β34 静かなる予兆★五芒星はママから

   1


「おめでとうございます」


「おめでとうございます」


 そう沢山言われて、退院した。


「おめでたい事なんだね」


 玲は美舞に向いて笑みを浮かべたが、表情は何もない。

 真っ白だ。

 いや、暗いか。


「むくちゃんのおべべは、白無垢から、真っ白にしましたよ。お似合いでちゅよ」


 ユナユンナと言う高いブランドので、むくちゃんを横抱きして車へ向かった。


「美舞は初めて見るよね。一番いいチャイルドシートを買ったんだよ。白と緑もいいだろう? 落ち着いていて、可愛い。しっかり取り付けたし、大丈夫。パパに任せてね、むくちゃん」


 玲は、むくちゃんを乗せながら話した。

 チラリと美舞を見たが、大人しい。

 疑問の残る振る舞いだ。


「ああ、美舞。ウルフお義父とうさんとマリアお義母かあさんがもう家にいるから、驚かないで。安心して、育児のコツでも聞こう」


 玲は、車中で、自分ばかり話していて、キツかった。

 むくちゃんは聞いてくれていると思っての話だ。

 美舞はカルキにしては大人しい。

 様子を見なければならないと思っていた。


「さあ、着いたよ。降りよう、美舞、むくちゃん。むくちゃん、降ろしてあげますよ」


 徳川第二団地の四〇一号室だ。


「美舞と二人で暮らしていたが、今日からは、むくちゃんも一緒だ。楽しくがんばろうな」


 四階まで歩く。

 気配を消す様に癖で静かに上がる。


   2


 シャラン。

 シャラン。


 団地のベルが鳴った。


「お帰りなさい」


 先にウルフが顔を見せる。


「お帰り」


 そして、マリアが玄関に迎えに出て来た。


「美舞、さあ、休もうか」


 居間に、大人の四人がナチュラルウッドのまるいちゃぶ台を囲んで座った。

 うさぎちゃんの飾りのある白のベビーベッドはあったが、玲は愛しい娘を抱いたまま座っていた。


「疲れたでしょう。暫くは私もいるわ」


 マリアは、おさんどんをしに実家から来てくれた様だ。

 そのつもりどころか、決定事項だった。


「いや、マリアお義母さん。それは、大丈夫ですよ」


 玲は、こんな優しさが、本当にありがたかったのだが、断るしかなかった。

 家族の様子が大分異なるからだ。


「遠慮は要らないのよ」


 マリアは笑顔で、親子なんだからと、手を差し伸べた。


「ちょっと、色々あってですね」


 玲は、かなり困って冷や汗を掻いている。

 仮に、むくちゃんのお話上手は、能力として説明できても、美舞のカルキ再降臨疑惑は、絶対に話せない。

 どうにもならない心配をするだろう。


「初孫なのにー? まだ、儂、抱っこもさせて貰ってない」


 ウルフがすがって来た。


「ふぎゃ、ふぎゃ」


 むくちゃんが声を出して泣く様は、どう見ても普通の赤ちゃんだ。


「俺がやりますんで、皆さん、ゆっくりなさってください」


 玲は、むくちゃんをベッドに連れて行った。


「大丈夫かい?」


 ウルフの危惧は、見れば分かった。


「おむつを先にしますよー。はーい」


 テキパキ。

 そう言えば玲の得意な医術は、縫合だった。

 何事も難なくこなす。


「気持ち悪かったですか。さっぱりしましたね」


 にこにこする。

 まだ、瞳を瞑っているむくちゃんに、愛情を注ごうと努めた。


「もう、三時間経ちましたね。ミルクを作って来るから、待っていてね」


 さっさっ。

 手際がよ過ぎて、美舞に嫌われていやしないかと居間の方を覗く。

 相変わらず様子がおかしかった。


「はーい。ゆっくりでいいですよ。ゆっくりでね。美味しいですね」


 その横顔に、玲に父性が垣間見えた。


「ゲップさん出るかな? とんとんだよ」


 とんとん。


「おお」


「良いパパぶりね」


 ウルフもマリアも見守っていた。


「あまり、無理にお邪魔しても悪いわね。ね、ウルフ」


 マリアは、目配せで伝える。


「そうだな、二人で先ずはがんばってみなさい。休学するそうだね。アルバイトも儂の診療所にしたらどうだい?」


 ウルフは、前々から考えていた提案をした。


「え、いいのですか? 勉強になります。ありがたいです。塾講師は、辞めて来ていたのですよ」


