多主観認知論(瀬木慧泉 著)


作中に出てきた慧泉の研究についての紹介です。

ストーリーというよりは設定的な部分ですね。わかりにくくなってしまったので、気になる方だけどうぞ。

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 二百年ぶりとも言われる揺岩からの生還者である修繕師、瀬木慧泉は、のちに香稜神宮に三巻になる研究書を奉納した。

 一巻は多主観認知論、二巻は古代における修繕師の選出考、三巻は修繕師日誌だ。


 特に一巻の多主観認知論は、時の帝である湧煌帝の意向により、広く一般国民にも知らされた。


    ***



~第一巻 多主観認知論~


     序


 これは、ごく少数の者が持つ特殊視覚に関する研究書である。


 この特殊視覚を持つ多くの者は、これを執筆している現代においては、白痴や物の怪つきなどと呼ばれ、その特殊視覚に気づかれず、理解されない傾向にあった。我が親しき友人もまたその一人である。


 ゆえに本研究は、知り得た特殊視覚について公表し、多くの人々の理解を得ることを望むものである。




     一


 この特殊視覚を持つ者の特徴として、視線が合わない、物を取り落す、壁や柱にぶつかる、躓く、転ぶといったものがある。それは、彼らの見えているものと、実際に存在しているものが一致していないためと考えられる。

 というのも、彼らの目には、すべてのものが何重にも重なり、ぶれて見えているためだ。



 それを踏まえ、まず、私が「多主観認知」と名付けた特殊視覚――名づけの由来は後に述べる――を持つ者による見え方について、聞き取った内容を記録する。

 その者曰く、見えているすべての物体には「アタリ」と「ハズレ」があり、目に見えている場所にその物体の実態があるとは限らないという。例えば――。



     (略)



 我々からすると妄言のようにも聞こえてしまうが、当人は極めて真面目に言っている。これに関しては、同じ視覚を持つ別の協力者からも同様の証言が得られたため、本研究ではぶれて重なり複数に見える視覚、それが真であるとして話を進めていく。




     二



 次に、何故このような見え方になっているかについて検証する。

 以下は、多主観認知の者に描いてもらった筆入れの絵を模写したものである。



     (絵)



 先ほどの見え方に関する証言を、この絵と合わせて見てみる。

 輪郭線――正確には輪郭以外もだが、便宜的に輪郭線を取りあげて話を進める――が何重にも重なって見えるのがわかるだろうか。

 この輪郭線の数や位置は、その時々によって変化するという。この絵では四重になっているが、これが二重にしか見えないときや、五重以上になることもあるそうだ。


 そしてこの絵からはわからないが、この時の「アタリ」は一番内側の輪郭線だった。この「アタリ」がどれであるかも毎回違っているという。



 この証言を受け、輪郭線の数およびアタリの位置についての検証を行った。

 まず、二十歳以上の大人を数人集め、多主観認知による輪郭線の数とアタリの位置がどうなるかについて実験した。


 ここで人を集めたのは、とある文献の中に、ぶれ方はが周囲の人の数で変わるという記述を見つけたためだ。文献に関しては三節で取り上げるので、詳しくはそちらを参照していただきたい。


 以下にこの実験の手順を記す。


 多主観認知を持つ者一人きりの場合――これを検証の基準とする。

 そして、この状態で先程のような絵を描いてもらった。合わせてアタリの位置も記入してもらう。

 続けて、人数を二人に増やして検証する。二人の場合も一人のときと同様に絵とアタリを描いてもらった。

 さらに、人数を五人に増やし――。



     (略)



 結果、いずれの場合においても輪郭線の数は増えなかった。また、アタリの位置についても変化しなかった。



 しかし、日をおいて同様の実験を行った結果、この日に見えていた輪郭線の数やアタリの場所とは変わっていた。


 前回結果

  一、多主観認知を持つ者一人の場合

       ――輪郭線 三本、アタリ 左端を数えて二本目………(絵)

  二、多主観認知を持つ者と大人合わせて、二人の場合

       ――輪郭線 三本、アタリ 左端を数えて二本目………(絵)

  三、多主観認知を持つ者と大人合わせて、五人の場合

       ――輪郭線 三本、アタリ 左端を数えて二本目………(絵)


 今回結果(三日後)

  一、多主観認知を持つ者一人の場合

       ――輪郭線 四本、アタリ 左端を数えて一番外側………(絵)

