったら、実質クローズドするということですか」

「そうなるなあ。ま、そん時は諦めろ。一応、クルーザーの運転は暇を見てマイちゃんとお嬢に教えてるが、まだ難しいだろうなあ」

「マイちゃん?」

「呉舞子。だからマイちゃん」

 けっこう人の呼び方が適当だな、森さん。上司の坂東さんと主人のロッタさんに対する呼び方も敬意が薄い。

「海に行かないというのなら、宇津木さんはどうする予定で?」

「ああ。ちょいと、書斎を覗こうと思ってね」

「昨日も覗いてませんでしたか?」

 僕と宇津木さんの初邂逅がそこである。

「はは。どれだけ時間があっても足りないんだよ。とにかく多くの資料があってね。タロット関連の資料をあそこまで収集してあるのは、ここだけなんじゃないかな」

 困ったような笑みを浮かべながら、宇津木さんはジャケットの袖口をさすった。左手首に巻いた腕時計を確認したかったらしい。

「去年聞いた話では、この館を建築した朝山大九の書斎らしいね。というより、そもそもタロット館自体が、彼の終の住処として建てられた向きがあるとか」

「終の…………?」

 てっきり別荘として建てられたのだと思っていたが……。ちらりと森さんを見ると、察してくれたのか宇津木さんの説明を補足してくれる。

「詳しくは俺も知らんが、お嬢や旦那の説明じゃそうらしい。しかもお嬢の祖父ってのが……」

 言いかけて、森さんが口を閉ざした。それと同時に、耳に微かなモーター音が聞こえてくる。

 後ろを見れば、館の主がいた。起きてきたばかりなのか、眠そうに眼をこすっていて、長い金髪もあちこちに撥ねている。

「……みなさん。どうかされました?」

「なんでもねえよ、おちびちゃん。それよりもうお目覚めか? いつもはマイちゃんに起こされないと昼までぐっすりなのに」

 からかいながら、森さんがロッタさんに近づく。やっぱり敬意は払っていないような……。ロッタさんが森さんからすれば娘みたいな年頃だから、そうならざるをえないのかもしれない。

「今ちょうど、この館について話していたんですよ」

 紳士らしく宇津木さんは膝を折って、車椅子に座るロッタさんと目線を合わせた。

「僕は去年もここへ来ているのでタロット館の来歴を知っていますが、猫目石くんは知りませんからね。昨日はロッタさん、猫目石くんの話ばかりせがんで自分の話はしなかったじゃないですか」

「ううん……。『白紙のラブレター』のトリックは」

 森さんに髪を撫でつけられながら舟を漕いでいたロッタさんは、うっかりミステリ読者最大の禁忌を犯しそうになる。宇津木さんが腰を浮かした。ミステリに疎いらしい森さんも僕たちの変化で危険を悟ったのか、ロッタさんの頭を二、三回叩いて覚醒させようとする。

「………………」

 ロッタさんは沈黙する。首が完全に前に傾いて、それから穏やかな息遣いが聞こえる。起こされたのに眠ったようだ。

「『白紙のラブレター』ってなんですか?」

「猫目石くんは新刊情報に疎いのかい? 道明寺先生の最新作だよ。もっとも、タイトルだけしか公的にはお披露目されてない。どうやら道明寺先生が製本された見本をロッタさんに貸したみたいだね。それを読んでいて寝不足といった具合か」

 危ないなあ……。販売前の作品を気軽に貸し出して良いんだろうか。後で借りよう。

「やれやれ、世話のかかるお嬢だ。どうするかな……。起こすにしろ寝かせるにしろ、一度部屋まで連れてくか。じゃあなお二人さん」

 車椅子を押して客間へと戻る森さん、しばらくして書斎へと移動する宇津木さんを見送ってから、僕はエレベーターに乗ってタロット館の外へ出る。タロット館の来歴については聞けなかったが、焦ることも無い。サロンは二泊三日。いくらでも聞く機会はある。