 玲は、親切に、胸がどきっとした。

 不意討ちだった。


「丁度、良かったよ」


 ウルフは、寛大だから、玲も尊敬している。

 医師としてもだ。


「でも、無理しないでね。又来るわ」


 マリアは自分達が美舞を育てた時を思い出して心配した。


「何かあったら、連絡してくれ」


 ウルフも心配しない訳がない。


 シャラン。

 シャラン。


 二人は、近いとはいえ、青葉区の一戸建て、美舞の実家へと帰って行った。


   3


「美舞は疲れたかな? 日に日に何も話さなくなって来たね。身籠ったり、お産をするのは、想像以上に大変なんだね。俺は、外科医を考えていたけど、産科もいいなと思ったよ」


 玲が思った事をやわらかく話してみた。

 だが、返事も何もない。

 

「だんまりは、困ったな。……美舞」


 後ろから優しく玲は自身の両腕を輪にした。


「寂しいよ、美舞」


 顔を覗き込んで呟くと、弱音を吐いてしまった自分に気が付く。


「ウルフお義父さんのいれてくれたレモンティーは、嫌いかい? 愛情たっぷりに見えたよ」


 美舞は、ボーッとしたままでいた。

 玲は、残念に思うと言うより、美舞を何かから解き放ちたい気持ちを強く持っている。


「むくちゃんの事は、心配ないよ。寝不足には慣れているし、愛する娘の為なら、三時間置きにがんばるよ」

 

「んぎゃあ。ほんぎゃあ」


 むくちゃんは、普通に赤ちゃん業をしていた。

 テレパシーは、ない。


「あ、呼んでいるね。美舞、もう休んでも大丈夫だよ」


 ちゃぶ台を片して、二人の布団を敷いた。


「布団を敷いたから、お休みなさいだね」


「お休み、美舞」


 いつもなら、キスをするが、慎んだ。


   4


「ほんぎゃあ。ほんぎゃあ」


 おむつは、おしっこだけだった。

 玲パパは、時間に出ないだけだなと推察する。

 ミルクを作ってむくちゃんに飲ませようとした。


「あれ? ミルクでもないのか。むーくちゃん、お腹が空かないの?」


 顔をむくちゃんに寄せた。


「イヤイヤするの?」


 むくちゃんは、避けたりして、ミルクを含まなかった。


「美舞ママは寝たよ。テレパシーはないのかな? むくちゃん」


 話しやすいからと、玲は、安易に訊いてしまった。


「ほんぎゃあ。ほんぎゃあ」


 本気で泣いている。


「自棄に泣くね。どうしようか」


 団地だから、うるさいかと気にもなった。


「ほんぎゃあ。ほんぎゃあ」


 まだ、泣く。


「ほんぎゃあ。ほんぎゃあ。ほんぎゃあ。ほんぎゃあ」


 蝉並みに泣く。


「ほーら。よしよし、抱っこだよ。よしよし」


 優しく声を掛けた。


「あやすしかないな。赤ちゃんだもの。テレパシーなんて、なかったのかもな。よしよし」


 抱っこ。

 抱っこ。


 ――ちがいます。


「おっとびっくり。むくちゃん」


 近距離テレパシーは、声が大きかった。


 ――むくちゃんは、おはなしできます。


「良かったのか、悪かったのかと考えさせられるね。でも、俺達の子だよ」


 しんみりとした。


 ――まーまが、いまは、かみさまをかくしているだけです。


「そうなのか。やはり……!」


 危なくて口にできないが、カルキかと思った。


 ――だから、なかなか、おはなしできません。


「ずっとか?」


 それはそれで、寂しかった。


 ――いたいです。いたくて、ないていました。


「どうした?」


 ――むくちゃんのおててが、いたいです。


「むくちゃん、見せてごらん」


 握り潰してしまいそうな小さな手をそっと開いて見た。


「左手に五芒星の痣がある! 美舞が元々あったからな……。美舞の力を継いだのか」


 むくちゃんは、女の子だから、納得だ。


「右手にはないのか……。俺も五芒星はないしな」


 玲は、眉根を寄せて暫く過ごす。


 ――ぱーぱ。


「大丈夫だよ、何とかするから」


 そう言った玲の胸には、不安が去来していた。


 ――ぱーぱ。


 もう一度呼ばれ、暗い顔を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る