第15話 恋の難易度

私のスマホの電話帳にはたくさんの生徒の電話番号が記されている。もちろん自分から聞いて回ったわけではない。天の上の存在である私に告白をするのはよほど勇気がある選ばれし者しかできない、それだけで称賛されるべき行動だが、電話番号や某トークアプリのIDならまだハードルが低いということで、それらを求める生徒や教師は後を絶たない。教師が聞いてくるのはどうかと思うがそれはまあいいだろう。

そういうわけで記してある番号自体は多いのだが、生徒たちの間では私の番号を手に入れることが一種のステータスとなっているらしく、せっかく交換しても電話やメールなどが来ることはほとんどない。

私のスマホを震わす人は先輩と寮長くらいなのだ。先輩が事あるごとに送ってくるくだらない画像は通信料の無駄なのでやめて欲しい。

そんな事情もあり、私にしてみれば電話番号は相手から聞いてくるものだった。そして、私が自分から電話番号を尋ねたこともなく、いつもの調子でいたら今の今、転校して1カ月ほどが経過した昨日までその存在を忘れていたのだ。

昨今の友達付き合いでスマホを使用したコミュニケーションは必須だが、不思議と部屋に帰ってから話したいという気持ちは起こらなかった。

思うに、私は恋に対する免疫が一般的な女子高生と比べ圧倒的に不足しており、毎日学校で顔を合わせ、会話をするだけで大満足だったのである。心拍数の上昇を考えれば、部屋に帰ってまで彼女と関われば生命の危機が訪れかねないという自己防衛本能が働いていたのかもしれない。


だがついに重い腰を上げる時が来てしまった。今回ばかりは私の方から聞かねばなるまい。

彼女なら必要と感じたその瞬間に聞いてくるはずだ。それなのに今まで聞いてこないということは、私の番号にもアドレスにも興味がないということなのだ。今後どうなるかはわからないが、どちらに転ぶかわからない不安定な状況を打破するためには、自ら動くしかあるまい。

なあに、既にデート(自称)も経験した、それがなくとも出会って1カ月ほど経っている。いくら彼女に惚れている私でも、電話番号を聞くなんてちょちょいのちょいだ。完璧超人の実力、お見せしようではないか。


登校してしばらく待っていると、普段より若干早い、始業の15分前に彼女がやってきた。今日は眠りが浅かったのだろう。これはチャンスだ。もうここで聞いてしまおう。


「仮谷さん!」


「おはよー...ぁぁ~......。」


この大あくびを見る限り眠りが浅かったことは間違いないようだ。

大きく口を開けているさまはお世辞にも可愛らしいとは言い難いが、これならあまり緊張せずに聞くことができる。


「あの、番......。」


「ばん?」


なぜだろうか、思っていたより緊張する。いやそんなレベルではない。顔が青ざめ、体が強張り言葉を発することができない。


「ばん......、伴、伴大納言って知ってる?」


「知らな~い、有名な人?」


「授業で習ったでしょ、国宝で日本四大絵巻物の一つ『伴大納言絵巻』!」


「そうだっけ~?ごめんごめん~。でもなんで朝から塙直之?」


「それは大坂の陣で活躍した武将!授業はちゃんと聞かなきゃダメ!」


「ふわぁ~~~~ぃ...。」


相変わらずの大あくびだ。しかしこのマイペースさに助けられてしまった。

私が思っていたより何倍も番号を聞こうとすると緊張してしまったのである。彼女と話すことはさすがに慣れたと思っていたが考えが甘かったようだ。

今まで少しでも彼女のことを深く知りたいと思いたくさんの質問を投げかけてきたが、それらと比べると今回の質問はもっともプライバシーな情報なのだ。といか法律で保護されているれっきとした個人情報であり、これを尋ねるということは懐に自ら飛び込んでいくことを彼女に宣言しているようなものだ。

一度尋ねようとして跳ね返されてしまった経験から、無駄な想像をしてしまった。

彼女なら番号を聞かれたくらいで拒むはずはないのだが、考えてしまったことは頭にこびりついてすぐには離れない。もし拒否されたら、嫌われたら、そんなことばかり考えてしまい足がすくんでしまう。


たった一言が言えないままぼんやりと過ごしていると、いつのまにか授業は6限へ突入していた。


◆◆◆


1限から5限を全て打開策の開発に費やしても、それが生まれることはなかった。

なぜならこれは私の弱い心が唯一にして最大の問題であり、それを打ち破る以外の打開策はありえないのだ。

私の心はいつからここまで軟弱になってしまったのかと問われれば、彼女と出会ってからだと答える。

相手の些細な言葉が気になり、わずかな動作に一喜一憂する。

改めて感じる、恋の難しさを。


なんて綺麗ごとを言っている場合ではないのだ。とにもかくにも仮谷さんに尋ねなけらば何も始まらない。隣にいる彼女に一言言えばいいだけの話だ。簡単じゃないか。


よし、チャイムが鳴ったら、放課後になったら聞こう。絶対。私の大好きだった私との約束。指切りげんまん嘘ついたら先輩で憂さ晴らしする、指切った!


