25

 その部屋は、清掃が行き届いた。窓から入り込む日差しは埃の姿を映さない。ひっそりと隅に置かれている木箱の山。新品のように綺麗だったので、それも部屋の清潔感を高めていた。


「いや~、遠路はるばるわざわざお越しいただいて。ご苦労様です」


 中年の男が作り笑顔を浮かべながら労う。


「それで、今回はどういったご用件で?」


 向かいの席の甲冑を着込んだ者に訪問の理由を問いかける。

 その者の格好は異常であった。全身を真っ白な甲冑で覆い、背中には二メートルはあるであろう何かを布で姿を隠しながら背負っている。


「つい先日にそちらへ送った手紙についてだ」

「あ~その件ですか。え~とですね~」


 言葉を濁しながら、ハンカチで額の油を拭う。

 手紙の内容は、仕入れ価格の引き下げについてであった。

 甲冑の者は店舗で商品を販売する小売業を、男は農家から農作物を買い取り小売業者へ卸す卸業をしている。

 その卸している商品のほぼ全ての販売価格の引き下げが、甲冑の者の要求内容であった。


「その~真摯に検討したのですが、残念ながら私の所では難しいかと。あの条件では、赤字になってしまうので」


 甲冑の者は、手元に置いてあった紙の束を男の手元へ放り投げた。

 不思議そうにしながら、紙の束をペラペラとめくり内容を確認する。ページが進むごとに男の表情が青ざめていく。


「赤字なんてつまらん嘘を。我が商会の独自調査によると、条件通りでも赤にはならないはずだが」


 紙には財務状況、商品の仕入れ値などが記載されていた。一般には公表していない情報だ。


「ど、どこでこれを?」

「そんなことはどうでもいい」


 質問を中断することで、必要以上の情報を晒さなかった。


「……いえ、それでもこの条件だと利益は雀の涙……皆無と言っても過言ではありません。慈善活動ではなく商売ですので、その条件を呑むのは厳しいですね。利益八割ならなんとかなるのですが」


 本音は五割までなら大丈夫。だが、商売である以上、少しでも利益を出さなければならない。後も引き下げの交渉が続くことを想定して高めに告げた。


「こちらが提示した条件だけだ。それ以外は一切受け付けていない」

「いえ、ですからそれは。……七割で勘弁してもらえないでしょうか」


 男は食い下がった。

 甲冑の者の商会は七割を占める主要取引先。元の条件のままでは、これからの利益がほぼ皆無となってしまう。

 そして、主要取引先である以上、取引を打ち切るという道はない。


「その……六割……では?」

「……」


 返事がない。しかし、それが拒否を意味していることは、甲冑で表情が隠れていても雰囲気から察せられる。


「一応尋ねますが……五割は……どうでしょうか?」

「……」

「……」


 拒否と落胆の沈黙が場を支配した。

 予測していた結果に、男は溜め息を吐く。


「道は二つ、生か死だ」


 条件承諾の催促が放たれた。


「……やはり最後は実力行使というわけですか」

「知っていたのか」


 平静を装っているのかあるいは本当にそうなのか判別がつかない声色だった。


「知っていましたよ。この業界は広いようで案外狭いですからね。私の所より前に何件も同じようなことをしてたら、嫌でも耳に入ってきますよ」

「そうか。なら、とっとと選べ」

「ええ、選びますよ。……ですが、その前にもう一度。……五割でどうでしょうか?」


 沈黙が返答であった。

 そもそも、甲冑の者は交渉をしているつもりはない。求めているのは妥協点ではなく、完全な状態の条件を押し通すこと。


「はあ、仕方がありませんね。選ぶのは……あなたの敗北ですよ」


 男が席を立ち指をパチンと鳴らす。

 その音が鳴り終わると同時に、扉が開かれた。


「あなたが悪いのですよ。私はちゃんと妥協しようとしたのですから」


 地を鳴らす音が二つ、部屋に響く。


「用心棒を雇っておいたのですよ。交渉が決裂した場合に備えて。降伏するなら今の内ですよ。今なら、十五割で許してあげます。大層な甲冑で脅せるのは私のようなひ弱な人だけ。プロには通じませんよ」


