35. 楽して得た幸せなんて虚しいだけ。本当の幸せって言えないよ。
かつて魔王城があったチュガトリンプ大陸。常に分厚い雲が空を覆い、草木が生えない硬くて灰色の地質が全土に渡っている。魔王城の崩れた
「……」
折れた柱の上に、黒い服を着た目付きの悪い青年が降り立った。警戒するように周りを見渡し、後ろ腰にクロスして
「ふぅー……――!」
イルは一つ深呼吸をすると、急に姿を消すようなスピードで空間を移動した。一斉に飛びかかったモンスターたちは止まり切れずに柱の上でぶつかり合った。
「
モンスターたちは次々と首筋から血しぶきを上げた。イルは返り血も浴びない程の速度で空間を移動しながら、一気に百匹以上の全モンスターの首元を切り裂いた。そして再び柱の上に立った。
「
イルからとてつもない強風が放たれ、斬りつけたモンスターや飛び散った血までもが一気に遠くへと飛び去った。
「
イルは強風でも吹き飛ばない雲を見上げていると、背筋が凍るような気配を感じた。
「グルルルルル!」
黒いオーラをまとったケルベロスが、イルを睨みつけながら歩み寄ってきた。三つの首のうち左側の顔は目を閉じているが、後の二つは赤い目に変わっている。
「強敵出現。詰めが甘い」
「グワァ!」
真ん中の顔が黒炎を吐いてきたが、イルはギリギリで回避した。
「
「バウバウバウ!」
たたみかけるように二つの首が噛みつこうとしてきたが、イルは身のこなしによる回避と双剣のガードで受け止めた。
「風林火山!」
イルは青い剣で受け流しと素早い反撃、赤い剣でガードから力強い攻撃を繰り出すと、次第に形勢逆転していく。
「
隙を突いた高速斬撃にケルベロスはかすり傷を負ったが、なんとか回避し距離を取った。
「ガオゥ!」
二つの顔が最大パワーによる黒炎を吐き出してきた。イルは両手首を剣の
「
イルの両手から巨大な竜巻が生み出され、向かってきた黒炎を取り込みながらケルベロスを捉えた。黒い体を風で切り刻みながら黒炎の力で燃やすと、竜巻の中で黒い魔物は消失した。
「はぁ、はぁ……」
息を切らした青年は、折れた柱を背もたれにして座り込んだ。
「――さすがは
「……」
歩み寄る世界三大魔女の一人に回復薬入りのボトルを投げられ、イルはキャッチした。
「
「そりゃこっちのセリフだよ。バルクと戦った次の日から姿がないと思ったら、決戦の地で修行してるなんてね。どうやって来たのか知らないけれど、あと五日もここで過ごすつもりかい?」
「……」
イルはもらった回復薬の栓を開け、一気に飲み干した。
「
「この場所は強い魔物が湧いて出てくるから修行にはいいだろうし、決戦前に雑魚掃除をしてくれるのはありがたいさ。――だけど、何をそんなに焦っているんだい?」
「……日常茶飯事」
「バルクに負けたからかい?」
「……」
「図星だね。まぁ正直アタイも、イルがバルクに負けるとは夢にも思わなかったさ。キュロストの戦いだから、あの力バカが大剣を手放さなかっただけじゃないのかい?」
「
「へぇ、あのバルクがねぇ……」
「……」
イルは立ち上がった。
「それより突然変異。想像以上の強さ」
「黒化の話かい? 原因が分からないのさ。魔力は感じないから強化魔法ではなさそうだけど、魔物だけでなく召喚獣にも起こった。黒化の上の紫化までいくとさらに強くなるねぇ」
「原因不明? 人体への影響は?」
「ククク、そうなったら楽しいだろうさ」
「……」
「ちょ、もう行くのかい!」
つり目の青年は表情を変えず、再びモンスターを捜しに向かった。
「まったく、アタイ以上にマイペースだね……」
―*―*―*―……
復興がかなり進んだルバイエの町の
「……」
「ココさん! お待たせいたしましたわ!」
町の入口方向から、白衣を着て首に聴診器をぶら下げたプラノが歩いてきた。
「おうプラノっち! もういいんでぃ?」
