第11話 試練~wall~

―2回目の面接


「おはよ、せんせい」


元気よく挨拶をするユウヒ。前回とは相変わらずだった。同じ部屋での面接。身体が独特の雰囲気に順応することは難しいようだ。相手は成人した男性…よくよく見ていると、不思議なことに子どものように見えてしまう。


「ん、おはよう。ユウヒ」


「ボクねちゃんといいこにしてたよ」


誇らしげに、褒めてほしそうに言う。


「ちゃんと他の先生から聞いてるよ、えらかったね」


あくまで、子どもと接するように言葉を選びながら話しかける。はにかみながら、顔をくしゃくしゃにし笑う。本当の子どものように…


「へへへ…」


「きょうはなにしにきたの?またおはなし?」


「そうだな…お話ししに来たんだよ」


笑顔を保ち、つとめて明るくやり過ごす。湧き上がる不思議な感覚は、めまいを引き起こす。考えれば考えるほどにユウヒがこんな風になったのは、たくさん原因があるだろう、そんなたくさんの可能性が頭をグルグル回る…表情には出さないが、色々考えるだけで吐き気を催す。実際彼と似たような状態のクライアントに遭遇したことが幾度もあるから、原因は何となく想像がついてしまう。だから、せめて笑顔でいないと…


「きのうのごはんはなにたべたの?」


ユウヒが考える間もなく、質問を投げてくる。ハッと我に返り、答えを考える。


「コンビニの弁当。唐揚げが入ってて、あとエビフライも入ってた。なかなかうまかったんだ、また今度食べたいなって思うくらい」


「そうなんだ!きのうはね…えっと…うーん…ボクのごはんは…シチューとね、パンとぎゅうにゅうとプリンだったんだ。おいしかったよ、おかわりまでしちゃったんだ。みんなわらって…」


上を向き、必死に思い出そうとしているようだった。処方されている薬の副作用だろうか、記憶力が鈍く、眠気で頭がボーッとしているように見受けられる。


「大丈夫か、ユウヒ?」


「ん…すこしねむくて…」


話が途切れたことに本人は気づいていなかったようだ。眠気がよほど強いのか、ギュッとウサギのぬいぐるみを抱き締めながら睡魔と戦っている。


「そっか…じゃあ、無理して起きてなくて大丈夫だよ。眠たかったら、ユウヒは横になって話そうか」


無理をさせる訳にはいかない。眠いのなら、眠らせて落ち着かせた方がいいと判断した。


「やだ、もっとはなしたい…きっとねちゃう…」


より一層強くぬいぐるみを抱き締める。悲しそうな顔をしているあたり、本人は横になると睡魔に負けることをよく分かっているようだ。だから、この拒否の仕方をするのだろう。


「無理をするのはよくないよ」


「そっか…せんせいは、ボクのことすきだからそうやっていってくれるの?」


優しく諭すよう、話しかける。…屈託のない笑顔を浮かべるユウヒは、余程愛情に飢えているらしかった。俺の一言を『好意』と受け取り、頭の中で『愛着』や『愛情』に変換しているらしい。


「ユウヒの体が心配だから、言ったんだよ」


「わかった…ねころがりながらはなそうね!」


彼は相も変わらずぬいぐるみを愛おしそうに抱き締めて、諦めたようにクッションの上にボスっと寝転がる。


「せんせいはよこにならないの?」


「え?あ、ならないよ。なったら寝ちゃいそうだから」


あのクッションは通称『人も動物もダメになるクッション』と呼ばれる代物だ。某〇印で売っているものだ。かく言う俺も、自宅では愛用している品なのだ。誘惑に負けそうだが…分かっている、空調の程よくきいたこの部屋で、あのクッションの上に寝転べば、確実に寝てしまうだろう…口ではそういうが、寝転びたい誘惑が今のところ優勢だ…どうしたものか…