 例の通路は開きっぱなしの門扉から太陽光が入ってきて、昨日ほど暗さを感じさせない。今日は出入りが激しいから開いたままにしているのかもしれない。操作盤の位置さえ分かれば誰でも操作可能ではあるんだろうけど。

 天候は申し分ない。雲の白と空の青が半々だが、天候が崩れるような気はしない。もっとも、山育ちの僕には不慣れな海のこと、あまり過信しないようにしよう。荒れた海に揉まれながら溺死などしたくない。

 アスファルトで整備された小道を上りに上って、『獅子の座』を越えて、ようやく『鷲の座』に辿り着く。ビーチはこの先だが、一旦『鷲の座』へと向かうことにする。

 それというのも、『鷲の座』が海の家に近い性質を持つ建物だからだ。更衣室とシャワールーム、カウチなどを収納する倉庫、水着のまま上がって休息を取れるむしろ敷きの広間などがあるようだ。『鷲の座』に限らず、タロット館の周囲にある離れはそれぞれ、アウトドアレジャーを楽しむための拠点として設計されているらしい。

 もっとも、別荘の離れだけあって、そこらの海水浴場にあるプレハブ小屋のような造りではなかった。

「これは意外。てっきり石造りなのかと」

 『鷲の座』は全体的にコンクリ打ちの冷たい外観をしていた。一階は四方をガラス板に囲まれていて、涼しそうな屋内からでも海を一望できるような造りになっている。床から一段高くした部分にむしろが敷いてあり、海を眺めながら昼寝をしても気持ちよさそうだ。

 離れはこういうデザインなのか。他の離れも後で見てみようかな。

 二階にある更衣室で着替えた僕は、『鷲の座』を後にしてさっさとビーチへ降りる。『鷲の座』の西側は断崖絶壁になっているが、崖に沿うように階段が整備されていて、そこを下ればすぐにビーチだ。

 階段の中ほどで立ち止まり、海を見た。崖が作った陰に染められて、海は黒く光っている。穏やかな波の音は耳に心地よく、立ったまま眠りそうになる。

 波打ち際から十メートルほど沖へ出たところに岩礁がある。呉さんが「沖の方を岩礁に囲まれていて」と言ったのはこのことか。岩礁に隙間はあるが、ゴムボートすら接舷は難しそうだ。

 周囲を岩礁に囲まれている架空島でこの一角だけが砂浜となっているのも、この岩礁に原因があるのかもしれない。他に比べ岩礁の隙間が広いここは、波による浸食を食い止め切れなかったのだろう。

 崖を半円状に波がくりぬいてできた砂浜。岩礁で外からの視線を完全に遮断したプライベートビーチ。階段が造られていなければ島の内側からも侵入は不可能。人魚がその身を委ねていてもおかしくない、隔絶された環境だ。

 白い砂浜へと一歩を踏み出す。足を前へ出すたびに、サンダルの内側や足の爪の間に砂が入り込んできて、快適とは言えない。しかしそれも、十歩くらいでどうでもよくなる。何事も慣れだ。

 先客はひとりだけいた。ビーチにカウチを引っ張り出して、そこに寝転がっている。パラソルが作り出す陰で顔はハッキリ見えない。両手にはハードカバーの本を持っていて、時折それを捲っていた。カウチの傍に置いてあるバスケットにも、二冊ほどハードカバーが無造作に突っ込まれている。

 海にまで来ておいて読書。そんな酔狂をするやつを僕は一人しか知らない。

「おーい、帳」

 声を掛けてから近づいていく。無反応だったが、もう一度声を掛けたらこちらを見た。

「昨日はあんまり乗り気じゃなさそうだったのに、来たのね」

 すぐ近くまで寄って、思わず僕は足を止める。

「ああ、そりゃあな……。お前がノリノリだったようだし」

 帳は水着姿だった。浜辺でくつろいでいるものだから僕はてっきり、普段着なのかと……。

「海に来てまで読書っていうのはどうなんだ? まあ、お前が泳げないのは知っているけど……」

 黒いセパレートタイプの水着で、白い肌は惜しげもなく外気に晒されている。露出によって際立つしなやかな柳腰にはパレオを巻いているが、風に揺られてめくれ上がったところから太ももが露わになる。