「ええ。復興もだいぶ進んで、町のお医者様が奮闘しておりましたの。わたくしがお手伝いする必要はなさそうですわ」
「そりゃよかったぜ! あんなに壊滅的だった状況から復興まで一年かからねぇってのは、イロアスとして嬉しいぜぃ!」
ココは作業を済ませ、道具箱をまとめ始めた。
「復興は人々の情熱があってこそ進むのですわ。わたくしたちはキッカケを作っただけに過ぎませんの」
「でもよ、ドラゴンを倒したのはプラノっちたちでぃ。謙虚さも大切だけど、正しい行動を取った自分をたまには誇っていいんだぜ? じゃなきゃ、自分がかわいそうだ」
「今、この瞬間にも苦しんでる人が必ずおりますの。だから自分を褒めるのは、世界中の人々を救ったと確信した時にとっておくのですわ」
「……さすがだぜぃ。魔王討伐前でも被災地を回るプラノっちは、立派なお医者様でぃ! だからオレっちは、喜んで協力するんだぜ!」
「あ、ありがとうございます!」
ココは荷物をまとめ、翔空艦の入口前に立つと扉が開いた。ココは操縦席、プラノは右側の前から二番目の席に向かう。
「次はどこに向かうんでぃ? 『歴戦の看護師』様よぅ」
「次は
「がってんだぜ! その後は、ひとっ風呂浴びてリフレッシュでぃ!」
「ええ! そうしましょう!」
二人とも荷物をしまい、シートベルトをした。
「おおっしゃ! アミアイレ、翔空するぜ!」
エンジンがかかった翔空艦は高度を上げ、一気に加速していった。
―*―*―*―……
「……」
「――ここにいたか。何してんだ?」
外階段から上がってきた赤髪の剣士が声をかけた。
「……星見てるの」
「雲よりも高い場所だから空気が澄んでて、街灯が少ねェから星がよく見えるな。――けど、二階で寝転がってたら狙われるぞ?」
「私を狙う人なんて誰もいないよ。『三大魔女と互角の新勇者だ』って噂が広まって、みんな怖がって近寄って来ないんだもん。どこに
「ハハハ。だけどその噂のおかげで、バッジがないのに高級宿屋に泊まれてるじゃねェか」
「楽して得た幸せなんて
「……なーに大人ぶってんだよ」
「ひゃっ!」
頬に冷たい物が当たり、サヤは飛び起きた。バルクは氷の入ったミックスジュースのコップを差し出した。
「もうっ、なに子供ぶってんのよ!」
「ははは、うまいな」
「ふんっ!」
文句を言いながらも、サヤは飲み物を受け取った。
「ん! おいし!」
「そりゃよかった」
バルクも自分の飲み物をひと口飲み、サヤの隣に座り込んで夜空を眺めた。
「どうだ? 修行の方は?」
「……やっと、火の最上級魔法が使えた」
「マジかよ! 二日で火の魔法をコンプリートしたのか!」
「てゆうかさ! 私、あの人無理なんだけど!」
「ジュリーか? 何かあったのか?」
「だってさぁ……――」
―*―……
「くくくくく……ハハハ、アーハッハッハッハ!」
サヤが不満をひととおり言い終えると、笑いを堪えていたバルクは大声を上げて笑い出した。
「笑わないでよ! 真剣に悩んでるんですけど!」
「ハハハ、悪りぃ悪りぃ。おかしいのはサヤじゃなくて、ジュリーだ」
「ジュリーさんが? どこがおかしいの? 私にめっちゃ厳しいんだよ?」
「サヤとジュリーが直接関わるのは初めてだもんな。知らねェのも無理ねェか」
「もう何なの! 早く言って!」
「ジュリーは嬉しいんだよ。サヤの成長がな」
「え? 嬉しい?」
「ああ。――よっ、と」
バルクは飲み物を床に置き、両手を突いて腕立て伏せを始めた。
「嘘だよ! いつも私のこと見下して、『いつになったら覚えるんだい?』って言ってくるんだよ?」
「裏を返せば、『サヤはできるはずだ』って意味だろ。親に英才教育を受けたエックスでさえ、まだ一属性も極めてねェ。そのくらい難しいことを『アンタには何日も必要ない』って言ってるようなもんだ」