「…わかった、今日だけな?」


一緒に横になると、ユウヒの顔がパッと笑顔になる。一応、一定の対人距離を保ちながら件のクッションの上に寝転がる。ああ、やっぱり気持ちいい。仕事とはいえ、寝転がることになるなんて。


「やったあ!ありがとう!ねえせんせい、このクッションきもちいいね。ボクこれ、すきだな」


ぼふぼふと手でクッションを叩く。感触がかなり気に入ったのか、繰り返し叩いては手を埋めるのをしていた。


「これ、気持ちいいよな…眠くなってきた…」


「せんせいはねちゃダメだよ、ボクとおはなしするんだから」


…確かにね。寝に来た訳じゃないし。


「なあ、ユウヒ」


「なあに、せんせい?」


勇気を出して、ウサギのぬいぐるみについて触れてみようとする。…緊張すると、意外に声が出て来ない。実際、言葉が食べ物のように喉に詰まることなんて有り得ないのに、今なら『言葉が喉に詰まって出て来ない』という比喩を理解することができる。便利な表現だな、と頭の片隅で感心してしまう。


「ぬいぐるみ…」


「うん」


「見せてくれないか?」


やっと言葉の詰まりが取れて、喉元がスッキリする。しかし、ユウヒの浮かべる戸惑った表情を見ると、スッキリしたはずの喉にまた何か別の言葉が詰まる。


「…らんぼうにしない?」


か細い、蚊の鳴くような声。


「しないよ」


「…なら、いいよ。せんせいはどうしてこれがみたいの?」


不思議そうな表情をして尋ねる。


「この前チラッと見た時に、腕とか足とか…破れてたり、糸が解れてたりしたからさ直したいって思って…ユウヒだってウサギとずっと一緒にいたいだろう?」


「うん…」


「だから、ケガを治してユウヒと一緒にいられるようにしたいって思ったんだよ…それじゃ、ダメか?」


「なら、いいよ。はい、どうぞ」


最初の躊躇っていた様子とは打って変わって、ぬいぐるみを素直に差し出す。


「ん、ありがとう」


受け取ると、解れや破れた箇所を確認する。結構細かい部分の修繕が必要だ。思わず少し狼狽してしまった…裁縫がお世辞にも得意じゃない俺には、直すこと自体ハードモードかもしれないと…自分自身でもみるみるうちに顔から血の気が引くのがわかる。とにかく、直すと言った以上は直さなければいけないだろう…カウンセリングにも支障が出る。しかし、裁縫のスキルは皆無だ。波縫いすら怪しい俺にはできるのだろうか…それを悟った瞬間から、大ボラを吹いた俺はオオカミ少年になってしまった。


せっかくここまで頑張って、2回目でウサギを渡してくれたんだ…このチャンスを無下にする訳には、棒に振る訳にはいかない。心理士の立場として以前に、人間としてこのチャンスを逃したくないと感じる程の手応えがある…仕方ない、不本意だが万能選手な、あの横柄すぎる先輩に土下座をして、教えを乞うか、義理の母に裁縫を教わるか…


先輩にだけは、どうしても土下座をしてまで頼みたくない、最終手段に取っておく。じゃあ、義理の母に裁縫を習いに行こう…とにかく裁縫のスキルを身に付ける方が先決だと判断した。義母には後で連絡しておこう。


「かわいいウサギだな」


取り繕うように言葉を発する。


「かわいいでしょ?このこね、ボクのたからものなんだ、だからずっといっしょなの。だいすきだから…」


優しい眼差しをぬいぐるみに向けるユウヒ。何か手掛かりが、エピソードが詰まっているぬいぐるみだと悟る。


「はい、じゃあ今日はユウヒに返すね。見せてくれてありがとう。また今度会った時に、ケガを少しずつ治していこっか」


そっと、手荒にならないようにウサギのぬいぐるみを返す。気のせいなのか、見間違えなのか…持ち主の元へ戻ったウサギが安堵の表情で少しだけ微笑んだように思えた。そりゃあ、裁縫スキルの欠如した人間にウサギもおちおち身を委ねられないだろう。


