3.連続窃盗事件
「そうか、あの子供は西寺を見てたか! ははぁ、よかったよかった!」
私が希望ちゃんの証言を伝えると、警部はさっきまでの不機嫌が嘘のように喜んで言った。容疑者のアリバイが成立したということは捜査が振り出しになるということであり、捜査員としてはありがたくないはずだ。なのになぜか警部は嬉しそうだった。
「警部、そろそろ事件の概要くらい教えてくださいよ。なんで容疑者逮捕が無駄骨に終わったのにそんなに嬉しそうなんですか?」
「そうだった。お前にはまだ話してなかったな……」
警部はよほど上機嫌なのか私の質問にあっさりと答えようとする。普段なら何度か嫌味の往復を繰り返さないとたどり着かないというのに、容疑者のアリバイが相当喜ばしいらしい。もしかして西寺は警部の知り合いだったとか?
「この連続窃盗事件は枚方市と京田辺市の境界あたりで発生している事件でな。閑散とした田舎町だが双方京都市や大阪市に勤める人間の住居が多い。犯人は昼間に留守にしている共働きのような家を狙っては空き巣を繰り返してるらしい」
「はぁ、それだとこの事件は大阪との合同捜査に?」
「まぁな。とはいってもたかが窃盗だしたいして捜査員を動かしてもいなかったんだが、十一日に事情が変わった。窃盗が強盗に発展したことで突然捜査一課の担当に回ってきたわけだ」
「それは大阪も一緒と……」
大阪府警と京都府警の合同捜査。隣接する地域ということもあって私も何度か経験があるがあまりいい思い出はない。大阪の連中は乱雑でがらも悪ければ頭も悪い、というのが京都府警の総意となっている。一方で大阪は私たちのことをお高くとまったお役所人間と思っているらしく、要するに捜査の方針も現場の雰囲気も何もかもが正反対で馬が合わないのだ。普段京都府警ではみ出し者の私ですら合同捜査になると京都側の一員としてこれでもかと重宝されるあたりこの対立は根深い。
理詰めの京都場当たりの大阪。あるいは草の根の大阪机上の京都。互いに互いを罵りあう関係性。ならばこの事件の合同捜査もうまくいっていないに違いないと断言できる。
「でだ、悪いことに容疑者は大阪側で捕まった。全く……せめて京都で捕まってくれればいいのに」
その言葉を聞いて合点がいった。私が来た時に警部の機嫌が悪かったのは容疑者逮捕という最大の手柄の大阪に取られたせいだったのだ。そして今機嫌がいいのはその手柄の台無しにすることができたからか。
「じゃあ西寺の身柄は大阪に?」
「あぁ……職務質問を振り切るときに大阪の警官を突き飛ばしたらしくてな。今はまだ公務執行妨害で勾留していて捜査を進めてから強盗で再逮捕する気だったらしいが……それももうできんだろう」
警部は大きく伸びをして欠伸もした。事件は振り出しなのにひと段落着いたかのようなありさまだ。こんなことだと結局真犯人を大阪に捕まえられかねない。
まぁ、私の知ったことではないか。
「でもなんで西寺は職務質問を振り切ったんですか? 何かやましいことでも?」
「奴さん、下着泥棒の前科があったんだよ。大学生くらいのときにたんまりとな。それで営業の仕事をしている間にもつい癖で盗みやすい下着を物色してたんだと。病気だなここまでくると」
下着の何がいいんだかと呟く警部を無視して私は思案を巡らせる。実行に移していなくても内心でやましいことを考えていると警察から逃げたいという気持ちがはやってしまうことがある。おそらく大阪はその行動を早合点したのだろう。いかにもという感じの初歩的なミスだ。
警察から逃げる人間は多かれ少なかれやましいものを抱えている。けれどそれが自分たちの調べている事件と合致するとは限らない。
「神園さん、どうでした子供の証言は?」
「うん? 川島か……」
