9. 五等星

 その二つの事件は大阪府堺市内、泉北高速鉄道深井駅周辺で発生した。一件目は駅の東、二件目は西。前者は今から五年前、後者は三年前の出来事だ。いずれも現場近くに住む女子大学生が被害に遭っている。胸を包丁程度の刃渡りの刃物で何度も突き刺し殺害したあと性的暴行を加えたようだ。そして現場からは被害者が身に着けていたはずのアクセサリー類がそれぞれ紛失している。

 大阪府警のデータベースは京都府警のものに比べていい加減なつくりであり探すのには難儀した。警部ならば粉もんの食べ過ぎで脳みそまで小麦粉になっていると嫌味を言うところである。しかしともかく見つけたのだ。

 そして翌朝、鹿鳴館大学にある紫木の研究室に急行しこのことを彼に伝えた。その間紫木はタブレットで出した現場周辺の地図を見ながら押し黙って聞いていた。

「刑事さん」

 紫木が顔をあげ口を開いた。

「これで犯人の居場所がわかりました」

 今まで私から目をそらして話していた彼が、今度は私を真っ直ぐ見ながら言う。声には興奮が隠し切れない様子だった。

「わかった……って、どうしてですか?」

「犯人は引っ越ししたのです。あるいは転勤などで職場が変わったか……駅の衛星写真を見る限り、京都駅はもちろん深井駅も住宅街ではなさそうなので、転勤の線が濃厚ですね」

「つまり……なんらかの理由で犯人の使っている最寄り駅が、深井駅から京都駅になったと」

「ええ。しかもその変化は深井駅周辺の二件目の事件が起きた三年前から、京都駅周辺で最初の事件が起きた一年前までの間に起きているはずです」

 私は腕組みしながら紫木と一緒に地図を覗き込んだ。深井駅の周辺にある会社には限りがある。ここから一定期間の間に転勤なり転職なりした人物を探すのは、京都駅に降り立つ人々全員に質問攻めをするよりは簡単そうだ。とはいえまだ数は多く範囲も広い。普段の捜査なら手当たり次第人海戦術で調べてしまうところだが、今の私は一人だ。もう少し何か決め手になる手がかりがほしい。

 私は何か思いつかないかと首をひねった。視界の角度が首に合わせて傾く。その斜めになった視界の端に、地図に書かれた文字が見えた。

 レストラン。

 晶の声が頭の中で響く。


「でももう1つ気になることがあるのよねぇ」

「なんで犯人は初めから包丁を使ったのかな」

「そうだけど……通り魔殺人ってことは、犯人は丁度いい被害者が現れるまで何度も通りで物色していたってことでしょ? 包丁を持って」

「だったら包丁じゃあ都合が悪くない? もしあなた職務質問したときに、相手の荷物からカッターが出てくるのと包丁が出てくるのどっちが怪しいと思う?」


「そうか、料理……」

「え? どういうことですか」

 私の呟きに紫木が反応した。事件を推理しているときには初めて聞いた、彼の疑問符。

「晶が言ってたんですよ。なんで最初の凶器に包丁を選んだのかって。もしそれを持ち歩いていて警官に見つかったら誤魔化すのが大変じゃないですか。カッターナイフの方が簡単なはずです。でも、職種によっては包丁の方が誤魔化しやすいってこともありますよね」

「料理人」

 紫木が呟く。

「ええ、料理人なら包丁を持ち歩きながら標的を物色していても誤魔化しがききます。家で研ぐとでもいえばね。厳密に言えば銃刀法違反ですけど、そんなことでいちいち逮捕しようとする警官なんていません。精々厳重注意くらいで」

「料理人なら包丁の扱いには慣れている……人を確実に刺殺するには、道具はせめて慣れたものを使おうというのは理にかなっていますしね」

「じゃあまず調べるべきは、一定の間に深井駅から京都駅に転勤した料理人」

 私と紫木は顔を見合わせた。そんなピンポイントな奴そうそういないだろう。この分ならすぐに見つかる。

「まあでも、包丁に関してはあくまで推測ですからね。気をつけてくださいよ? この期に及んで誤認逮捕はまずいでしょう」

「わかってますよ……そうだ先生」

「はい?」

「……ありがとうございました」

 私はそう言うと紫木と少し距離をとって頭を下げた。頭をあげると、彼が困ったような顔をして目の前にたたずんでいた。

「……いや、まだ解決していませんからね? 終わったような雰囲気出していますけど」

「いえ、もう終わりました。先生に協力してもらえる範囲のことは。あとは私一人でやります」

「…………」

 私の言葉に紫木が気分を害したような、悔しそうな表情が混ざった複雑な表情をした。その表情は一瞬で元には戻らずにそのまま続いた。いつも少ししか表情を変えなかった彼が初めて見せた、はっきりとした表現がネガティブなものだったことがなぜだが残念な気がした。