「…もうかえるの?」


悲しそうな顔をしたユウヒ。


「時間になっちゃったからな…また前と同じくらい寝て起きて、いい子にしてたら会えるから」


その言葉は彼を安心させるようだ。言葉の意味を理解して、仕方ないと割り切る。その点は大人なのかもしれない。


「わかった、じゃあ…バイバイ…」


「ん、バイバイ」



ユウヒと別れ建物から出ると、速攻で義理の母に電話を入れる。


―プルルルル…


『もしもし?』


「あ、太陽です」


『やだ、太陽くん久し振りぃ♪元気してた?』


「元気にしてましたよ。あの、尋(ひろ)さん」


尋(ひろ)さんは、義理の母にあたる女性だ。実は俺とあまり歳が変わらない。親父は実の母が他界してから、男手ひとつ…とは言えないが祖父母の家に頼りながらも俺達兄弟をここまで育て上げてくれた。俺が成人してから、再婚した相手が尋さん。


『ん?どうしたの?』


「今時間大丈夫ですか?」


『大丈夫、大丈夫♪』


「実は…裁縫を教えてもらいたくて…」


『裁縫!?あらま、唐と…』


「「あー、ママ!だれとでんわしてるの?」」


『太陽兄ちゃん!今話してるから、静かにしてて!』


「僕も話したい!」「私も!」


…電話口から、わんぱく盛りの双子の声が聞こえる。その双子は、かなり歳の離れた兄妹で名前は雪(せつ)と華(はな)という。22歳離れていて、奴らは6歳になる。いわゆる二卵性双生児というやつだ。ちなみに、親父と尋さんの間に生まれた子だ。


『雪・華、ダメ!今大事なお話中なの!後で代わらせてあげるから!』


双子はパワフルだし、賑やかだな…てか尋さん、めちゃくちゃ大変そうだな…怒ってるし。やっぱり掛け直した方がよかったかな…


「「えええ…わかった…」」


『ごめん、ごめん…あ、裁縫の話だよね?』


「そうです。実は、ウサギのぬいぐるみを直したくて…クライアントの持ち物で、どうしても失敗できないんです。だから、基本から教えてもらいたくて」


『ほう…基本からね(笑)もしかして、波縫いからとかかな?』


すごい、察せられた。


「…は、はい」


『了解!なら先に課題を出すから、やって来てね』


「課題?」


『とりあえず、手縫いで雑巾縫って来て!波縫いしか使わないから簡単なはずだし…それを見て現時点でどれくらいできるか判断したいの』


「わかりました。じゃあ、今度の日曜に縫って持って行きますね。ところで、親父は元気してますか?」


『元気してるよ!毎日双子の相手してくれて、片手間で読書したり好きなことしてるし…いい旦那さんよ』


「ならよかった。また日曜に行きますね。忙しいのに電話してごめんなさい」


『太陽くんならいつでもいいよ。一応お母さんなんだし(笑)あ、歳近いからあんまり笑えないかww』


「大丈夫っす、その流れ慣れましたから。じゃあ、また日曜に」


『うん、バイバーイ』


電話を切り、忘れないように急いで手帳に予定を書く。


尋さんは本当にフレンドリーで、話しやすい。だから、あまり義理の母…という感じではなく、歳も近いこともあってどちらかと言うと、姉という立場に近い。


街中で一緒に歩いていると、カップルに間違えられる。双子がそれに加わると、なぜか夫婦に間違えられる。決まって『双子ですか?お父さんも大変ですねぇ』と言われる。…俺、セカンド童貞なのに…しばらくそんなこともないのに、すごい間違えられ方だな…といつも思う。まあ、仕方ないか…


ユウヒのぬいぐるみを少しずつ直して行きながら、カウンセリングを進めるためだ。だから頑張って裁縫を覚えないと…雑巾縫いなんて、小学生以来だな。

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拝啓、いつかの君へ 光永桜 @maplesyrup_0916g

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