上機嫌な警部を物珍しそうに眺めていると後ろから声をかけてくる男がいた。後輩刑事の川島だ。さっきまで外にいたのか寒さで鼻の頭が赤くなっている。
「よぉ川島! 子供はやっぱり西寺を見てたぞ! お手柄だ!」
「あ、じゃあ川島があの子供見つけてきたんだ」
「まぁ……」
調子に乗った警部に肩をばんばんと強く叩かれながら、川島が遠慮がちに言った。
「証言をとったのは神園さんなんですか?」
「そう。別に私じゃなくてもよかったと思うんだけど……」
「写真、きちんと使ってくれました?」
「え? まぁ使ったけど?」
食い気味に聞いてくる川島にのけぞりつつ私は返す。私の返答を聞くと彼は安堵したように大きく息を吐いた。
「ならいいです。子供の証言を誘導したって大阪に文句をつけられたらことですから」
「なるほどそういう意味。大丈夫、子供の証言を歪めないようにかなり気を使って聴取したから。写真の中に正解がない可能性をきちんと言ったりとか……」
「ありがとうございます。犯罪学者の先生と勉強しているだけありますね」
川島はぽつりと言ってからしまったというように警部を見る。警察署に紫木が現れて以来警部の前で彼の話は厳禁だった。つい口を滑らそうものなら即座に雷が落ちてくる……のだか、今日の警部には届いていないらしい。
私は労いの意味を込めて彼の肩を軽く叩く。
「しかし川島はよくそんなところまで気が付いたわね」
「神園さんの世代はわからないですけど、僕らくらいの年代は警察学校でしつこくやるんですよ。証言の取り方をあれやこれや……ちょうど冤罪事件が問題になった頃だったので厳しかったんでしょう」
「時代ねぇ……ってちょっと、その言い方だと私が年取ってるみたいじゃない?」
「そうだ川島、裏取りの結果はどうだった?」
私が川島を突いていると警部が割り込んできた。どうやら川島が外へ出ていたのは希望ちゃんの証言の裏取りのためらしい。
「はい。えっと、目撃者である猪目希望は十一日の午後三時頃、確かに西寺を見たと主張する橋の上にいたようですね。学校の教師に確認しましたがその日猪目は下校時間にきちんと帰っています。集団下校で一緒に帰っていた子供と、橋のそばに住んでいる老夫婦からもそのことを裏付ける証言が取れました」
「つまり、希望ちゃんが西寺を目撃したという証言は正しい可能性が高いと」
「そうだと思うのですが……」
川島は私の質問に歯切れ悪く答えた。
「何か気になることでも?」
「えぇ、たいしたことではないのですが……猪目希望がその時間に橋の上にいたらしいことを裏付ける証言は多く取れているのに、肝心の西寺を見たという人が全然いないのが気になりまして」
川島はそういうとぎこちなく首を傾げた。なるほど彼の言いたいことはわかる。集団下校の子供たちに橋のそばの老夫婦と猪目希望自体を目撃している人間は多いのに、なぜ彼女が見たという西寺の方を見たという目撃証言が取れなかったのだ?
希望ちゃんの証言が信用できないというわけではないけど、目撃証言は複数人から、そして大人の口から取られるのが望ましいし無難だ。
「その、希望ちゃんを見た人は西寺についてなんて言っているの?」
「えっと、スーツの男性がいたようないなかったようなという程度のぼんやりとした証言ですね。そこまでちゃんと見ていなかったらしいです」
「まぁいいじゃないか。まさかこれくらいのことで大阪もいちゃもんをつけてはこないだろう!」
川島の報告を遮って警部は大笑して言った。私は川島の言葉が引っ掛かりつつもこれといった名案があるわけでもなく、結局その日は特に何事もなく実に平和に終わった。
はずだったのだが。
その二日後、まさかが起こった。
当の大阪府警から「いちゃもん」がついたのだった。
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