β32 帝王切開★五芒星と六芒星あらわる
1
「三月十六日、午前九時。帝王切開が予定されていましたが、他の女性科の手術が終わらないので、暫くこのままお部屋でお待ちください」
入院してから、今朝までも美舞に手術に必要な支度は終えてある。
赤ちゃんを産む前なので、妊婦専用のひよこ色の病衣の下は何も着けずにいた。
無事に身二つとなれば、お母さん専用の桜色の病衣になる。
「失礼致しました」
先程予定が変わって、連絡に来た看護師は出て行った。
「玲……。大丈夫だよ」
勿論、玲も病院に来ている。
玲の心遣いで美舞には個室をお願いした。
三一二号室だ。
窓からの陽射しがあたたかかい。
「そうだね、大丈夫だよな」
テレビを消そうとする美舞の手に、そわそわして触れた。
「テレビは付けといて」
「玲、落ち着かないの? 僕は、大丈夫だよ」
美舞は、玲を覗き込む。
「又、話すけど、入院してからずっと手首に着けていた病院のバンドは、僕と生まれて来る赤ちゃんの分二つあるんだよ。ね、いいでしょう? 元気出た?」
可愛らしい微笑で励ました。
「そうだ、美舞」
「……大事な話」
玲は真面目だが、そんなに美舞の前で真顔にはならない。
「何? 玲の滅多にない大事な話って」
「赤ちゃんが生まれたら、自分を僕と呼ぶのは、止めて欲しいな」
いつから、言いたかった事なのか。
美舞は男勝りで、気が付いたら一人称が僕の女の子だった。
「え? 今更? 自分の事を僕って言ったら駄目なの?」
美舞は、少し考えている。
「そうだね、母親らしい何か……」
「母は。母上は。……堅苦しいな。ママは、ありがちだし。ママちゃんとかかな?」
美舞は、大分唸った後、玲の手を取る。
「赤ちゃんに、もしもししてみる?」
なんて、訊いて来た。
すると、玲は微笑みんでウインクを寄越す。
「胎教は、今日で終わりだよ。ふふ」
「そうか、お臍の平らな大きなお腹とも今日までなのか」
美舞がお腹をさする。
「今までありがとう」
今度は、玲がお腹をさする。
「や、止めてよ。これからだよ。育児が始まるよ」
恥ずかしがる美舞に、玲は優しく髪を抱いた。
「そうだね。お互いにがんばろうな」
「時間ばかりが過ぎて行くね」
どちらからともなく別れに名残りがある。
「そろそろ十時になる……」
玲は、呟いた。
「良かったよ。少し不安だったけど、玲と話せた」
素直な感想を伝えたときだ。
「お待たせ致しました」
看護師が引き戸を開ける。
「では、ご一緒に、手術室に行きましょう」
部屋のベッドごとガラガラと運ばれて行く美舞を玲は追った。
「行って来るね。玲」
美舞と玲は、手術室の前で手を振り合う。
2
手術では、部分麻酔が使われた。
体を抱える様に曲げて、背中から刺激をされる。
神経が傷付かない様に美舞も堪え、一時間後にようやく仰向けになった。
「冷たいですか?」
麻酔科の医師に体にヒヤリとする物を当てられて、訊かれる。
「はい、まだ冷たいです」
これが繰り返された。
「冷たいですか?」
何も感じなくなっている。
「もう、冷たくありません」
それから、麻酔科の医師とばかり話していた。
余計な事は考えずに、玲と考えた赤ちゃんの名前……。
それを呼ぶ事を楽しみにしていた。
「ほぎゃああ。ほぎゃあ」
弱々しい声がやっと聞こえて、美舞は人心地が付く。
「赤ちゃんのバンドも着けますね」
女性の声に、美舞は、はっとする。
「初めまして、むくちゃん……」
自分の右手首の向こうに連れて来て貰った可愛い赤ちゃんに、美舞はご挨拶した。
そう、むくちゃん……。
玲と育んだ命。
心の中で涙が溢れた。
赤ちゃんは、連れて行かれた。
「この後は、楽にされますか?」
「はい……」
美舞は、吸い込まれる様に眠り出す。
どの位眠っていたのか、目を覚ますとまだ手術室にいた。
暫く作業が行われた後、女性の声で気が付く。
「土方美舞さん、お部屋に戻りますよ」
ガラララ……。
ガラララ……。
「玲……。ただいま」
玲は立ち上がり、ばたばたと駆け寄った。
「お、お帰りなさい」
土方むくは、三月十六日十二時に生まれた可愛い女の子だ。
3
その日の夜だった。
玲は、美舞がまだ入院している為帰宅し、むくは、新生児室にいる。
その頃、美舞は、容態が急変した。
――ピッピッ。
「血圧が低過ぎ反応がありません。酸素も数値が出ません」
看護師が出たり入ったりしている。
――ピッピッ。
「医師を呼んで来ます」
――ピッピッ。
「先生!
