赤銅色の疾走
真田 煌亮
序章 夢の終わり、あるいは始まり
ケイティがその患者と出会ったのは、新緑を感じるには肌寒く、マフラーに顔を埋めるには生温かいような春と冬の境目の夜明け前。
急患で運び込まれた彼は瀕死の状態であった。
瀕死の急患は日常にいるものの、彼女の目を引いたのは彼の惨憺たる容体だった。
まず全身が火傷で、おそらく着用していたであろう、皮のジャンパーが焼け焦げ、焼け残った金属の装飾が彼の新たなアクセサリーとして身体に焼き付いていた。
頭皮と髪の毛は7割がた焼けてしまい、 右脚は膝から下があらぬ方向に骨折していた。
昔日本の友達に見せてもらった地獄で鬼達に苦しめられた罪人はこの様な有様ではなかったか。
そんな事を一瞬、頭をよぎったが、一番の患者を印象付けたのは、左の額から左目〜顎にかけて付けられた大きな傷だった。傷の深さからするとおそらくは失明は免れないだろう。
「何か身元を確認できるものは?」
「身分証明などは無いようです。この損傷です。持っていても焼失してるかも。携帯電話を所持してましたのでそこから何かわかるかも、です。」
「ちっ。富豪さんであること祈ってるぜ。さぁこのローストチキンさんをみんなでベッドにスライドだ。1.2.3っ!」
ロバート医師は口は悪いが、腕は抜群で口とは裏腹に患者に対して真摯である。
今宵の患者を観察すると、一瞬眉間にシワを寄せ指示を下した。
「まずは火傷の処置、並行で顔の傷、最後に脚部。」
迅速な彼とその取り巻きの優秀な部下達により、7時間あまりに渡る手術後に彼は一命を取り留める事となった。
一命を取り留めたものの、彼の意識は一週間経過してもまだ戻らず、身体の35%あまりを舐めつくした火傷は未だ生命の危機を脅かし続けていた。
彼の携帯から分かった事は彼がおそらく「ショーン・カワサキ」
と言う名前ではないか?と言う事のみ。
と言うのも携帯には他者の電話番号はおろか、メールなどの一切の情報がなく、携帯電話の機体No.から契約者を確認した情報だった。
おおよそまともではない携帯電話の持ち主なので本名であるかどうかも分からなかった。
大火傷、顔の深い切り傷、情報の一切無い携帯電話…。
ケイティは彼の火傷の包帯を取り替えながら、彼の素性について少なからず興味が湧いていた。
一体彼は何処から来て何をしようとしていたのか。
彼が意識を取り戻したのは搬送されてから10日後の昼だった。
意識が取り戻したが、火事の影響か喉の炎症の為、声が出せないため諦めて残った右目でひたすら天井を睨み続けるか、浅い眠りにつくかを繰り返した。
ケイティも目覚めに気が付けば、彼の名を呼びかけたが、ほとんどが無視されるか、稀に右目で睨みつけるくらいで(それくらいしか出来ないのは当然だが)点滴と包帯交換のルーティンを繰り返し季節は病院の庭先の水仙が花咲く、春の季節になった。
「ショーン。今日はお粥よ。消化に良くて栄養バツグンよ。」
皮膚の炎症はほぼおさまり、脚の骨折はボルトを入れているもののおそらく後数ヶ月で完治するだろうと、ロバートは診断していた。ただ、顔の深い切り傷と視力は
完治は難しく、さながらいまの傷は雪山のクレバスのようだ。
喉の炎症も治っているはずだが、相も変らず黙す彼に何かしら反応を求め、考えたのは、「お粥」だった。
素性はわからないが、名前からすると日本の血が流れているのではと思い、米食がいいのではと短絡的に思いついたのだ。
「だいぶ、暖かくなって来たわね。外の風も気持ちいいわよ。」
相変わらず無反応である。
ケイティは軽い溜息のあと、ニッコリ笑うと、病室の窓を開けた。
春の風がケイティの前髪を揺らす。
微かにショーンの焼け残った、前髪も揺らした。
「ほらね。気持ちよくない?お粥食べさせてあげるわね。」
「自…。」
「えっ?」
一瞬何が起きたか解らなかった。
話したのだ。
「自分で、食べれる って ったんだよ」
たどたどしい言葉だったが今度は聞き取れた。
「そう。気をつけてね。」
ケイティは高揚した気持ちを抑えた。
匙をショーンの右手に持たせ、ベッドのテーブルを食べやすいように引き寄せた。
火傷が引き攣るのか、たどたどしい動きで、粥を口に運ぶ。
ゆっくりと咀嚼して飲み込む。
またたどたどしい動きで、粥をすくい口に運ぶ。
ゆっくりと咀嚼する。
3度繰り返した時、より強い風が窓から吹き抜けた。
「あら、春一番かしら。一旦窓を閉めるわね。」
乱れたブラウンヘアーを戻しながら、窓を閉じて、ショーンの方に振り替えった。
はっとしてケイティの動きが止まる。
ショーンは粥を食べながら泣いていた。
視力の無い左目からは血も流れていた。
それでも粥を咀嚼し続けていた。
粥の中に血涙が入った。
哭きながら何度も何度も咀嚼していた。
赤銅色の疾走 真田 煌亮 @mac_t
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