4.二つ目の証言

 大阪府警が西寺を検察へ送検する方向で話を進めているという「事後報告」が私たちのもとへもたらされたときには台風と大雪が一度にやってきたかのような混乱がもたらされた。京都府警としては西寺のアリバイが確固たるものとして立証されていたので、改めて捜査を仕切り直ししようと計画しているところだった。

 そこへ無罪であることが分かったはずの西寺が送検されると一報が入ったのだ。理由も事情もさっぱり分からない。

「よく来たな大迫刑事……」

「これはこれは京都の皆さん。朝早くからおおきにー」

 そこで警部が大阪側へ説明を求めると、大阪は直に人をこちらに寄越して話をすることにしたらしい。そのせいで視線だけで人を殺しそうな人間が、今日は大阪府警が来るということでわざわざ朝に出てくる用事のない刑事まで大挙してオフィスに詰めている。だというのに大柄で坊主頭の大迫刑事は敵地のど真ん中にいることを思わせない恵比寿によく似た笑みを浮かべていた。正義は我にありと顔にでかでかと書かれている。

「大迫刑事、まずは事情を説明してもらえないかな? なんでアリバイが既に成立した西寺を送検しようとするのか!」

 警部は今にも爆発しそうな勢いで怒鳴る。今までに見たことのない怒りようだったけどその怒りはこちらに向いていないので全然怖くない。しかし矛先が自分に向いているはずの大迫も平然と構えていた。

「井原警部、そう声を荒げないでくれますか? うるさくてかないませんわ」

 大迫が警部を挑発するような言葉をかけるのと同時に、警部の周りにいた刑事たちが一歩引いた。警部の爆風の巻き添えを恐れてのことだろう。しかし警部も流石にいい年なのでそんなわかりやすい挑発には乗らずになんとか怒りを堪えようとする。

「あぁそうだな……だがともかく、説明はしてもらうぞ……なんでこっちの捜査を無視するようなことを大阪はするんだ?」

「そりゃあ、京都の皆さんの捜査が不十分だからですよ」

 ぴしっ、と空気が軋む音がしたように感じられた。ここが中世の城なら間違いなく大迫は袋叩きの上で首を撥ねられ、和平交渉に応じない意思を見せつけるために首がないまま馬に乗せられ本拠地に返されたりしていただろう。ここは警察署なのでそんなことは起こらないと思うが。

「どういう意味か、具体的に教えてもらえるかな?」

「いいでしょう」

 警部はあえて余裕を見せようとしているのか鷹揚な口調を心掛けるも、しっかり声が震えてしまっていてその試みは失敗に終わっていた。大迫は腹に一物抱えたような笑みを見せると胸をそらして全員に聞こえるように声をはる。

「我々が西寺の身柄を大阪に移すのは当然、奴が今度の事件の真犯人だと考えとるからです。京都の皆さんは西寺にアリバイがあると結論づけたようですが、我々の精密な捜査の結果この結論が誤りであるという証拠を二つ手に入れました」

「証拠を、二つ……」

 大迫の言葉につられて川島が繰り返す。大迫は指を二本立てて「二つや」と強調した。

「まず一つは皆さんがアリバイの根拠にしている目撃証言が間違っとるという話や。目撃者……名前は猪目希望やったか? その子の証言ちゅうのがどうも信用できん」

「ちょっと、あの証言のどこが信用できないって?」

 大迫の自信満々な物言いにたまらず私は声を上げた。大迫は群衆の中から私を見つけると「なんや神園はんか」と呟く。

「神園はん、うちらは神園はんのとった証言を知らされたあとその女の子の通う小学校に行ってみたんですわ。本当に証言が信用できるか一応確かめとこう思ってな。そんで担任の先生に話を聞いたんやけど、そしたらその先生なんて言ったと思う?」

 大阪が私たちの調書を読んでまずしたことがそれを疑うことだったという歪みっぷりはさておくにしても、教師の口から証言の信用性に関わる話が出てくるとは思えなかった。きちんと下校時間に帰っていることは川島が裏を取っているはずだからなおさらだ。

 だったら一体何が?

 大迫は私へ言い聞かせるように言葉を発する。

「あの目撃者、猪目希望には知的障害があるらしくてなぁ。だからその証言いうんも信用できひんのちゃうか?」

「知的……障害?」

 私は大迫の言葉を繰り返しながら先日のことを思い返す。希望ちゃんの言動ははっきりとしていて、とてもじゃないけどそういう問題を抱えているようには見えなかった。どこにでもいる普通の小学生だ。知能に問題があるとも思えない。

「ちょっと待て大迫。仮にお前らの言う通りでその子に知的障害があったとしても証言を退ける理由にはならないだろう。会話が出来れば容疑者を見ただの見てないだのと答えられる」

 私が思案していると警部が口を挟んで大迫へ反論する。大迫の方は蛙の面に水という風に笑うだけだった。

「まぁそれはそうですわ。だからこっちはあくまで、その目撃者の証言が間違っている理由の推測に過ぎません。本チャンは二つ目の方……」

 大迫はそこで一回言葉を切って黙る。沈黙の効果を最大限にしようとしているようだ。

 周りの刑事は否応なくその沈黙に引き寄せられてしまう。

「うちらは犯行のあった十一日、事件現場の付近で容疑者を目撃した証人を見つけ出しました。こちらに確固たる証言がある以上、西寺のアリバイは崩れたっちゅうことです」

「二つ目の目撃証言?」

 フロア一帯に動揺が走る。私たちは西寺のアリバイを証明したと思って安心しきっていたから、それを否定する証言が出てくるとは夢にも思わなかったのだ。

 京都と大阪。対立する二つの目撃証言か……。

「……その目撃者ってのはいったい誰なんだ。どんな証言だ?」

「詳しくはまたファックスしますわ。それじゃ、うちらはまた捜査が忙しくなるんでまた」

 警部の質問には答えず、大迫はわざとらしくいそいそとオフィスから出て行った。あとに残された私たちは沈黙し、目線だけで互いに会話してこれからどうするか考え始める。

「……おい、神園」

「……なんですか?」

 しばらくみんなで黙りこくっていると警部が私を呼んだ。まさか十二月のときのように証言をとった私がどやされるのではないかと身構えつつ、私は一歩前へ出て警部に近づく。

「……はぁ、この前来た犯罪学者だっけ? あの義足の男はどこにいる」

「え?」

 しかし警部が大きなため息のあとで言った言葉は私の予想していなかったものだった。予想外の反応に私は呆けた返事をしてしまう。

「だからあの犯罪学者だよ! 十二月のときに変な手品を見せてきた!」

 私の返事にいら立った警部が声を荒げる。どうやら彼の中では、前回の事件で目撃証言の謎を解いた一連の話は「手品」ということで位置づけられているらしい。確かに手品のように不思議な話だったけれども。

「紫木先生ですか? 普段は大学……鹿鳴館大学にいると思いますけど」

「鹿鳴館……ちっ、どっかで見た顔だと思ったらあの事件の関係者か」

 警部は何か嫌なことを思い出しように舌打ちをする。私は難事件だったとはいえ一事件のあまり価値のない関係者でしかなかった紫木のことを警部がいまも覚えているということの方に驚いた。

 警部はまた大げさにため息をつくと決意したように口を開く。

「まぁいい。その紫木とかいう犯罪学者を呼べ」

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