 清楚な白と研ぎ澄まされた黒。完璧にモノトーンの配色だというのに、ハイビスカスの鮮烈な赤よりも目を刺激する。

「もうひと泳ぎはしているのよ」

「ひと泳ぎ?」

「言葉の綾。泳ぐというよりは、浸かるというべきだったかしら。ここは水深が浅いのよ。岩礁の辺りまで沖へ出ても、わたしのお腹までしか沈まなかったわ」

「なら安心か。足でもつらない限り溺れる心配はなさそうだ」

 僕はカウチの傍に突っ立って、呆然と帳を見つめていた。つぶさに観察していたのかもしれない。どうして海に来ているのに、こんな砂浜でくすぶっているんだ。

 立っている場所から、彼女が読んでいる本の文章が目につく。ここからでも読めるくらいには字が大きい。ただ問題なのは、帳のページを捲る速度が尋常ではないことだ。僕が見開きの右側を読み終わると同時に次のページへと捲られてしまう。

 これでは本の内容が理解できない。どうやら小説ではなく、何かの論説が書かれた本のようだが……。

 本を読むのは諦めて、視線を帳の頭へと移す。つむじをしばらく見ていたが、これを観察して何が楽しいんだ。視線を少し落として、うなじから首筋へと対象を変更する。彫刻家に整えさせたように繊細なその喉に触れたくなる。

「どうかしたの?」

 帳の言葉で、僕は自分の世界から強制送還される。気付くと僕の左手は帳の喉に触れていて、その手に彼女の右手が添えられていた。

「なんだか、剣呑な手の動かし方だったわよ。二人きりだからって良からぬ下心でも出したのかしら」

「いや、これは、その……!」

 いつの間に僕は手を動かしていたんだ?

「決してやましい気持ちがあったのではなくてですね帳さん」

「瓦礫くんが下心の塊だと証明されたようね。これじゃあすぎたさんに罵られても文句は言えないわ」

 やばい。僕の抱いていた下心が喉に触れて隙あらば縄で絞めたいとか、その後で喉に残った跡が消えていく様子を眺めていたいとか、そういう類のだとはばれるわけにはいかない。

 こちらを向かないから帳の表情が読めないのも、僕を焦らせる。

「喉じゃない。僕は喉に触れようとしていたわけじゃない」

「じゃあどこを触りたかったの」

「肩……。そう肩だ。あまりにも綺麗だったから、つい出来心で」

「肩、ね。下手なりにどういう嘘を吐くのかと期待していたのだけど……」

 帳が振り返る。その眼には、暗い廊下の奥を照らす蛍光灯のような光が宿っている。

 新しいおもちゃを渡された子どものように、帳の声は弾んでいる。

「それはつまり、肩にある水着のストラップを引き剥がしたかったということでいいのね?」

「しまっ……違う! そういうんじゃない!」

 墓穴を掘ってしまったらしい。なんとかしなければ。くそ、他の人はどうしてまだビーチに来ないんだ? 話題が切り替えられないじゃないか。

 話題の転換を図って、僕は帳の周囲をところ構わず詮索する。何かないか。別の話題になりそうなもの……。

 重なっていた帳の細い指が、僕の手の甲を撫でる。それがきっかけで帳の右手に注目する。そういえば……。

「時計、してないんだな」

「時計? さすがに海よ。外すに決まっているわ」

「ああ。それもそうか」

 その時計というのは、中学生のとき、僕が帳にプレゼントしたものだ。三万円程度と、僕からすればだいぶん奮発した方だが、彼女にとっては安物だろう。

 あれよりも良い時計なんて、帳なら今すぐにでも買えるだろうに、なぜかこいつはずっとその時計を使い続けている。

 だが、僕の記憶では昨日もリストウォッチをしていなかったはずだ。手が隠れやすい浴衣姿のときならば見逃していた可能性もあるが、腕も露わになっていたパーティドレス姿のときは着けていなかったと断言できる。