「だ、だったらそう言えばいいじゃん! なんでバカにするような言い方をするの?」
「そこがおかしいところなんだよ……フフフッ、ハハハハハ!」
バルクは腕立てを止め、両腕に顔を埋めて爆笑している。
「……サヤ、ジュリーがどうして『
「めいあん? 明暗? 名案? とにかくメッチャ頭いいみたいな?」
「……」
(その答えがメッチャ頭悪いんだが)
「『
「そりゃ闇魔法もコンプしてるし、闇より深い闇でしょ」
「間違いじゃねェけど、二つ名が差す本当の意味は違う。アイツが抱える本当の闇は、魔法じゃなくて心だ」
「心?」
「ああ」
バルクは立ち上がり、スクワットを始めた。
「幼い頃に両親を亡くし、預けられた孤児院も戦争で破壊された。才能を認められて闇魔導士の連合に入ったが、仲間同士の殺し合いが起きた」
「なにそれ。どこに行っても一人ってこと?」
「ああ。人と関わる度にすぐ失い、醜い殺し合いに巻き込まれて人間不信になった。そして、絶望したジュリーは自ら連合の派閥を皆殺しにした。再び孤独となったアイツは、自分の力を強くすることしか考えなくなった」
「……」
共感性の高い勇者は涙目になりだした。
「それからのアイツは、戦争をかき回す異端児だ。国同士の戦いで圧倒的不利な軍勢に加勢して逆転勝利させたり、時には魔王軍側について各国の名だたる魔法使いを倒したり、より強い相手と戦う側を選んでは勝ち続けていった」
「……すごいけど、やってることは問題児だね」
「そしてジュリーは、討伐隊のタクミへ決闘を申し込んだ。その戦いは、周辺の山や森を平地にするくらいの壮絶な戦いになった」
「結果は?」
バルクはスクワットを止めて、再び座り込んで飲み物を口にした。
「ジュリーが負けた。んで、タクミが勝ったらジュリーが討伐隊に入るって約束を守った。まぁ、『魔王と戦う方が好都合』って負け惜しみは言ってたな」
「すごいね! タクミさん!」
「自分の強さだけを求め、プライドが高く、なおかつ
「私に、期待してるから?」
「半分正解だな」
「なにそれ! ここまで話してもったいぶる気?」
「ジュリーはサヤに、自分が重なって見えてんだよ」
「あ……」
サヤは恥ずかしくなり、再び仰向けになって夜空へ視線を移した。
「……ジュリーさんほどじゃないけどさ、私も孤独だったの。というか親友と彼氏を失って、自分から他人と距離を置いてた」
「ジュリーは自分と重なって見えたサヤに、強くなって欲しい気持ちが芽生えた。
「バルクはそれを爆笑してるの? 性格悪くない?」
「そうじゃねェよ。ジュリーが変わろうとしてるのは嬉しいんだが、サヤへの接し方があまりに下手でな……」
「言われてみれば、下手すぎかも……」
「だろ?……」
「……フフフッ」
「アハハハハ!」
夜空の下で二人は苦笑している。
「ジュリーさんも大変だったんだね。私もリキュアに来た時は不安だったけど、帰る場所がある今は安心するもん」
「ああ。帰る場所があるのは、当たり前じゃなくて幸せなことなんだ。一度失ったらなかなか手に入らねェ。世界中の誰もに帰る家があるのが、俺は平和の大前提だと思ってる」
「だったら、魔王を止めないとだね?」
「おう。必ず全員で、帰るべき場所に帰るんだ」
「……」
サヤはなぜか言葉に詰まり、バルクに顔を見せないように背中を見せた。
「おい、どうした? そこは元気良く返事をするところだろ?」
「う、うん。……ごめん」
「どうした? 他にもジュリーから何か言われたのか?」
「違うの、そうじゃなくて…………本当に、みんなで帰りたいなって……」
「ああ。必ず帰るんだ」
「……」
背中越しにも泣いているのが分かるバルクは、サヤが泣き止むまで傍にいた。――涙の本当の理由も知らずに。
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