  二、多主観認知を持つ者と大人合わせて、二人の場合

       ――輪郭線 四本、アタリ 左端を数えて一番外側………(絵)

  三、多主観認知を持つ者と大人合わせて、五人の場合

       ――輪郭線 四本、アタリ 左端を数えて一番外側………(絵)


 これらの結果により、「毎回アタリの場所が違う」という証言に関しては、ある程度の時間経過が必要ではないかという仮説が立った。



 しかし、この検証で集めたのが「大人」である点に注目していただきたい。

 私は、多主観認知を持つ多くが子どもであるという過去の記録を踏まえ、あえて大人と子どもをわけて検証を行った。


 なので考察に入る前に、「子ども」による同様の検証結果についても見ていこう。

 「子ども」の場合はもう少し年齢を細分化して検証することにした。よって実施したのは以下の五通りである。合わせて結果も記載する。


 一、多主観認知を持つ者一人きりの場合。

       ――輪郭線 四本、アタリ 外側から二本目………(絵)


 二、多主観認知を持つ者と、七から十の間の年齢の子ども合わせて、二人の場合。

       ――輪郭線 四本、アタリ 一番内側………(絵)

 三、多主観認知を持つ者と、七から十の間の年齢の子ども合わせて、五人の場合。

       ――輪郭線 五本、アタリ 一番外側………(絵)


 四、多主観認知を持つ者と、二歳未満の赤子合わせて、二人の場合。

       ――輪郭線 不明、アタリ 真ん中あたり………(絵)

 五、多主観認知を持つ者と、二歳未満の赤子合わせて、五人の場合。

       ――輪郭線 不明、アタリ 真ん中あたり………(絵)


 結果、年長の子どもたちについては、輪郭線の数は五人集めたときのみ一本増え、アタリの場所は二人の場合も五人の場合も変化した。

 また、赤子については、輪郭線の数はかなり増え、不安定に揺らいで見えるという現象が生じた。この揺らぎのため、正確な本数を計測することはできなかった。


 なお、日をおいての結果は以下の通りである。こちらもほぼ同様の結果となっている。



      (略)



 これらの結果により、少なくとも周囲の状況が、多主観認知による見え方に変化を与えるということが証明された。

 また、大人を集めた検証時に考えられた、「変化には時間が必要」という仮説は否定された。


 現時点において、大人と子どもで結果が違うことの原因について、はっきりとしたことは言えないが、大人と子どもを区別して検証する必要があることは確実だろう。




     三



 この節では、文献調査の結果について記す。あらゆる分野の古文献に目を通したところ、いくつか多主観認知と関係があると思しき記述を見つけることができた。


 その中で、比較的新しいものから紹介する。

 まず、輝瑞(きずい)二十六年――今からおよそ九十六年前に書かれた『輝瑞繁栄ノ書』を例として取り上げたい。


 第五章、皇子の誕生について書かれた部分において、


  『オウヂ メヲエタ ヨロコバシ』

  『コノメ ココロ ユタカナル ショウチョウナリ』


 などの記述がある。


 これは多主観認知を得て、子らが修繕師となる資格を得たことを喜んでいる場面であると考えられる。


 また、輝瑞元年にも似た記述があり――。



     (略)



 いずれにおいても、子どもと視覚に関して一対の単語であるかのように、合わせて記載されていることが多く、そのほとんどが瑞兆のように記されていた。


 これらの文献から、かつては多主観認知は子どもの持つ視覚として珍しくないものであったことがわかった。

 また、修繕師という単語も数多く見られ、多主観認知と修繕師の間に深いかかわりがあった裏付けを得ることもできた。



 多主観認知と修繕師との関係については、詳しくは第二巻に記載するが、補足として先に説明しておくと、修繕師の条件が、「帝に近い血を持つ二十歳以下の子ども」と言い伝えられていたのは、子どものほうがこの多主観認知を発現しやすいというところに由来していたのではないかと考えている。

 実際、目を通したどの書物からも、大人と視覚に関する記載は見つけられなかった。




     四



 このあたりでまとめといきたいところだが、この件をまとめるにあたり、一点、再考したい点がある。


 ここまで「アタリ」「ハズレ」の判別のために、実物を触ることで確認してもらってきたが、それが本当に正しかったのか、という点だ。

 というのも我々が間違った常識を持っている可能性があると気づかされたからだ。


 我々の多くは、この世に存在するものは「決まった姿かたち」を持っているという常識を持っている。多主観認知を持たない者の目で見れば、決まった形があるようにしか見えないが、私は必ずしもそうでないかもしれないと考えている。