「……そうですか。まあ、そうでしょうね」

 長い沈黙のあと、紫木が口を開いた。彼はこちらに背を向けた。

「……ありがとうございました」

 私はそれだけ言うと、逃げるように研究室をあとにした。エレベーターまで立ち止まることなく早足で向かう。タイミングよく口を開いたエレベーターに乗ると、そのまま一階まで降りた。


 私が彼を切り捨てるようなまねに走ったのは、単に部外者である紫木にできることがもうないという理由からではなかった。このまま事件に関わらせるのは危険な気がしたからだ。彼は自分の興味のことになると、周りが見えなくなる節がある。そして思いの外抜けているところもある。だからラーメンだってのびるし、どうせ入れないことをすっかり忘れて現場に来てしまう。

 狭くなった視界。その外から、私をひいた車はやってきたのだ。その怖さはよくわかっているつもりだ。

 このまま関係を続ければ聞き込みについていくと言い出すかもしれないと心配になるほど、彼は事件のことになるとのめり込んでしまう。いや、今まで感じだと黙ってついてくる可能性の方が高いか。いずれにしても、そうなれば本人の意図にかかわらず犯人と対峙する可能性も出てきてしまう。

 初めて彼と会ったときに聞いた、固い足音が頭に響いた。彼の右足は義足だ。普通に生活するぶんには問題ない程度に歩けているが、とっさのときどの程度動けるだろうか。もし逆上した犯人に攻撃されれば、逃げたり避けたりできるだろうか。

 そしてそうなったとき、私は彼を守ることができるだろうか。恐らく大丈夫だろう。なにせ私は背が一八〇を超えるくらいのガタイで、しかも剣道と柔道の有段者だ。相手がボクシングの世界チャンプでもなければ勝てるはずだ。

 でも、絶対に大丈夫だと自信をもって言うことはできなかった。大事な時にヘマをする。六月の自分のイメージにまだ支配されているのだ。そのヘマで今度は自分ではなく他の誰かが傷つくかもしれないというのは、絶対に避けたい。

「ごめん、先生」

 私がそういうと同時に、エレベーターが開いた。私は左ひじをさすりながら、一回に降り立った。


 そこから先は、足を棒にして歩き回る作業だった。深井駅まで電車に揺られ、降りたら手当たり次第に聞き込みしてまわる。そういえば、ここまで古典的な捜査をしたのは停職明け以来初めてだった。そしてその停職を呼び込んだのもまた、こういった古典的な捜査だった。

 そして目的の店は、やはりあっさりと見つかった。紫木の仮説は面白いように当たったのだ。心の中でもう一度彼にお礼を言っていると、電話が鳴った。ディスプレイには井原警部とある。

「おい神園! 今どこだ!」

 電話に出ると、警部が不機嫌そうな声で怒鳴り散らした。私は電話機を耳から少し話して答えた。

「大阪です」

「はぁ、大阪? なんでそんなところにいるんだ!」

「捜査ですよ。今戻るところです。何かあったんですか」

 警部の大声に負けじとこちらも声を張った。

「DNA鑑定の結果が出て目論見が外れた! 北原のDNAは鴨川の遺体から採取したものと一致したが、その前の現場で採取したものとは違ったんだよ。それで北原を問いただしてみると、奴さん、供述をひっくり返しやがった。どうせ捕まるなら嫌がらせでもしようと考えたんだと、あのアホめ!」

「やっぱりか……」

「なんか言ったか?」

「いやなんでも」

 私は慌てて誤魔化すと、すぐに戻ることだけ伝えてすぐに電話を切った。警部とそのまま話していると余計なことを気取られそうだった。

 私はもう一度、見つけた店を見上げた。入り口には既にボロボロになった「移転しました」の張り紙と、「売り家」と書かれた不動産屋のポスターが張られている。看板には赤地に黄色で星が書かれ、星の中に店名があった。


 星形飯店だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る