β33 カルキ降臨★ママがおかしいよ

   1


「三月だというのにー、雪がー降って来たーよー。むくちゃんの生まれたー、昨日はー、晴れていたーのになー。ふふん、ふふんふんふ」


 ご機嫌の玲が、カーラジオにのって歌っている。

 帝王切開から明けて翌日、三月十七日だ。


「会えるねー。新しい家族に、会えるよね」


 助手席には、お気に入りの黒いコートの抜け殻があった。

 美舞が何度もこのコートのくるみボタンを付け直した想い出が詰まっている。


 「ぶきっちょな所もー、可愛いぞー。ふふんふんふ」


 玲は、美舞のお見舞いとむくちゃんのことばかり考えていた。

 徳川大学大学病院へ着くと、二階建ての立体駐車場の上段が雪を被って途端に冷え込んだ。

 渡り廊下を通り、病棟に吸い込まれる。


「お見舞いですか?」


 受け付けで、警備員も兼ねている男性に訊かれた。


「はい。産婦人科の三一二号室にいる土方美舞の夫、土方玲です」


「記帳の上、番号札を付けてください。後ろのエレベーターをご利用ください」


 丁寧に対応され、しっかりした印象を受けた。


「はい、ありがとうございます」


 きびきびと美舞の部屋へ向かう。


 ポーン。


 玲一人が、三階で降りて、奥の個室へと向かった。


 トタトタト。


「むくちゃん!」


 新生児室で、見付けてピタリと足を止める。


「可愛いなあ。可愛いなあ。美舞ママに似ているかな? パパ似かな?」


 でれでれとして、ふと妻のことを考えた。


「ウルフお義父とうさんの気持ちも分かるなあ。よく、美舞をお嫁にくれたよ」


 ガラス越しに撮影がOKだったようで、写真を撮る。


「愛を全身で受けるべく生まれてくれたね。むくちゃん、おめめ瞑っているよね。あー、可愛い」


 暫く目を細めていた後で、個室のことを思い出した。


「ママに会って来るでちゅよー。むくちゃん、待っていてね」


 軽く右手を振る。


 ――はい。


「誰? 直接話し掛けたのは……?」


 玲は、本気でびっくりした。


 ――むくちゃんです。


「ええ?」


 本気の本気でびっくりし、周囲を見渡した。


 ――ぱーぱ。むくちゃんです。


「ええええ? 本当に? もう話せるの?」


 玲、地滑りする様にズレる。


 ――きのうのよなかに、まーまに、いろいろありました。むくちゃんは、おはなしができます。


「何があったの? そうだ。美舞も心配だよ」


 玲は断りを入れて、さっと三一二号室へ行った。


   2


「コンコンって喋って入るよ」


 なるべく落ち着いて、三一二号室に入る。


「こんにちは、玲」


 美舞は、お産が終わった女性が着るママの証のピンクの病衣に、お腹に包帯の様な物を巻いて、点滴に繋がれていた。


「こんにちは……か。どうかな、美舞。体の方は。変わりないかい?」


 玲は、いつもの美舞か、様子をよく観察する。


「普通よ」


 玲は、お産、帝王切開の手術、赤ちゃんとの感動の挨拶を経て、自分が普通だと語る美舞が不思議だった。

 寧ろ、訝しむ。


「そう……。普通なんだ」


 玲も致し方なく、アルカイックスマイルで対応した。


 コンコン。


「土方美舞さん、失礼致します」


 そう言って、看護師が入って来る。


「おめでとうございます」


 看護師は、にこやかに頭を下げた。


「え? 何? おめでとうございますって……」


 玲は、はっとして、照れる。


「あ、赤ちゃんの事ね。ありがとうございます」


 玲がむくちゃんを思い出した。


「どうですか? お変わりないですか?」


 看護師は、点滴を調整しながら、美舞と玲に微笑み掛ける。


「そうですね」


 美舞が詰まらなそうに話した。


「土方美舞さん、トイレに行けますか?」


 看護師の仕事の様だ。


「大丈夫です」


「普通どころか、昨日お腹を切ったのにもう起き上がるの?」


 美舞が淡々と返事をするのに、玲は、びっくりした。


「今朝、歯を磨いたわ。勿論、直角にベッドと体を起こして、ベッドの上で、膿盆を使いました」


 美舞は、感情を込めることがない。

 余りにも急変し過ぎると、玲は、普段との違いに少しずつ確証を得て来た。


 そして、美舞は、点滴ごとガラガラガタンとトイレへ行って戻った。


「失礼致しました」


 様子を見届けて、看護師が出て行った。


「早期離床がいいらしいわよ。早く退院しないとね」


 美舞の話し方が何処か気になる。


「いやあ。鬼の病院かと思ったよ」


 玲は、本気でそう思ったが、美舞に気が付かれずに探りを入れていた。


「鬼はいないわよ」


 能面の様な顔で美舞に言われ、ヒヤリとする。


「お大事に。むくちゃんの顔を見て帰るね」


 そして、美舞に手を振って、部屋を後にした。


   3


 ――ぱーぱ。


「あ、むくちゃんの声か?」


 急ぎ気味に、新生児室の前に行った。


 ――ぱーぱ。むくちゃんのおはなしは、まーまにきかれていませんでしたか?


「それは、大丈夫だと思うよ」


 お話上手の赤ちゃんとパパは対等に話している。


 ――まーまはね、むくちゃんのこと、わからないみたいです。


「それは、どう言う事?」


 昨日は産んで暫く後に、抱っこさせて貰っていたし、美舞も名前を呼んで嬉しそうだった。


 ――きのうのよなかに、ゆきがふりはじめたときに、おきました。


「うん」


 むくちゃんの話に真剣だ。

 確かに、雪は、深夜零時頃から降り始めた。


 ――まーまはね、きがとおくなりました。


「そうなの? 今の所、病院から、聞いていないよ」


 容態が悪かったのかと思い、玲は、心配した。

 

 ――はいがびしゃびしゃです。って、おいしゃさんが、はなしあっていました。


「むくちゃんから、聞けて良かったよ。肺が悪くなったのか……」


 ――まーまはね、そのあいだに、ひとがかわったみたいです。


「パパもそう思うよ。話し方や何かがおかしいよ」


 疲れだけが原因ではないと推察する。


 ――かみさまにでもなったみたいです。


「え……? それって……!」


 ひやっとした。

 アレではないかと。

 玲は、これは、予測できていなかった事を悔いた。


 ――くちにはださなかったけれども、かみさまだって、さけんだようでした。


「ま、まさか。それはアレ、つまりカルキでは……?」


 勇気を出して、我がに訊いてみる。


 ――それは、むくちゃんは、わからないです。


「ガガガガガガガーン! とか聞こえたかな?」


 あの時の音だ。


 ――まーまは、べつのくうかんにいたのです。


「聞こえなかったのか」


 これは、確証になる。


 ――聞こえませんでした。


「それでは、確実に、カルキになったかわからないな」


 むくちゃんは、分からないだろうが、大切な事だ。


「これから、ママを助けるために、力を合わせよう。元気で可愛いママに戻って欲しい。いいかい、むくちゃん」


 玲の思いの丈を打ち明ける様だった。


 ――わかりました。


「又、面会に来る。むくちゃんは、無理しないで、元気な赤ちゃんでいてな」


 玲は、エレベーターで降り、受け付けで番号札を返すと、駐車場に行く。

 一、二分、考え事をした後、カーラジオを流した。

 来る時とは、打って変わって、無言で帰宅する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る