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「クソッ! ふざけやがって!」
力任せに投げつけられたガラス瓶が割れた。床に散らばった破片が月光に照らされる。
「どうしてこうなった? 失敗する予定だっただろ!」
ムックは荒れていた。夜太郎がゴブリンの軍勢に勝利したからである。
ゴブリンの軍勢に破れ夜太郎の村での立場は地の底まで落ちる。これがムックが想定していたシナリオ。
だが、現実は逆であった。
「どうどう、落ち着いてください。予想外の展開でしたが、隊長にとってはむしろ良かったかもしれてませんよ。ゴブリンの殲滅は、防衛の責任者の功績……隊長の功績ということになります。出世に繋がるかもしれませんよ」
出世をちらつかせ宥めようとした。
「そんなことよりも、あの野郎が活躍したことの方が問題だ! 今回のことで村の連中は、あの野郎のことを英雄だなんだと賞賛するだろう。裏で俺のことを無能、と嘲笑いながらな」
ニコラスが言った「出世」ごときではムックを宥めることは出来なかった。地位の向上よりも、プライドの方が大事であるからだ。
「まあそうでしょうね。しかし、終わってしまった以上もう避けられないのですから、前向きに考えていくべきですよ。後悔は疲れるだけです」
「フン、そう簡単に気分を変えられるのなら苦労はせん」
棚を開け酒瓶を探す。気を紛らわせるために酒を飲もうと思ったからである。
コップや皿を動かし酒瓶を探すが見つからない。
「お酒はもうありませんよ。三日前に最後の一本飲んでしまったじゃないですか。飲みたいのなら、宴に参加してみては?」
「村の連中の顔を見たくない」
「なら、我慢するしかないですね。次は切らさないように、明後日の移送ではお酒を多めに買うことにしましょう」
「そういえば明後日か、都への税の移送は……」
言葉を言い終わる直前、ムックの頭にある考えが浮かんできた。
浮かんできた曖昧な状態の考えが具体的な状態へと変化し終えると、ムックの口から思わず笑いがこぼれた。
「どうかしましたか?」
ムックの態度を不思議に思い、問いかけた。
「妙案が閃いた。あの野郎を村で好き勝手させないとっておきのな」
そう言いながら、家中を詮索しある物を探す。
埃を被った箱の蓋を開けると、目的の物が中に入っていた。
「それは?」
「同行許可書だ」
一枚の紙をニコラスに見せつけ、妙案の内容を語り出す。
「まず、あの野郎を明後日の移送に同行させる。人手が足りないなどを名目にしてな。そして、移送中にあの野郎を二人掛かりで半殺しにし、こう言う。貴様にはこれから都に住んでもらう。貧しい乞食のようにな、と。最後は言葉の通り、端金と共に都に捨てる」
つまり、夜太郎を脅して都に置き去りにする、ということ。
「……止めておいた方がいいと思います。それに、捨てるのが成功したとしても、村の方たちにはどう説明するつもりですか?」
「その点は問題ない。都で一発当てるために残ったとか、言い訳はいくらでもある。止める必要など全くない」
置き去りにされた夜太郎の表情をムックは想像する。その表情は絶望と屈辱に染まっていた。
「……もう一度言いますが、止めることをお勧めします。ろくな結末にならないと思います」
「くどいぞ。俺を止めたいのなら、具体的な根拠でも出すことだ」
ムックは意思を変えるつもりなんて微塵もない。
その事をニコラスは理解していた。プライドが関わる時のニコラスの頑固さは、それなりに長い付き合いの中で嫌というほど実感していた。
そんなムックを動かすには、プライドに直結する別の理由を持ち出すしかない。
しかし、そんなものは今のニコラスの手札にはなかった。つまり、手詰まり。
「止めるのは無理ですか?」
「無理だ。これほどの妙案、実行するしかない」
ムックの頑固さに、ニコラスはため息を吐く。
「そうですか、分かりました。じゃあ……」
カチャン、と金属が擦れる音がする。
「……死んでください」
血がポタポタと落ちていく。胸を剣が貫いていた。
ムックが地面へと倒れる。貫通した穴からは血が流れていく。まるで残りの生を宣告するかのように。
「き、きさま! どういうつもりだ?」
血に汚れた剣を持ちながら見下すニコラスを、ムックは目を血走らせながら睨み付ける。
「隊長が悪いのですよ。私は散々止めた方がいい、と忠告したのに」
見下ろすニコラスの目に、動揺は一切なかった。それは、殺したことに後悔などなかったということを意味している。
「ヤタロウさんは私にとって主人公なんですよ。母が子へ子守歌代わりに聞かせる英雄譚のような」
「主人公だと? それと俺に何の関係がある?」
視界がぼやけていく。死は着々と近づいている。
「隊長は彼の障害になろうとした。だから、邪魔になる前に除去しただけのことですよ」
ニコラスがムックへ笑いかける。
「まあ、彼ならきっと隊長の嫌がらせなど容易に攻略できるでしょう。それに、物語に障害は付きものです。しかし、観ていても面白くない障害に価値はありません。邪魔なだけの障害は、物語の質を落とすだけです」
ニコラスは語る。憧れを抱いた少年のように。
「そんなことのために……俺は……」
「彼の物語にあなたの存在は不要です。……ですが」
言いながら、ムックの手に握られた紙を拾う。
「最後に少しだけ役に立ちましたね。彼をどうやって都に連れて行こうか、悩んでいたのですよ」
村で起こる事件など高が知れている。今回のゴブリン襲撃程度が限界。
だから、人が多い都に夜太郎を連れて行く必要があった。今回のよりも壮大な活躍をしてもらうために。
「……かぁ……は……」
ムックはすでに虫の息であった。意識の大部分はあの世へと渡っている。
「隊長の下での仕事、嫌いではありませんでした。それなりに楽をさせてもらいましたし」
労いの言葉。しかし、ムックにはもう聞こえない。
「お休みなさい、隊長」
第一章 狂人が奏でし序曲 完
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