 さあ、やってしまえ、と合図を送るために扉の方へと視線を向ける。

 その瞬間、己の勝利を確信していた表情が固まった。


「ど……ど……」


 言葉を吐き出せない。

 扉の所には、屈強な男が二人……ではなく、男の生首が二つ転がっていた。


「これで良かったのですよね? 白騎士様」


 扉の先から現れた少年が甲冑の者に確認した。

 十五歳の少年は、血に濡れた包丁を両手に持っている。


「……」

「良かった。間違っていたらどうしようかと」


 白騎士は相変わらず沈黙を貫く。しかし、少年には言葉がなくても雰囲気だけで言いたいことを理解できていた。


「ど……どういうことだ!」


 詰まっていた男の言葉がやっと吐き出された。


「どうもこうも、白騎士様は事前に対策を打っていただけのことですよ。この場付近に怪しい人物がいたら殺せって」


 白騎士は立ち上がり、腰が震えている男へと近づいていく。


「く、来るな! この人殺しが!」

「暴力で脅し返そうとしていた人が言えるセリフですか? それ」


 男は恐怖で尻餅をつく。


「生か死、どちらかを選べ」

「……生を、条件を呑む。……なんて言うわけないだろうが!」


 隅に積まれていた木箱の山が弾け飛んだ。

 剣を持った屈強な男が剣を片手に、白騎士の背中へと突っ込んでいく。


「バカめ! 商人たる者、予備策の一つも用意出来ず、この業界を生き残れるわけがないだろうが」


 男と白騎士の距離が目と鼻の先になった。

 その瞬間、白騎士が動く。背中から肩へ伸びている取っ手を握り、後方へと振り払った。

 布が宙を舞い、露わとなった姿。それは、巨大な剣であった。

 名は国殺し。刀身約二メートル、刀幅約三十センチ、重量約十キロ。

 人が扱うことを一切考慮されていない剣、国殺しは男の身体を吹き飛ばすかのように切り裂いた。

 切り裂かれた惨状は尋常ではなかった。刀による切断面はまるでかまいたちのよう。だが、目の前にあるそれは暴風に襲われたかのよう。


「ひっひぃぃぃぃぃぃ」


 男の足はガクガク震えている。

 予備の予備策はない。国殺しによる圧倒的な惨殺。恐怖しかそこにはなかった。

 国殺しを男の股前に突き刺す。


「もう一度問う。生か死だ」


 刀身に流れる血、へばり付いた肉、拒否すれば死が待っているということを暗示しているかのようであった。


「わ、私を殺せば国が黙っていないぞ!」

「国が綺麗だと盲信しているのか。あそこには金に囚われた悪魔が、何人も潜んでいる」

「そうそう、お国の人って汚い人ばっかですよ。足掻いても無駄ですって。早く頷かないと、本当に殺されちゃいますよ。死んだら死んだらで、残っている人たちへの見せしめにもなるのですから」


 白騎士が何度も機会を与える理由。それは、金が関わっているからだ。

 人を殺せば、当然国が犯人捜しをする。傭兵などであれば職業的に殺しを隠蔽できるが、商人はそうはいかない。見つかれば、お縄につくことになる。

 そうならないために、事前に国の偉い人たちに賄賂を渡し殺人事件をなかったことにするのだが、その額はそれなりに高額だ。

 だから、出費を抑えるために商人は極力殺すつもりはない。

 だが、殺した場合は後に控えている商人たちとの契約がスムーズになるから、絶対に殺さないというわけでもない。

 あくまで、出費の方を優先しているだけである。


「最後だ。生か死、どちらかを選べ」


 最後の宣告。これより先の足掻きは死に直結する。

 白騎士の背中に、茨に巻き付かれ血を吸われる人間と、死神の姿が男の目に映った。


「分かった。……条件を呑む」


 白騎士は男を立ち上がらせ席に連れて行く。そして、一枚の書類を渡した。


「目的は一体何なんだ? 利益のためにしては度が過ぎているだろう」


 震える手で自分の名前を書類に書きながら尋ねる。


「民のためだ。民の幸福、それこそが我の責務」



第二章 白騎士と呼ばれし商人 続

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幻影に囚われし転生者 @flon

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