「……あの時計のデザイン、『女教皇』だったんだな」

「唐突に何?」

 怪訝そうな表情をされる。そんなに逸れた話題ではないはずだが。

「時計の装飾。お前はタロットについての知識があるから気づいてたみたいだけど、僕はここに来て『女教皇』の客間に飾ってある絵を見るまで分からなかった。『女教皇』のリストウォッチを持ってるお前に『女教皇』の客間が割り振られているというのも、奇妙な巡り合わせだけどな」

「わたし、あなたに部屋を教えたかしら?」

「……違ったか? ああ、宇津木さんが推理したんだ。うっかり確認も取らず、合ってるとばかり思ってた」

「宇津木さんの推理なら合ってるわ。そしてわたしは宇津木さんに自分の部屋を教えていない。完全に推理したようね」

「やっぱり凄いんだな宇津木さんは。国内唯一の名探偵って文句も誇大広告じゃない」

「キャリアの違いもあるのよ。宇津木さんはわたしたちより、多くの事件に関わっているでしょうし」

「それはそうなんだけど……」

 経験値の差が埋まれば宇津木さんにも敵うみたいな言い方されてもなあ。僕は道路の状況からロッタさんの足について推理した。呉さんは、その推理ができたのは宇津木さんとぼくだけだと言ったけど……。宇津木さんが僕の部屋を当てたあの推理を見た今、果たして呉さんの言葉は真に受けていいのだろうか。

 僕は「朝山家の人間の中に足が悪い人がいるのでは?」とまでしか推理できなかった。しかし宇津木さんはもしかしたら「ロッタさんの足が悪いのでは?」という領域まで推理できていたかもしれない。

 思えば昨日僕がした推理だって、穴だらけなのだ。足場の悪さを気にするならどうして、このビーチに降りる手段が階段しか用意されていないんだ? いくら車椅子のロッタさんでも、たまにはビーチに降りたくもなるだろうに。

「宇津木さんと張り合おうなんて思わないな。僕は探偵じゃないから。ロッタさんやお前からすれば大差ないのかもしれないけど、僕は自分のことを探偵だと思わない。僕はあくまで補欠にすぎない」

「補欠……」

 帳の右手が僕の左手を握る。

「『あいつ』が帰って来るまでの繋ぎだ。『あいつ』が帰って来てくれるなら、それに越したことはない。僕にとっても、帳にとっても」

 『あいつ』。

 僕と帳にとっての、名探偵。

 あいつは今、どこで何をしているんだ……。

「ギャッ!」

 後ろで声がした。何か、押しつぶされたような声だったが……。

 振り返ると階段のすぐ近くで、道明寺さんが倒れている。『鷲の座』から持ち出したらしいカウチの下敷きになっていた。

「大丈夫ですか?」

 とにかく助け起こす必要がありそうだ。近づいてカウチを道明寺さんの上から動かす。見た目から想像していたよりは重く、危うく僕もバランスを崩して道明寺さんの上に倒れるところだった。

 高校に入学してからは運動らしい運動をほとんどしていないから、だいぶ衰えている。これでも中学の時は剣道で鍛えていたんだけどなあ。まあ、その剣道部が件の事件で壊滅・廃部したから、一年もしていなかったけど。