――ピッピッ。
「直ぐに終わりますからね」
足の付け根の方のおかしな所から採血された。
――ピッピッ。
「酸素等、調べて来ますね」
高崎医師が去る。
血液がおかしいのかと不思議に思った。
――ピッピッ。
「レントゲン撮影します」
部屋で、レントゲン撮影ができるとは知らなかった。
何か胸が苦しい。
肺がおかしくなったのかと思った。
――ピッピッ。
「……」
さっきから体が苦しいし、訴えたくても声が出ない。
――ピッピッ。
ザワザワ。
――ピッピッ。
「……」
――ピッピッ。
意識が遠退いたり戻って来たりする。
僕は、玲を置いてむくちゃんを置いて、遠くへ逝ってしまうのか……?
――ピッピッ。
まだ、心残りがあるのに……。
――ピッピッ。
「……」
――ピッピッ。
「……」
――ピーッ。
――ピ……。
――……。
4
「真っ暗だ……。どこだ? 僕は、どこにいるの?」
静かにじっとしているが、変化がない。
「玲?」
はっとして呼んだ。
「玲、赤ちゃんは? むくちゃんは? 誰か、誰か居ないの? 誰か?」
心音が止まった筈なのに、高鳴って仕方がない。
「僕は、生きているの? もうダメなの?」
胸が迷い出した。
「玲ー! むーくー!」
再び呼んだが、何の音一つなく、静かだ。
「見渡したけど、どこを向いても真っ暗だよ」
闇の中を手で掻き回した。
「そうだ、歩こう。何か出口が、光がないかな?」
一歩踏み出してみる。
「あった。下に何かあるよ」
数歩歩いた。
「うわっむにゃむにゃとしている。気持ち悪い」
酔った感じに近い。
「ぐらぐらするな。吐き気もして来た」
それでも、暫く歩き回った。
「な、何かを探していた様な気がするが……」
心が虚ろに近くなって、記憶が薄れて行く。
「いつからこんな所にいたのかな」
――虚数空間だ。
「え? 誰? 直接話して来たのは?」
――名は?
「自分の名前……? ええと、何だっけ」
ガガガガガガガーン!
「で、電撃が!」
ガガガガガガガーン!
「自分の名は……」
美舞の声が変わった。
『吾の名は……』
暫くの間があり、悟った様だ。
『……カ・ル・キ!』
ブアアアアアアー!
力が満ちて来て、燃え盛る。
シュー……!
硝煙が上がった。
ガッ。
『左手の五芒星よ!』
左手をゆっくりと頭上に上げる。
ガッ。
『右手の六芒星よ!』
右手をゆっくりと頭上に上げる。
ガッガッ。
両手の掌を交差させて重ねた。
『吾は、カルキなり!』
ガガガガガガガーン!
美舞に異変が起きてしまった様だ。
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