5.例の学者先生

 私が事を経緯を説明すると、紫木優はすぐに警察署へすっ飛んできた。平日なので彼にも仕事があるはずだけどそんなのはお構いなしとでも言うような速度だった。

「先生、忙しいところごめんなさい」

「いいんですよ。今日は講義もなかったですし」

 署へやってきた紫木を私は捜査第一課のオフィスへ通した。そういえば彼がここへ来るのは二度目だけど、オフィスまで入るのは初めてだ。犯罪学者としての関心からか彼は興味深そうに周囲を見渡しているが、その代わりに足元がお留守になっていてそのせいでしょっちゅう机や椅子にぶつかって危なっかしい。

 がつんがつんと杖や義足を方々へぶつけながらなんとか紫木を応接室へ誘導する。応接室といってもオフィス内に仕切りを作ってソファを置いただけの代物だが、こんなものでも取り調べ室や会議室よりは歓迎されている雰囲気が出ている。

 警部はすでにソファに腰かけていて、こちらを威圧と恐縮が入り混じった微妙な視線で睨みつけていた。素人が現場に入り込むことが嫌だという感情と紫木を頼りたいという事情がごちゃごちゃになっている。

「あ、先生だ。こんにちは」

「こんにちは……なぜ赤井川さんがここに?」

 応接室にはなぜか赤井川晶もいた。三十過ぎなのに未だに未成年と間違えられるその小さな体をソファに沈めてちょこんと座っている。彼女は京都府警の鑑識官で私の親友だ。紫木とも顔を合わせたことはあるけど、仕事場での対面は初めてだろう。

「赤井川は俺が呼んだ。話をスムーズにするためにな。知り合いなんだろう?」

「呼ばれたよ。さぁ先生、座って座って」

 苦々しい顔で言う警部とは対照的に、晶が花のようににこにこと笑って紫木を促した。警部の言う通り晶がいてくれた方が話は進みやすいかもしれない。嫌々協力を要請する警部といつ人見知りが発動して話せなくなるかわからない紫木では日が暮れてしまう可能性がある。

 私と紫木は晶の勧めに従ってソファへ腰を下ろした。ちらりと紫木の顔を見るが、いまの彼はまっすぐと警部の目を見据えている。犯罪のことになると人見知りが消え去るというルールが適用されているようでとりあえず一安心だ。

「紫木先生。ご足労頂いたのはほかでもない……我々はある事件に関して重大な問題を抱えていましてね」

 警部は紫木が対面に座ると重々しく口を開いた。どことなく言葉が仰々しくなっている。

「大まかな話は電話で聞いています。目撃証言の食い違いでしたっけ?」

「まぁ、そんなところです」

 紫木もはきはきとした口調で応じる。彼には事前に、私から事件の概要を説明しておいたのだ。もっとも彼はその説明を聞かずに署へ突っ走ってきそうな勢いだったけど。

「この矛盾の理由、先生にはわかりますか?」

「それは調べてみないと……何となく当てはあるのですが」

 紫木の言葉に警部と私が反応して彼を見る。彼は何か企んでいるような、ちょうどこの前私にゴリラの映像を見せてきたときのような顔をしていた。

「じゃあ調べてくれるの? そうしたら真相がわかるかも?」

「えぇ、そうしたいのはやまやまなんですが……」

 期待を込めて言う晶に、紫木はもったいぶるように答えた。

「警部さん。あなたは確か先月、僕に素人が捜査に口を出すなというような趣旨のことを言ったと思うのですが……どういう理由で宗旨替えしたんですか?」

「それは……おい神園! 説明してないのか」

「いや、私も知りたいところですけど……」

 紫木の疑問に警部はお茶を濁す。警部の言いようはまるで私なら事情を把握しているとでも言いたげだったけど、昔かたぎの警部がどうして部外者に頼る気になったのかは私にもわからなかった。

「ったく……理由は簡単だよ……素人に捜査を引っ掻き回されるのは嫌だが、それ以上に大阪にでかい顔されるのが嫌なんだよ! それだけだ!」

 警部は言いづらいことを一気にまくし立てて黙った。一人で勝手に気まずくなっている警部を晶が「まぁそんなところだけ思いましたけど」と茶化して言う。

「そうですか。僕もそんなところじゃないかと思いましたよ。警察官のナワバリ意識は強烈だと伺っているので」

 紫木も晶の見解に乗っかって嘆息した。彼の場合どこまで事前にそう予想していたかわからないけど、しょうもない理由で主義を変えた警部に対し優位に立っているのは事実だ。

「で、先生。捜査に協力してくれるのか? どうなんですか?」

 一方で言いにくいことを言いきったために開き直った警部は紫木にそう迫った。出来るだけ威厳を取り戻そうと低い声を出すがもう遅い。

 紫木はそんな警部を愉快そうに見下ろしてから口を開く。

「えー、協力はしますがタダというわけにはいきませんね」

「え、なに? 報酬が欲しいの?」

 てっきり紫木が首を縦に振ると思っていた私は意外な返答に上ずった声をあげてしまう。いままでは無報酬でも嬉々として捜査に首を突っ込んでいたから「仕事が報酬です」というタイプかと思っていたのに、こちらはこちらでどういう宗旨替えだろうか。

「金か? まぁ捜査費用で払えんこともないが……」

「いえいえ。お金よりも価値のあるものをいただきたいのですよ僕は」

 躊躇いがちに紡がれた警部の言葉を遮って紫木が言い切る。私は彼の言いたいことがよくわからずに彼の顔を凝視した。

「その、お金より価値のあるものって?」

「平たく言えば、データですね」

「データ?」

 私の質問への答えも要領を得ないものだった。ただ晶はその言葉で思い当たる節があるのかはっと顔を上げる。

「もしかして先生……警察に先生の研究へ協力してほしいとか?」

「そういうことですよ、赤井川さん」

 紫木は一段階声を大きくして身を乗り出す。

「犯罪心理学研究において警察官自身のデータは実に有益で貴重なものです。現役の警察官は犯罪をどう思っているのか、犯罪者をどう思っているのか……これはら重要な示唆を含みうる。しかし悲しいかな、警察はその閉鎖性ゆえ調査に協力していただけることがまずありません。科警研の人間でなければ無理でしょう。しかしそれは逆を言えば、警察官のデータが取れるだけでその研究は価値のある研究だとみなされやすくなることも意味します。少なくとも心理学者が一般に行うような、大学生を対象とするだけの質問紙調査よりはよほど興味深い。ですから……」

 紫木はここまで一気にまくし立てると、一息入れて続ける。

「ですから僕は京都府警でデータを収集したいのですよ。質問紙を配布して。それさえ許可していただけるなら協力しましょう。いくらでも」

 彼はいくらでもの部分に特に力を込めていった。警部は紫木の圧に思わず距離をとってしまっている。

「しかし、警部の立場で許可できる権限は限られているのだが……」

「むろん警部さんの許可できる範囲で構いません。多いにこしたことはありませんが。それに当然、質問紙への協力は個々人の任意です。強制したら倫理上の問題が生じてしまいますから」

「まぁ、それなら……」

 警部は紫木の圧力についに屈し首を縦に振った。勝負あった。

 紫木はそれを見て満面の笑みを浮かべると今度は私の方へ向き直った。いきなり不気味な黒目に見つめられて私は警部同様彼から距離をとってしまう。

「では早速行きましょうか」

「行くって……どこに?」

 私の言葉に紫木は笑みを崩さずに答える。

「神園さんが取り調べた目撃者ですよ。この時間なら学校にいるでしょう」

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