約束してから時が経つのは普段よりずっと早かった、時間跳躍でもしたのだろうか。

しかし既に退路は絶たれた。先輩の平和と安全のためにも、私は放課後中に彼女の番号を手に入れる!

待ってろ電話帳、すぐに新たな仲間を加え入れてあげよう!


◆◆◆


待ちに待った放課後、隣の席に座る彼女は忙しそうに帰宅の準備をしている。え?帰宅!?

いつもなら私と雑談をして過ごすため、放課後になた途端に準備するはずはないのだが、まさか...。


「あれ、仮谷さんどうしたの?」


「あーごめん、今日用事があってもう帰らなきゃいけないんだ~。」


マズい、放課後って言っても1時間以上余裕あるし~なんて考えていたせいで天罰が下ったのかもしれない。これではあと数分以内に言いたいことを言わなければ...。

焦りのせいか、うまく言葉がまとまらない。そうしているうちにも彼女は着々と準備を終えていき、いつさよならを言われてもおかしくない状況だ。

どうしたら...。

とりあえず聞いた後すぐ交換できるようにスマホを出しておこう。

この時、極度の緊張と焦りに伴い私の手は嫌な汗で湿っていた。そんな手でポケットの中から物を取りだそうとすれば...。


「あっ!」


手からスルリと滑り落ちたスマートホンは、地上数十センチから床に叩きつけられ...、


「っと、セ~フ!」


る前に持ち前の運動神経で仮谷さんがキャッチしてくれた。あのまま落ちていたなら確実に液晶は割れ、壊れて電源が入らなくなっていた可能性も高かった。


「今日調子悪い?朝からずっと浮かない顔してるけど。」


彼女の言葉で私は我に帰る。一人相撲をしている間も、ずっと彼女は私のことを気にかけてくれていたのだ。もちろんう嬉しいが、それよりも情けなさの方が上回ってしまった。これではとても番号なんて聞くことは出来ない。後日改めて聞くとしよう。先輩、すみません。


「だ、大丈夫!全然元気元気!!あはは~...。」


「そう?だったらいいけど...。はいこれ、あんまり落とさない方がいいよ。」


「ありがとう...。」


「あっ!」


キャッチしたスマホを私に手渡そうとした彼女は、途中でその手を止める。報酬と引き換え?


「そう言えば今朝電話してくれなかったよね!なんで?昨日するって言ったじゃ~ん!」


「え、だって...。」


「電話が来るって考えたら変に緊張しちゃってさ~、おかげで今日は早めに起きちゃったんだよね~。」


「いや、あの、番号まだ聞いてなかったから......。」


「あれ!?そうだっけ!?うっかりうっかり!!」


勘違いに気付き照れ臭そうに自分のスマホを取りだす仮谷さん。


「パスワードは?」


手に持ったままの私のスマホもついでに操作しようとしていたのでさすがにやめてもらった。パスワードなんて...、彼女の前で言えるものではない英字の羅列だからだ。


◆◆◆


「じゃ、また明日ね!」


余計な時間を取らせてしまったせいだろうか、彼女は廊下を駆けていった。急いでいなくとも廊下を駆けていく人ではあるが今日は仕方ないだろう。


しかし私は彼女の見送りもほどほどに、自分のスマホを慎重に取りだす。


「これが...。」


画面に並んでいるのは11の数字である。今はとにかく、この数字たちが愛しい。壁紙にしたい、部屋の。

過程はどうあれ、結果的に目標を達成できたので御の字だろう。

キャッチしてもらったり話を切りだしてもらったり、ほぼすべて彼女の手を煩わせる形になってしまったがたまにはいいのではないだろうか。というかやっぱり聞くより聞かれるほうが求められてるように感じて嬉しいし。いつも苦労させられているご褒美ということで。


帰宅後先輩で鬱憤を晴らしたのは言うまでもない。

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鏡像のあなた 咲楽 @minami1901

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