 詳しくは後述するが、まずは私の体験談を聞いてほしい。



 以前、著者は修繕師として香稜ノ戸を潜る機会を得た。その期間の際、我々の目には見えない出入り口を利用して、香稜山から脱出した。


 このとき通った道は、私の目からすれば岩壁に当たる場所。触れれば当然、硬い感触が返ってくる――はずだった。だが実際には、多主観認知を持つ者と一緒に、岩壁にぶつかることなく通り抜けることができた。それは何故なのか。


 実は最初から岩壁などなく、幻覚を見ていた? ――いや、違う。


 それは多主観認知を持つ者が、そこに出入り口があるという主観を持つ者に同調し、それを「アタリ」に変えたからではないだろうか。

 つまり、通常視覚における「実体(と信じている形)」が「アタリ」であるのではなく、多主観認知による「アタリ」が「実体(存在する形)」となる可能性だ。


 輪郭線の数を、それぞれが実体と認識している者の主観とすると、アタリ(触れるものにとっての実体)は、その場においてどの主観が強いかに依存しているのではないだろうか。



 物事を決める際に、「多数決」なる決め方があるそうだ。この多主観認知のアタリを決める際にも、それが適用された可能性がある。

 そしてその多数の中に、人以外の主観が含まれていた可能性が高い。人以外――つまり、山や空気、植物なども同様に主観を持っていたと考えるのだ。

 そして、その中でもっとも強い主観、もしくは、より多くの主観が重なったそれがアタリになると考えれば辻褄が合う。


 香稜山でのできごとは、私と多主観認知を持つ者との二人しかいない場面でのことだった。その時、輪郭線は二重ではなくそれ以上にあったという。それは人以外の何かの主観が多主観認知に影響を与えていることの証明にならないだろうか。


 そして、私がその者と共に岩壁を通り抜けられたのは、ここに出入り口があるという何者かの主観に、多主観認知を持つ友人が同調することで、それが「もっとも強い主観」となり、道が開けたのではないかと考えている。



 これら話を踏まえて、一節で述べた検証実験を思い出してほしい。


 一部繰り返しになるが、子どもによる実験において、人数の変化や時間の経過によって輪郭線の数やアタリが変化したという結果は、「主観」が必ずしも人のそれのみではないということを示している。

 動物などの生物はもちろん、山には山の、水には水の主観があり、この世界に存在するすべてのものが主観を持っている可能性を示した。


 そして、ありとあらゆるものの「姿かたち」は、強い主観の影響を受けて変わるものであり、必ずしも固定されたものではない、といえるだろう。



 なお、ここで「子どもによる実験において」と但し書きさせていただいたのは、検証結果をみればわかると思うが、大人の結果の方を例外としたのには根拠がある。

 それは、人が成長するにつれて自然と吸収していく「共通概念」という言葉によって説明できる。


 子どもが独自の観念を持つのに対し、大人の多くは無意識のうちに共通概念に縛られている。それが検証結果に影響を与えていた。

 大人を何人増やしても、線の数が増えなかったのは、それぞれの主観が同じものとして重なっていたためではないかと考えられた。つまりそれが共通概念であり、それはある意味、もっとも強い主観と言うことができた。



 話は変わるが、このような主観により、「実体が変化する」という考えは、かの有名な事象を説明することもできるだろう。

 そう、子どもが忽然と姿を消す「神隠し」だ。あくまでも推測であるが、主観の違いにより、観念が固定されてしまっている大人では見つけられない場所へと、子どもが入り込んでしまった結果ではないだろうか。



 ともあれ、この記録と証言により、多主観認知と呼んでいるこの視覚は、重なっている一つ一つの景色が、誰か、もしくは何かの主観による景色であり、それを自らの視覚に重ねて見てしまっているのではないかという推論に至った。


 よって、多くの主観を認知できる視覚の意で、私はこの特殊視覚を「多主観認知」と名づけることにした。




      第一巻 多主観認知論 完



    ***


 著者である瀬木慧泉にこの多主観認知の視覚は備わっていなかったという。

 それにもかかわらず国礎修繕の儀を行ってなお生還できたのは、彼の者に多主観認知を持つ協力者がいたからだと言われている。それがこの論文にもたびたび登場する「多主観認知を持つ者」だったのだろう。仔細は伝えられていないが、曰く、非常に仲の良い、弟のような友だったという。


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