「はは。いやあ参っちゃったよ。階段を下りていたら君たちが目についてさあ。出歯亀か? これって出歯亀かって調子に乗ってたらバランス崩しちゃって」

「気をつけてくださいよ」

 手を貸すために左手を出そうとして、出す手を右手に変えた。ロッタさんとの握手のときといい、左利きだとこういう二度手間が起こりやすい。

 ……あれ? ああ、道明寺さんも左利きだったな。じゃあ、この気遣いは無用だったか。

 案の定、道明寺さんは左手で僕の右手を掴む。ちょっと体勢が不自然になってしまったな。

「道明寺さん、大丈夫ですか」

 帳もこちらに近づいてくる。太陽も少しずつ高くなって、ビーチ全体を照らしはじめていた。日の光に照らされた帳の肌は、一層白く輝いて見える。

「お。なになに帳ちゃん。随分気合入った格好してない? 瓦礫くんに見せつけちゃってるの?」

「そういう道明寺さんは、普段着なんですね」

「うん。あたし泳ぐの苦手なんだよねえ。それに昨日けっこう酒飲んじゃって、今もちょっと酔いが残ってる。だから今日は、ビーチで日光浴のつもり」

 確かに道明寺さんは、Tシャツとジーンズという、昨日と同じ様な格好である。

「へえ、お酒飲んでたんですね」

「あんたがロッタちゃんにせがまれていろいろ話してる間にね。新藤さんや須郷さんと飲んでた」

「そんな社会派二強に囲まれて……。僕だったら断ってますよ」

「あたしから誘ったからねえ。すぎたさんは来なかったけど」

 どういう図太い神経してるんだこの人。

「あれ? 宇津木さんたちはまだ来てないの?」

 道明寺さんはきょろきょろと辺りを見渡しながら尋ねた。僕と帳は互いに顔を見合わせる。そうか。帳は僕と宇津木さんが会話をしていた時には既にここだっただろうから、知る由もない。僕が答えるべき質問だ。

「宇津木さんは来ないそうですよ。書斎に籠ってます。ロッタさんは、僕が見たときは寝ぼけ眼だったんで、もしかしたら来ないかもしれないですね。他の人たちは知らないです」

「あいよ。かー、みんなインドアだねえ。ま、新藤さんと須郷さんは来るでしょ」

「新藤さんと須郷さんって、いっつも二人一緒なんですか?」

「どうだろうね。たぶん新藤さんに須郷さんが引っ付いてるだけなんじゃない? ほら、須郷さんって新藤さんのことリスペクトしてるから」

 昨日の食事中に出た話題のことだろう。そりゃあ、自身が今の生活を手にしているきっかけといえる人物だ。尊敬もする。

「須郷さんに限らず、新藤シンパは作家・編集者問わず業界に多いよ。お陰であたしやすぎたさんたち本格ミステリ作家は仕事し辛くって」

「そうなっちゃうものなんですか? 道明寺さんもすぎたさんも本格で成功している人なんですから、編集者だっていきなり社会派を書かせようなんて……」

「編集者だってピンキリだから、社会派と本格派の区別がつかないやつがいるの。そういうやつらがつける注文が大抵、新藤さんや須郷さんの作品を挙げて『こういうリアリティがあって、ドラマになりやすいやつお願いします』なんだからやってられないわ」

 本格派であることを抜きにしたって、道明寺さんの作品をドラマ化するのは難しそうだ。ライトな作風はそれ相応の年代と趣味の読者を呼ぶから、アニメ化した方が需要に合っている気もする。装丁を担当する人も理解しているのか、単行本だった作品を文庫化するにあたって、ライトノベル業界で有名なイラストレーターを起用していた。

 話に加わっていなかった帳が階段の方を見上げる。

「どうやら来たみたいよ。新藤さんと須郷さん」

 僕と道明寺さんも見上げる。階段の中腹に新藤さんと須郷さんがいて、須郷さんはまん丸のビーチボールを高々と掲げている。「ビーチバレーしよう」という意味だろうか、その身振りは。

 あの人、あれで宇津木さんと同年代なんだよなあ。フランクというか、人当たりが良いというか……。まあ、水着の上からTシャツを着ても目立つメタボリックな体型は、むしろ四十代半ばみたいに思える。

 一方の新藤さんも水着姿だが、こちらは肉体美を見せびらかしている。衰えを全く感じさせない、筋骨隆々の体つき。帳とはまた違った意味で目に毒だな。

「小僧。男が女相手に恰好をつけたかったら、これはもうスポーツしかないぞ!」

 ……ビーチバレー、新藤さんの発案なんですか?

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