過去の一場面(本編以前、本編中)
*放任がもたらしたもの
「三、主と側仕えはこうして出会った(2)」以前の話です。
「困り顔」の直前でしたね。逆になっていました。後日順序直しておきます。
仕事人間の父がようやく家のことに目を向けてくれました、という話。
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「何見てるだいあんた! まったく気味が悪いったらありゃしない」
「ここに置いてやってるだけ感謝しな。あんたみたいな呪われた子、余所だったらとっくに捨てられちまってるんだからね」
向けられる嫌悪の視線や罵声。それが当たり前になって、言いつけどおり部屋で大人しくしていることが多くなった頃。
とはいえ、完全に朝から晩まで部屋にこもっているわけではなく、父のお見送りに出たり、厠や飲み物を貰いに厨に行ったりすることもあった。
このときも、厠に行こうと部屋を出たところだった。
「誰が部屋から出ていいって言ったんだい? 何もできやしないんだからせめて邪魔にならないようにしようとか考えられないもんかね。手間掛けさせんじゃないよ馬鹿たれが」
廊下で鉢合わせたのは祖母。私はその声の大きさにわずかに足をすくませた。
「聞いてんのかい!? 返事くらいできないもんかね。どうしてあんたみたいな子が生まれてきたんだか。家の恥だよ、恥」
後半の内容をさらりと聞き流し、代わりに、「あぁ、返事が必要なのか」とぼんやりと考える。確かに父からは、返事は「はい」、自分のことは「私」と言うように、と教わった記憶があった。
けれど、僕にとって会話は聞くものであってするものではなかった。だから声を出すということが思い浮かばなかったのだ。
僕はそんな祖母をぼうっと見上げていた。
これが、五歳頃の僕。けれど、八歳になっても、僕――私はほとんど成長していなかった。
*
この日は、珍しく父をお見送りしない日――つまり、父が家にいる日だった。
「***来なさい」
もたもたと朝食を食べていると、父が私の名と共に呼びに来た。そして、父の部屋に行き、正面に座らされる――が、そこの至るまでの間に何度も柱にぶつかり、敷居に躓き、父には大きなため息をつかれた。
「まぁよい。では、これから私がいくつか問題を出す。それに答えなさい」
父は口頭で算術を初め、様々な知識を問い始めた。
「三と四の和は?」
七だ。難しくない。
「では、洸国をおつくりになった御方を答えよ」
現人神である美津輝(みずきの)帝だ。
父がいない時間、私にできることは人の会話を聞くことだけだった。だから、最低限の知識は持っていた。
父がまたため息をついた。それを不思議に思いながら見続ける。
「わからないのか?」
いいえ、わかります。
そう思っていると、父が目を細めて私を見た。
「しゃべれないわけではないだろう? 返事は?」
「はい」
「わからないならわからないと。わかるなら答えを言いなさい。いいね?」
「はい」
「では、先ほどの答えは?」
父は根気よく話しかけてくれた。これまで放置していたのが嘘のように。
「美津輝帝です」
「よろしい。では、外に出なさい」
次は剣術だった。
基本的な持ち方、姿勢、足遣い、振り方といったものは、以前に父から教わっている。今日はその習った型を一通りやって見せるようにと指示された。
けれど、普段剣を持たないだけにぐらぐらとふらつき、私は最初から剣に振り回されてしまった。
「覚えてはいるのか……」
父のつぶやきは私には届かない。私は必死に教わった型をやり遂げようと続けた。
だが、一通り終える前に転んでしまう。その場にへたり込んだ私を父は冷たい目で一瞥した。
「私は毎日するようにと命じたはずだが、何故やっていない?」
それは単に外に出るまでの間に負傷してしまうため、外出が禁じられていたからだ。
「答えは?」
重ねて問われ、声に出していなかったことに気づく。
「手間を、かけてはいけないと」
「何の手間だ?」
「手当て、や、連れ戻す、ための」
「誰がそんなことを言った?」
「お婆さま、です」
とたんに父の纏う気配が厳しいものになる。
「お前を連れ戻すのは誰だ?」
「お婆さまか、ちび、です」
「ちび?」
それから父は何やら思案する。
「あれか。今朝、お前の部屋にいた下働きの者か」
「ちび、です。食事、を運んでくれます」
「お前につけた使用人はどうした」
私は首を傾げる。使用人と呼ばれる人はすべからく私を避ける。
「他にお前に食事を運んでくる者は?」
「ちび、だけです」
「――わかった。どうやら私は長く留守にし過ぎたようだ」
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実は父は、発達の遅い(と勘違いしていた)スイのために、特別に使用人をつけていました。
飛石家の使用人は全部で三人(うち一人が本当はスイ専属のはずだった)。下働きが二人(うち一人がちび)。
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